オスモウ・アヴェンジャー

碌星らせん

前章「イッツア相撲ルワールド」

 この頃の社内の噂話は、専ら佐々木課長と山田課長のどちらが部長に昇進するかということで持ち切りだったし、近日中にそれを巡る相撲ファイトが行われる、というのが大勢の意見であった。

 但し、そのオッズともなると圧倒的に山田課長が不利だった。何せ佐々木課長は中学の頃から相撲部で、相撲部屋からスカウトされたこともあるのだと宴会のたびに口走っていた程なのだ。

 つまるところ、この大相撲時代(おおずもうじだい)に、相撲が強いということは一つの才能なのであり。相撲力を持つ者と持たざる者との間には、それだけの差が横たわっているのであつた。

「気の毒だけど、山田課長に昇進の目はないね」

「いい人で、仕事も丁寧だけど押しが弱いのよねぇ」

「あれで相撲が強ければなぁ」

 既に賭けの対象は、相撲ファイトの勝敗から、山田課長が幾度めかの昇進辞退を申し出る日取りへと移りつつすらあった。

 しかし、結局のところ山田課長が辞退を申し出ることはなく、両者は相撲ファイトに合意した。

 ここで、読者諸賢は既にご存じのことと思うが、相撲ファイトとは何かを改めて振り返っておこう。

 相撲は日本の国技であり、神聖な土俵リングで行われる神事でもある。即ち相撲の勝敗は神の采配なのだ。

 つまりは、相撲を物事の決着に用いることは歴史的に見ても至極自然の成り行きだったと言えよう。それこそが、相撲ファイトと呼ばれる万能決着手段である。

 無論、体を動かし、裸の付き合いをすることで人間関係のガス抜きをするという実際的効果もないわけではないが、それ以上に相撲による決着は日本人のDNAへと深く刻み込まれているのだ。

 戦後、軍国主義との結び付きを危惧したGHQが政教分離と同時に相撲禁止令を発するも、時の首相が連合国軍最高司令官との取組によってそれを撤回させた故事もある通り。この平成の世にあっても相撲は義務教育課程に組み込まれ、様々な企業にも神棚と共に土俵が設置され、しばしば決着に用いられるのが現代日本の光景である。


 部長決定相撲ファイト当日。社屋屋上。

 バブル期に好んで建造されたヘリポート兼用土俵を取り囲むように重役が並んでいる。

 行司資格を持つ社員二名が土俵の点検を行い、佐々木課長は既にマワシの装着を終えてウォーミング・四股を踏んでいる。勝つにせよ負けるにせよ上役の前で無様は晒せない。

 しかし、山田課長の姿はいまだない。取り組みの時間はまだ先だが、既にマワシ装着状態にならねば間に合わぬ頃合いだ。

 遅刻は上役を待たせる失礼にもなり、時間を重んずる日本社会にあっては無様な取組よりも黒星よりも遥かに致命的であった。

  怖じけ付いて逃げ出したのかと、口さがない者が囁き始めた頃。山田課長は、現れた。但し、マワシをしめずに。

 いつもと変わらぬスーツ姿の課長。しかし、その後から……地鳴りのような足音と、肉の震えるタプタプという音が響く。

 それは、『代行』と書かれた鉛のマワシを絞めた、恐らくはマクシタ・クラスであろう年若い巨体の力士であった。

「……相撲代行だ」

 誰かが呟いた。

 相撲は万能の決着手段として普及したが、誰もが土俵に上がれるわけではない。

 老人や子供、病人、そして一部の例外を除き土俵に上がれぬ女人。

 そうした相撲弱者達のために存在する慣例が「相撲代行」のシステムだ。代行となった力士は依頼者のために闘う代闘士ならぬ代力士となり、土俵上でその潔白を示すのだ。

 山田課長の右腕には、よくよく見れば添え木が当たっている。彼はその負傷を理由に相撲代行を申請したのだろう。

 代力士はマクシタ・クラスとはいえ、グランド大相撲の力士。但し、相撲協会の認可がなければプロ力士は興行外で全力を出せない決まりであるため、その力は鉛のマワシで制限されている。

 仮に佐々木課長の相撲力を1200C(チャンコ)とするならば、代力士は制限状態で8500C(チャンコ)……この数値が意味することは、草相撲では完全なるオーバーパワーという冷酷な事実だ。

「山田ァ!恥ずかしくないのか!」

 佐々木課長は当然、激昂した。しかし、慣例は絶対だ。

「私にはもう、後がないんです……これを逃せば昇進は……だからセンセイ、お願いします」

 山田課長は代力士に怯えながら祈り、代力士はそれにスモウハンドによる千切れんばかりの握手で応えた。

「軽く揉んでやりましょう」

 代力士が土俵に上る。佐々木課長は死を覚悟した。

 彼の相撲歴は、実のところ大半がフェイクだった。相撲部に所属していたのは事実だが、取組で勝てたことは殆ど無い土俵清掃係。部屋からの勧誘?真っ赤な嘘だ。

 それでも、相撲部と言えば誰もが道を譲った。就職にも有利になった。恵まれた体格もあって、人生を有利に進められた。彼にとっての相撲は、それだけのものだった。

 だが、目の前に居るのは、若い青春を相撲のために燃やした正真の相撲モンスターなのだ。

 プロ力士の肉体は、全身が筋肉と脂肪の複合装甲で覆われた人間重戦車だ。マクウチ・クラスともなれば、その突進は自動車を容易くスクラップにする。YouTubeにあがっている動画で見た。

 衰えた体で受け止めれば、悪くて死亡、良くても二度と四股の踏めぬ体になるだろう。つまり待っているのは確実な社会的死だ。

 では、今から相撲代行を頼む?とても間に合うまい。土俵という名の小さな世界……今の彼にとっては円い処刑場に上がらねばならぬ時は、刻一刻と迫っていた。

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