潔癖症の殺し方
赤屋いつき
序
「潔癖症の治療法をご存知?」
埃っぽい部屋で、先輩がてのひらを眺めながら呟いた。
「先輩、ケッペキショウだったんですか!」
「だったらこんなところにいません」
「デスヨネ。で、潔癖症が何です?」
「……潔癖症の治療法ってね、我慢なんですって」
「我慢?」
「たとえば手を洗う回数を記録して、それを少しずつ減らすよう努力するらしいの。洗いたくてもその衝動に必死に耐えて、ひたすらそれを繰り返す……」
興味のない俺の返事なんて気にも止めずに、先輩はティーカップ片手に立ち上がる。そして冷めてしまった紅茶を流しに捨てて、首を傾げてみせた。
「なんだか麻薬みたいじゃなくて?」
先輩……三鼓(みつづみ)あざなはそう言って、器用に口元だけを緩めて笑った。決して目元を細めない彼女は、それでも変わらず美しい。
いくら掃除しても埃の残る部室も、錆び付いた古い流し台も、すべては彼女を引き立てる小道具にすぎなかった。
遡ること二ヶ月前、入学式の日に桜の木の下で穴を掘るこの美女に、俺は見事に射抜かれた。意を決して何をしているのか話しかけたところに返ってきた、「死体を探しているの」という言葉もエキセントリックで素敵だった。
彼女がある部活に所属していることを知った俺は、その日のうちに入部届を提出した。喜ばしいことに、部員は先輩と俺のただふたり。加えて俺の持つ「とあるコネクション」のおかげで、今や俺は先輩にとってなくてはならない相棒……のはずだ。
そんなわけで今日も俺は、放課後をすべて先輩との時間に注ぎ込んでいる。愛すべき蜜月と言ってもいいだろう。先輩の脈絡のない問答にも慣れたものだ。
「そういえば先輩、今日お客さんが来ますよ。オヤジからメールがありました」
「あら……早く言いなさいな。お父さまはお元気?」
「ピンピンしてるんじゃないですかねぇ」
適当な相槌を咎めることもなく、先輩は窓を開けた。せめて換気をしておこうと思ったのだろう。この部活において、来客は文字通り「お客様」なのだから。
初夏の風が先輩の黒髪を撫ぜる。青空を背にした姿に、らしくもなく青春を感じた。しかし振り向いた先輩の瞳は、学園ラブコメには相応しくない光を纏っている。今か今かと獲物を待ちわびる、肉食動物のような。
こうなるともう、先輩の瞳に俺は映らない。だからいつも、約束の五分前に俺は先輩に来客の予定を告げるのだ。それはきっと先輩もすっかりわかっている。
貴重なふたりの時間を邪魔したのは、軽やかな鐘の音だ。それは先輩が部室の扉につけた、カフェなんかにあるドアベルで、お待ちかねの来客を知らせる合図だった。
先輩の好物がやってきたのだ。
「どきなさいな」
まるでパブロフの犬のように、鐘の音ひとつで先輩の表情が変わる。高揚した瞳を爛々と燃やす姿には、いつ見ても胸が高まる。
扉の先に立っていたのは、壮年のおじさまだった。
立派なスーツを着たそのおじさまは、野間紙(のまがみ)と名乗った。
「失礼します。探偵倶楽部……とはこちらでよろしいでしょうか」
「ハイハイ、こちらにどーぞ」
あからさまにぎょっとする野間紙さんをソファにエスコートしながら、俺は爽やかに笑ってみせる。こういう反応は慣れっこなのだ。こんな寂れた小部屋に俺みたいなイケメンがいたら、驚かないほうがおかしい。もしかしたら真っ赤に染めた髪の毛とか、両指の数ほどつけた左耳のピアスのほうに驚いたのかもしれないけれど。
「万里小路廉造(まりのこうじれんぞう)の紹介の方ですね? 話は聞いてますよ」
「は、はい。ではあなたが万里小路さんのご子息の……お世話になっております」
「はは、お気になさらず」
その名を出すと、途端に野間紙さんの表情が変わる。それを後目に慣れた挨拶を交わして、俺は紅茶を淹れに奥へ引っ込んだ。入れ替わりに、先輩が野間紙さんの前に腰掛ける。
「部長の、三鼓あざなと申します。僭越ながら、お話を聞かせていただきます」
「野間紙宗一郎(のまがみそういちろう)と申します。いや……驚きましたな。高校というから、てっきり職員の方かと」
「教師というのは忙しいお仕事ですから……探偵ごっこをする暇などありませんのよ」
そう、これは探偵ごっこだ。警察庁の警視の紹介状がなければ訪ねることもできず、けれど依頼をすれば確実に解決してくれる。そんな風変わりな探偵ごっこが、ここ、都立浅葱高校では毎日のように行われている。
「ようこそ、探偵倶楽部へ」
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