ヴァイスリーリエ ~戦火に捧ぐ愛の花、それでもあたしは世界が欲しい~/葉月双
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第一部
第1話 再会/Sky Masquerade
全方位ARインターフェイスから見た世界はとっても綺麗だった。
高度6000メートルの空。下を見れば雲の絨毯が敷かれている。
「さっすがぁ、作業用マスカレードとは格が違うね!」
リュカ・ベルナールは通信回線を開いて、妹のマリーに言った。
リュカは17歳の少女で、くすんだブロンドの癖っ毛だ。ピョコピョコと髪が跳ねるので、セミロング以上に伸ばしたことはない。
「軍用の最新型なんだから当たり前。それよりお姉ちゃん、早く逃げよう」
ARインターフェイスの中心に、マリーの顔が浮かぶ。
マリーは14歳になったばかりで、鮮やかなブロンドの髪をツインテールにまとめている。
「それじゃあ、最新型マスカレードの最高速を試してみましょっか!」
推進スラスタを全開にするが、加速度はほとんど感じない。重力制御システムの性能がいい。
マスカレード――単純に言えば人間が乗る汎用の人型ロボットのこと。工事現場から戦争まで、活躍の場は幅広い。
第三次世界大戦後に弾道ミサイルなどの破棄を誓った平和条約以来、急速に発展した分野だ。
現在、リュカは軍用マスカレードのコクピット座っている。というか、全方位が拡張現実なので、外の風景の上に各種情報表示が重なっている。
まるで空に座っているような感覚だ。
「お姉ちゃんの機体、加速エグすぎ。マリーのじゃ付いていけない」
「あははー、だってあたし、一番いいやつ盗んだもんね!」
「ずるいよ。マリーだってそれが良かったのに」
マリーがムスッとした表情を浮かべる。
「怒った顔も可愛いよマリー」
「むっ……また子供扱いする」
マリーが頬を膨らませ、やっぱり可愛いなぁ、とリュカは思ったのだった。
そして、この可愛い妹が幸せになるためなら、泥棒だってやれるのだ。
◇
約30分前。
「今日だよマリー」
「何が?」
リュカは空中戦艦アリアンロッドの洗濯室を訪れ、白いエプロン姿で洗濯物が乾くのを待っているマリーに言った。
「何がってあんた、あたしたちの目的忘れたの?」
リュカがそう言うと、マリーは周囲を確認した。
「誰もいないって」リュカが肩を竦める。「大丈夫」
「そうみたい」
「あたしたちはこの戦艦から軍用マスカレードを盗んで売ってやろうって、そう決めて求人に応募したでしょ?」
軍用マスカレードは高く売れる。売るためのルートはまだ確保していないが、国際連合の新型なら欲しがる国は山ほど在る。
「うん」
「で、今日、それを決行しようって言ってるの」
リュカには特別な力がある。その力が囁くのだ。『今日こそ最良の日だ』と。
すでに下調べは済んでいるし、コクピットに乗ってしまえばこっちのものだ。
そもそも空中戦艦からマスカレードを盗むなんて誰も考えないから、警備員はいない。マスカレードはハンガーにそっと佇んでいるだけ。
もしかしたら整備班の連中がいるかもしれない、という程度。まぁ、特に戦闘があったわけでもなく、整備の必要などないので誰もいない可能性の方が高い。
「……ちょっと待ってね」
マリーが目を瞑る。
そして数秒後に目を開けて言う。
「うん。大丈夫」
マリーにも特別な力がある。その力のおかげで、7年前の惨劇を生き残った。
正義の旗の下に行われた革命という名の虐殺。リュカもマリーも、きっと永遠に正義を語る人間を許すことはない。
7年前のあの日、平和だった都に大軍が押し寄せ、無差別なその銃弾で多くの人が殺され、生き残った人も家を失った。2人の両親も、その時に殺された。
