私は今日

うぃーど君

第1話

『……笑いなさい』

 それがお母さんの口癖だった。

 小さい頃からずっと言われていた。

『笑ってれば大丈夫だから』

 お母さんはそう言って泣いてる私の頭を撫でてくれた。

 小さい頃の私は意味が分からなかったけど、言われるままに笑った。

 笑って見せるとお母さんも笑ってくれた。

 お母さんが笑うと嬉しくなって、悲しい気持ちが薄れた。

 それからも私はどんな時でも笑った。

 お母さんが居なくて寂しい時。

 ご飯が無くてお腹が空いた時。

 たまにお母さんが酔って叩かれた時。

 私は笑った。

 お母さんの言った事は本当だった。

 笑うと辛い事が何となく薄れる。

 押し潰されそうな時も笑うと少しだけど元気が沸いてきた。

 ある日、お母さんがいつまでも帰ってこなかった。

 帰りが遅い日はいつもだったが、帰ってこない日はなかったのに。

 怖かった。

 お腹も空いたし、一人でいるのが本当に怖かった。

 目から涙が溢れていたが、私は無理やりに笑顔を作った。

 私の唯一の友達だった熊のお人形のぽん太を抱きながら、笑顔を作った。

 ぽん太の存在が救いだった。

 数日後、眠ってる私の前に複数の大人の人がやってきた。

 突然で怖かったけど、私は何とか笑顔を浮かべてみた。

 大人の人が何を言っていたのかは覚えていない。

 ただ、優しく接してくれた。

 私は知らない場所に連れて来られた。

 『お母さんは?』と私が聞くと、大人の人は『お母さんは遠くに行って帰ってこないんだよ』と言われた。

 『帰ってこない』と言われて私は急に悲しくなって、また泣いてしまった。

 大人の人は心配そうに頭を撫でてくれる。

 私は『笑わなきゃ』と思った。

 涙が止まる事はなかったけど、私は笑ってみせた。



 私は『保護』されて施設に入った。

 大人の人はとても優しかったけど、周りからは何故かよく意地悪をされた。

 私が人より小さいからだろうか? それとも色々と不器用だったからだろうか? 

 理由は分からないけど、私は意地悪をされて困った時、悲しい時、寂しい時、やはり笑う事にした。

 お母さんが教えてくれた事だから、私は笑顔を作った。

 私が笑顔でいるとその内にみんな意地悪に飽きるのか、どこかへ行ってしまう。

 気づくといつも一人で友達は出来なかった。

 小学校、中学校も同じような感じだった。

 高校は……頑張ってみたけど、駄目だった。

 私は友達を作れないまま、卒業した。

 高校を卒業した時に施設は出なければいけない。

 私は不器用だったので、まだ就職が出来ていなかった。

 自立してない場合、20歳ぐらいまでは施設にいても良いと言われたのだが、施設には定員数があって私が長くいるとその分の時間、誰かが施設に入れない。

 ……私は嘘をついてしまった。


『友達の所で暫く住まわせてもらえるようになった』

『就職活動もそこで出来るので大丈夫』と。


 何か当てがあった訳ではないが、定員数を考えると私はついそう言ってしまった。

 結局、当てがある訳もないので、私は今公園のベンチにいる。

 小さなリュックを背負ったまま、ベンチで考えていたが、良い考えが浮かばないまま、夕闇が迫ってくる。

 私は少し不安になるが、笑顔を作って紛らわせる。

 こうやって『にこにこ』するだけでも少しは気分が違うと言うものだ。


(とりあえず少しならお金はあるし、公園だから水もある)


 私は今が春だと言う事にも感謝した。夜は少し冷えるが、凍える程じゃないから。

 今日はここで眠らせてもらおうと、リュックを枕にしてそうそうにベンチに横になる。


(体力温存して明日から仕事探さなきゃ!)


