第5話 劉備のホットステーション、楼桑村

 三人が楼桑村に着いた頃には既に日は高くなっていた。




 村に入ると劉備の塩屋の噂がすぐに聞こえてきたので、噂をしていた村の若者を張飛が捕らえ、関羽が髭を振るわして詰問するという、いつものパターンで情報を聞いた。



 村の若者は泣きながら劉備の場所を詳しく教えてくれた。




「あの野郎、俺達の塩でボロ儲けとはいい度胸してんじゃねーか。キキキキ、殺す殺す殺して塩漬けにして食ってやらあ!」




「待て。周倉の話だと、あのお方は盗人のような真似はせぬ。少し離れた場所から様子を見よう」




「そんな地に足がついてない奴の話なんざ信じれるか! そもそもそんな奴はの存在もしてないけどな!」




 三人は死角から近づくつもりだったが、その必要も無いぐらいの人だかりの中に劉備はいた。


 塩屋は張飛や関羽が経験した事のない繁盛ぶりであった。




「押すな押すな! まだ十分にあるから心配すんじゃねー! この劉備が大丈夫だと保障するぜ!」




 人だかりの真ん中から、威勢のいい声が聞こえてきた。すぐに話ができそうもない状況なので、三人はしばらく木陰で様子見ている事にした。




「こら、お兄さーん! あんたさっきもいたろーが! 一人一袋だと言ったろ。約束守れない奴は男として認めねーぞ! 男なら約束は必ず守れ男の同士の約束は誓いみたいなもんだぞ!」




 劉備の怒声を聞いて関羽の頬がピクリと動いた。

 すぐにあらぬ方向を見つめて、分かっているさ周倉とばかりに頷き微笑んだのを見て、張飛が嫌そうな顔をした。



 三十分以上経っても人は減るどころか増える一方で、役人らしき者達の姿まで見え始めた。




「やばいんじゃないのか。役人に闇塩売ってるとばれたら俺達の塩が没収されちまう」


「うむ。塩だけならよいが、あの方まで捕まってしまう。ここは我等の出番やも知れぬな」




 関羽の言葉を聞いた簡擁がスーっと離れようとしたのを、張飛が片手で捕獲した。




「心配すんな。あの野郎の為に役人ともめる気はない。少なくとも俺はごめんだぜ。こんな時こそ周倉って野郎に任せりゃいいんだよ。ヒュ~ドロドロドロってな」




「周倉一人では無理だ。小役人じゃなく州兵のおでましだ」




 州兵二十人ばかりが全ての客を追い払い、劉備を取り囲んだ。

 単なる役人と違い、州兵なので全員がそれなりの属性持ちなのは間違いない。




 ひときわ派手な出で立ちの男が塩を一舐めして薄笑いを浮かべる。




「通報通りだな。塩の売買は国営のみだ。ようやくお前をぶちこめるぜ」


「あ? 私をぶちこむと言ったのか魯粛ろしゅく。この劉備が法に触れるような真似をしたと言ってるのか」


「たった今、塩を売ってやがったろうが。法には触れぬが女の尻には触れる男魯粛様と、まあお前の仲だ、腰のものを譲るってんなら見逃してやらんでもないぞ」


「はっ、またかよ。コネで買ったとはいえ州兵長が、下品な口上晒してねーで、しゃんと背筋伸ばせ背筋を。残念ながら私は塩を売ってねーよ。配ってただけだ。塩を無料配布する甘い男劉備――ちっ、お前の残念な顔見てると決め台詞も決まらねーよ。一袋づつくれてやるからさっさと失せろ。早くしないと塩撒いちまうぞ」




 魯粛が返答に窮して固まっている間に、劉備は州兵一人一人に塩袋を手渡し、治安向上に勤しむよう声をかけた。受け取ると共犯になりかねないので、普通は拒否するのだろうが、劉備に声掛けされた州兵は上から褒美を賜る錯覚を覚えたかのように、一人の例外無く塩を受け取った。






