伝説級女戦士の愛情表現がストレート過ぎて困っています

雨音深

キルギスホーン地下迷宮

――ルーデンバウム連合王国 ルーセットアイゼン侯爵領

第1話 タイフーン・グエン


 ――ダンジョンは芸術だ。


 今から百数十年ほど昔に、とある魔術師がこう言い遺したという。


 そんなことはどうでもいい。なんでもいい。どうしてこうなった。


 澱んでかび臭い空気と闇に満ちた迷宮の片隅で、少年は途方に暮れていた。彼が意気揚々と生まれ育った街を旅立った日からまだ半年にも満たない。それが何故に今、こんな所にいるのか。こんなことをしているのか。それを思うと悔しさと情けなさで胸がいっぱいになる。


 不運だったと割り切ってしまうことも必要なのだろうが、それでもやはり繰り返し思ってしまうのだ。


 なんでこんな目に、と。


 もちろん、他に選択肢がないわけでもなかった。もっと安全な場所で、例えばどこか下働きにでも雇ってくれそうな店でも見つけて働けば、こんな危険な真似をせずとも日々の食い扶持くらいは稼げるだろう。


 自分を不運と割り切り、失った全てをあきらめるのであれば、そんな真っ当な道もあるのだ。


 冗談じゃない――少年はそう思う。こんなところで終わるのは嫌だ。そんな簡単にあきらめるくらいだったら、最初から故郷を離れるような真似をしたりしない。


 地道に働くことに比べれば実入りもよく、運が良ければ一攫千金を狙えるという話を信じて地下迷宮へ出入りするようになって、もう三ヶ月になろうか。幸運が舞い込むことはまだなかったが、代わりに不運が訪れてもいなかった。


 既に不幸のどん底と言ってもいい状態ではあったが、ここでの不運とは概ね『死』そのものを指すのだ。本当にこの道を進み続けることが正しいのか、少年は繰り返される疑問と葛藤をむりやり押さえ込み、薄暗い回廊を進んでいった。


 彼がいる表層部中央回廊は広大な地下迷宮のほんの入り口で、ある程度の経験を積んだ探索者であれば、命の危険にさらされるようなことは滅多にない。


 それにも関わらず少年は獲物を狩るために必死にならざるを得なかった。なぜなら彼にはろくな戦闘経験がなかったからである。


 少年にとってこの地下迷宮の探索は、たとえそれが初心者向けの表層であったとしても毎日が常に死と隣り合わせといってよかった。ひとつでも判断を誤れば、この湿った回廊に骸を並べることになるだろう。


 なにしろ、まず装備が貧弱だった。なめし革のベストは丈夫そうだが、彼が身に着けているものは旅装に使われるごく一般的な衣服である。右手にやや小振りのナイフを持ち、左手にはよく使い込まれた大きなフライパンをぶら下げていた。


 ナイフは調理用のもので、どう見ても身を護るには役に立ちそうもないだろうし、フライパンに至っては一応、取っ手を麻布で縛り、握りやすくしてはあるものの、もはや意味不明の代物だ。


 壁面に設置された職台の明かりが映し出す彼の姿は滑稽ですらあったが、その面持ちは真剣そのものだった。薄暗い回廊の向こうに小さな人型の影を認めて、少年の顔が一層引き締まる。


 ――獲物だ。


 探索者が小鬼だとかゴブリンだとか、そう呼称している亜人の一種がこちらに向って来ている。


 表層部をうろつく、はぐれゴブリンはその名の通り群れからはじき出されたあぶれ者で、迷宮に巣食う生物の中でも最弱の部類の存在だ。単独か、ごく少数で行動する彼らはとても臆病であり、人間に出会うとたちまち逃げ出してしまう。そのはずなのだが――


 臆病なはずの亜人種が少年を威嚇し、襲い掛かる隙を狙っていた。中途半端でわけのわからない装備の小柄な少年はいかにも貧弱に見え、むしろ少年の方がゴブリンにとって格好の獲物だと認識されているようだ。


 動物の骨らしきものを加工した棍棒を振りかざし、はぐれゴブリンが先手を打った。大振りの攻撃をかわすのは容易く、少年は左足を引き、右手のナイフで素早くゴブリンの腕を狙う。


 棍棒の空振りで体勢を崩したゴブリンは、思いもよらない素早い反撃に慌て、突き出されたナイフを防ごうとした。だが、その少年の攻撃はフェイントであった。ナイフに気をとられたゴブリンの脳天に、真上から弧を描いて振り下ろされた鉄のフライパンがめり込み、骨の砕ける嫌な音が響きわたる。一撃で頭蓋を割られたゴブリンはそのまま倒れ臥し、動かなくなった。