 そう決意して寝ようと努力した時だった。


「――おーい、何してんだ?」


 突然、男の人に声をかけられてびっくりして起きる。


「ひゃい! ややや、怪しいものでは……」


 飛び起きてから慌てて喋ったので意味不明な事を言ってしまう。


「怪しいものって……、うちの高校の制服だよな。

 うん? 倉……敷?」


「えっ?」


 その人の言葉に思わず驚いてしまった。

 言うと悲しくなるが、女の子の友達皆無だった私が男の子の友達なんている訳もなく、名前を覚えられるはずも無かったからだ。

 消去法で一瞬『先生?』と思ってしまったが、私の担任は女性だったからありえない。

 夕闇と寝起きでよく分からなかったが、その男の人を見るとそれは覚えのある顔だった。


「……山田、君?」



 私が高校3年生の時、クラスメイトに『山田君』がいた。

 身長が高いのとがっしりした体でちょっと怖いイメージを持っていた。

 ある日のお昼休み、私のお弁当が無くなっていた。

 当時ちょいちょいこの手のイタズラや意地悪はされていたのだが、お弁当が無くなったのは初めてで悲しい云々よりもお腹が空いてしまって、お水を飲んでもお腹が鳴るから昼休み屋上に来ていた。

 そこに居たのが『山田君』だった。

 山田君は屋上にどっかと座って、でっかいお弁当箱で食べていた。

 私は邪魔をしないように端っこに移動しようとしたらお腹が盛大に鳴った。

 山田君がこちらに気づく。

 私は恥ずかしくて、真っ赤になりながら下向いて歩いていたら、再度お腹が鳴ってしまった。


「おい」


 山田君が声をかけてくる。

 私は恥ずかしくて山田君を直視出来ない。


「飯食ってないのか?」


 私は真っ赤になって顔を上げれない。


「弁当忘れたのか?」


 山田君の質問にやはり恥ずかしくて顔を上げれない。


「……まさか、盗られたのか?」


 どきっとした。

 私はすぐに頭をぶんぶん振って否定した。

 山田君の声のトーンが少し落ちて怖かったのと、『盗る』って言葉にびっくりしたから。

 山田君は私の反応を見ると、嫌そうにため息を吐く。

 何か分からないが、嫌な気分にさせてしまったようだ。

 私はすぐにおいとましようとしたら、山田君がこっちに来るように手招く。

 私は何が何だか分からなくて、とりあえず指示に従った。

 山田君が座れって指差すので、山田君の前にちょこんと座った。


「ん」


 山田君は短くそう言って、自分のお弁当箱を私に手渡す。

 私は反射的に受け取ってしまうが、意味が分からず『?』となった。


「食え」


 山田君がまた短くそう言う。


「えっ? だって、これ山田君の……」


「いいから食えよ。俺はもう十分食べたから」


 お弁当は半分ぐらい残っていたが、元が大きいので半分でも私の普段の量より多い。


「でも……」


「いいって。ま、大した弁当ではないがな」


 山田君はそう言って自分で用意してた水筒でお茶を飲む。

 お腹がぺこぺこだった私には本当に有難かった。

 ご飯に揚げ物が一杯のお弁当をついパクパク食べてしまう。

 お手製の揚げ物、コロッケだ美味しー、ご飯をパクパク。

 こっちのもコロッケだ美味しー、ご飯をパクパク。

 これもコロッケだ美味しー、ご飯をパクパク……。


「山田君……コロッケとご飯で口がパサパサする……」


「うむ、そう言う時はお茶を飲め、ほれ」


 山田君が水筒のお茶を注いでくれる。

 私は受け取ってすぐに飲み干す。


「山田君因みにソースとか……?」


「すまん、忘れた」


 あう……。でも美味しいからいいかぁ。


「今日は時間が無かったので、つい、な。いつもはもっとゴージャスに……」


 ゴージャスに!?

