あなたと二人で生きていたい

成澤 柊真

第1話 小学生の時の話

 「がばっ」


 と、私は目が醒めて、自分の部屋を見渡した。そうすると、美優は笑って、私を迎える。


 「おはよ。まだ七時だから、そんなに慌てなくてもいいよ」

 「ああそう…おはよ」


 彼女の姿がうすぼんやりと見えているのは、私が寝起きだからである。笑顔が素敵だなあ、と眺めながら、意識がはっきりするまで少しの間ぼーっとした。

 カーテンの隙間から陽光が入ってきて、それが眩しかった。まあ、朝なので起きるために放置しておこうか。


 「ねー。今日から四年生ですね、しずくさん」

 「ですねえ、美優さん」

 「素敵な出会いがあるといいね」

 「うん…まあ、私は別に美優がいれば良いけれどね」

 「ほおー。嬉しいことを言ってくれるじゃありませんの」


 にへらー、と美優は顔を綻ばせる。そのまま崩れていきそうなほど綻ばせる。


 「嬉しいことを言ってしまったじゃありませんの」


 私もつられて、そう言って笑った。


 しばらくの間、笑顔の見せ合いの時間となる。


 じわじわと氷が解けて行くようにして目が醒める。もうすっかり覚醒して、さてそろそろリビングへ向かおうかと思った。


 「さあ、もうそろそろ用意しないと遅刻ですよ、しずく」


 私は頷いて、美優を置いて部屋を出た。


******



 「今日からあなた方は四年生です」


 担任の先生の口からそんなことを聞いて、ああ、今朝に美優と話したなあ、と反芻する。個人的には、四年生だからなんだ、という気もする。だって、三年生の時から大人になった気がしないから。


 身長があまり伸びていないこともそうかもしれないけど、何かができるようになったわけでも、何かを成し遂げたわけでも無いから、私は何も変わっていないのだろう、と判断できるのだ。できてしまう。ただ歳をとっただけである。



 「自覚を持って、有意義な一年にしましょう」


 意気込んで、担任の先生は言った。どうでも良い気がした。たとえ有意義な一年になったとしても、きっと私は五年生、六年生になってこの一年の記憶をすっかり忘れてしまうと思う。もうすでに一年生のこの時期は何をやっていたか、憶えていない。


 憂鬱だった。


 美優も学校に来れたらいいのに。


 「ねね、高崎さん、高崎しずくさん?」


 いつの間にか終わっていた先生の話。放課後になっているようだと、辺りの騒々しさから解った。

 そして目の前には、面識のない同級生。


 「は、はいはい。なにかな?」


 私はこの子の名前を知らなかったから名前を呼べなかった。


 「えっと…どこから来たの?」


 私は転校生だったのだろうか、と思いつつ、


 「あ、えと、神奈川…」


 そう端的に答えた。これでは会話が続かない。けれどまあ、私の知ったことでは無い。


 「ここから遠いね! 電車ですか?」


 おお。続いた。


 「電車です」

 「わたしも!」

 「……」

 「一緒に帰ろー!」

 「……」


 んー、どうしよう。一人が好きなのでお断りします、と言うと少し感じが悪い気がする。といって、一緒に帰るのもなあ。一緒に帰るとするなら、だって、会話しないといけないじゃない。お互い知らない同士だから、理解を深めるために。


 でも私は、別に理解を深めたいと思わない。


 「…だめ?」


 でも、と思う。


 逃げてばかりいても、良くはならないよね。会話が苦手、人見知り、そんなのはマイナスではない。けれども、私はそれを直したいから、きっとこういう嫌なこともやっていかなくっちゃいけない。そうやって、この前、美優も言っていたし。


 「…うん、良いよ。一緒に帰ろ」


 私は精いっぱいの笑顔を浮かべる。ニヒルな感じになっていないかな、と一瞬気になったけれど、相手の反応が良好だったので、うんうん、と思う。


 *******

 

