佐々木しのぶであった者
白いベッドに白い壁。
窓の外には、テーマパークと同じ、青い空。
佐々木しのぶの背にある景色は、大抵はそんな感じだった。
中学の同級生だった彼女は、学校に来たのは、数える程度。来てもしゃべらず、表情が無かった。まあ、クラスに溶け込めてないし、それが当たり前だよなあぐらいに思っていた。
ある日の昼休み。
俺は、クラスメイトとTRPGで遊んでいた。
「おりゃ」
気合いを入れて振った4面ダイスが、机からはみ出て、床に落ちた。
それを拾って俺に手渡しながら、佐々木さんは言った。
「変わった形のサイコロだね」
と。
意外だった。あっちから話かけてくるなんて。
「4面ダイスって言うんだ」
「今やってるのは、お芝居かなにかの練習?」
「違うよ。TRPGって言って、しゃべりながら、進めるゲームでさ」
「そんなのがあるんだね」
そして彼女は、ほんの少しだけ笑った。
どこにでもある紺の制服の上、左右に結んで垂れた黒髪の間にある、いつもは無表情な顔に、生命が吹き込まれたその瞬間。可愛いと思った。
彼女は、4面ダイスを俺に渡すと、自分の席へと戻って行った。
◆
お見舞いに持参するのは、何がいいだろう?
お菓子? でも、なんの病気かわからないから、甘い物を渡していいものかどうか。喜びそうな物が何かも、わからないな。
唯一、佐々木さんが笑顔になったのを見たのは、あの時だなぁ。
「佐々木さん? お邪魔するね?」
病室のベッドに、佐々木さんが寝ていた。「TRPGリプレイ集」の文庫を渡す。
彼女はすこし驚いたような顔をした。でも、すぐにいつもの、ぶっきらぼうな表情に戻った。
「漫画じゃなくて、小説なの?」
「一見とっつきづらいけど、凄く面白いんだよ。役のなりきりとか、掛け合いがさ」
「ありがと」
やはりぶっきらぼうに、そう返ってきた。
◆
「読んでみてわかったよ」
病室で、彼女は破顔した。
やった!
元々は、親父の蔵書にあったリプレイ集だったんだけど、俺も読んで笑った。
なんせ、エルフが、モンスターを転ばせてばかりいた。炎の精霊とかで攻撃するんじゃないんだ。
「どのへんが面白かった?」
「落書きが」
(そっちかい!)
俺は心の中でツッコミつつ、赤面した。
実は、小説本文の上とか余白とかに、落書きを入れてあったんだ。
『いや、その発想はおかしい』
『ドラゴンが転んで泣くとか!』
みたいな感じで。
思わぬ所で佐々木さんのツボを発見したその頃の俺は、お見舞いに行く度に、そのリプレイ小説シリーズの続刊を持参した。落書きで埋め埋めにして。
『ココ、笑うとこ!』
『(解説)このあたりの描写は、神話がモチーフになっていて。どういう神話かというと……(続きはWEBで)』
みたいな感じで。
意外とズケズケとものを言うようになったしのぶから返してもらった第2巻が、自宅でうちの親父に見つかり、「もっと寝かせて、価値が出てからセットで高く売るつもりだったのにさぁ!」と怒られたりもした。
◆
ある日の病室。
「どうしたの? この本の山は!」
「ちょっと駆駆! ノックしてから開けようよ! 乙女だよあたし!」
積んである文庫だけじゃなくて、あちこちに点在する紙袋の中身も、本だという。
「しのぶさ。どうしたの? こんなに」
「儂じゃよ?」
俺の後ろからひょっこりと現れたその人は、しのぶの父親、健吾おじさんだった。
デジタル土方のIT奴隷。しのぶのお見舞いにも、中々来れないらしく、あまりお会いする機会はなかった。
「お父さんが買ってくれたの」
健吾おじさんは、天下の出版社、マルヤマ書店で働いていたのだそうだ。編集者でも作者でもなく、IT技術者としてだけど。それで俺も合点がいった。山と積まれた書籍の殆どが、マルヤマ書店が発行した本だったことに、だ。
「君が、一ノ瀬駆駆くん、だね。うちの娘のお見舞いにいつも来てくれて、ありがとうな」
そう言って頭を下げるおじさんの、土のような顔色と、目の下のクマを見るだけで、寝る時間無いんだなとわかった。
おじさんは、うちの親父と同年代のようで、俺が持ってきたリプレイ集を見て、
「懐かしいなぁ……」
と言っていた。
「しのぶの病気が治ったら、一緒にTRPGやろうぜ」と、3人で約束をした。
◆
その機会は、意外な形で訪れた。
ある日、病室にパソコンが、ドーン! と置いてあった。
「ちょっとしのぶ。これ、どうしたの?」
「儂じゃよ?」
また、後ろから現れた健吾おじさんだった。
IT系の用語を、嬉々として話しまくる健吾おじさんには、正直辟易した。
「オーペラペラペラペラ。それがペラペラペラ。こっちのモジュールは構造がペラペラペラ。病院が通信ポートをペラペラペラ。ペラペラプロトコルがペラペラペラペラ。あーなんて素敵にペラペラペラペラペラ」
「お父さん、うっさい!」
しのぶに怒られて、おじさんは、「いやぁ、それほどでも」と、万更でもない表情で言っていた。メンタルの強いおじさんだ。
技術的な事はよくわからないけど、健吾おじさんは、インターネットで出来る、TRPGチャットの環境を整えてくれたのだった。
「しのぶ、これなら、ネット経由でみんなと遊べるだろ?」
「ありがとう、お父さん」
◆
俺は学校で、いつものメンツを俺の家に呼び集めて、健吾おじさん謹製のインターネットチャットアプリケーションを試してみた。
「え? まじで? ネットでできんの?」
と、みんな乗り気だった。
谷村が持ち込んだノートパソコンと、俺の家のパソコンとで、健吾おじさん作のアプリケーションを立ち上げる。
Tanimura:谷村です。ええとね、今回のキャンペーン、佐々木さんは、種族は人間で、職業は戦士でお願いします。
Sasaki:人間で、戦士?
Tanimura:他の種族とか職業だと、魔法だとか、補助だとか、遠距離攻撃だとか。覚えること多くて大変だと思うから。
Tanimura:たしかに。殴ってりゃいいからな。あ、俺、田口な。
Ichinose:少しずつ、慣れてきたら、好きなキャラクリエイトをしてもらう感じがいいよね? 僕、木崎です。
Ichinose:そだね。一ノ瀬です。
Sasaki:ありがとうございます。
そんな感じで始まった。
頭の良い谷村がゲームマスター。
田口、木崎、俺、しのぶの4人が、プレイヤー。
パソコンチャットで雑談しながら、ゲームマスターの谷村が仕込んだダンジョンを探索していく。
――
しかしその時間は、長くは続かなかった。
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