その3 波が粒子で粒子が波で、量子力学【前編】

前置きや説明が主です。

現象は次回以降なので、そちらをお読みいただいても良いかもしれません。


もくじ

1.“量子”って?

2.波と粒子の話



ボーア先生は言った。波とは確率の波動である。モノの存在を規定するものだと。

アインシュタイン先生は言った。神はサイコロを振らないと。



1.“量子”って?

ちょっと専門的かも……。


特殊相対性理論の話を終えて、いよいよ我々は「量子力学」の世界に入って行く。これがまたえらくフワフワした話になりがちだから、なかなか刺激的で興味深い自説を展開する人も多い。ここは是非しっかりと押さえて、SFとかを書く上での土台としていただきたい。


20世紀の物理学を切り開いた先哲たちの偉大な足跡をたどりながら、現実リアルの魔法を楽しんでいただければと思っている。


とまあ堅苦しくなってしまったけれど、この世界、大変に魅力的なのだ。波と粒子の二重性に始まり、トンネル効果、不確定性原理、排他律、テレポーテーションなど本当にこの世界どうなってんの? みたいな現象が次々飛び出してくる。


4.以降でそういった内容に入るので、定義とか歴史とかあんま興味ないなーという人はここを飛ばしても良いかもしれない。


*****


さて、量子を扱う上で最も多いのが「素粒子」との混用である。確かに量子と素粒子は境目が微妙な部分もある。

が、とりあえず、まず量子と素粒子の区別をはっきりさせよう。


「量子」は読んで字のごとく、ある物理「量」の最小単位である。例えば熱、光、電気、音、長さ、時間。いろいろとあるが、ここはいったん物理を離れて、もっと身近なところから感覚を得ていこう。


例えばお金。今財布の中にいくら入っているだろうか?


1000円? 21000円? それとも17円?


最後のはちょっと今後の羽振りが心配になるものの、それはおいといて、「1円」を最小単位としてお金は増減するよね。


今すぐ目の前に0.5円とか0.03円を用意しろったって、そもそも1円玉をこれ以上分解できないから無理なのだ。


そう、だから、この「1円」という量が、日本円の「量子」となる。


同じように、人数の量子は「1人」になるし、車数なら「1台」が量子になる。

半分に割った人間とか車は、もはやそのものとして数えるわけにはいくまい。ホラー小説ならともかく。


次に、少しづつ物理的な意味での「量子」にイメージを近づけていこう。


1Lの水がバケツにある。このうち、

500mlをペットボトルに移すか、

500.01mlにするか、

500.00001mlにするか

……といくらでも細かく移す量を調節できそうだが、実際には水は水分子の集合体であり、水分子1個分を最小単位として移し替えができる。


唐突に「分子」なんてモノが出てきてしまった。ええと、ボールみたいなものだと思ってください。それもめちゃめちゃ小さいボール。直径は1000万分の1mmくらい。


それが10~100垓個(万→億→兆→京→垓)ほど集まって、目に見える「水」をなしているのである。


もし仮に、水分子がバカでかくて0.1mlくらいの体積があったとしたら、ペットボトルに移せる量は当然0.1ml刻みになる。

このとき、「0.1ml」という量が、“水量の量子”になる。


そう、いくらでも細かくできると思っていたものが、実はあるところで分割できなくなる。一歩進んで、だと思っていたものが、だった。それが、量子、ひいては量子力学の一番始まりの部分である。


