大人ごっこ
日菜
1
それは何よりもずっと愛しくて苦しくて眩しい___
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夜じゃないみたいに明るくて騒がしい。
顔を赤くした大人と人生終わったみたいな顔して座り込んでる大人と瞬間だけの楽しさに酔った若者。
私の目には全部が汚く見えた。
誰かが「努力」だとか「希望」だとか綺麗な言葉を並べた場所の真裏みたいな世界。
そんな世界を1歩、また1歩って歩いてる。
もう抜け出せないんだって思ってた。
終わりがない道を目的もなく進むんだって。
でもそれで救われてたから。
私の居場所はここだって思ったから。
それを『間違いだ』って言ってくれる人なんていなかったから。
■
「「「かんぱーい」」」
カチンとガラスがぶつかる音がしたら、
中に入った液体がぐわんと揺れる。
それを大人の真似して口に流し込むと液体が喉を伝っていくのがわかった。
「アヤカちゃんはいくつだっけ?」
「21歳です。」
昨日は20歳でその前は23歳だった気がする。
本当の年齢さえ瞬時にわからなくなるほど無感情で嘘を言えるようになった。
それを悲しいと思うようなこともなくなってしまった。
「いいねぇ若いねぇ」
何軒目なんだかさっき道で会っただけの既に顔をタコみたいに赤くしたサラリーマンが距離を詰めてくる。強烈なアルコールの匂いがつんと私の鼻を刺激した。
それを紛らわすためか今日の記憶をなくしてしまうためか自分でもよくわからないが私はアルコールを目一杯流し込む。
気がつけばテーブルの上は空いたジョッキと皿だらけになっていた。
ゴツゴツした少し湿った手が私の太股を往復する。お酒のせいかぼーっとした頭はもうそんなこと気にも留めなかった。
そんなことよりどうしても我慢できなかったのは灰が宙を舞ってそれを吸い込む感覚だ。
私は何度かむせてそれでも子供扱いされたくないから耐えてみたりした。
しかしとうとう息苦しくなって堪らずゴツゴツした手を振り払い外に駆け出した。
「ゴホッゴホッ」
外に出たらこの汚い空気でさえ新鮮に感じる。酔いがまわったのか灰のせいか吐き気がして少し歩いたところでその場にしゃがみこんだ。視界が揺れて頭が痛い。
目の前がぼんやりしてきて、そこからはあまり記憶がなかった。
■
何か眩しくて目を覚ました。
薄ら目を開けるが視界がはっきりしない。だんだんわかってきたのは体の上に乗った布の感覚だった。
じんわり体が感覚を取り戻してきたら光の眩しさにも目が慣れてくる。
白い天井とカーテン。
それから私はベッドの上にいる。
夢かと錯覚してしまうような状況に頭をフル回転させるが昨夜のことは少しも思い出せなかった。ただこれが夢ではないとわかったのはこのズキズキ痛む頭のせい。
とりあえず水を飲もうと起き上がったときにフッと風が素肌に当たる感覚がした。
私は一切衣類を纏っていなかったらしい。
それから何かを悟ったように横を見た。
白い布から少しだけ見えた金髪。
まだスースー言いながら僅かに肩を上下に揺らしていた。
口から自然とため息が出る。きっと道端に倒れ込んだ私をここに連れてきてそれで夜を過ごしたんだろう。
しん、とした部屋に彼の寝息と空調の音だけが響く。彼を起こさないようにベッドから降りると、テーブルの上に置いてあった自分の服を取って着替えた。
不思議なことに服はしっかり畳まれている。
彼が畳んでくれたのだろうか。
私はまだふらつく足元に気を配りながらなるべく音を立てずに部屋を出ようとした。
そっとドアノブを捻る。
『ねぇ。』
背後から聞こえたその声に思わず肩がピクッと跳ねた。
『待って。』
振り返ると、さっきまでベッドで寝てたはずの彼はすぐ後ろにいて、私の腕を掴む。茶色の髪の毛が寝癖のせいかツンツン跳ねていた。
言葉を出せずにいる私の腕をひいて私はまたベッドに連れ戻される。
『ちゃんと、話そ。』
腕をひかれたままの勢いでそのままベッドに倒れ込んだ。起き上がる間もなく彼は私の上に跨る。顔の横で私の腕の自由を奪ったその手は男の人の手だった。
