土蜘蛛 一

「あ、ごま塩持ってくるの忘れた」

 それに気づいたのは、すでに高台の上で弁当箱のフタを開けた後だった。

 最悪だ。あれが無いだけで赤飯のおいしさは七割減だ。

 ただでさえ長旅で疲れた身には、初日からの任務は辛いというのに。

「全く……つかも登山道から外れてるし、嫌がらせか何かなの?」

 私は手渡された地図をにらみつけた。登山道から大きく外れた場所に、塚を表すバツ印がつけられている。こんな行き来しづらい所に妖怪を封印するなんて、どうかしている。恨めしい気持ちで、赤飯を口に運ぶ。

 ああ、帰りたい……本当なら、今頃実家でお姉ちゃんや、弟の信太しのだといつも通りに過ごしていたはずなのに…………

「ま、仕方がないか……お姉ちゃんに言われたことだし……」

 そう言って、私は最後の一口を口の中に放り込んだ。

「それじゃ、行こっか、イヅナ」

「うん。初仕事頑張ろうね、美咲」足元に契約している白い狐、イヅナを呼び出し、林の中へと歩き出す。

 焼け付くような西日が、私たちを照らしていた。


「はぁ……はぁ……もう無理、限界……」

「情けないよ、この程度で音を上げてちゃ」

「だって……」

 どれくらい歩いただろうか。登山道を離れて、張り巡らされた木の根や、よくわからない羽虫の群れと格闘しながら山中をひたすら歩き続けて、ようやく地図に書かれた場所にたどり着いた。

 大して高い山でもないのに、なんでこんなにキツイんだろう……

「……だって、美咲が明らかに通りやすそうな獣道を、”フンが落ちてそうで嫌だ”って通りたがらなかったから………」

「………………」

 幾つか思い当たる理由の中で、一番言われたくなかったことを言われた。よりにもよって事実だから否定もできない。可哀想だけど、容赦なく図星を突いてくるようなイヤな子は今夜のメニューに名を連ねてもらうしかない。良い物を食べさせてるから、肉付きは良いはずだ。狐汁? いや、狐鍋の方が良いかな?

「……ねえ、なんで明後日の方を見て笑ってるの?」

「別に。……汁にするか鍋にするか考えてただけよ」

「何を? そしてその笑顔でこっちを見ないで! 怖いよ!」

「帰ってからのお楽しみよ。…………ん? あれは…………」

 ふざけたノリもほどほどにして、周りをぐるりと見渡す。地蔵だ。地蔵が十メートル位の間隔をあけて、ちょうど正方形を描くように据え付けられていた。その内一体は横倒しになっている。塚の封印が解けている証拠だ。

 周りの様子から見ても、恐らく、封印が解けてからそんなに長くは…………

「……イヅナ。用意はいい?」突然の殺気を背に受けながら、イヅナに確認をとる。

「もちろん。行くよ、美咲!」どうやらイヅナも気づいているようだ。私は深く息を吸い、いつも通りの掛け声を発した。

「狐憑き──”飯綱イヅナ”!」

 私の掛け声と同時に、イヅナが私の体の中に入ってくる。力が全身にみなぎる。先祖代々受け継いできた力だ。私は振り向きざまに、全力の後ろ回し蹴りをの脳天に叩き込んだ。

「ぐっ……儂の存在に気付くとは、貴様、何者だ?」

「フフン。問われて名乗るもおこがましいけど、冥土の土産に教えてやるわ! 私の名前は……って危なっ⁉」危なかった。跳び退くのがあともう少し遅れてたら、私は目の前の巨大蜘蛛に串刺しにされていただろう。

「ちょっと! あんたが『何者だ』って聞いたんでしょ!」

「黙れこの小娘。おこがましいと分かっているなら名乗るでないわ! 第一……」

 私が怒鳴ると、巨大蜘蛛も怒鳴り返した。……攻撃はせずに。その代わりに、年寄りみたいな説教が続く。封印されたのは昔だろうから当然だけど。

「昔から貴様ら人間は、いつもいつも訳のわからん能書きやら口上やら……」

……それにしても話が長い。放置してたら明日の朝まで説教を続けそうな勢いだ。

夕日はすでに林の中にはほとんど入って来ていない。暗くなったら嫌だし、やるなら今だ。手を後ろに回し、バレないように、掌の上に青い火を灯す。意識を集中させて、段々と球体に近い形に変えていく。ゆっくり、ゆっくり……焦るな、顔の真ん中を狙って…………今だ!

「狐火”癇癪玉かんしゃくだま”!」

「おい、聞いているのか、小むす──熱っ!」見事命中。爆発と煙で前が見えていない隙に接近、顔面めがけて右の拳を振り下ろす。

「まだまだ!」続けて膝蹴り、さらにもう一発右ストレートを叩き込む。五割増しのサービス狐火付きだ。拳にまとった炎が膨れ上がり、爆発とともに巨大蜘蛛を大きく吹き飛ばした。

「はぁ、はぁ……おのれ、この小娘めが…………」

 蜘蛛の顔なんて間近で見たことはないから表情なんてわからない。けど、きっと目の前のこいつは恨めしい顔をしているんだろう。爽快な気分だ。これでお姉ちゃんを見返してやれる。第一、『戦いになったら無理せず逃げろ』だなんて、私を子ども扱いし過ぎだ。

「美咲、まだ仕上げが残ってるよ」

「言われるまでもないわ。このままトドメよ!」

 懐から信太お手製の護符を取り出し、宙に放り投げる。全部で九枚。

 護符が輪を描くように背後に並び、燃え移った狐火が九本の尾の形に変わっていく。攻撃準備完了。いざトドメを刺そうと構えたその時だった。

「──! な、なんで……?」まずい……。体が……動かない…………

「うっ……どうした? 何故止まっている……?」こいつの仕業か……!

「この……はな……せ…………」抵抗もむなしく、私の体は糸で吊られたように宙へと浮いていく。もう、抗い切れない。悔しい……ここまで来て……

「嫌……いやあああ!」その瞬間、私の体は山から弾き出された。目に映ったのは、紫色の空だけだった。

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