「もう我慢ならねえ」






 関羽が止める間もなく張飛が飛び出し劉備に剣を向けた。




「人様の塩を勝手に無料配布してんじゃねー! サンタ気取りかてめーは!」




 張飛の豪雷のような罵声にも劉備は眉一つ動かさずに馬鹿がと呟いた。




 「人様のじゃなく塩は全て天子様のものだ――てっお前、翼々よくよくか?」


 「あぁ? 何で俺の字を知ってんだ。ん、どこかで見た顔だな」


 「違うな張飛。この御仁が我らを知ってるのは会った事があるからではない」




 関羽がずずいと前に出た。その背中に隠れるように簡擁も劉備の前へと姿を現した。

 うぬ達、と州兵に睨みを効かしながらも優しげな声音で話しかける関羽。




 「関張血風祿かんちょうけっぷうろく第一巻、漢の道は儂の道の愛読者とお見受けした。巻末に載せたイラストで我等だと分かったのであろう」


 「んなダサい題名の本もその不潔な髯面も知るかよバカ。風呂入って出直せや臭いんだよ物乞い風情が!」




 魯粛のにべもない返答に関羽の美髯がわなわなと震えた。

 簡擁が州兵州兵、相手は州兵ですよーと叫ばなければ、関張風祿第二巻の山場のシーンになっているところだった。




「とにかく俺達の商品を返せや小僧。もち、足りない分は払ってもらうぜ」

「翼々、お前さっきから何を言ってやがるんだ」


「うるせえ! 州兵だろうと何だろうと寝不足の俺に気安く字で呼ぶんじゃねー! 死ぬかおい、世の中には州兵って肩書きが通用しない相手がいるのを教えてやろうか、あ?」


「お前、元婚約者を殺すか。まあ一度殺されかけたがな」




 魯粛は兜を脱いだ。

 瞬間、張飛の顔から血の気が失せた。




 魯粛の頭は黒ずんだ火傷が酷く、禿げ上がっていた。




「――子敬しけい!」


「ようやく思い出したか。てめえのせいで初夜に逃げられた男とか黒点の多い太陽とかよ、散々なあだ名をつけられるてよ、辛い辛い毎日だったぜ。しかし、復讐する時が巡ってきたみたいだな。国営の塩を俺達の商品たあ、聞き捨てならんなあ~」




「なんだ婚約者か。だったら見逃してやれよ。それぐらい出来る才覚と地位にいるだろ」




「劉備ぃ~、こいつはなぁ、豚肉屋の看板娘だったが生きた豚を斬るのだけが楽しみな変態でよ、牛肉屋の息子だった俺は店舗合併の政略結婚させられたわけだ。だがしかし初夜に頑強に抵抗しやがって行灯を蹴り倒すわ店は燃えるはボコられてまともに動けなかった俺は危うく焼死しかけるわ、こいつは火の粉撒き散らして逃げ出すわで人生めちゃくちゃにしてくれやがったんだよ。許せるわけあんめぇ」




「そうか、それで火事や放火に異常に反応してたのか。しかしこの女も顔に火傷してるようだし、辛い人生だったろうぜ。おあいこでいいじゃねーか。どうせ無理難題な要求したんだろうが。おい、髯男爵も何かフォロー入れてやれよ」




 いつの間にか路傍の石にどっからと腰を下ろしてよそ見を始めた関羽に劉備が呼び掛けた。




 「生憎ながら、張飛の過去に興味は無い。身内の話しに口を挟む気も無い。煙草でも吸いながら待たせてもらう。簡擁、火を貸せ」




 関羽はそう言うと、横で鋭く息を吸った簡擁の顔を鷲掴みにした。




「ふが、何するですか!」


「煙草に火を着ける程度でよい。間違っても顔面が炎で包まれるような冗談は、この場面ではシャレにならんからな」


「分かってますよー。私は空気を読んだり燃やしたりできる女の子ですよー。ハフウー!」




 簡擁の口から炎が噴出されて関羽の顔面を焼いた。




「関羽さん萌えー、なんちゃって!」




 言って簡擁は脱兎の如く逃げ出した。

 関羽も顔の火を叩き消すと虎の咆哮を上げながら後を追った。




「物乞いかと思ったら大道芸人か。まあいい邪魔者はいなくなったわけだし、お前一人を連行できりゃあ、俺は満足よ。てめえら、こいつに縄かけろや。女とはいえ怪力だから遠慮無用だ」