「黒鋼を鍛造した逸品だ。フライパンをなめんなよ」


 もはや微動だにしない骸を漁り、めぼしい戦利品を回収する。三ヶ月もの間、繰り返してきただけあって手馴れたものである。ただ、人型の獲物に対する抵抗感はいまだ完全に消え去ってはいなかった。


 この亜人種も元をたどれば中原の南方に隠れ住む小人族と祖は同じという。有史以前の戦乱において敗れた勢力が闇に落ち、今の禍々しい存在になったのだと子供の頃、祖母の昔話でよく聞かされた。


「僕もここに閉じ込められたら、こんな風になるのかな」


 ゴブリンの骸を見下ろし、少年はそう、つぶやいた。


 


――ダンジョンは芸術だ。


 中原で百年続いた戦乱がようやく終息を迎えた頃、魔術師達はこぞって地下迷宮を建造しはじめた。


 ある者は魔術の真髄を究めんとして地下深くに篭り、またある者は、己が実力を世に知らしめんと巨大な塔を建てた。無許可で勝手に建造してしまう例がほとんどだが、有力な王侯貴族がパトロンになることさえあったという。


 かくして中原には無数のダンジョンが造られた。長い年月により放棄されたものもあれば、いまだ主が健在で威容荘厳にして、どこぞの王宮かと思われるようなものも存在する。そして、それら魔術師のシンボルともいえる建造物は『攻略』の対象になっていった。


 天下泰平の世になった途端に軍備は軽んじられ縮小される一方で、かつては軍の正規兵であった者達でさえ、平和な世の中では職にあぶれた。戦いで飯を食っていた者達の多くが世の中のはみ出し者扱いになってしまったのである。そんな彼らがダンジョン攻略で生計を立てるようになってゆくのになんの不思議があろうか。


 放棄された迷宮が魔物の巣になれば、その掃討に賞金がかかることもあるし思わぬところに財宝が隠されていたりする。日々の食い扶持を求める者や一攫千金を夢見る者は後を絶たず、そうして彼らは命の危険も顧みず、平和な日々に唾を吐きながらダンジョン攻略にいそしむのであった。


 このような時代背景から、必然的にダンジョン周辺には人が集まり、新しい街が栄えるようになっていった。迷宮、あるいは塔の入り口が『門』と呼ばれることから、これらの市街地は門前都市と呼ばれる。そんな門前都市のひとつがここ、キルギスホーンだ。


 キルギスホーンの地下迷宮は、中原のほぼ中央に位置するレントの都から、西方に馬で五日程の場所にある。今から50年ほど前、主の死とともに放棄されたと伝えられており、これもよくあることだが、その主の名は記録には残されていなかった。魔術師は自らの名を知られることを嫌うからだ。


 数少ない伝承では、その魔術師は『翠玉の導師』と呼ばれ、魔力を秘めた複数のエメラルドを自在に操ったという。それら魔石をちりばめた黄金の冠がダンジョンのどこかに隠されているとも伝えられており、未発見の財宝伝説付きともあって、キルギスホーンの街は門前都市の中でも有数の規模を誇っていた。


 少年は街の外れにある小さな木賃宿で夕食を済ませた。具が少なく味の薄いスープでかっちかちの硬パンを流し込んだだけの、なんとも味気ない夕食だった。思わずついたため息をこらえろというのも酷な話ではある。


 あの後、少年は、はぐれゴブリンを二匹と土トカゲを三匹しとめた。ゴブリンは光るものを集める習性があるらしく、小粒の希少石や硬貨を持っていることが多い。また、体長1メートル程の土トカゲの革は皮革製品の材料として比較的よい売り物になる。それらの戦利品によって、銀貨三枚と銅貨四〇枚を得ることができた。


 宿は煮炊きに使う薪を購入し自炊するシステムになっていて、一泊につき銅貨三〇枚。食費を含めて一日にかかる費用は銅貨五〇枚程度だ。


 地下迷宮に通い始めて半月。これまで切り詰めに切り詰めて、貯めた所持金はこれで銀貨三〇枚ほどになった。


「これですこしはマシな武器が買えるかな・・・」


 少年は使い慣れたナイフを砥石で、入念に研ぎはじめた。これは毎日の日課である。大小、大きさの異なるナイフが五本と、鉄のフライパン、使い古しの手帳とそれらを詰めた雑嚢。それが少年の持ち物の全てだった。


