赤い翼のクローリオ

水森錬

第1話

「ここでいいよ、ありがとう」

 機械モーターが唸りを上げ、揚力を発生させるローターが回転しているヘリから一人の青年が降りてパイロットに謝辞を示す。

「黒江様、置いていかないでくださいませ」

 ヘリの中から少女が現れる。だがその姿は人間ではない。

 各関節はボール状であり、お腹から腰部にかけてはそれぞれが別と判る区分けとも取れる線でいくつかに別れている。

 しかしその声は非常にスムーズで人間の発声と差を感じさせない。

「起動に時間がかかりすぎだろ、ウズメ」

 ウズメと呼ばれた少女がヘリから降りる。

「女性の支度は時間がかかるものと学習しています」

「整備済みのひもろぎ素体が時間がかかるなんてのは初耳だな」

「体はボールジョイントでできておりますが、最近は生体シリコン型も増えてきているのですよ、夜のお世話もバッチリな素材です」

「いらない情報だったなぁ、お前はボールジョイントの初期型だし……」

「やはり欲しかったですか?」

「いらない、そんなに欲求不満でもないし」

「少し、残念な気もします」

 ウズメは残念な顔をしつつ黒江が背負っている箱に変形して入る。

「第一お前らの役割を考えたら効率のいいボールジョイント型のほうがいいだろうが」

「そうですね、バッテリー用途型汎用人型PDAですので黒江様のそのスタンスは実に正しいです。ですが開発者はロマンだと言って聞きません」

「一度お上に叱られてしまえ……まぁいい、出発するぞ」

 既に箱に収まっているウズメは黒江のその言葉には返事はしない。黒江自信もそれが完了の返答と理解しているためか、その後何も言わずに歩き始めた。



「この辺は緑化が済んでいるんだな」

「黒江様、現在の座標は既にフレイクレス王国領です」

「元はどの国だったっけか……」

「私のデータベースには存在しません、本部データベースを参照致しますか?」

「いやいい、生まれる前に無くなった国の名前を知っていても仕方がない」

 今、黒江が歩いている場所はかつてヨーロッパと呼ばれていた地方であるが、数百年前の世界大戦の折りにほぼ全ての地域が――特定島国を除く全ての大陸が、と直しても問題がないほどの地域だが――焼け野原になり滅びている。

 無事だった国も食料難に陥り大変な混乱が発生したものの、人類存亡という名の大義名分により強引に収めた……。

「と現在の歴史の授業では教えられておりますね」

「まぁ事実かどうかは別として世界人口は10分の1以下になったのだけは確実だから今を生きる上ではそれで問題はない」

 実際には被害が少ないが現地の人間だけでは復興どころか生存も難しい地域に相当数の人数が強制移住させられたのだが、その事実内容は一部公務員にしか知らされていない。その一部が黒江理緒という青年の所属する部署なのであるが。

「生まれる前の棄民政策の尻拭いだよなぁ」

「数世紀前の出来事だとしても、過去万年恨むと公言していた方々もいらっしゃいますので」

「それこそだろ、事実上世界人口がほぼ同一民族になっている現代で過去の人たちのトラウマケアなんて意味がない」

 当事者たちはとうの昔、それこそウズメの言う数世紀前に全員亡くなっている。そんな状態で大破壊以前の価値観で現代いまを測ることのほうが過去の人にも現代の人にも失礼である。

 大破壊自体を恨み憎む。そういう価値観で教育されている現代の人々はそれぞれの自治領以外に対し敵愾心はほぼ存在しない。ただ……

「大破壊から数世紀、余裕が生まれれば欲求もそれぞれの地域で生まれるか」

「設立当初と現在では黒江様方治安監視委員の有り様も変化していると認識しております」

「設立当時はそれこそ人類が滅びないための武力装置だったからな、今だとただの抑止力だ」

 滅びないため、とは聞こえがいい言い訳だと黒江は内心思った。実際は破滅的な最終戦争の際にその後の世界のイニシアチブを握ろうとする大国の残党を武力で諌めただけのことだ。碌な装備が残っていなかったろう残党を、奇跡的にほぼ無傷で戦力を残していた島国が制圧しただけだ。言い訳自体は当時の国民向けでしかなかったであろうことは想像できる。