2人はマリーの力で、間一髪、砲撃の雨から逃れることができた。
でも本当に辛かったのはその後の生活。1日の食事がかびたパン1欠片、泥水をすするような、そんな最底辺の生活を余儀なくされた
「よし、じゃあ行こうマリー」
ドブネズミと呼ばれ、石を投げられるような生活だった。それでも2人は生きた。いつか幸せになるために。裕福だった小さい頃のように。
みんなが幸福になれますようにって、毎日お祈りをしていた頃のように。
◇
そして今。軍用マスカレードコクピット内。
「あなたたち! どういうつもりですか!!」
唐突に、ARインターフェイスに別窓が開いて、青い髪の毛をポニーテールに括った女性の顔が映る。
ロードシール共和国主力空中戦艦アリアンロッドのマスカレード隊隊長、セリア・クロス。
セリアは23歳で、リュカやマリーと同じく特別な力を持っている。
「おっと、さすが《紫電のセリア》。もう出てきた」
「お姉ちゃん、マリー追いつかれない?」
マリーが乗っている機体は量産型。比べてセリアの機体は特別仕様機。性能に差がある。
「大丈夫」
とはいえ、セリアの機体は最高速を殺して加速と機動性を重視している。最終的には追いつけない。リュカはそのことを知っていた。
マスカレードを盗み出す前に、事前調査を念入りに行ったからだ。
それに、元々はセリアの機体を盗む予定だった。しかし今乗ってるやつの方が新しいと分かったので、こっちにしたのだ。
「調理師と洗濯係がなぜマスカレードを操縦できるのです!?」
通信回線が繋がっているので、リュカたちの顔はセリアに筒抜けである。
しかしそんなことは問題ではない。どうせもう二度と会うこともない。
「あたしは10歳の頃から6年も作業用マスカレードに乗ってたんだい!」
「同じく10歳から3年ぐらい乗ってた。詳しくは履歴書に」
地獄のような日々だった。朝から晩まで働いて、それでも生活は良くならなかった。
そんな時、空中戦艦アリアンロッドが民間の調理師と洗濯係を募集していたので、リュカとマリーは即応募したのだ。
もちろん、本当に調理師と洗濯係になりたかったわけじゃない。最初から軍用マスカレードを盗んで売るつもりだった。
どこかで一発当てなければ、一生ドブネズミの生活から抜け出せないから。
「なるほど」一瞬、セリアが納得したような表情を見せた。「って、それはわたくし用に調整した機体です! 操縦できても扱えません! 返しなさい! 今ならわたくしが減刑を嘆願しても構いません!」
「うるさいなぁ。どうせ売るんだから扱えなくてもいいんだって」
「ファントムを売るつもりですか!? それがどれほどの機体か分かっているのですか!?」
リュカの乗っている機体名称がファントム。漆黒の機体だが、そのうちセリアカラーに塗られる予定だった。
ちなみにセリアの機体はライトニングという名称で、カラーは薄紫。
マリーの機体はロードシール共和国量産型マスカレード・ホークロア。機体の色はロードシールカラーである水色。
「さぁ」リュカが笑う。「でも、高く売れるのは分かるよ」
「お姉ちゃん、他にも出てきた」
ARインターフェイス左下のレーダに目をやると、空中戦艦アリアンロッドから更に5機のマスカレードが出撃した。全てホークロアである。
今更出てきても遅いって、とリュカは心の中で笑う。
セリアとの差も縮まる様子はない。このまま最高速で突っ切れば、いつかは向こうがこっちを見失う。
速度計を確認すると、すでにマッハ2.4。ファントムの最高速。
マリーのホークロアはマッハ2.3で、ライトニングはマッハ2.0。
と、レーダに新たな機影。数は6つ。識別コードは敵。世界征服を掲げている神聖ラール帝国の機体だ。
やばっ、調子に乗って領空侵犯しちゃった!?
