ものしりカエルとやまない雨

モチヅキ イチ

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 空は、薄暗く厚い雲に覆われています。

 雲から落ちる大量の水滴は山奥にある村全体を叩きつけ、辺りをじゃあじゃあ騒がしくしておりました。

 こんな天気じゃあ、村の人たちはみんな家に閉じこもっております。虫や動物だって、こんな滝のような雨に打たれたくありません。みぃんな、屋根裏に隠れたり岩陰に身を潜めたりなどして雨をしのいでおります。

 その中でも、ちょいと変わったとこへ雨宿りするものがおりました。村の外れにあるバスの停留所の小屋には、待ってる人が座れるように長いすが設けられております。その長いすの背もたれから、ちいさなねずみが前に足を出してちょこんと座っているではありませんか。

 彼はねずみのクロ。ほんとうは家の軒下で暮らす家ねずみなのですが、今は何故だか住処から遠く離れたこんな小屋の中。

 クロはただただじっと、その背もたれに腰掛けてじっと外を見ていました。そして思い出したように、まるで服のように巻き付けた葉っぱを軽く叩きます。ぴちゃぴちゃ、水の含んだ葉っぱは叩かれる度に音を立てていました。

「なんで雨ってのは、こう怒りんぼうなんだい。だからおれは嫌いさ」

 クロはずきずき痛む頬のひっかき傷を押さえて、そう呟きます。ただ見つめるのも飽きてきて、背もたれの上で器用にごろんと横になりました。

 ふと、したっしたっと奇妙な足音がクロの耳に入り、しっぽをぴくんとさせます。じっと下に目を下ろすと、腰掛けのところにはずぶぬれの小さな来客がおりました。

「はぁは、今日は一段とすごい雨だ」

 緑色で、ねずみとはまた違ったぬるりとした皮膚で、しなやかな肢体。それはまさしくカエルでした。頭には葉っぱを丸く形取らせた帽子を被り、すっかり水を吸ったそれをぶんぶん払っています。

 その様子がクロには面白かったのか、口を押さえてけらけらと笑いました。

「その笑い声、おそらくねずみかなんかか?」

「当たりだよ。お前たしかカエルってやつだろ。おれは知ってるぜ」

 雨の降りしきる中での小屋で、暇をつぶせることといえば雨が屋根を叩きつける音に耳を澄ませることくらいです。それではあまりにも退屈であったクロにとって、突然の暇をつぶせるものが訪れ、見るからにぱぁっと明るい笑顔を見せます。

 くるりとしたしっぽを器用に使ってクロは立ち上がり、するりと背もたれを滑るように下りていきました。すたっとカエルの傍に着地すると、口元をつり上げにたりとした笑みでカエルを見つめました。

「ほうほう、元気のいい小僧だ」

「そういうカエルさんは、おじさんの?」

「どっちかと言えば、おじいちゃんかもな。お前さんみたいに戯れで飛び回ることも億劫でな」

 ぱっぱと水を十分に飛ばした帽子を、カエルはぐいぐいと押し込むように被ります。

「そうかい。まったく、いやぁな雨だよな。おいらなんかここにもうずっといるぞ」

「でもこの雨は、数時間でやむよ」

 何気なく言ったカエルの言葉に、クロは素早く首を向けます。じっと顔を見つめてみると、カエルのなんとも朗らかとした表情。誰もがこの顔を見てしまえば自然と緊張の糸がするするほどけていきそうです。

「そんなこと、分かるのか?」

「あぁ、カエルだからね」

 そう言うとカエルは腰かけから足を放り、どかっと座りました。まん丸いように筋肉がついた太ももを前に出し、その先の細い脚を組んであぐらをかきます。そしてじっと、壁を見つめるような仕草をしてみせたので、クロも同じ方へ目を向けました。

 そこには、バスの時刻表が掛かれたポスターがあります。しかし、クロには文字というのが読めません。一つ一つの文字が、クロにとってはミミズがのたうち回った絵のようにしか見えませんでした。

「それにここへやってくるバスも、そうだな……雨がやんでからほんの少しするとやってくるだろうよ」

「へぇ、なんで分かるの?」

「まぁ、カエルだからね」

 クロにとって、カエルというものはどういうものか、よく知っています。兄ちゃんたちと一緒に村はずれの小川へ遊びに行くと、よく目にするからです。小川をぱちゃぱちゃ泳ぎ、時にはものすごいスピードで空へ跳ね上がる姿は、ねずみたちの目を楽しませてくれます。だけどもカエルたちがいつもする歌というものは、濁みがかった歌声をしていてどうも好きになれませんでした。