この「連続」と「不連続」というキーワードはしばしば出てくる。ちょっと覚えておいて欲しい。


以上ではいろいろな量をもとに量子を考えてきた。以下からは、本来の意味での量子ということで、「光子」をみていく。


光はエネルギーの塊である……という前提に立って欲しい。真夏の日差しは暑いし、ソーラーパネルは光が当たると発電するし。


ざっくりといこう。太陽から「100ピカ」のエネルギーを持つ光がきた。この光は地面に当たって、一部は熱になり、残りは反射されて宇宙に出て行く。


単位は投げやり。


それで、そのエネルギーがどのように分配されたのか調べてみると、

50:50とか、

32:68とか、

43:57とかばかりで、

31.5:68.5みたいな小数が出てくる比にはならなかった。全部整数比だったのだ。


ということは、光のエネルギーは1ピカを最小単位として・・・・・・・・・地面に受け渡されたり、宇宙に跳ね返されたりしているのである。


この「1ピカ」という量が、光のエネルギーの最小単位、すなわち光の量子=光子(注釈1)である。


あ、もちろん実際の単位は「ピカ」じゃ無いですよ。

量子力学では、「eV(エレクトロンボルト)」という単位がエネルギーによく使われる。とってもちっちゃなエネルギーだ。


*****


1mmの1000万分の1というミクロの世界では、しばしばこうした最小単位が登場する。あまりに細かすぎて、連続だと思っていたものがツブツブに見えてきたという感覚に近い。


今まで我々が扱ってきた物理学は、基本あらゆるものが「連続」であると考えて話を進めていた。ところが、ミクロな世界に行くと「不連続」性があちらこちらで出始めてしまう。


そこで、その不連続性を考えるため、今までの物理学「古典力学」ではない、新しい物理学「量子力学」が創られたのである。

そして、古典力学から量子力学への視点の転換・・・・・を「量子化」と言ったりする。


細かいかもしれないけれど、量子とか量子化というのは「量」に使うものであって、基本モノに対して用いる定義ではない。

例えばご近所のスーパーとかで、「量子水」とか「水の量子化に成功!」みたいな謳い文句の加湿器があったとしたら、まずSF(サイエンスファンタジー)を疑ってみるべきだろう。


だから、SF(サイエンスフィクション)なんかでモノに対して「量子」という言葉を使うなら、その世界における定義を書くとぐっと深みが出る。

例えば、「彼の自転車は量子化している」というセリフを入れたいならば、


“量子化とは、物体を量子力学的な振る舞いをする一つの粒子に変換することである”


みたいな定義があると作り込まれた世界観を演出できそうだ。


逆に、「こいつ実は似非科学者なんじゃ……」という手がかりを読者に与えたい場合は、何も言及せず上記のセリフを言わせれば良い。


ちなみに次章で扱う化学は、上述の量子力学によって彩られる世界になる。


*****


量子の定義はこれくらいにして、素粒子について軽く触れてみる。


素粒子は「物質」の最小単位である。あら、量子と似たようなもんだ。

具体的にどういったものなのか、水を例に分割を進めていこう。


上で出てきたように、水は水分子が最小単位なのだった。

でも分子はまだ分割できる。水分子は1つの酸素原子と2つの水素原子がくっついたものだから。


原子もまだ分割できる。原子核と、その周りをフワフワする電子だ。


電子は今のところこれ以上分割できないので素粒子である。レプトンとか呼ばれてる。

では原子核は?


原子核は分解できて、陽子と中性子になる。この辺まではご存知かもしれない。


最後に、陽子や中性子は「クォーク」という粒子(のようなもの)に分割できる。

このクォークも、電子と同じく今のところ素粒子である。


この辺までくると物理も狂気じみてくる。そしてまだ結論が出ていないことも多い。

将来、何らかの形で皆様が触れる機会があるかもしれない。




こんなところで、前置きは終わりである。次からはいよいよ、量子力学の世界で何が起こるのか、という話に入っていく。さあどうぞどうぞ。


(注釈1:光子はエネルギーの最小単位というよりも、電場・磁場の最小単位といった方が近いかもしれない。7.項で扱うので、良ければそちらをお読みいただきたい)


<><><><><>


2.波と粒子の話

またもや登場するアインシュタイン先生。ここでは、「波と粒子の二重性」の解釈について、触りだけ扱います。

そもそも波ってなんやねん、という話は3.で扱います。


ここまでのところ、どうも抽象的だな。もっとファンタジーな話をしたい。


てことで忍者を用意しよう。忍者。貴方の目の前にいる、黒装束のあんちきしょう。


場所はどこでも良いけれど……。いつも乗ってる通勤電車にしておこうか。


で、忍者が、ガタンゴトンと走る通勤電車のドアの前にビタッとはり付いている。シュールだ。でもまだまだ。この後もっと大変なことになる。


電車がホームに入り、減速していく。この駅で止まるのだ。

で、止まりかけた瞬間、忍者が高らかに次のような言動をとる。


「忍法物質波の術!」


あまりのF級ラノベ的展開に思わずコーヒーを吹き出すこと請け合いだ。が、行動のやっつけ加減とは裏腹に、忍者の輪郭がすうっとぼやけたかと思うと、電車の扉も開かぬうちに・・・・・・・・・・・、彼はプラットホームに降りていた。


