第489話 裏の者.12

扉を開け、階段を上る。


「兄さん?」


「母さーん、兄ちゃん帰ってきたー」


「あれ?あんた今日帰ってこないんじゃなかったの?ご飯は?」


「大丈夫!」


自分の部屋へと駆け込み、鍵を掛けた。

全て同じ、臭いも何もかも。

知っている人でさえ。


「落ち着け、落ち着け。混乱すれば付け入られるぞ」


深呼吸して手を見る。魔力が見えない。魔力を感じない。

焦る気持ちを抑え、記憶を漁る。


なんだ?聞いてた話とちがくないか?

いや、ちょっと待て。


今改めてエルファラとニックの言葉を思い出してみよう。


エルファラ。


『出てきたやつはお前が一番知っている奴だ。いいか?あの場は望めば何でも出てくる。そして奴は勿論取り込もうと襲ってくるだろう。でも、敵ではないんだ。身を委ねつつ、目を逸らさずに向き合ってみろ』



ニック。


「俺達は基本外から手助けはできない。出来るのはしるべになってやることくらいだ。お前は自分の事に集中しろ。こっちを気にするな……そして一番大事なことだが」

「絶対に、自分を信じろ。自分を殺すな。分かったな」





…………助言、とは?



「止めてよオレバカなんだからそんな曖昧な助言で対処できると思うなよコンチクショー。隊の管理とかほぼラビ任せだったんだぞ」


しかし、今さらである。

だからなんで間に合うときに質問攻めしないのか。本当に学習しないなオレの馬鹿。


「でも、まぁ大丈夫だろう。完全に想定外だったが、問題は、ここからどうするか、だ。そもそも何が敵なのかもわからない状態だし」


いつ、何処から現れるのかもわからない。


幸いにも、体の使い方は慣れている。二人の物騒な言葉が頭を過るが、ようは死ななければ良いのだろう。

多分、敵は接触してくるだろう、気を抜かないようにしないと。









だが、予想に反して何も無い日常が繰り返された。


大学に通い、丸一年と少しのブランクで失敗して怒られながらもバイトをして、彼女に会って。


交通事故に遭い掛けもしたが、“敵”は接触してこなかった。


どうしたらいいのかも分からず焦るも、時間は矢のように過ぎていく。







そうして、気付けば半年が過ぎていた。







「…………、んー……」


「兄さん、隈」


「分かってるっつー…」


「■■■ちゃんと仲良くできてないん?レス?」


「しね、お前は愛しのダイスケと仲良くしてろ」


「もーしてますー」


弟にからかわれ、さらに店に置いていかれた。

辛い。


でももっと辛いのがある。


最近、どっちが現実か分からなくなっていた。

筋力は減っているが、体の使い方は覚えていた。実際、それで助けられているのも多々ある。

彼女とも何事もなく過ごせているし、大怪我も、ましてや死ぬ覚悟を持って戦う必要さえ無い。


ぬるま湯に浸かり、少しでも気を抜けば、あちらの記憶が薄れそうになっていた。


道を歩く。

電柱から伸びる電線に止まっていた鳥が、一鳴きして飛び立った。


穏やかな日々。

それを見上げながら、何度目かもわからない自問自答をする。



……あれは、あの長い旅は夢だったのか?




(違う……、こちらが偽物の筈なんだ)



だけど、こちらで幸せだと思ってしまっている自分がいる。

あの世界に連れていかれなかったら、今頃、オレはこうして何でもない日々を送っていた筈なんだ。

誰も殺すことなく、殺される事もなく。


いずれは結婚して、子供を育てて。





そこまで考えて、ハッとした。



「オレは、……あのピアスを買って後悔していたのか…?」


あの辛くも、ここよりも生きている実感を得ていたあの世界での事を?

オレは、無ければよかったと……?



その時、足元に圧がかかった。何かを擦り付けるような動作。

すぐ足元、視線を向ければ、真っ黒な黒猫が金色の瞳でこちらを見詰めて、にゃーん。と鳴いた。


「っ!!」


その瞬間、記憶がフラッシュバックした。鮮やかに彩られたあの世界での記憶。赤色の辛い記憶も、緑と青の艶やかな記憶も、銀色の煌めき、白と黒の恐怖も、全部が駆け抜けていく。



「違う」



迷うな。


オレは確かにあの世界を懸命に生きただろう。

自分が全力で歩んできた道を否定するな!!!







「オレは、あの日々を後悔なんかしてない!!!」







拳を握り締め、心の底から叫ぶ。


景色が一瞬揺らぎ、鈍い音を立てて、世界がひび割れた。

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