 クロたちはカエルのことをそれだけ知っていましたが、観察以上のことはしたことがありませんでした。こんな風に、実際にカエルと話すのはクロにとって初めてです。

 だけども話してみるとこんなにも、カエルというのは物知りなのだなぁと知り、クロは兄ちゃんたちでも知らないことが知れて嬉しくなりました。そしてクロはもっともっと、カエルとお話がしたくなるのです。

「なぁな、他になんかすげぇことって、知ってるの?」

「ふぅふ、そうだなぁ。例えば雨がいったいどうやってできるのか、知っているかい?」

 クロはきょとんと首を傾げ、ちらりと小屋の外を見ました。

「知らねぇ」

「雲がかかると、雨が降ってくるだろう。実はね、雲のうえには大きな鳥が隠れているんだ。この小屋なんかくらべもんにならんくらい、うんとでっかい鳥がね」

「そんなん、見たことないや」

「そりゃあそうさ、いつも雲の上に隠れているんだ」

 カエルのじっとクロを見つめるすわった目は、クロにとってはどうにもウソをついているようには見えません。クロはごくりと息を呑み、その先の話を聞こうと耳を前へ向けました。

「その大きな鳥はね、たまごを落とすんだ。私らが握れるくらいの、ちいさなたまごをね。しかも大量にさ。翼をばっさばっさは羽ばたかせるだけで、翼からごろごろ落ちるのさ。それが雲にいる間に生まれりゃあ、立派な鳥として羽ばたける。だけども生まれる前に雲を抜けちまえば、そうさ、目の前に見えるのがそうさ」

「そんじゃあこれ、全部たまごのできそこないなのか?」

「そうさい。こうしてほとんどがみぃんな孵らず、そのまま落ちてしまうんだ」

 クロは徐に腰掛けからぴょんと飛び降り、小屋から体が雨に掛からない程度のとこで手を伸ばしました。人にとっては米粒のような雨でも、ねずみにとっては片手で掴めるくらいがやっとの大きさ。そのひとしずくはクロの手にぼちゃんと落ち、弾けてクロの顔を濡らしました。

 その手に受けた反動が、しばらく手の中で暴れ回っているようです。

『生きていたものが、おれの中に入ったのかな』

 それを感じながらクロはそんなことを思いました。

 クロは長いすの脚からするすると登るとまたカエルの傍までやってきました。カエルの朗らかな笑顔は変わらず、やっぱりウソをついているようには見えないのです。

「すんげぇな、カエルってのは物知りなんだ」

「そんなことはないさ。私は知っていることしか知らないからね」

「じゃあ知らないことって、どんなのがあるの?」

「さぁ、知らないことは私も知らないからねぇ」

 クロはカエルにも知らないことがあると知り、少しその知らないことを探り当ててやりたいと重いました。クロが知っていて、カエルには絶対に知らないこと。

 とにかくクロは、なんでも知っているようなカエルが知らないと言うのをどうしても聞きたくなったのでした。それを聞くためなら、どんないじわるな質問でもしてやろうと。クロが思いついたのは、自分のことでした。

「じゃあ僕がなんで一匹でここにいるか、知らないだろう?」

 するとカエルは細い手で顎をつかみ、太い首をうんと傾げて唸りました。そしてじっと、クロの頬にできた傷を眺めます。クロは知らないという言葉を今か今かと待ち望んでいました。

「そうだな、兄弟とけんかしたんじゃないかい? おやつの取り合いか何かで」

 クロは驚きのあまり、口をぽかんと開けていました。

「……なんで、なんで分かるのさ」

「ふぅふ、知っていることならなんでも知っているさ。そうだな、取り合いになったおやつはいちごかな? この村ではいちごを作っている人が多いからね」

 まさに全て、カエルの言った通りでした。そしてクロは兄弟に引っかかれた頬の傷を押さえて、色んなことを思い出して少し泣きそうになりました。兄弟たちとけんかをして、思わず勢いで家を飛び出してしまったこと。そしてこれから、どうすればいいのか何も頭にないこと。帰りたくないけれども、クロは兄弟のことを思い出すとけんかした怒りよりも心細さの方が強く感じてきました。

「カエルのおじちゃん……おれさ、この雨が上がったらどうすればいいのかな?」

「さぁ、それは私の知らないことだねぇ」

 一番知りたいときに限って、カエルの知らないを聞くことになるとは。目を合わせると、カエルも少し難しい顔をしているのが分かりました。

「君自身はこれから、何がしたいのかないのかい?」

「わかんねぇ……けど、できるならさ、兄ちゃんたちにぎゃふんと言わせてぇ。なんかすっげぇもん持ち帰ってさ、それで驚かせてやるんだ。そんなの、なんかない?」

「そうだな、それじゃあ私が知っているとっときの、お宝の在処を教えてあげようか」

「お宝?」

 クロがその言葉を聞くと、耳としっぽがぴくんと立ち上がりました。カエルは大きな口のはしをぐいと持ち上げてとくいげな笑みをしてみせると、葉っぱの帽子をぐいぐい押し込むように被り直します。