 「というわけで、その子と今日は帰ったわけよ」


 私は帰って、美優に話す。美優は私の話を嫌な顔をせずに全部聞いてくれた。 


 「あらあら、珍しい。いっつもはぼっちなのに。今年はお友達できたんだ」

 「はん。私だってやればできるんだから」


 まあ、話しかけてきたのは相手だから私はあんまり頑張っていないのだけれどね。


 「その子、なんとうちの近くに住んでいたのよ」

 「おー。じゃあ本当にそこまで一緒だったわけかね」

 「うん」


 話すのがちょっとキツかったことは内緒である。相手が気を遣って私に話してくれていることがひしひしと伝わってきたし、それに上手く返せないことももどかしい。

 

 そんなこんなで、始業式だったから学校の授業は早く終わったけれど、精神的疲労はいつもよりもあった。


 「成長したね、しずく」

 「うん。あんたに好き勝手言わせていられないからね」

 「そういうもんかね」

 「なんでちょっと他人事なの?」


 やっぱり美優と話していると安心する、と実感する。ずっと一緒にいるのだから、当たり前だ。


 でも、思い返してみると、いつから一緒にいるのだか解らなくなってきた。気が付いたらいつも私の傍にいて、私に笑いかけてくれて、今もそうだ。


 私がしてほしいことを、何だってしてくれる。美優がいるってだけで、私の心は楽しくなる。


 「…嬉しいことを言ってくれるね」


 美優は照れつつ、私に言った。


 「うれしい。うれしいうれしい」


 美優は言いながら私に抱き付いてきた。


 口に出して言っていたのかと思うと、急に恥ずかしくなってくる。


 「ふん、いつもならこんなこと言ってあげないんだからね」

 「うん。うん、ありがとう」

 「……」


 素直な言葉でそう言う美優に、私もこんなことじゃあいけないなあ、と思う。


 美優のことは好きで、それに間違いはないのだけれど、口に出さなきゃ伝わらない。最近、それがようやく分かってきた。


 「すきよ…しずく。だいすき」

 「…私も。大好きだよ、美優」


 声を潜めて笑い合う。私たちが共有するこの感情を誰にも干渉されたくないから、誰にも聞こえないように、二人だけに聞こえる声で。

 美優は優しい声だった。優しく私に触れてくれた。


 「…私は、しずくの一番の親友だからね」

 「うん…ありがと」


 私は言ってから、


 「それで、その、美優を、その子に紹介したいのだけれど…」


 びくり、と美優は一つ震えた。


 「それは、今日知り合った子?」

 「うん…。なんか行きがかり上、私の家に呼ぶことになって、だったら紹介したいな、って」

 「……」

 「だめ、かな?」


 美優はしばらく考え込んだ。そういえば、美優が私以外の人と話しているところを見たことが無かった。

 もしかして、私に色々言っておいて美優も人見知りを持っているのだろうか。


 「…まあ、あんまり呼んでほしくはないけれど」


 美優はゆっくりと言う。


 「しずくの友達なら、うん、会っておきたい気がする。良いよ、紹介してよ」


*******


 「おお、ここが高崎さんの家!高崎さんっぽい!」


 久留といった彼女は、私の家を見上げてそう言った。


 どういうことだよ、とツッコみたかったが、そこまで親しくないのでやめておいた。


 「……」


 その隣で、黙り込んで見上げている、女の子がもう一人。どうやら、久留さんのお友達らしい。


 私の親友を紹介する、とか言ったら、じゃあ私も、と連れてきたのだ。


 「えっとじゃあ、上がって?」


 私は言って、がちゃりと家の鍵を開ける。


 私の部屋へ続く階段を上がりながら、もしかして、美優が逃げてしまったりしていないだろうか、と頭を過った。

 家へ招くのは消極的だったから、どうなんだろ、部屋を開けたら誰もいませんでした、っていう展開もある気がする。


 「……」



 という、展開だった。



 「まあ! 部屋綺麗ね、高崎さんの部屋!」


 隣で久留さんが言う。

 しかし、実際は言うほど片付いていない。服やら教科書やら、床に散乱している。


 「…散らかっててごめんね」

 言いながら私は、三人分の足場を作った。それから、「さて、何かする?」

 

