逆神王戦記

森野一葉

プロローグ

 出自について聞かされた時、クレインが感じたのは驚きよりも息苦しさだった。

 軍学の勉強のあと、義父のアルバート・ネーデルスタインはクレインを自室に呼び出した。念入りに人払いを済ませてから、義父はクレインの出自について語り始めた。

 大陸西域を支配するハルディオン王国。クレインはその、第七王子だという。実父である国王が使用人を孕ませたものの、その使用人が出産と同時に亡くなってしまった。生まれた子どもの扱いに困った国王は、クレインを王国随一の名将であるネーデルスタインに預け、厄介払いをした――ということらしい。義父の説明は婉曲的だったが、八歳のクレインにもそのくらいは理解できた。

 ひと通り説明を終えたあと、義父は神妙な顔をして説教を締めくくった。

「お前は王族なのだ、クレイン。決して、卑劣な方法で戦ってはならん」

 義父は、軍学で自分が立てた作戦が不満のようだった。

 軍学で出された課題は、敵兵十万に囲まれた平原の城郭都市を、五千の兵で守れというものだった。

 冷静に考えて、不可能だった。寡兵で大軍と戦うだけなら、方法はいくつかある。兵站線を切って飢え死にさせる、内部に入り込んで軍を分裂させる、指揮官を殺して軍の統率を崩壊させるなどだ。

 だが、この状況ではそれらの戦法は取れない。城から出ようものなら即座に発見され、各個撃破の標的になってしまう。四方を囲まれているため、全方位からの波状攻撃によって、日を追うごとに守兵の体力も精神力も削ぎ落とされていく。どれほどの精兵が守っているのだとしても、三日も持てばいいほうだろう。

 考えに考えた結果、クレインが導き出した答えは――城内に罠を張り巡らせてから、敵に明け渡すという策だった。

 奮戦する振りをして一部の城門だけわざと守備を薄くし、敵を城内に誘い込む。誘い込まれた兵たちは当然勝った気でいるため、罠の警戒などしていないだろう。落とし穴に火計、様々な罠に苦しめられて敵兵が混乱する中、守兵は城内を駆け回って立て続けに奇襲を仕掛ける。

 手痛い打撃を受けて、敵は一度城内から退くだろうが、こちらからは打って出ずにひたすら待ち続ける。そのまま膠着状態を維持できれば、敵の糧秣が限界を迎えるか、業を煮やして全軍で攻撃を仕掛けてくるはずだった。

 全軍を城内に引き込めれば、あとは簡単だった。都市を焼き、石塀を崩してから、民を連れて隠し通路を突破する。城を犠牲にするため敗北には違いないが、城も兵糧も敵の手には渡さずに済む。あとは味方の援軍さえ来れば、飢えて疲弊した敵兵を撃退できるはずだった。

 クレインの策を聞いた時、義父がなぜだか悲しそうな目をしていた。それに納得がいかず、クレインは思わず抗弁していた。

「敵に罠を仕掛けるのが、卑劣なのですか?」

「そうではない。民に犠牲を強いるのが、卑劣なのだ」

「城を出る際に、民も連れています。置き去りにするわけではありません」

「それでも、犠牲にしている。城から逃げる際、身体の弱いものは旅に耐えられず、命を落とすだろう。街まで辿りつけたとしても、民は家も職も失っている。生活を立て直すまで、大きな負担を強いることになる。そんな戦、武官には許されん」

「ですが、敵への打撃も大きいはずです。大局的に見れば、多くの民の命が救われます」

「そういう問題ではないのだ」

 義父は困ったように目を伏せた。

「クレイン、お前は戦を計算のように扱い過ぎる」

「いけませんか?」

「いかん」

 鋭い叱声に頬を叩かれたような気になり、クレインは反射的に目を瞑った。恐る恐る目を開けると、義父はやはり悲しげな目で自分を見つめていた。

「一度民を犠牲にすれば、心に傲慢さが生まれる。武官の命より、民の命を犠牲にするのを選ぶようになる。それだけは、あってはならん」

「なぜです? 民だろうと武官だろうと、国にとっては平等なはずです。一人でも多く守れるほうが、正しいのでは?」

「民を守ることのほうが、正しい。武官も、王族もそういうものだ」

 義父は名将で、良き父でもあったが、物事を順序立てて説明するのはうまくなかった。クレインはやはり釈然とせず、率直に問いをぶつける。

「では、あの場合の正解とはなんなのですか?」

「正解など、ない」

「……どういう意味ですか」

 からかわれているのかと思ったが、義父の目は真剣だった。

「あの局面を打開する術など、ない。城砦を守り抜くのは不可能だろう」

「誤問、ということですか?」

「実際の戦には、そういう局面もある、ということだ」

 義父の言葉は、どこか斬りつけるような鋭さがあった。

「戦が始まれば、勝てる戦いばかりではない。負けるとわかっていても、戦わねばならん時もある。そういう時に重要なのは、なんのために戦うかだ。国のためでも、家族のためでもいい。戦い抜くための、芯のようなものを持っていなければならない。お前の答えには、それがなかった」

 芯などというものを、クレインは考えたことがなかった。より少ない犠牲で、より多くの敵を倒す。軍学について考える時、クレインの頭にはそれしかなかった。

 納得していないのが顔に出ていたのか、義父は顎髭を撫でながら苦笑した。

「お前は頭がいいが、そういうところは抜けているな」

「よくわかりません」

「今すぐ答えを出せとは言わん。生まれのことも踏まえて、なんのために戦うのか、よく考えてみることだ」

「はい」

 説教は終わったらしい。クレインは部屋を辞し、考えをまとめるために城内を歩き回った。

 王族である、ということに実感はなかった。言い知れぬ窮屈さに、身を押し込められているような感覚があるだけだ。

 義父の下で軍略を学び、いつかそれを思う存分に活かせる時がくると、無邪気に信じていた。だが、自分は自由に戦うことはできないらしい。先程の話で、クレインにもそれだけは理解できた。

 できれば、知らないままでいたかった。王族と言っても、王位継承権もなければ、軍を任せてもらえるわけでもない。下手に権力を得ようとすれば、兄弟たちが危機感を抱き、自分を排除しようとするかもしれない。軍学を学んだところで、活かせる機会など一生ないのかもしれない。こんなことなら、ごく普通の平民として生まれたほうがよほどよかった。

 澄んだ空を、鷹が切り裂くように飛んでいく。

 心地よさそうに飛び回るその姿を、クレインは羨望を込めてじっと見上げていた。


 その日から、クレインの日常から自由という言葉は消え去り――

 国が亡び、義父が死に、一八歳になった今でも、クレインの翼は鎖に繋がれたままだった。

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