焦ったリュカは、敵機のコードを最後まで確認しなかった。つまり、敵機の名称を見なかった。
「引き返しなさい!」セリアも敵の存在に気付いた。「死にたいのですか!? 我々はラール帝国とは戦争中です! 警告なんてありませんよ!」
知っている。
セリアたちのロードシール共和国を中心とする国際連合は、世界征服を目論む神聖ラール帝国を悪とし、世界征服阻止という大義名分の下で戦っている。
「今更引けないっての!」
リュカはオープンチャンネルを開く。活路はある。
「ラール帝国の人! あたし民間人! アリアンロッドの新型マスカレードを盗んだの! 売ってあげるから撃たないで!」
◇
「と、言っていますがリーゼロッテ様」
ARインターフェイスに、親衛隊のクリスタの顔が映っている。
「ふむ。少し待て」
皇帝代行人にして神聖ラール帝国軍の総司令官、リーゼロッテ・ファルケンマイヤーはゆっくりと瞼を閉じた。
リーゼロッテは紅く艶やかな髪を腰の辺りまで伸ばしている。顔立ちは細工めいた美しさで、どこか人形のようでもあった。
けれど、多くの人間はリーゼロッテを美しいと思う前に恐怖を覚える。
リーゼロッテは3年前――18歳の時に皇帝代行人という立場を得て、神聖ラール帝国をその手中に収めた。
そして世界征服という修羅の道を歩み始めた。
リーゼロッテには特別な力がある。
その力に身を委ねる。
「よし。先行する二機を保護してやれ」
目を開いた時、リーゼロッテはさっきの民間人の言葉が嘘でないことを知っていた。
いや、知っているという言い方は少し違う。
それで間違いないという確信。いつだってこの確信に従ってきた。
凡人どもはこの特別な感覚のことをシックスセンスと呼んでいる。
「はい。《紫電のセリア》はどうします?」
「殺すさ。あいつはいつだって私の邪魔をする。だが、今日で奴との因縁も終わりだ」
今日、この瞬間、この空域にリーゼロッテがいた理由はきっと、セリアとの決着をつけるため。
少なくともリーゼロッテはそう解釈した。
そうでなければ説明がつかない。どうしても、この場所に行かなければいけないという、自分のシックスセンスに従ってリーゼロッテはここにいたのだから。
◇
百合姫リーゼロッテ!?
セリアは敵影を拡大して歯噛みする。
真っ白な機体の両肩に百合の紋章。汚れない、美しい機体。いつの日か必ず、自分の手で撃墜してやろうと決めていた機体。
しかしなぜここに? わたくしが来ると知っていた? わたくしは何も感じなかったのに?
けれど、
出会ってしまったのならそれが運命。
今日、ここで全てに決着をつける。個人的なことも、戦争にも。
リーゼロッテさえ倒せば、神聖ラール帝国は世界征服なんていう子供じみた夢から覚める。
「リーゼロッテ!! あなたに正義の鉄槌を!!」
ライトニングは右手に鋼破ソードを、左手にアサルトライフルを装備する。
◇
「正義……?」
セリアの言葉がリュカの心を刺激した。
7年前の幻影がリュカの眼前に広がる。
焼ける世界。焦げる空。
そして、
泣いている子供を踏み潰した国際連合のマスカレード。
王城を集中砲火し、王族を皆殺しにした国際連合の空中戦艦。
「お前が……」
「お姉ちゃん落ち着いて」
最愛の妹の言葉すら、今のリュカには届かない。
「セリア・クロス!!」リュカが叫ぶ。「お前が、お前たち国際連合が正義を語るなっ!!」
リュカはファントムを反転させ、スラスタを全開にしてライトニングへと向かう。
「ダメ!! お姉様!!」
マリーの乗るホークロアとすれ違う。
「レベル3以上のシックスセンスを確認」
ファントムが喋った。マスカレードが喋るなんて聞いたこともないので、リュカは少し驚いた。しかし最新型なので、制御AIが優秀なのだろうと納得した。
「高純度の感情エネルギーを認識。感覚回路始動。モードメサイアを展開。全兵装使用可能。アタックアシストを開始します」
その瞬間、リュカは自分の身体を乗っ取られたような感覚に陥った。
「何これ!?」
リュカの手元に武器の一覧を表示しているスロットバーが出現する。
リュカの右手がリュカの意思とは関係なく、武器の一覧からエネルギーソード・エクスカリバーを選択する。
