西野さん、ごめん


「ふぅ……」

 ちょっと息切れをしながら電車に駆け込み、バイトへと向かう。

 正直、ルールブックを買って即座にプレイできるようなゲームじゃないんだよね。クトゥルフTRPGは。


 部室ではあれから、言い出しっぺの長谷川先輩が、「私がKP進行役やるね」と張り切った。




 先輩、どんな張り切り方だったかというとー!!




 すれ違った男子の多くが振り返るであろう黒髪美少女(大学生は、少女かなぁ?)が。

 体を内側に縮めた感じで、右拳を軽くにぎり、白くきめ細やかな肘をこちらに見てるように腕を上げて「私、がんばる!」って、少し首をかしげてニコッ。

 その反動で、スカートがふわりとなって。


 あの仕種しぐさは正直、反則的に可愛いわけでして。ええ。


 「可愛いは正義」という言葉を聞いたことがある。


 長谷川先輩のそのジャスティスっぷりは、くだんのトラックに転生するラノベに出てくる断罪炎の剣クランキー・ジャスティサイザーの優に20倍位は、あったんじゃないかなぁ。


 男性陣がみな一様に、グエエエエエエエエエエエエエエ! (阿鼻叫喚)って、なる位には。

 

 長谷川先輩が頑張ろうとしていた「KP」というのは、「ゲームキーパー」の事。要はゲームの進行役、司会だ。


 KPの役割は。


・シナリオをプレイヤーに説明する。

・必要に応じて、プレイヤーにダイスサイコロを振ってもらい、その出目に応じて、シナリオを分岐させていく。

・話の筋から脱線しそうなプレイヤーにそっと這いより、助け舟を出す。


 などなど。


 ゲームのルールとか、あと、クトゥルフ神話に出てくる、コズミック・ホラーな邪神達を把握していないと、とても務まらない。


 そんなKPの役割を、ルールブックを買ってきた初日から実行しようってのは、いくら可愛さの正義ジャスティスっぷりが野球ドーム100杯分はあろうかという長谷川先輩でも、無理があったわけで。


 結局今日は、ルールの読み込みだけでタイムアップになり、「俺、バイトがあるので」と、一人抜け出てきた。


 ちなみに。


 「オフショルダーのブラウスの下に「なんと白シャツの肌隠し」が有って残念でした男性諸君!」なちびっ子西野さんは、ルールブックを読むだけで、げっそりとしていた。


 本当に怖いものが苦手のようで、これまた小動物のように可愛い。いつもの男っぽいキャラとのギャップ萌えもあって、なおさら可愛い。


 クトゥルフTRPG的には、このげっそり現象を「SAN値正気度が減った」と言う。ほんとうか?


 クトゥルフTRPGのゲームを進めると、キャラクターのSAN値正気度は、基本的には減る一方だったりする。


 減ったらどうなるかは……ふふふふふふふ! 


 ともあれ、嬉々ききとしてルールブックを読み進める長谷川先輩と、その隣に、まるで妹であるかのように座って、ルールブックを覗き込んだりきゃーきゃー逃げたりを繰り返し、最終的にげっそりとした西野さんとの2人に、俺は取っておきの甘い物を進呈した。


 コンビニ謹製のふわふわクリーム蒸しケーキ。

 別名、ジェネリックおぎの金星。


『女子には甘い物』


 はい! この公式、テストに出ます!


 部室のサイコロ状(6面)冷蔵庫からスイーツを2つ取り出し、しっとりサラサラお肌の女子大生2人に手渡し役得タイムして、そしてバイトへと向かった。


 ◆


 中型書店「ブックス・マルファ」は、沖袋駅から徒歩5分。エスカレーターを登った2階にある。


 そこでのバイト中、副店長から叱責を喰らった。


「一ノ瀬は、雑誌抜きが遅いわりに、雑誌の抜き漏れがある。特に今日は、それがひどい」という内容。レジ内での軽い注意ではなく、わざわざバックヤードに呼び出された。


 雑誌は、次の号の出版が近い場合、今の号を棚から外して、返品する。

 お客さんに古い号をお売りするわけにはいかないから。


 その作業が、今日の俺は壊滅的だった。スピードも精度も。


「すみませんでした……」

 素直に頭を下げる。いくらマルヤマ大賞に落選したからって、心ここにあらずで仕事に支障をきたしたのは、完全に俺が悪い。お金を頂戴しておいて、その体たらくはダメだ。


 内心、「ICタグを本に埋め込めば解決なのになぁ」とも思う。大手の書店では、そういう対策、とっくに実行しているはずだ。


(本にICタグを貼り付けておけば、どこにどの本があるのか、パソコンでわかるんじゃないのか? 万引きも防げるんじゃないのか? 雑誌抜きも、楽になるんじゃないのか?)