 フライパンもナイフもこんな『狩り』に使うものじゃない。少年はいつもそう思っている。だが、失ったものはあまりにも大き過ぎた。取り戻すのは並大抵のことではなく、日々の食い扶持も稼がねばならない。綺麗ごとだけでは生きてはゆけないのである。


 明日は武器を買おう。これまで、愛用のナイフを獲物の血で汚さないで済んだことだけが少年の救いだった。もっとも、フライパンの方は、すでに血まみれではあったけれども――



 翌日。市街中心部の市場は、午前中の早い時間から大賑わいであった。


 少年はまず、いつも朝食をとる屋台に立ち寄った。銅貨五枚で芋と野鳥の肉を煮たシチューが食べられるお気に入りの屋台である。ボリュームがあるし価格も良心的だ。


「おう、小僧。まだ生きてたか!」


 恰幅のいい屋台の親父が、すっかり顔なじみになった少年の背中をどんと叩いた。


「小僧はいいかげんやめてよ。前にも名乗ったじゃないか。僕は・・・」


「ルビィ、ちゃんと覚えてるぜ。だがな、一人前になるまでは小僧は小僧だ」


 銅貨と引き換えに熱々のシチューを木の椀に盛ってもらい、少年――ルビィは今の自分の立ち位置を確認するため、親父に尋ねた。


「一人前ってどういう基準?」


「そうだな。ま、三層くらいまでは、こなせないと一人前とは言えねぇな」


「三層か・・・」


 キルギスホーン地下迷宮は丁度、ピラミッドを逆さにしたような四角錐の形状になっている。門は二箇所あり、既に第七層の半分程度までは探索済みで、構造からみて十二層ほどの深さがあるだろうと推測されていた。


 ダンジョン探索は危険度と実入りが比例しており、表層部は危険こそ少ないが、稼ぎもたかが知れている。ルビィは新たに武器を買い求め、先に進んでみようと考えていた。


 二層目、三層目も難易度でいえば、駆け出しの新米探索者向けなのだが、武装した亜人も少なくないという。さすがに調理用ナイフとフライパンでは無理があるだろう。


「まぁ、命あってのものダネだ。無理はするなよ」


 食事を終えたルビィを見送る親父は、そう言ってくれた。


 ルビィは人込みを縫いながら、武具を扱う出店が立ち並ぶ一角に向った。大通りにはしっかりとした店構えを持つ武器商もあり、そちらは商品も豊富なのだが、彼の所持金では手が出せそうもない。中古品を多く扱う出店で手頃な価格の武器を見繕うつもりだった。


 通りに面した出店をいくつか覗き、縁台に並ぶ刀剣類を吟味してみたが、どれがいい品なのか、果たして自分にあっているのか、さっぱりわからなかった。それもそのはずでルビィは戦闘訓練すらしたことがないのだ。刃物に慣れているとはいえ、剣の扱いも知らずにその良し悪しがわかるはずもないではないか。


 とりあえず、取り回しに都合のよい重さのものにしておこうかと手近にあった短剣を一本、手に取ってみた。小柄なルビィには丁度よい長さで、軽く振ってみても扱いやすく感じられる。


「気に入ったかね?そいつは掘り出し物だよ」


 顎ヒゲの店主が気さくに声をかけてきた。


「これ、いくらですか?」


「そうだな、おまけして五千シリングでどうだね?」


 銅貨五千枚、銀貨に換算すると五〇枚である。


「・・・三千くらいで買えるのありますか?」


 暗い表情でたずねるルビィに店主は笑いかけた。


「三千か・・・まぁ、いいだろ。うちは初めてだろう?特別に負けとこう」


「ほんとですか?ありがとうございます!」


 ルビィは大喜びで、懐から財布代わりの皮袋を取り出そうとした。その時である。背後から伸びてきた力強い別の手が、ルビィの腕をむんずと掴んだ。


「え・・・」


 突然のことに動転して振り向いたルビィは、何かものすごい弾力を持つ物体に顔を突っ込んでしまった。とても柔らかくて、すべすべしている。なんだこれは?息ができない。慌てて手を伸ばし顔を上げると、そこに顔があった。


 うわ、美人。


 思わず見とれたルビィが、その相手の鬼のような形相と、自分が両手で彼女の形容しがたい程に大きく、立派な胸の双丘を鷲掴みにしていることに気付くまで、およそ五秒を要した。


