第185話 殺す意義

「ふむ……最初の相手は黒血ヶ原くんか……」


 幻日メルハはヒロポンに表示された明日の決闘予定を眺めながらつぶやく。そして同時に頭の中ではその戦いの様子がイメージできた。


「彼にもウォーミングアップは必要だろう」


 その結果も。


 初等科四年から高等科三年までの定期テスト学年一位に与えられる、ランキング一位への決闘申し込みの権利は行使され次第拒否権なく受理され、タイミングがかぶる場合は抽選によって順番が決まる。早く全先正生と戦いたい気持ちはあったが、こればかりはどうにもならない。


 決闘という手段を選ぶ以上は。


「……」


 メルハはヒロポンを置き、トレーニングに戻る。拠点とする島の洞窟の正面の海に向けて、武術の型を繰り返し反復する。基本を完全に身体に叩き込むこと、それが彼女の戦闘訓練だった。 


 反射は極めて強力な能力である。


 敵の攻撃を受け、そのダメージと同等以上の反撃を回避不可能で与える。普通はほぼ一撃で決まる。勝つにしろ負けるにしろ。相手への否定的感情が強ければ強いほど威力が急激に上がって勝ち、相手への否定的感情が弱い場合はメルハ自身の肉体の強度で敗れるからだ。


 女に生まれたことが弱点。


「はっ!」


 突き出した拳の先から汗の粒が飛ぶ。


「やぁっ!」


 身体を動かしながら、メルハの心は晴れない。恵まれた能力を生かし切れない自らという越えるべき壁。常に立ちはだかるのは自分自身だ。反射を生かすためにいくつもの武術を学び、肉体を強化する能力もいくつか手にしたが、それでもランキング一位は遠かった。


 反射は襲撃に対して弱い。


 相手の数が増えれば増えるほど、自らが受け止めなければならないダメージは増え、それは簡単に肉体の限界を超える。相手もヒーローを目指す強さを持つ者たち、生半可なダメージではないのだ。大怪我を何度もした。片目も失った。無謀の代償である。


「全先……正生ィ!」


 しかし、怒りはメルハを突き動かす。


 ヒーローになりたい。


 人々を助ける力となりたい。


 その根源がどこにあるのか、彼女自身にもわからなかった。けれども、理由がわからないほど自然に湧き上がってくることが自らのヒーローとしての才能なのだと納得している。そうでなければならないと信じている。


 だからこそ許せなかった。


「必ずっ! 潰してやるっ!」


 全先正生を。


 改造人間としてのタフな肉体。


 潜在能力。


 周囲に集まった人間関係という環境。


 嫉妬なのかもしれなかった。


「構うものかっ!」


 メルハは自分の感情を否定しない。


「憎いっ! 憎いぞっ!」


 感情の否定は能力の否定だからだ。


 それだけでなくヒーローになるべくしてなろうという存在にして、男であることを満喫するかのような一夫多妻、そんな相手に嫉妬するなという方が不自然だった。憎しみをいくら燃やしても燃やしきれないほどである。


「調子良さそうじゃのー?」


「……君の声が邪魔だけれどもね」


「そがいなこと言いなさんな。メルハちゃん。わざわざこがいな島の外れまでアイムちゃんが会いに来てあげたんやけぇのー?」


「ちゃんづけで呼ばれたくないな」


 メルハは脇に置いてあったタオルで汗を拭う。


「天才であることは認めるけど、年齢を軽んじるような態度は人間として尊敬できない。経験だけが人に教訓をもたらす。君たちの頭脳はどこまでいっても仮想ヴァーチャルだよ。わたしにとっては」


「……たち?」


 アイム・チキチータの眉が動いた。


「素直ではない反応だ」


 すかさずメルハは言う。


「そこで一緒にされたくないと思ってしまう意地が、些細な諍いを大事にしている。クッキー・コーンフィールドと仲良くしたいのなら、戦って屈服させる必要などない。君が謝罪することだ。そうすればよほどあっさりと……」