金色のネックレスが揺れて光る。
「話すことなんて、なにも……っ、」
『あ?』
少しずつ近づく唇を、私は顔を横に向けて避けた。
「あ、……」
今、「怖い」って思った。
忘れてた感覚が戻ってくる。
ずっと押し殺していた感覚。私の中から消えていった感覚。
体がスッと軽くなった。
私の上から離れた彼は少し笑っていたような気がする。向かい合うように椅子に座ると喜んでいるような悲しんでいるような目で私を見た。
『あんたさぁ、うちの生徒でしょ』
頭の中で1ミリも想像していなかったセリフにわけがわからなくなる。彼は椅子を反対向きにして私に背もたれ側を向けるとこちらに向かって座り直した。
「なんのことですか?」
『原 アヤカ。』
「な……っ」
『そうでしょ?』と言わんばかりの得意気な顔でこちらを見てはフフンて鼻を鳴らして笑う。
「なんで知ってるんですか?!、」
『だから、俺が先生で、お前が生徒だから。』
「いや、意味わかんないです。」
彼は呆れた顔で小さくため息をつくとまたゆっくり口を開いた。
『笹波高校で教師やってます。萩野です。よろしく。』
彼の口から出てきた高校の名前。それは私が通っている高校だった。
どうやら彼は本当に教師らしい。
それにしてもそのルックス、態度、光るネックレス、お世辞にも教師とは思えない。
ただ頭の中にはまだ未解決の事柄が山ほどあった。
「私、どうしてここに?」
『お前が道端で寝てたから俺が拾った。終電も終わってたし。』
先生は椅子から立ち上がると少しシワになったシャツを伸ばして首にネクタイを通した。
「先生なのに生徒に手を出して大丈夫なんですか。」
『なんの話?いっとくけどシてねぇよ。』
先生は鏡の前に立って形を確認しながらネクタイを結んでいる。
私はその背中に話かけた。
「え?だって服が」
『それ、自分で脱いだのな。』
全く記憶にはないけど、頭の中で先生の前で自分から服を脱いでるのを想像したら急に恥ずかしくなって顔が熱くなった。
先生はそんな私をベッドまで連れていってくれて、綺麗に洋服を畳んでくれたんだ。
私は綺麗に畳まれた服の上に下着が置いてあったことを思い出して、急いで先生に背を向けたら服の中を覗いて下着を確認した。
ピンク色で真ん中に小さなリボンがついたやつ。よかった、1群。
『何してんの。』
「いや、別に!」
身支度を終えた先生が私の隣に座った。
先生の重みでキシッとベッドが音を立てる。
ネクタイを結んで寝癖を直した先生はさっきよりかは少しだけ教師っぽかった。
先生の横顔、鼻が高くて目は今風の切れ長目。よく見ると無駄に整っている。
『なんで学校来ねぇの。』
正面を向いたままで先生は私に聞いた。
その声はあくまでも落ち着いたトーン。
「……」
『来なよ。』
それを聞いたとき、あ、やっぱりこの人教師だって思った。
散々色んな教師から言われてきたことと同じセリフ。
私だって行こうと思ったことはあった。
でも、みんな私のことなんて忘れてる。私がいない学校生活をもう何日も普通に楽しく過ごしてる。いきなり私が行ったところでみんなが受け入れてくれるはずない。
「はい。」
こういうときはそうやって言うようにしていた。返事しておけばもう余計なこと言われなくて済むから。
結局この人も、
教師だった。
ベッドがまたキシっと音を立てたと思ったら、後ろに押し倒された。
先生との距離が15センチ程になる。
『大人ごっこは、もうやめろ。』
さっきまでの人とは違う人みたいな先生の目に少しだけビクッとした。
『俺には関係ないけど。』
先生はベッドから離れる。
私は寝たまま天井を見つめていた。頭の中で『大人ごっこはもうやめろ。』って先生の言葉が何回も何回もリピートされて、それと同時にそのときの先生の目も思い出す。
少し遠くでパタンってドアが閉まる音がした。
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