 「んー…正直高崎さんの家に来たというだけで目的は終わっているけど、折角来たし、ゲームでもするかね」

 

 「対戦の?」

 

 「三人いるし、やっぱそれが良いっしょ!」

 

 「そうだね」

 私は気安く答えたが、大事なことを失念していた。しばらくしてそれに気付いて、「…ごめん、うち、一人用のしかなかった。しかも、昔お母さんが使ってたやつ」

 

 「…それはそれでやってみたい気もするけど、そっか。高崎さんはゲームとかしないタイプなんだ?」


 「うん。割と」


 んー、と少し悩んだようなそぶりを見せてから、「その…さっき言ってた、親友って人とはいつも何やってんの?」


 「なに…うーん」


 改めて訊かれると、何をしているのかよくわからない。いつも一緒にいるけれど、取り立てて何をしているというわけでは無い気がする。


 ただ傍にいて、一緒に話しているだけだ。


 そう言えば、どうやって仲良くなったのだっけ、私たちは。昔のこと過ぎて忘れてしまった。


 「特に、何もしてないかなあ。話してるだけで楽しいよ」


 言ってから、別の友人の話を語るのは不味かっただろうか、と思う。


 「ぐぬぬ…私たちだって仲良しだもんね!」


 久留さんは隣に座っている子の肩を抱いて言う。ぼっと、彼女は赤面した。


 「…さらに言うなら、高崎さんとももっと仲良しになりたい」

 「う、うん…ありがとう」


 何か告白されたみたいな気分になる…。


 てれてれと少しの間お互い照れ合う。


 「あ、えっと、そう言えば、高崎さんのお友達を紹介してくれるんじゃなかったっけ?」

 「あ、そうね。うん。いつもならこの部屋にいる筈なんだけど…ちょっと探してくる。たぶん家にいると思うから」

 「あ、はい、お願い」


 私は部屋から出て、家中を見て回った。待たせてはなるまいと少し早足である。


 「……」


 美優を探しながら、案外、久留さんとは仲良くなれそうだな、と思った。気が合うかどうかはまだ解らないが、話していて苦じゃないし、嫌なことも言わないし。まあ、向こうが仲良くしようとしてくれているから、ってところが大きいのかもしれないけれど。