 その後は大陸の環境再生、除染を行いつつ生存者の保護などを目的としたと記録には残っている。だが今ですらこの星全ての統治をできるだけの国力も人材もいない以上当時の島国にもそれが行えなかった。そして同時に自国民と保護した難民、その全員を食べさせるだけの食料は国土の大きさから賄えないことは自明だった。

「まぁ体良く棄民する名目はあったということですね、食料確保のための開拓…除染が不十分であろうともそれを受け入れざるを得ない情勢、環境であったとも言えます」

「誰かがやらないと全員共倒れで滅亡だからな、当時の権力者ならやるだろう」

「黒江様は随分とドライだと感じます」

「過去の話にそこまで感情入れても仕方ないだろ……」

 黒江が呟いたと同時に進行方向の森から大きな悲鳴が聞こえてきた。

「黒江様」

「わかってる、行くぞ」

 ウズメの言葉を聞く前から駆け出していた黒江は簡単に返答し、声のした場所へと急いだ。



 いくつかの道や茂みを抜けた先で黒江は鼻を塞ぐ。

「臭気と外部カメラによる映像分析から2・3人の人間と1匹の野獣のものかと思われます」

「嬉しくない内容だが……いや、野獣のほうはダイアウルフか?」

「分析……答えはYesです。通常は5~10匹の群れで行動を起こす野獣であるダイアウルフと適合率94%、6%は損傷・破損による差異と判断します」

「そしてさっきの悲鳴は女性のものだったよな」

「はい、ここにある人間と思われる遺体は全て男性のものと判別しました」

 つまり生き残りがいて、残りのダイアウルフは全てそちらを追ったということになる。

「女性の足で逃げ切れる可能性は」

「周辺の足跡から判断するに10代半ばの女性と仮定致します、この近辺の村に住んでいる仮定を追加、山林での行動の技能を有している前提でも2・3%になります」

「奇跡でも起きなきゃ最低でも4匹のダイアウルフ相手に逃げきれんよな…」

「黒江様、男性の遺体の傷から判断いたしました。彼らはそれぞれ複数のダイアウルフから噛まれた結果絶命したと思われます」

「根拠は」

「傷口と出血箇所等から科学的見地により同時に噛まれていなければおかしい傷口が複数確認できました。同時にダイアウルフは……」

「群れで行動する」

「はい、基本的に仲間を見捨てません」

 今のウズメの分析内容は、ここにある遺体の数とダイアウルフの死骸を鑑みれば先ほどの絶望的認識が変わることになる。

「今の情報を元にこの場にいたと思われる女性の生存確率を再計算、60%の確率でまだ生存中と思われます」

「どっちだ」

「ここより西北西1km範囲と思われます」

 ウズメの計算結果を聞くと同時に黒江は走り始めた。



 樹の上で震えている。

 最近街に続く街道が盗賊に抑えられて生活が逼迫してきていたから焦っていた。村の青年自警団の数人でイーストエンドの使者様に助けを求めようと森に入ったのが間違いだった。

(皆……)

 襲撃は突然だった、気配や音に気をつけてはいたけど経験の少ない私たちではどうすることもできなかった。まず一人が首を噛まれ私は悲鳴をあげた。それが合図だったのかダイアウルフの群れが襲いかかってきたのだ。

 その後はあまり覚えていない。リーダーであるお兄ちゃんの怒号――逃げろ。という単語のみ聞き取れた――で無我夢中で走り、ダイアウルフがジャンプしても届かない樹の上でようやく息を整える余裕ができたのだから。

 そして今、唯一残った獲物と言わんばかりに私のいる樹の下ではダイアウルフが9匹、唸りを挙げている。

「誰か…助けて……」

 疲れたせいか、囁きのような声しかでなかったが……。

「その願い、聞こえました」

 助けてという願いは、神様に届いた。

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