 ゴージャスと言う言葉に反応してしまう私。


「ゴージャスにコロッケにソースがつく」


 山田君の言葉に私は笑ってしまった。

 私が笑うと山田君は満足げに頷いてその場を立つ。

 私が何か言うよりも早く、山田君が口を開く。


「ちょっと用事があるので、弁当箱その他は後で返してくれれば良いから、ゆっくり食えよ」


「あっ」


「ん?」


「山田君、ありがとう」


 お礼を言うと山田君はそのまま屋上から出て行ってしまった。

 私は久しぶりに幸せな気持ちで昼食を食べた気がした。

 お弁当箱は綺麗に洗って、山田君に返した。

 再度お礼を言うと山田君は『ん』と短く言って、立ち去って行った。

 不思議な事に下校時間に私のお弁当箱が机の中に入っていた。

 ――中身は綺麗になかった。うわーん。

 これが私と山田君の出会いだった。

 高校在学中、いや学校で、いやいや人生で? 数少ない優しい人なのでよく覚えている。

 あれからそんなに接点も無く卒業でお別れしてしまった山田君にこんな所で会うなんて。



「で?」


 公園のベンチに座って山田君が言う。


「なんでこんな時間にこんな場所に?」


 山田君の隣なので余計に縮こまって見えるだろうが、私は『えーとですね』、『それはぁ~』をモショモショと口の中で言う。

 山田君は私とリュックをちらりと見て、


「何があったか知らないが、早く帰った方がいいぞ」


 私はやっぱり縮こまって、『それはそうなんですけど~』と口の中でモゴモゴ言っていたら、山田君が立ち上がって私に手を差し伸べる。


「ほれ、帰りづらいなら途中まで一緒に行ってやるから」


「や、あの、そのですね。私、施設だったんで18で出なきゃいけなくてですね。その、もう帰る所なくて」


「は?」


 しどろもどろに言う私に山田君は座りなおしてから。


「18でって、自立出来てないのにぽんと放り出すのかよ」


「あやや、それも違くて、私がですね――」


 私の言葉の途中で山田君は再度立ち上がる。


「名前」


「はえ?」


「施設の名前と場所教えて」


「え? どうしてですか」


「俺が一緒に行って話をしてやるから」


 そう言って私の手をとって立ち上がらせる。

 何か分からないが、山田君が不機嫌になっている。

 そのままぐいぐいと手を引っ張って公園を出ようとする。

 私は自分のせいで山田君と施設の両方に迷惑がかかると思ってパニックになる。

 身長差のせいで親にダダをこねる子供のような絵図らだが、私は一生懸命山田君を止めながら叫ぶ。


「ち、違うんですー! これには事情が、ジジョーがぁ~!」


 私の必死の抵抗空しくずるずると引きずられるが、山田君は私の叫びにぴたりと止まってくれて、


「事情?」


「はいぃ~、事情があるんです~」


 山田君はじっと私を見つめると、何かを諦めたかのようにため息を吐いて手を離してくれる。


「わーったよ。事情を聞く前に場所を移そう。体が冷えちまう」


 私はそう言われて、自分の体が随分冷たいのに気づいた。


「本当はどっか喫茶店とか言いたいんだが……俺はボンビーだからな」


 山田君がそう言いながら歩き出す。

 私はそれに反射的に着いて行きながら、


「あの、どこに?」


 山田君は振り返らずに答える。


「俺ん家」



 山田君に案内されて私は古い木造アパートに辿り着いた。

 木造アパート1階の一番奥が山田君の家のようだ。


「俺しか居ないから遠慮すんな」


 山田君はそう言いながら、ドアを開ける。

 電気をつけて照らし出された部屋、何故か私は自分の部屋と似ていると思ってしまった。

 理由はすぐに分かった。物が無いのだ。

 私がいた部屋のようにほとんど物が置いて無いないのだ。

 私は『お邪魔します』と言って、部屋に上がらせてもらう。


「とりあえずそこら辺に座ってて」


 山田君はそう言って台所で作業をしていた。

