二刷.エースの秘密

 人の出入りの少ない図書室にも常連はいる。

 それらすべての人が正しい利用目的だとは限らない……



 図書委員の仕事は放課後だけではない。

 時計の針が12時を指すと皆一斉に移動を開始する。

 私の通う高校は俗にいうマンモス校である。


 広大な敷地を生かした校舎は無駄に広く苦労が絶えない。

 食堂には生徒が大挙として押し寄せ、食券を買うことすらままならない。


 1年生のクラスのある校舎棟は食堂のある棟から離れており、昼休みになると学食組は先生の話の途中でも教室を飛び出す。


 その数は1人や2人ではなく、百近くに上る。

 もしくはそれ以上かも。


 廊下にうごめく生徒は強大な激流のようだ。

 私は人の流れに逆らい人波を縫って進む。

 

 図書室に到着した私は手始めに締め切られた窓を開け放つと、新鮮な空気を室内を満たす。


 風に乗って生徒たちの喧騒けんそうが聞こえる。

 お腹を空かせた生徒たちは最早理性を無くした獣同然である。

 そんな時間であっても図書室に顔を出す物好きもいる。

 

 

「ちわ~すッ」


 軽妙な挨拶と共に入室する生徒が1人。

 野球部の1年生エース、真田球道さなだきゅうどうである。


 名は体を成す。

 野球一筋の真田くんは世代別の日本代表にも選ばれていた。

 入学式の時点で野球部がお祭り騒ぎをしていたことは記憶に新しい。


「こんにちは真田くん」


 文系と体育会系と違う人種ではあるものの比較的仲がいい。

 

「ごめんね。本借りに来たわけでもないのに」


 謝罪の気持ちがあるのであれば毎日来ることも無いと思うのだが、あえて口にすることはしない。


 彼が図書室を利用する目的は昼寝である。


 もちろんそれだけだとさすがに許容できないのだが、定期的に本を借りてくれる利用者でもある。


 少し彼の人間性を疑いたくなるようなタイトルの本ばかりだけど……

 

「いつもの場所にるから図書室閉める時声かけて」


 そう言うと書棚の陰へと姿を消す。


 つまりは私に起こしてくれということだ。


 自分勝手だが置き去りにするわけにもいかない。


 結局、毎回彼を起こしているのだが、毎回彼は起きていて私を待ち受けている。

 起きているのであれば起こすよう頼まなくていいではないかと最近になって腹が立ってきた次第だ。


「わかった」


 そんな気持ちは心の奥底に仕舞って返事をする。

 

 パソコンの貸し出し記録には2週間おきに真田球道の名前が記入されている。

 貸出本を横目に見ながら溜息を吐く。


「まさか野球部期待の新星がこんな腹黒だとは誰も思わないよね」


 

『メンタリズム 人の心を自由に操る技術』

 

『思いのままに人を操るブラック心理術 元祖』

 

『愛されながら人を操る心理法則』

 

『パワープレイ 気づかれずに相手を操る悪魔の心理術』


『すごい!ホメ方 職場で、家庭で、恋愛で…相手を思うままに操る悪魔の心理術』



 何の目的でこんな本を借りてるのか、以前訊ねたことがある。


 なんでこんな本を借りるのか?

 私の問いに対する彼の答えは明瞭だった。

 

「野球のため」

 

「野球のため?」

 

「うん。相手の考えが読めたら抑えるのも、打つのも簡単なるだろ?」

 

「そんなうまくいくの?」


 目を閉じ首をひねるとしばらく考えた後、「多分大丈夫じゃないかな? まあ、ただの気休めだし」と笑う。

 

「そうね。気休め程度には役立つかもね」

 

「そうだろ」と先程にも増して笑った。

 

 エースくん以外に図書室を訪れる生徒はいない。


 昼休みも残り10分を切った。


 午後の授業は移動教室だったな。

 移動時間も考慮してそろそろ出とするか。


「真田くん。時間だよ」


 私が起こしに行くと彼は案の定起きていた。

 

「ありがと。助かった」


 浮かべる笑みはさわやかを具現化したかのようだ。

 この笑顔に多くの女子はハートを射抜かれるのだろう。


 クラスの女子が告白してフラれたという話を延々と聞かされたことは記憶に新しい。

 昨日も誰かが告白するだのしないだのと話していた。

 

「どういたしまして」


 いつも私たち2人の会話はこんなものだ。

 しかし今日は少し違った。

 

「紙本はさぁ、どんなタイプの人が好き?」


 私は彼の顔を見る。

 

「簡単に答えてくれたらいいから」


 私は彼の昼寝していると言う一角の書棚へと視線を移す。


 【心理学コーナー】

 

 私は、なるほどと手を叩く。

 

「心理テストか」

 

「あ、ああ……うん」

 

「好きなタイプは確か……自分のコンプレックスがその答えになるんだっけ? まさか私の弱みを握ろうと……」


 大袈裟な仕草で警戒して見せる。

 

「んな訳ないじゃん!?」


「ごめんごめん。冗談冗談」

 

「紙本は図書室の本って結構読んでるの?」

 

「うん、大体はね。流し読み程度だけど全部に目は通してるよ」

 