おお、カベ抜けならぬトビラ抜け。


電車の扉が開き、プラットホームの忍者と、電車の中の貴方が向かい合う。

妙に気まずいが忍者は笑っている。

発車ベルが鳴り、扉が閉まり始める。これでF級ラノベ忍者とおさらばできる、と安心しきっていた貴方。


しかし忍者はまた高らかに唱える。


「忍法物質波の術:パターン・フリンジ!」


言い終わるや否や輪郭のぼやけた忍者が、閉まりかけた扉の狭いすきまからぶわっと滲み出る。こうなってはもはやコーヒーを吹き出している余裕は無い。C級ホラーに様変わりした作品世界を脱出せねば!


とか焦ってたら、横に広がっていた黒いもやがまた一人の忍者に戻っていた。あっけにとられ、貴方はしばらく忍者を凝視する。

が、先ほどのヤバさを思い出し、そそくさと他の車両に移動を始める。


だがそこで話を終わらせる忍者ではない。彼はまたもや、高らかにのたまう。


「忍法物質波の術:バージョン・シュレーディンガー!」


するとまたもや忍者の輪郭がぼやけ、黒いもやとなった挙句、今度は貴方の周りを覆い尽くすのだった———。


*****


「波と粒子の二重性」を、我々のスケールに持ち込むと大体上のような感じになる。

上の救いがたい話に需要があるのかどうかはさておき、以下では、SFのタネを目指すべく教科書的な説明を用意してみた。


まあ、できればちょっと、使ってみてくださいな……。


1.で書いたように、光は「光子」という最小単位を持つのだった。光の塊みたいなものだと思って欲しい。

アインシュタイン先生のとんでもないところは、その光子が、ピンポン球のように・・・・・・・・・飛んだりはねたり消えたりする、と考えたことにある。




光は電磁波である。波である。ということで、シンプルな“波”をイメージしてみていただきたい。

一本の線が、うねうねとのたくって。上に行き、下に行き。山があり、次に谷があり……。そう、それが、最も基本的な「波」である。


え? 何を言ってるのかよくわからん? うーん、お手元のgoogleで、『正弦波』と検索していただきたい。上で言ってたのは画面に表示されたそやつのことです。


さてさて、イメージしていただいた通り、波は空間に連続して・・・・広がっている。マクスウェル先生の時代はこれで良かった。


時は進み、1900年。プランク先生が、初めてエネルギーの量子化という考え方を提唱した。といっても、1.で話したように、光のエネルギーが「1ピカ」を最小単位として受け渡されてるよ、と言ったくらい。


まだ、光は波のままだった。


そして5年後、歴史が動く。


1905年、プランク先生の仮説に影響を受けたアインシュタイン先生が、光は光子として、粒子のように振る舞う・・・・・・・・・・と言い出したのだ。


粒子のように、と書いた。難しいことは無い。光の塊が、ピンポン球やビリヤードの球みたいに、飛んだりはねたり消えたりするのである。


これは「光電効果」を理論づける中で出てきた考え方なのだが、専門的な内容なのでとりあえずここでは脇においておく。


なおこの年、アインシュタイン先生は特殊相対性理論も発表している。まさに物理学界の転換点であった。


光子の話に戻る。光は波であり、粒子である、ということがアインシュタイン先生により提唱された。


そしてその後も続々と、光が粒子のように、いうなればビリヤードの球のように振る舞う現象が次々と観測されて、どうやら光子というのは本当にありそうだぞ、ということを認めなければならなくなってきた。