「この山道をずうっと行ったとこにな、花がいっぱい咲いている場所があるんだ。赤、白、黄、そりゃあもう様々な色の花があるのさ。でもその中で一輪だけ、青い花があるんだよ。ほかの沢山の花と一緒に埋もれているけども、一目見ただけでほかの花とは違うって分かるくらい、オーラを出している花さ。その花は存在感だけじゃなく味だって格別らしくてねぇ、花びらは口の中でほどけるように溶けて、まぁるで極上のかすていらのよう。花の蜜もたっぷり詰まっていて、ひとしずく口に入れるだけで体中がとろけてしまいそうなほどの味わいだと聞くよ。だけども、そこは人間が手入れしている所だからね。もし捕まってしまえば、君みたいなのはためらいなく殺すだろうねぇ。死ぬのは、いやだろう?」

 細く長い手をクロの顔に差し出すと、クロは思わずうんうんと頷きました。

「そんなん、当然だい」

「でも今の話を聞いて、君はとても行きたがっている。そうだろう?」

 それを聞いてクロはまたもや唖然とし、ゆっくりと自分の胸に手を当てました。カエルの語り方はとてもうまくて、それを真剣に聞いていたクロにとってはとても魅力的なものでした。

 カエルの言うお花がどれだけ絶品なのか。それはもちろん気にはなっているのですが、それ以上に、もしそん宝探しへ向かう冒険ができたら……とクロは自分が花探しへ向かう姿を想像していました。

「やっぱり、カエルってなんでも知ってるんだな」

「ふぅふ、私の知っていることはなんでも知っているよ」

 そう言いながら、カエルはクロに向けてうっすらと笑みを浮かべます。カエルは帽子をぐいぐい押し込んで、腰掛けからひょいと飛び降りました。

「さぁて、私はそろそろ失礼するよ」

「でも雨はまだ降ってるよ」

「大丈夫、私は少しくらい濡れても気にしない。いつ止むのかは、私はよく知っているんだ」

 カエルのやわらかな表情は、まるでうそ偽りなどないように思えます。小屋の外、じゃあじゃあと降りしきる雨の中に出ていっても、クロは不安を感じませんでした。

「あぁそれと、君は兄弟にどう顔を合わせるのか悩んでいたみたいだね。きっと君のご兄弟は、君のためにおやつを取っているんだと私は思うよ」

「そんなこと、分かるの?」

「私の知っていることではないけどね、私も昔に同じようなことがあったんだ。確かに知らないけども……経験というのは、私の知らないことを教えてくれることもあるんだ」

 だけどもどうしたいかは、君が決めるんだね。カエルは最後にそう言い残し、雨の中をぴょこぴょこと跳ぶように出ていきました。深く霧のような雨は、カエルの姿をすぐに消してしまいます。

 クロはまた、ひとりぼっちになりました。腰かけから足をぶらんと垂らし、外をじっと見ています。それから、ほんとうに一分経ったか経たないかくらいでしょうか。クロは何かに気づきました。

「……雨の音、だんだん小さくなってってる」

 屋根を叩く雨音にふと耳を傾けて、それに気づきました。それに見える景色が、だんだんと明るくなるのも分かりました。クロは高鳴る胸を押さえてひょいと飛び降り、小屋の入り口の手前まで駆け寄り空を眺めました。

 今まであんなに薄暗かった雲に明るさが戻り、風に巻かれるようにだんだん散り散りになり、その向こうにある青空が見えてきました。

「なんだぁ、おっきな鳥はどっか行っちゃったのかな」

 クロはカエルが言っていた大きな鳥を見つけようと空をうんと見渡します。だけども、そんな姿はどこにもありませんでした。

 そんな時、村の方からはバスがやってきました。雨が止んですぐのことです。これもまたカエルの言ったとおりだと、クロは少し嬉しくなりました。

「これに乗れば、カエルのおじちゃんが言ってた花畑に、行けるかもしれねぇ」

 屋根からぽたぽた垂れるしずくをひょいと避けながら越え、辺りにできた水たまりに入らぬようバスに近づき、しっぽをうまく引っかけてバスの後ろの縁に飛び乗りました。

「青い花か……それを持っていけば、兄ちゃんたちもおれのこと、見直してくれるかな」

 バスは動き出します。悪路を進みガタガタと揺れるバスの縁で、クロは落ちないようにしっかりとしがみつきました。

 クロはふと、空を見上げます。そこにはクロの知らなかった、カエルにも教えて貰わなかった、言葉を失うほどくっきりと虹がかかっていました。

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ものしりカエルとやまない雨 モチヅキ イチ @mochiduki_1

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