「マジかスゲーな」

 

「うん、だからね。聞いてくれれば真田くんが昼休みに読んでる本の内容も教えられるよ」


 私は図書番号がバラバラになっている一角へと目を向ける。

 

 【心理学コーナー/恋愛心理】

 

「青春だねー」


 私の視線と言葉の意味に気付いた彼は、

 

「違うし! 何も読んでねぇよ」

 

「そうですかぁー」


 まぁ、女の子に恋愛相談はしにくいよね。


 はぁと深い溜息を吐く。

 

「別に私誰にも言わないよ?」

 

「そんなこと心配してねぇよ」


 目を伏せる。

 

「じぁあ溜息つくのやめなよ。幸せが逃げてくよ?」

 

「意外とロマンチストだな」


 からかう口調で言う。


(ちょっとは元気が出て来たかな?)


 空元気からげんきかもしれないが、落ち込んだままよりはいいだろう。

 

「そう? 迷信かもしれないけど、そう思った方が人生楽しくない?」

 

「そうだね。俺もいつも笑うように心がけてるよ」

 

 驚いた。さわやかな笑顔の裏で彼は色々と悩んでいたのかもしれない。

 

「じゃあ今、笑っているのも意識してるの?」

 

「えっ?」


 エースくんは、自分の輪郭りんかくをなぞるように撫でると、

 

「いや、本心で笑ってるよ。紙本といると楽しいからね」


 ドキンと心臓が大きく跳ねる。

 顔が熱い……気がする。

 

「冗談でもそんなこと言わない方がいいよ。他の女子なら勘違いしちゃうよ」

 

「冗談じゃないよ」

 

「ハイハイ」

 

「あしらわれたー」

 

「ほら急ぐよ授業に遅れる」

 

「ホーイ」

 

「さっさと歩く」

 

「ホイホーイ」

 

 2人は図書室を出ると駆け出した。


 午後最初の授業に遅刻しそうだと言うのに楽しげなエースくんの背中を必死に追う。


 時折り振り返っては笑うエースは何が楽しいのだろう?

 

「早くしろよ。遅れるぞ」

 

「これ以上速く走れない。私、文系だから」

 

「関係ないだろ」

 

「あるよ」


 はぁはぁ――


 荒くなる呼吸とは裏腹に走る速度はどんどん落ちる。

 両膝に手を置き、大きく肩で息をする

 

「仕方ないな」


 そう言うとエースくんは、背後に回り込み抱きかかえる。

 

「何やってんの?」

 

「お姫様抱っこ?」


 恥ずかしげもなく言い放つ。

 

「何でもいいけど下ろす気はあるの?」

 

「う~ん。ないかな」

 

「だろうね」


 大きなスライドで歩く。

 三つ編みメガネの文系女子が走るより速いかもしれない。


「いい練習になるかも」

 

「重いって事?」

 

「そんなこと思ってないよ。揚げ足取らないでよ」


 予鈴が鳴る。

 遅刻は確定的だ。

 教室の横を通るたびに視線(特に女子)がグサグサと突き刺さる。

 

「これが原因で明日からハブられたらどうしてくれるの?」


 勿論、冗談なのだが。

 

「俺がいるじゃん」

 

「イケメン発言だね」

 

「イケメン関係ないだろ。まず俺イケメンじゃないし」


 もはや学校の大多数の男子を敵に回す発言である。

 お前がイケメンでなかったらどこにイケメンはいるのだ、と。

 

 イケメンをイケメン足らしめるのは外見以上に中身なのかもしれない。

 テレビで見る俳優よりも時たまイケメンに見えるのは外見ではなくその優しさ――内面に触れた時だ。

 

「みんなに優しいもんね。真田くん」

 

「そうか? 普通だぞ」

 

「でも、皆に優しい人はモテないって真田くんが読んでた隣の本には書いてあったよ」

 

「だから本は読んでないって」


 頑なに認めようとしない。

 

「誰にも言わないのに」

 

「紙本にバレた時点でダメなの」

 

「ん? 何で?」

 

 結局、エースくんが質問に答えることはなかった。

 

 栞が質問の答えを知るのは、ずっとずっと先の話だ。



 余談だが、栞との練習の効果か、はたまた読んでいた本の副産物なのかエースくんが甲子園を沸かせるのはそう遠くないお話――





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

※この作品はフィクションです。実在の人物・団体等とは一切関係ありません。


【参考文献】

桜井直哉/著『図解 人の心を操る技術』彩図社、2016年。


齊藤勇/監修『本音を見抜く心理学』新星出版、2016年。



【作中登場本】

DaiGo/著『メンタリズム 人の心を自由に操る技術』扶桑社新書、2013年。


内藤誼人/著『思いのままに人を操るブラック心理術 元祖』方丈社、2016年。


清田予紀/文 南幅俊輔/写真『愛されながら人を操る心理法則』PHP研究所、2015年。


内藤誼人/著『パワープレイ 気づかれずに相手を操る悪魔の心理術』SB文庫、2005年。


内藤誼人/著『すごい!ホメ方 職場で、家庭で、恋愛で…相手を思うままに操る悪魔の心理術』広済堂文庫、2007年。

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