 …私はいい気分でも、相手はどうなんだろ。なんかミスったりしたとこあっただろうか。


 どたどたと家探しする。これじゃあ空き巣にでもなった気分である。


 それにしてもいないな。

 もしかして、この家にはいなかったりするのだろうか。まあ、美優にも自分の家があるだろうし、毎日欠かさず私の家に来てるってこともないか。


 「……」


 でもそう言えば、学校に行っている間以外で会わない時間があるのって、実は初めてな気がする。ずっと前にはあったのかもしれないけれど、最近は全然ない。


 朝早くから、夜遅くまで。といっても私が眠る時間にはもう帰っているけれど、一日中、私と一緒にいる。


 「…なんか」


 なんでそんなに、私に構ってくれるのだろう。そんなに私のこと好きなのかな。


 でも、今はいない。


 なんか不安だ。


 美優が傍にいないって、なんか嫌だ。


 「…しずく」


 と、若干くるしくなってきたところで、美優の声がした。


 振り返るといつもの姿が見えた。安心するのと同時に、ちょっとした怒りもあった。


 「どこいってたの?」

 「んー…いや、ちょっとね」

 「どこ、い、って、たの!?」

 「あ…はは。しずくこわい…」美優は困ったように言ってから、「えっと、戻らなくていいの?」

 「あんたを探しに来たんでしょうが…!」

 「そっか」美優はにぱっと笑った。「ありがと」

 可愛いな、と少し見惚れる。「…じゃ、行きましょ」私は逃げないよう手を繋いでから、ふと気づく。「もしかして、本当は知らない人と会いたくない?」

 「ん…いや、大丈夫。大丈夫、だけど…まあ、消極的ではあるかな」

 「やめとく? 今なら、いなかったって言って済むと思うけど」

 「……」美優は少し黙ってから、「…しずくはどうしたい?」

 「そりゃ、できることなら紹介したいけど…その…親友、だし」

 「うん。じゃあ、そうしよ」そう頷いて、美優は私の部屋へ向けて歩き始めた。

 「…ほんとに良いの?」手を引かれながら私は言う。

 「しずくが良いなら、私は良いよ」


 部屋では、久留さんがぐだぐだと寝転がっていた。リラックスしてくれているみたいで、少し安心する。対して、久留さんの友達は正座だった。


 あー…この子私だな、と同族を見つけた気分になる。たぶん私も、こんな知らない人の家に来たときには必要以上に畏まってしまうと思う。


 「お友達、いた?」


 久留さんは上体を起こして訊いた。さすがにぐでーっとしたところを見られたのは恥ずかしかったようで、若干声が上ずっていた。


 「ああうん、やっぱいたよ」私は頷いてから、繋いだ手を軽く掲げて見せた。「この子、美優って言うんだけど」


 「ほお」久留さんは見定めるように頷いて、しばらく静止した。


 自分のことじゃあないけれど、なんかドキドキするな。いやまあ、一言も喋っていないから何を判断しているかは解らないけれど、外見とか雰囲気だったら美優はいい感じだと思う。


 綺麗だし、柔らかい雰囲気だし、気取った感じはないよな。

 二人を交互に見ながら待っていると、やがて久留さんは首を傾げて言った。



 「…? いつまでたっても出てこないのだけれど…」



 「ん?」

 「いや、ん、えっと、どっかから登場してくるんじゃないのかな?」

 「ん、と」どういう意味かと首を傾げる。「えっと、この子、なんだけど」

 「この子、って、どの子?」


 あれ。


 と思う。


 どう言うこと?


 「この子、この、ここにいる、子、なんだけど…」

 「…?」久留さんはさらに困惑したようになる。「えっと、なに、そこにいるってこと?」

 「あ、はい…」

 「ん?」どう言うこと、と久留さんは目が三角になっていった。


 どういうことかはこっちが訊きたいけれど、久留さんの話を聞く限りでは、彼女の位置からでは美優のことが見えないらしい。


 「……」


 しかし、久留さんは美優の真正面に座していた。


 美優は黙りこくったままだった。じっと久留さんのことを見つめながら、無表情である。


 「…ねえ、あんたも何か言いなさいよ」


 そう、美優に話しかけると、久留さんはひっと声を出した。


 「そこに、誰かいるの?」


 「だから、私の友達が…」


 「見えない…」久留さんは言ってから、隣の友達に訊く。「ねえ、誰か見える?」



 久留さんの友達は迷ったように目を泳がせた後、ゆっくり首を振った。



 「……」


 双方黙ったままだった。私も久留さんも、この場にいる誰もが、何が起こっているのか理解できないのだ。


 美優が、見えない。この場において、私にしか見えない。


 私にしか見えないってことは、じゃあ、美優は妄想とかそういう類なの?


 じゃあ、美優はいないってことになるの? いっつも一緒にいるのに? 美優は存在しないの?


 私の親友なのに?


 大好きなのに?


 じゃあ私は、いない人と親友で、いない人が大好きなの?



 「…きもちわるっ」



 久留さんはそう呟いた。


 自分でもそう思ったから、怒りもない。


 「ごめん…今日は帰るね」


 そそくさと、久留さんとその友達は部屋から出て行く。律儀にも、お邪魔しました、とひとこと言って去っていった。


 私は美優と二人きりになる。今や、私一人といっても過言ではないその空間は、しかし、美優の存在が感じられた。なんだか冗談みたいな話だなあ、と半ば他人事のように思う。


 「…ねえ、何で言ってくんなかったのさ。私にしか、見えないんでしょ?」


 「……」


 「だから、紹介されるの嫌だったんでしょ? 私が、変な子だって思われるから」


 「……」


 「本当は、美優はいないんでしょ?」


 自分で言っておいて、その事実は私の胸に突き刺さった。大好きなのに、その感情を向ける相手は存在しない。それはなんだか、的外れのところにジュースを注いでいるように、あるべきところに入っていない、間違っていると言われているようだった。


