えっ? 先輩が失踪?
「駆駆。いおり先輩に、なにをしたの?」
俺は大学で、いつものように教室の後ろに陣取り、授業を受けていた。天然パーマにメガネの上条教授は、今日も学生に気を使いながら喋っていた。
そうしたら、いつもは教室の「前」に陣取るはずのにしのんが、いつの間にか俺の隣の席に、這い寄るように来ていた。薄めのフレッシュな香り。
「えっ?」
さすがに小声で、となりのかわいい子に返す。
「夜中に、いおり先輩から電話がきたよ? いつもの先輩らしくなくて、取り乱してた」
「ん? そうなの?」
(長谷川先輩、どうしたんだろう? 何かあったのか?)
「と に か く ! 授業が終わったら、部室に顔出すよ。一緒に」
そんなにしのんが、俺の首の下あたりから滑り込むように近づいてきて、少しドキリ。
「はいはい! 行こ行こ!」
物理的に腕を引っ張られつつ、広いキャンパスを横切って、部室棟へと向かう。
豊かとは決して言いづらい、やわらか2個セットが、俺の腕に多少接触する(婉曲表現)。
が。
不思議な事に、感触が、いつもより高い位置に。一体なにがあった?
道の途中、自販機で缶のお茶を買いつつ少し距離を置き、チラリと観察した。
今日のにしのんは、白レースのブラウスの、表面が
今日はいつもより、チビッ子じゃない!
音楽好きの象徴、音符の髪留めがにしのんのサラサラヘアーを飾る。「付点八分音符」というらしい。よく、この「付点」と「八分音符」とを物理的にくっつけたなぁ、どこぞのアクセサリー屋さん。
部室塔は、秋なのにまだ少し、熱が残っていた。
そして、長谷川先輩は居ない。
「この曜日は、いつも居るのに。遅れるときも、必ずわたしに連絡があるのに」
にしのんが、
「駆駆。いおり先輩の行きそうな所、一緒に探しにいくよ!」
「う、うん。いいけど、先輩、どうしたんだろうね……」
キッとした表情のにしのんが、もう、触れるぐらいの距離に近づいた。あっと言う間もなく続けざまに、おでこに軽い「ごっつんこ」の感触。にしのん、背伸びしたな?
「駆駆は鈍感すぎんだよこんちくしょー! いい加減、気付こうよ!」
「……何を?」
「それは本人から聞いて! わたしが言うのはルール違反なの! そういうの、嫌いなの!」
「は、はぁ……」
よく分からないけど、にしのんは凄い剣幕でまくし立てた。
圧倒されつつも、にしのんと俺、2人での「長谷川
俺の勝手なイメージだと、長谷川先輩は本をとにかく沢山買うから、本屋とか、カフェとか、おとなしめの所に居そうだ。その点は、にしのんも首をぶんっと縦に振って、同意してくれた。音符の髪留めはびくともしない。
でも、大学構内にも、沖袋駅の通りにも、西緩バンズにも、まさかと思って、俺のバイト先の本屋『ブックス・マルファ』にも行ったけど、長谷川先輩は居ない。
もたもた探しているうちに、時間はどんどん経過。
「暗くなって来たね……にしのん」
「はっ! 駆駆、それだ! 夜景! 秘密基地!」
にしのんと2人で電車に乗り込み、夏葉原へ。
居た!
夏葉原駅から北に。エスカレーターを登り、人も殆ど居なくなったデッキを歩き、NNDXビルの右側へと進む。ビル風は、むしろ寒いくらい。にしのんの生足は新陳代謝の証明のように思える。
木製四角の大椅子に座り込み、ぼーっと電車を眺めている、可憐な女性が1人。
ノースリーブの上にガウン。猫柄スリット入りの柔らか寒色系フレアスカートに、綺麗なおみ足、という出で立ちで。
「いたいた! いおり先輩! ほんと心配しましたよ! 乙女がこんな時間に1人でいちゃダメです!」
「にしのん!? って、一ノ瀬くんも?」
長谷川先輩の目は、驚きで、いつもより少し大きくなっているように見えた。まぶたの下も、少しだけ、腫れてないか?
「はい、いおり先輩。モヤモヤしててもしょうがない! ちゃんと話すように。 駆駆、おりゃっ!」
と、にしのんは、俺の腕を掴み、前へと放りだす。
その勢いで、俺はたたらを踏みつつ、長谷川先輩と、すんでの距離まで近づく。植物由来っぽい、いい香り。
「わたしはいったん消えるから、お2人で、ちゃんと話してください。あと、先輩? ストレートに言わないと、コイツには絶対に伝わんないと思いますので!」
そう言って、いつもよりチビッ子じゃ無いにしのんは、後ろへステップを踏みつつ反転。俺たちに背中を向けると、たたっと駆け出し、夏葉原の街のどこかへと消えた。
ええと……。
俺の目の前には、少し泣きそうな顔の長谷川先輩が1人、残された。
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