「あたしの身体が、勝手に動いてる!?」
「アシスト中です」とAIが言った。
同時に、ファントムの右手に薄いグリーンの剣が創造される。その刀身は実体として確かにそこにあるのに、半透明で向こう側が透けていた。
「そんなっ!?」セリアが目を見開いた。「モードメサイア!? 調理師がわたくしと同等以上のセンスを持っているというのですか!?」
ライトニングが鋼破ソードを斬り下ろす。
ファントムはその斬撃を勝手に躱し、勝手にライトニングの後方に回り込んだ。
もっと正しく言うなら、ファントムがリュカの身体を使って自分自身を動かした。
「くっそ!」
ライトニングが右側へと逃げる。本来なら誰も追いつけないような驚異的な加速。
しかしファントムはライトニングについて行った。
エクスカリバーがライトニングの左腕を切断する。
ライトニングの左腕は握っていたアサルトライフルとともに雲に呑まれた。
「機体の性能が……」セリアが言う。「違いすぎる……!?」
ライトニングが上へと逃げるが、ファントムは難なくライトニングに追い付き、両足をエクスカリバーで斬り裂く。
「こんな……こんなバカなことが……」
ファントムは左手でライトニングの頭を掴んだ。
そして右手のエクスカリバーをライトニングのコクピットに押し当て、
「やめてぇぇぇ!」
リュカが叫んだ。
この機体が、ファントムが、何をしようとしているのかすぐに察した。
つまり、
「わたくしが……こんなところで……」
エクスカリバーがスッとコクピットに突き刺さる。
ファントムは左手をパッと離し、エクスカリバーを抜いてライトニングから少し離れた。
「敵機沈黙」AIが言う。「アタックアシスト及びモードメサイアを終了。それと、命令はもう少し迅速に願います」
ライトニングが落下する。
その光景が、リュカにはスローに見えた。
確かにリュカはカッとなったし、一撃入れてやろうと思った。
けれど、殺すつもりはなかった。
そう、殺すつもりなんてなかったのだ。
ライトニングが雲に呑まれる。
「あ……あたしが……」
「違う! お姉ちゃんじゃない!」
繋ぎっぱなしの回線で、マリーが言った。
でもリュカの耳には入らなかった。
リュカは自分の両手を見詰める。
生まれて初めて、人を殺した。
身体の自由が利かなかったけれど、それでも、ファントムを操作していたのは確かにリュカの腕なのだ。
「あたしが……殺したの?」
そのことを認識した瞬間、リュカはコクピット内で吐いた。
人間を、1人、殺した。
恐ろしいほどの罪悪感。
身体が震えて、リュカは両手で自分の肩を抱いた。
それでも震えは止まらないけれど。
と、新たな通信が入ったことを告げる効果音とともに、ARインターフェイスに文字が表示される。その文字は通信が神聖ラール帝国の機体からであることを告げていた。
通信を受けなければ――そう思って、コントロールパネルを操作する。
ここは神聖ラール帝国の領空。無視したら自分自身もマリーも悲惨な結果になってしまう。
リュカが通信を受けると、ARインターフェイスに別窓が開く。
そこに映っていたのは、
艶やかな紅い髪の、あまりにも美しい女性。
けれどその美しさは、刃物のような冷たい美しさだった。
そして、
「リーゼ……?」
リュカはその女性を知っていた。
世界征服を目論む魔王、リーゼロッテ・ファルケンマイヤー。その顔を知らない人間なんていない。でも、そういう意味じゃない。
「……お前、まさかリュクレーヌなのか!?」
リーゼもリュカに気付いて、酷く驚いていた。
7年。
それが2人の間に流れた空白の時間。
誰も私を好きだと言ってくれない、と泣きそうな顔をしていたリーゼを慰めたのが10年前。
そこから2人は友達になった。
色とりどりの花が咲く、王城の中庭で。
それはまるで昨日のことのよう。
そして7年前に全てが変わり、
慰めた方は純粋な心を持ったままドブネズミとなって、
もう一方は全てを憎んで魔王となった。
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