 そんな気持ちもゼロでは無かった。けれど、単に俺の注意力が散漫なだけだった。申し訳ありません、副店長。


 今日も今日とて、いつも来店なさるお客様と軽く雑談をして、喰らった精神ダメージの軽減を図る。ハードカバーが好きなお姉様で、しのぶがもし生きてたら、こんな感じの、綺麗な女性に成長してたのかなぁ……とかこっそり考えつつ、本にカバーをかけ、お姉様に手渡した。


 まぁ、そんなこんなもあったけど。


「おつかれさまです。先に上がらせていただきます」

「おつかれ、一之瀬」


 本屋店員の象徴である「深緑のエプロン」をロッカーにハンガー掛けして、返す刀で俺のカバンを肩にひっかけた。


 カバンに入れておいたスマホを見ると、LIMEリーメというチャットアプリから、通知が来ていた。開くと、差出人は西野さんで、


『ミッション発動!』『ダイスっていう、サイコロっぽいモノが、足りないんだって』とのこと。


 クトゥルフTRPGをプレイするためのダイスが不足している、ということだろう。


 ダイスには、結構種類がある。


 テントのような形の4面ダイス。

 レーザーを跳ね返しそうな、4角すいを2つ合体させたような形の8面ダイス。

 トンガリな宇宙船を2つ、底面同士を合わせて、ズブズブとめり込ませたかのような形の10面ダイス。

 他にも、12面、20面、果ては100面ダイスなんてのもある。


 中学時代にTRPGをちょっとだけかじったから、ある程度は知っている。当時の事は、思い出すと、今だにちょっとつらい。


 西野さんによると、

『どこに売ってるか、知ってる?』

 とのことなので、


『わかんね。 西緩バンズか、パパゾヌあたりでよくない?』

 と返した。それぞれ、百貨店と、ネット通販プラットフォームだ。


 バイト先の本屋を出て、エスカレーターを下り、駅前を歩き始める。するとすぐ、西野さんからスタンプと共に、

『西緩バンズ付きあって』

 とメッセージが飛んで来た。


 バイト先の本屋から西緩ハンズへは、目と鼻の先ぐらいの距離だ。人間サイズではなく、巨人サイズでの目鼻だけど。


『俺、バンズの近くにいるから、買って来てもいいけど?』『何と何が必要なの?』

 と返した。


 おそらく、8面ダイスと、10面ダイスが足りないんだろう、と俺は予想していた。6面ダイスなら100円均一とかにもあるから。


 しかし、西野さんから返ってきた答えは違った。


『一緒に行こうよー。いおり先輩から、わたしが頼まれたんだよー』

 というメッセージと共に、黒猫がペコリと頭を下げている絵柄のスタンプが送られてきた。


(うーん、面倒だな……)


 いつもの俺なら、「えっ? これもしかして、西野さんとのデートフラグですか?」と、ひそかに心をときめかせる所なんだけど。


 今日はさすがに、お昼の出来事が、俺のSAN値正気度を、削りに削りまくっていた。


 だって、だってだよ?

 魂を込めた渾身こんしん拙作せっさく(渾身なのに拙作とは、これいかに)『座椅子の偉大なる種族』が、マルヤマ大賞にかすりもしなかったんだよ? しかも、バイトではミスもやらかした。

 

 さすがにもう帰って、風呂に入って、ゲームなり動画サイトなりで、ヤられた精神を癒やしたい。SNSですら今日は億劫おっくうで、3限の授業以来、開いていない。


 西野さんにどんなメッセージを返そうか考えながら、俺は駅前をうろうろしていた。人通りも多く、電気屋とかカフェとかがたくさんある、明るい道だ。そこで、ズボンのポッケに入れたスマホが、た振動した。


(西野さんから次のメッセージが来たか)


 そう思ってスマホを開くと、LIMEリーメじゃなくて、メールだった。


 差出人は……。


 マ ル ヤ マ 書 店 編 集 部 !


うおおおおおおおおおおお!!!!!)


 途端に、俺の心をマルヤマ書店が占拠した。


 風邪薬は、その半分が優しさで出来ているらしいけど、今の俺は、99%がマルヤマ書店で出来ている。


 西野さんごめん! 残り1%の中に、西野さんもちゃんと居るから! いつもなら、もっともっとパーセンテージ高いから!


『ごめん! ちょっと急用できたので、ダイス購入の話は、明日以降でお願い!』

 というメッセージを、LIMEリーメで西野さんに速攻で送った俺は、家へと向かう電車に飛び乗った。

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