 私は手持ち無沙汰なのでついつい部屋をきょろきょろと見てしまった。

 部屋には小さな本棚と小さなテーブル以外何も無かった。

 殺風景と言うよりは必要最低限って感じだ。

 本当に私の部屋と雰囲気が似ている。

 そう思っていたら、山田君が戻ってきた。

 手に湯気の立つお茶を持って。

 わざわざお茶を入れてくれたのだ。


「ほれ、暖まるぞ」


 山田君はそう言って私にお茶を手渡し、座ってから自分のお茶を飲む。

 私は手渡されたお茶の暖かさとほんのりと香る匂いにほっこりしながらもお茶を頂く。

 温かい……、お茶の温かさが体に染み渡る。

 そう思ったら私の手に何かが落ちた。

 ――私は泣いていた。

 理由は分からないが、本当にポロリと涙が頬を伝っていた。


「あれ……?」


 一滴が二滴と増える。

 私は袖で涙を拭き取る。

 拭き取っても拭き取っても次々に流れ出て、意味が無い。

 山田君が無言で白い何かを私の手に置く。

 タオルだ。

 お湯で絞ったのだろう、少し湯気がある。

 私はそれを受け取って顔を拭く。

 タオルの温かさが顔にじんわりと広がる。

 私は顔にタオルを当てたまま、


『ありがとう、山田君』


 と、言ったつもりだ。

 『あべがどう、ばばだぐん』と耳には聞こえたけど。

 山田君は私が落ち着くまでお茶をすすっていた。

 私は『笑わなきゃ』と思って頑張って笑顔を作ろうとした。

 タオルの中の私の顔は多分、とてもとても変な顔になっていたと思う。

 タオルをどけようと努力してる私に山田君が話しかけてくる。


「いや、茶がまずいからって泣かんでも……」


 え!? 違うよ? 山田君のお茶は美味しかったよ。

 私が勝手に泣いてるだけだよ!


 私はあまりにびっくりしてタオルをどけて、山田君に視線を送る。

 言葉が出なくて、ただあわあわ口を動かす。

 必死に否定しようとする私を見て、山田君が噴出す。

 またまた『え?』となった私に山田君は、


「冗談だよ」


 悪戯っぽく笑う山田君の顔を見ていると、私も自然と笑ってしまった。

山田君はそんな私を見てまた話を始める。


「公園で見かけた時は子供が親とケンカでもしたのかなと思ったんだが……」


 あう……。確かに私は小さいのでそう見えるかも。


「事情は複雑そうだし、飯食いながら話を聞こう」


 ご飯!

 私はご飯の言葉にお腹が空いていた事を思い出す。


「飯作ってる間に風呂入れよ。着替えは持ってるんだろ?」


 私は小刻みにうんうんと頷く。

 山田君に案内されてお風呂に入る。

 私は湯船に浸かりながら、これは夢じゃないんだろうか? と思った。

 本当の私はまだ公園のベンチで寝ていて、これはその夢。

 そう思える程に有難かった。

 お風呂から出て体を拭いた所で、着替えの入ったリュックを持ってきてない事に気づいた。

 私はタオルを巻いて慌てて、お風呂場から出る。

 お風呂場から出ると、揚げ物とお味噌汁の良い香りがした。

 あ~、美味しそうだなぁ。と思った先に山田君の驚く顔があった。


『あ』


 見事に二人の声がハモった。

 私はお風呂場にUターンして顔だけ出しながら、弁解する。


「ややや、すいません。ついお見苦しいモノをお見せして……」


「いや、普通そこは『きゃー、×××』じゃねーの?」


「『×××』?」


 私がそう聞き返すと、


「すまん、忘れてくれ。それより着替えはどうしたんだ?

 って、リュックか」


 山田君はすぐに気づいてくれて、こちらにリュックを手渡す。


「すいませんすいません」


 私は申し訳なくて、ぺこぺこと謝りながら受け取る。


「そんな謝らんでも……。俺台所の方、向いてるから着替え終わったら教えてくれ」


「すいません~」


 私の言葉に山田君は何か諦めたように台所に戻る。

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