「おい・・・あの小僧・・・」


「タイフーン・グエンの乳を・・・」


 にわかに周囲の買い物客が、朝一番の椿事にざわめきだす。血の雨が降るぞとか、命知らずとか、今日が命日とか、無数の囁きがルビィの耳にも届いていた。届いてはいたが、血の気が大瀑布の水流のごとき速さで引いているルビィの脳は、その意味を考えることを拒否しているようだ。


 タイフーン・グエン。本名はグエン・セミラミス。


 新米探索者のルビィですら、その名を知っている。190センチの巨躯で大剣を振り回す筆舌しがたい凄まじさを、嵐という名に喩えられている女戦士。彼女のパーティは数々のダンジョンを制覇し、その名声はいまや中原の隅々まで知れ渡っていた。もはや伝説とも言える人物が今、目の前にいるのである。


 女戦士は噂で聞いた通りの長身で、ルビィよりも頭ひとつ以上、背が高い。紅く燃えるような色の長い髪はゆるく波打ち、やや小麦色の肌や琥珀色の瞳の光は彼女の強い生命力を物語っていた。


 並みの男では、とても太刀打ちできる相手ではないと、ひと目でわかる。さらに徹底的に男に無慈悲といわれる彼女には、世の男達から最も恐れられている噂があった。


「ちょん切られるぞ・・・」


 その囁き声にルビィは立ったまま気絶しそうになった。寒気が股下から駆け上がってきたが、蛇に睨まれた蛙と化した哀れな少年にはもはやどうすることも出来ない。


「その手を離してもらえるか?」


 地獄の底から聞こえてくるようなグエンの一言で、ルビィは正気に帰った。


「は、はいいっ!ももも、申し訳ありません!」


 その場に土下座しかけたルビィに一瞥もくれず、グエンは一歩進みでた。


「おい店主、そのなまくらで三千とは、ちょっと強欲ではないか?」


 ヒゲの店主の顔色もルビィに負けないほど、白くなっていた。黒々としたヒゲが白髪に変わってしまうのではないかと思われるほどに。


「いや・・・これは・・・」


「材質も悪いし、鍛えもなってない。こんな粗悪品、すぐに折れてしまうだろう。鉄屑ではないか」


「も、申し訳・・・」


 ルビィはぽかんとしていた。どうやら騙されかけていたようだ。その場に居合わせたグエンが、なけなしの所持金を巻き上げられる小僧を見かねて、助けてくれたというわけらしい。


「こ、こちらの刀はいかがでしょう」


 店主は慌てふためきながら、商品棚に立てかけてあった一振りの小刀を持ち出した。それは鍔付きの小刀で、黒鞘に納められていた。拵えは中原に流通する一般的な剣とは異なり、黒糸を幾重にも巻きつけた異国風の作りだった。


「こいつは東の国から渡ってきた逸品ですが、訳ありでして・・・」


 冷や汗を拭き拭き、店主が愛想をまく。


「訳あり?」


「扱いが難しいんですよ。切れ味は抜群なんですが、錆びやすくてね」


「ふむ・・・」


 グエンの手によって、刀が鞘から抜き払われた。わずかに反った刀身は滑りを帯びて鈍く光っている。刃に浮かんだ文様は墨を流したように波打ち、美しかった。刃渡りは五〇センチ程で、細身の割りに刃は厚く、重みがありそうだ。


 師匠の包丁に似てる・・・かな。


 ルビィはその刃に見とれた。いや、その刃と、刀を吟味する女戦士に見とれていたというのが正しかろう。


 恐ろしく、凄まじい噂の持ち主は、その悪評をきれいに消し飛ばすほどの美しさを持っていたのだ。それは鑑賞物の持つ静的な美しさの対極、野生と情熱に溢れ、多感な少年の心をいとも簡単に呑み込んでしまう。ルビィの心臓が、早鐘のごとく鼓動を打つのも無理はなかった。


「確かに三千なら買い得だな」


 グエンは小刀をルビィに手渡し


「毎日ナイフを研いでいるほどのお前なら、手入れも苦にならんだろう」


 言い捨てて立ち去ろうとした。


「え・・・?」


 立ち去りかけたグエンは振り返り、ルビィにその燃えるような視線を投げかけた。


「名は確かルビィ・・・だったな。先ほどの淫蕩極まりない痴漢行為を、私は忘れんぞ」


 グエンは笑った。見る者を凍りつかせるような恐ろしい笑いだ。芯から肝が冷え切ったルビィは、しばらく眠れそうにないと心の底から思ったのだった。


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