我輩は片思いである。
夏目彦一
第1話
【源氏物語・桐壺】のこの文章を読んだとき、俺は自分と光源氏に親近感を覚えた。世にまたとなく清らかに玉のように美しい子?尋常ならざる御器量?まさしくこの俺と言っても過言ではない。
女性も羨む白くて玉のような肌に、クールベ色の髪にはまさに神の配分と言わんばかりに程よく流れる緩やか且つ上品なパーマ。
スッと通った鼻筋に、この整った顔立ちでも嫌味なく、老若男女に愛されるようにと采配されたに違いない丸みを帯びた瞳は、細めずとも視野に入る全ての人間に慈悲と平和をもたらすと思わざるを得ない!
そしてそんな整ったこの顔を支える体は180を少し超え、手足の長さは言うまでもなく、顔までモデルのように小さいときた。
「俺はきっと、早死にだろうな…美人薄命って言うからな」
「お前は一度出家して、謙虚って言葉を学んでこい」
壁掛けのテレビには、近くの湖にペリカンが飛来したローカルニュースが流れている。
「考えたらイケメンなんて
「俺個人の問題で言えば純粋なペリカン科に属するペリカンより、分類されたネッタイチョウ目の方が好きだけどな。ペリカンを生で見た事あんのか?やばいぞあの目。感情を無くした
「ああ、兎谷は鳥が嫌いだったっけ」
「鳥が嫌いっていうかペリカン目の鳥類が嫌いなんだよ。ペリカンもハシビロコウもサギも嫌いだ。」
「ペリカンとか、恐竜みたいでカッコよくない?」
「全然!」
兎谷はチャンネルを切り替えた。
兎谷は鳥も苦手だし、魚も苦手だし、虫も苦手だ。彼は昔から好奇心が強く色々調べるうちに知らない方が良かった情報を知ってしまうタイプらしく、初等部に通っていた時裸足でグラウンドに出ていたクラスメイトを見ながら「足の裏から体内に入る寄生虫がいるのに…」と青ざめていたし、中等部の修学旅行でニュージーランドに行った時は近くの川辺で川の水を触っていた女子生徒が何かの破片で怪我をして指先から血を滴らせるのを見て「ニュージーランドオオウナギがくる」と青ざめていた。
俺は青ざめている兎谷の隣でいつも「こいつ一体何を見て何を読んでるんだろう」と思っていた。知らぬが仏って兎谷の事を言うんだと思う。
「大体な、人間は好みで生きてるんだよ。確かにお前はイケメンだ。俺はお前の隣でお前がこれでもかってくらいモテる様を見てきた。だけど考えてみろよ
兎谷は初めてスマホから目を離してギン!と俺を睨みつける。
「お前どうだ。世の中のお前とすれ違う女性がお前の容貌に振り向き、黄色い声を上げても、お前が長続きした恋人はいたか?お前が自分より容姿が劣ると言う俺やその他の男よりも女性にモテたことがあるか!?」
ぐ、と黙り込むと、兎谷はフン!と鼻を鳴らして再びスマホに目を向けた。
確かに、俺はモテる。
それは自他共に認めざるを得ない事実だ。覆しようながない。
昔から可愛い可愛いと家族や周りの人間からちやほやされてきた。学生の頃は俺の隣の席は高値で売買され学校で問題になったし、あまりに俺が美しいから変なストーカーが湧いて警察沙汰にもなった。とにかく俺は、人気を博してきたわけだ。
そして兎谷は小さい頃からそんな俺を見ていた。所謂、幼馴染というやつだ。
兎谷も、まあまあイケメンだと思う。でも絶対に俺よりは劣る。でも、兎谷には女性が事切れたことがない。しかも、別れても別に悪く言われるわけでもない。俺なんかいつも「思ってたのと違う」とか「ついていけない」とか罵詈雑言なのに、だ。
「お前も俺も財閥の息子。上流家庭で育ち、一流の教育を受け、それに見合った気品を身につけてきた、と仮定しよう。それでもモテないお前が光源氏?笑わせてくれるぜ相変わらず」
「さ、俺は今からデェトだから。」と兎谷は立ち上がった。時間は19時。俺は兎谷に返す言葉もなくさめざめと項垂れた。
なぜ、俺はモテないのか。
容姿端麗、頭脳明晰、その上日本を代表する財閥・京塚グループの御曹司、乗っている車はアストンマーチン、時計はパテックフィリップ。
なのになぜ、俺は…仕事終わりにデートする女性すらいないのか。
「…もう、帰ろう」
渋々立ち上がると副社長室の椅子がギィ、と泣く。なんだこいつ、買い換えてやろうか!
寂しいような、虚しいような、腹立たしいような、そんな気持ちが心の中でオーロラのように揺れながら現れては色褪せる。
仕事が終わった俺にはデートの約束はないけれど、日課がある。その為にそれは少し離れた生花店へ歩いて向かう。梅雨が明けたばかりで19時を過ぎても蒸し暑い。じめじめとした空気ですら俺を好むのか肌に張り付いてくる。その空気の中にふんわりとした甘い匂いが混ざる。
「ねむの木か。今が1番綺麗な時期だな。」
そう言ってピンク色の刷毛のような花を見上げながら歩いていたから、すっかり足元に段差があることに気づけなかった。
「うおあっ!!!」
俺は、周りが仰天するくらい、思い切り、無様に、転んだ。
一瞬何が起こったかわからずに、目をパチパチと2,3度大きく瞬きをさせてしまった程だった。段々と着いた手の平や強打したらしい膝がジワジワと痛みを増してきた、その時。
「だっさー!」
俺の横を通り過ぎた3人組の女子高生がニヤニヤと笑いながらそう吐き捨てた。
泣きっ面に蜂、痛い上の針、こけた上を踏まれる、踏んだり蹴ったり、傷口に塩を塗る。
「……JK怖い…」
突っ伏したまま絞り出した声が何とも情けない。起き上がらねばならないのに、羞恥、悲惨、嘆かわしいの3つが俺をアスファルトから剥がさない。
「大丈夫ですか?」
やめてくれ、今更優しくしないでくれ。
どうせ俺は見た目だけの男だ。イケメンでも残念なイケメンだ、ダメンズなんだ。
けれどこのままアスファルトと仲良くしているわけにはいかない。幼子のように床に突っ伏して駄々をこねればただの変人だ。
「あ、大丈夫です…」
「あの、これ使ってください」
差し出されたのは綺麗なコバルトブルーの生地に赤い金魚が刺繍されたハンカチだった。
見上げると、気が強そうな美人が心配そうに俺を見ている。
や、優しい…
あの女子高生の後だからか、女神のように思えた。思わず急いで立ち上がって、スーツを叩いた。彼女はジーンズにTシャツというシンプルな格好で相変わらず不安げに俺を見つめている。
「あ、大丈夫です!」
「でも…」
もしかしたら、これは運命の出会いなのかもしれない!後ろでさっきの女子高生が「あの人イケメンだった!」と騒いでいる。そうだ、俺はイケメンだ。今からだって格好つけても遅くはないはず!
「スミマセン、ちょっと目眩がしてしまって、ありがとうございます。」
そういって俺史上1番と言ってもいいような、少し困ったような柔らかい笑みを浮かべると彼女は一言言い放った。
「鼻血が垂れてるんで、ハンカチ使ってください」
神様、鼻血は無いんじゃないですかね。
スーッと顔が青ざめて行くのを感じながら、俺はお言葉に甘えてそのコバルトブルーで鼻を押さえるに至った。
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