 州兵達はまだ呆然としている張飛の腕をとると、後ろに回して縛ろうした。

 張飛は我にかえると州兵を投げ飛ばすや刀を振り上げて威嚇した。




「ちっ、昔話はたくさんだ! 今の俺は豚じゃなく人間を斬るのが趣味なんだぜ! 過去の因果も何もかもぶった斬ってやるよ!」




 張飛の剣幕に押された州兵を罵倒しながら魯粛が前に出た。




「翼々よぉ、お前の両親が俺の親父のチェーン店で働いてるの知らないのか? 親に迷惑かける行動は慎めや」


「てめえ!」




 張飛が魯粛を睨みながらも、二の句が次げずに動けなくなった。

 代わりに劉備が勢いよく立ち上がり、腰の剣をすらりと魯粛の喉元に向けた。突然の事に魯粛は反応できなかったが、動じるでもなく一瞥をくれたに過ぎなかった。




「劉備よぉ。お前らしいと言えなくもないが、州兵に刃向かうたぁ賢い行動ではないな」


「あぁ? この劉備が斬ろうとしてるのは州兵じゃなく人の弱味につけこむゴキブリ野郎だぜ。いやゴキブリのがまだマシだな。前々から弱味につけこむお前のやり方は嫌いだったんだよ。お前に一杯奢られるよりもゴキブリにキスする方がいいぐらいだ」


「嘘つけや」


「この劉備が嘘などつくか」


「そこにゴキブリがいるが」


「すまん嘘だ」


「お前の素直なとこは大好きだぜ。さあ剣をしまえ」


「だったらこの女を見逃してやれよ。親を人質にされて尚暴れる女なら構わないが、親を気遣う優しい女じゃないか。そういうとこにに惹かれて求婚したんだろう。なら見逃してやれ。でなきゃ七星剣の切れ味を身をもって知ってしまうぞ」


「単に政略結婚だ。お前は張飛の怖さを知らぬだけだ。そろそろ剣を下ろさねば、お前の母にも迷惑がかかるぞ」




 途端に劉備の血の気が引き、剣を鞘に収めて後ずさった。

 あまりの萎えっぷりに張飛が突っ込みを入れそうになるぐらいだった。


 張飛も劉備も親を人質にされターンエンドとなり、勝負が決するまでは魯粛のターンが続くだけの様相を帯び始めた。その空気を敏感に察知した魯粛はニヤリと笑って一計を提案した。




「劉備、この女を見捨てたくないわけだな。もしや惚れたか」


「魯粛と同じ趣味じゃねーから。私は結婚相手は吟味するさ。ただこの女が危機なのは私のせいかも知れぬから見捨てるわけにはいかないだけだ。好みのタイプが違い過ぎて魯粛とは恋話はできそうにないな」


「俺とて大女は趣味じゃねえ! いつか呉に渡り二喬を手に入れるんだよ! まあいい。張飛を見逃してほしけりゃな、腰の物をよこせや。そしたら張飛は無罪放免、劉備の母上にも迷惑がかからねぇ。俺も塩を没収できて、皆が幸せだ。あくまで楯突くなら母上に迷惑がかかるし、あるいは張飛一人が檻に入れられて中央に送られるかだな。好きなの選びな」




 魯粛の言に張飛は覚悟を決めた。劉備が剣と母を大事にしてるのは先に目の当たりにしていたし、暴れて親に迷惑かける気もない。それでなくとも迷惑かけっぱなしだったのだろうし。


 そう思えば関羽や簡擁がいないのは好都合だった。己の都合で二人を投獄の憂き目に合わせるなど御免だった。


 観念した張飛は剣を放り投げて天を見上げた。

 雲に隠れて太陽は見えなかったが、太陽が喋るとしたらこんな気持ち良い口調だと思えるような声がした。




「この剣で女一人の人生が救えるなら持っていけ。ただし、私達の親に今後関わないと誓え」

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