 「本当は、いないんでしょ…」


 「いるよ」


 「…え?」


 美優は言って、繋いだ手に力を込めた。


 体温が伝わってくる。力が伝わってくる。震えが伝わってくる。


 「いるでしょ?」


 「……」


 美優は私の頬にキスをした。柔い感触があった。美優の息がかかって、くすぐったい。


 美優をみると、顔が少し赤かった。


 「いるでしょ?」


 「……」

 

 どう考えたって、美優はいない。


 この場にいた二人から見えずに、私にしか見えないのだから、客観的に見て、美優は存在しない。


 でも、美優の手の感触は本物だった。


 美優がキスしてくれたことは本当だった。


 美優の体温は暖かった。


 私は黙ってから、キスされたところを感じて言う。


 「…うん。いるね」


 私にしか見えなくても、美優は確かに存在する。


 他の人には何も見えなくても、美優は確かに、ここで顔を赤らめている。


 ここでキスした女の子がたとえ、私にしか見えなくても、それで存在しないということにはならない。


 「確かに、美優はずっと、私の傍にいてくれてるよ」


 私はにこりと笑って見せた。


 不安は残る。なにせ、きもちわるい、と自分にも久留さんにも言われてしまったものだから、本当は気持ち悪いことなんじゃないかと疑ってしまう。客観的じゃないから、それを払拭することが出来ない。


 しかし、美優がいるなら、まあ、それでいいかという気分になった。


 美優が他人から見えようが見えまいが、どうせ私は、美優以外のことはどうでも良かったのだから、いないと解ったところで以前と変わらない気もする。



 がちゃ、と家の扉が開く音がした。



 お母さんがこんな時間から帰ってくるわけないから、きっと久留さんが戻ってきたのだろうと推測する。


 気まずいなあ…。


 「あ、あの…」


 果たして、戻ってきたのは久留さんの友達だった。


 「あのね、言いたいことがあって」


 気持ち悪いとか、また言われるのかな、と少し思ったけれど、わざわざそれを言いに気持ち悪いやつのもとへは来ないよなと思い直す。


 「どうしたの?」


 「えっと、えっとね、私も昔、自分にしか見えない友達がいたの…」

 

 彼女は滔々と語りだす。

 

 「もう、見えなくなっちゃったけど、確かに昔は親友で、今でもどうしてるかなって思い出すくらい大好きで、だから、きもちわるくなんて無いから…!」


 「……」

 

 「私、見えなくなっちゃったこと、忘れちゃったこと、ちょっと残念で、だから、憶えてるなら、見えてるなら、大事にした方が良いよ! …公子ちゃんも、多分勢いであんなふうに言っちゃっただけだと思うから、許してあげてくれたら、嬉しい」


 名前も知らない、友達の友達とか言うほとんど他人の女の子に元気づけられるという体験は、初めてのことだった。


 それでちゃんと前向きになれるということも、初めて知った。


 この子良い子だなあ、と思う。友達になりたいけれど、多分無理かな。学校違うし、私はこんなに、人のために動けないから。


 「…ありがと。元気出た」


 私はそう言って笑う。隣を見ると、美優も嬉しそうに顔をほころばせていた。


******


 「朝ですよ、しずく」


 翌日、美優はいつものように起こしてくれた。


 目覚ましより前だった。


 今日も美優だな、と寝ぼけた頭で思った。


 やがて覚醒しだすと、不安が積もってくる。私が、美優のことをいないって思ってしまったら、あっさりと彼女は消えてしまうのではないかと。私の前から姿を消して、あの子の友達のように、私も忘れてしまうのではないかと。


 「…ねえ、美優」


 だから私は言う。


 「昨日みたいにキスしてよ」


 ぼっと美優は顔を赤くした。


 「…もう忘れてよぅ」


 「だめ。ずっと覚えているから」私はにやりと言う。「昨日のこと。美優がいるって分かったこと、ずっと覚えてるから」


 「……」

 美優は嬉し恥ずかし、微妙な表情で言う。

 「…あり、がと」


 頬に当たる美優の唇の感触を味わいながら、今日も美優が傍にいると実感した。

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