だが、まあ、言うまでもなく、うねうね(波)とビリヤード球(粒子)が同時に成立するなんてあり得ない。それが物理学者を多いに悩ませた根本の原因である。


波と粒子はどれほど相容れないものなのか。具体的な違いを見ながら、我々も物理学者の気持ちを想像してみよう。


・波はしてのっぺりと広がっているが、粒子はで、1つ1つ数えられる。

・波は「位置」を決められないが、粒子は決められる。

・波は広がりながら進んでいくが、粒子はまっすぐ進んでいく。

・波は伝えるものが必要だが、粒子は実体があるため必要ない。

・波に重さは無いが、粒子にはある。


他にも波は「干渉」するし、粒子は「衝突」するという違いもあったりする。

ざっと見ても分かる通り、波であり粒子であるモノを言葉通り定義することは不可能・・・なのである。


ちょい待て。「波と粒子の二重性」とか掲げておいてなんじゃそりゃ。と憤る方もおられよう。

「波と粒子の二重性」とは、「波であり粒子である」というよりも、「波に見える時もあれば粒子に見える時もある」という解釈が一番近い。


忍者の話を思い出して。忍者。


『とある○術の〜』シリーズで、「波と粒子の中間の、曖昧な状態を作り出す」という能力者が登場した。

どちらかといえば、もとより「曖昧な状態」にあるモノを観測することで、波に見えたり粒子に見えたりする、というのがこの世界の本質に近いと私は思う。


雲行きが怪しくなってきた気配があるが、ここから、物理学者が本領を発揮していく。次の3.で、物理学者たちがどう波と粒子を結びつけたのか、そもそも波とは何なのか、という奮闘を扱うので、しばしお待ちいただきたい。


我々の方はシュレーディンガー先生まで進めていこう。

この辺りも、感覚的な理解は忍者の話で十分である。



光が波であり粒子である、という考えが物理界に浸透していくと、逆に、今まで粒子だと思っていたモノが、波としての性質も持つ・・・・・・・・・・んじゃないか、と、そう考えた人がいる。

貴族上がりの物理学者、ルイ・ド・ブロイ先生である。


波が粒子になるならば、粒子も波になるという突拍子もない考え方はしかし、ある粒子の実験によって証明されてしまった。電子である。


ちょっと記憶を引っ張り出していただきたいのだが、電子って、基本−(マイナス)が書かれたボールみたいな描き方をされてなかっただろうか。

そうそう、それでいいのだ。


1.でも書いたが、電子は物質を構成する素「粒子」の一種であり、実体あるボールである。

その1.5でも書いたが、波とは何かのゆれが伝わる現象であり、実体がない・・・・・のである。


そんな電子が、まるで波のような性質を示した・・・・・・・・・・・のだ。


突っ込みどころはあるものの、電子、ひいては形ある物質も波としての性質を持つということになってしまった。「物質波」、もしくは「ドブロイ波」の登場である。


この「ドブロイ波」に注目したのがシュレーディンガー先生である。


この時代、電子とか原子を計算する物理(量子力学)はハイゼンベルク先生の「行列力学」が主流であったのだが、とにかく難解で直感的な理解が難しかった。


そこで、シュレーディンガー先生は考えた。物質(粒子)が波になっているなら、色々なことがわかりやすくなるぞ、と。

かくして1926年に「シュレーディンガー方程式」が登場し、波が粒子で粒子が波で、の量子力学が形をなすのである。


シュレーディンガー先生のおかげで、それまで不明瞭だったミクロな世界が、結構よく見えるようになってきた。


興味のある方は再びお手元のgoogleで、『電子 軌道 d』とかで画像検索してみて欲しい。原子核の周りをフワフワする電子は、実際にはそういうとんでもない形状の中を飛び回っているのである。


こういった絵は、化学の発展にも貢献した。


*****


ここまで波が粒子で粒子が波で、となる流れを紹介させていただいた。次からは「波」ってなんなの? という部分に入っていく。

再び復活するエーテル、場の理論、ボーア先生vsアインシュタイン先生の戦いなどアブナげなトピックが目白押しなので、お付き合いいただければ幸いである。



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