第79話

 ドックン。

 ドックン。

 ドックン。


 心臓の音が鳴り響く。


 緊張、不安、恐怖。


 様々な感情が中年男を襲う。

 しかし、その中年男は強かった。


「ずいぶんやってくれたな」


 漆黒の闇の王ベルゼブブが怒りに満ちた目で中年男を睨む。


「それはこっちのセリフですよ」


 中年男に名前はない、ただのサラリーマン。 

 社畜にすらなれなかったサラリーマン。


「死の覚悟はできているか?」


 ベルゼブブが言った。


「死んだら労災って降りるのかな」


 サラリーマンがため息をつく。


「何も残らんさ!

 名前もない男に!」


 ベルゼブブがそういってサラリーマンに向かって拳をぶつける。


「えっと、こういう時はなんていうんだっけ?」


 サラリーマンが小さく笑う。


「効いていないだと?」


 ベルゼブブが、小さく笑う。


「まぁ、いい……

 我の羽衣を脱ぐ時が来たか!」


 ベルゼブブが漆黒の闇を脱ぎ捨てる。

 するとおぞましい魔力があたりを包み込む。

 それは、まるで空気さえも恐怖しているように震えていた。

 しかし、サラリーマンは動じない。


「おっさんなんでね。

 いろいろ鈍感でごめんね」


 サラリーマンがベルゼブブの視界から姿を消す。

 そして、ベルゼブブの兜が壊れる。


「ぐ?なにをした?」


 ベルゼブブには何が起きているかわからない。


「でこぴんだよ」


「でこぴんとはなんだ?」


「これだよ」


 サラリーマンが、ベルゼブブに向かってでこぴんをした。

 ベルゼブブの身体が大きく下がる。


「ほう、なかなかやるではないか」


「なんだ……

 思ったより弱いんだね」


 サラリーマンがそういうとベルゼブブの額から血が流れる。


「弱い?我がか?我が弱いのか?」


 ベルゼブブが小さく笑う。


「だって君、偽物だろう?」


「偽物だと?」


 セロがひょっこりと現れる。


「びっくりしたぁ」


 サラリーマンが驚く。


「おじさん、ベルゼブブが偽物だってどういうことだい?」


「僕さ、本物のベルゼブブさんに会ったんだ」


「え?」


「じゃさ、人はもう数千年は殺してないっていうんだ」


「信じたの?」


 セロが驚く。


「うん、おじさんはサラリーマンだからさ。

 一緒に酒を飲めば、その人となりがわかるんだ」


「そうなんだ?」


「もうベルゼブブさんは気さくでいい人、いやいい魔王だったよ。

 んでさ、仲良くなった証に力を貰ったんだ」


「力……?」


「そう魔王の力を借りてさ。

 敵を倒すんだ、魔神契約っていってさ。

 難しいことはわかんないけど。

 魔王を傷つけることが出来るらしいよ」


 サラリーマンがそういうと拳を構える。


「我は偽物……?どういうことだ?」


 ベルゼブブは混乱している。


「暗パンチ」


 サラリーマンがベルゼブブに拳をぶつける。

 ベルゼブブの身体がボロボロになる。


「そうか、そういうことか。

 騙したな!フィサフィー!」


 ベルゼブブは、そういうと姿を消した。


「んー、イマイチ状況がつかめないけど。

 ベルゼブブが逃げたよ?」


 セロがそういうとサラリーマンがいう。


「そうだね、でもおじさん、腰が痛くて動けないや」


「そんなに強いのに?

 ってか、おじさん、見ない顔だけどどこに所属しているヒーローなの?」


「おじさんは、ヒーローじゃないよ。

 おじさんは、おじさん。

 ただのおやぢさ、ただのサラリーマンだよ」


「え?サラリーマン?」


「はは、おじさん緊張して疲れた。

 でも、あんな奴に妻も子も殺されたんだね」


 サラリーマンは、その場に腰を下ろした。


「……そうですか」


 セロは、なんとなく触れてはいけないものだと感じた。


「君はヒーローかい?」


「いえ、僕はヒーローじゃありません」


 セロの中の複雑な気持ちで溢れる。


「そっか」


「セロと言います。

 また会ったとき色々教えてください」


「ああ、美味しいものでも食べようね」


「はい」


 セロは小さく笑うとその場をあとにした。

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