「敗北に期待することが素直かのー?」


 だが、相手も黙っているタイプではなかった。


「わたしのことを言っているのか?」


「甲賀古士について熱心に調べとったけぇのー。アイムちゃんも察するしかない。全先正生と戦った女がどうなったか。興味深い話じゃのー? みぃんな強くなっとるけぇのー」


「なにか知っているということか?」


 静かに息を吸って、気持ちを落ち着けながらメルハは言った。相手は天才とは言え子供だ。言い争う意味はない。冷静に、情報だけを聞き出せばいいことだった。


「取引じゃ」


 アイムは頷く。


「いいだろう」


 メルハは応じる。


「チームを組まんか?」


「……ノー」


 アイムの言い出した言葉に少し考えてメルハは首を振る。ヒーローは孤高であるべき、というのは彼女の哲学のひとつだ。人々のために協力することはあっても構わないが、その必要がなければ群れることは個人を弱くすると考えている。


「これは別に君が相手だからではなく、わたしはだれともチームを組むつもりはない。知っているはずだ。別の条件で取引をしよう」


 ただ、情報への興味はあった。


「都合のえぇことを」


「天才に予想できない答えでもあるまい」


 メルハは言う。


「わかっとったが、イエスと言わせちゃろうっちゅう心積もりじゃ。条件を変えるつもりもない。メルハちゃんに折れてもらうしかないのー」


 だがアイムは不敵に笑う。


「ちゃんづけは……」


「結論から言えばー」


 メルハの言葉を遮って指を立てる。


「ある能力を発揮した状態の全先正生と交尾すれば強くなるっちゅうイカレた話じゃ。しかし、メルハちゃん単独で決闘して相手をその状態にすることは不可能っちゅうのがアイムちゃんの計算でもあるがのー」


「……交尾?」


 思わずメルハは聞き返した。


 幼い少女の口から出る言葉でもない。


「そうじゃ」


 だが、天才は肯定する。


「ただの交尾じゃのーて、確実に孕む交尾じゃ。メルハちゃんならば、その位のリスクは引き受けるじゃろうが、残念ながら、相手は既婚者で、あれで愛妻家らしい。決闘中に浮気に持ち込むにはそれなりの状況を演出せんとならんけぇのー。そがいな搦め手をアイムちゃんの協力なしにできるんかいのー?」


「……」


 失った片目を押さえて、メルハは沈黙。


(確実に孕む交尾?)


 冷静を装っていたが思考は混乱していた。


 アイムが嘘を吐いているとは思わない。そんなことをすれば自分がどういう対応をすることになるかわからないほど頭の悪い子供ではないはずだ。だとすれば言っていることは事実だろう。


(水口彩乃の件か……)


 それに近い情報も手にしていた。


 全先正生に接近して急に発育が良くなったと男子の間で評判の生徒、発育と同時に身体能力も格段に上がったという話である。男との接触が女の身体を劇的に変化させる事象とすれば、交尾も確かに候補のひとつには入るだろう。


(交尾……つまりセックス……わたしが?)


「……バカバカしい」


 メルハは言う。


「ヒーローが他人の夫と寝るものか」


「地球を守るためならなんでもするじゃろー」


 だが、天才少女は平然と口にする。


「地球を守らず、貞操を守るんが、メルハちゃんの理想とするするヒーローの姿なんかいのー? それこそヴァーチャルじゃろーが。それとも、月暈機関がそこまで盤石じゃと思うとるほど平和ボケなんかのー?」


「仮に事実だとして、それでどこまで強く……」


「球磨伊佐美が力を取り戻した理由は?」


 アイムは畳みかけてくる。


「! 元々、失っていなかった可能性も」


「否定のための否定はつまらんけぇ、止した方がえぇじゃろ? メルハちゃんが強さを渇望しちょるんは島のみんながわかっとる。でも、今のままでヒーローまで上がっていかれんとも思われとるし、思っとるじゃろ? 殺されない大前提のあるランキング戦でなければ、その反射も生きていかれんけぇのー?」


 メルハの心の内を見透かしたかのうように痛いところを突き刺してくる言葉の剣。発する幼き天才とのアンバランスは口論で勝つことが困難であると確信するには十分だった。


「したくない」


 メルハは率直に言った。


 体裁を気にしてこの相手には立ち向かえない。


「リスクとリターンの釣り合いは取れるとしても、わたしはあの男を憎んでいる。それが戦う理由の根本だ。交尾などしたくないし、そこで子供を授かるなど想像するだけで反吐が出る」


「殺せば良かろ」


 鼻で笑ってアイムは肩を竦める。


「……?」


「力だけ貰うて、全先正生は殺せばええんじゃ。それだけの憎しみがあれば交尾の反射で殺すこともできるじゃろ? それならば殺人にはならん。授かった子供は贖罪として産みさえすれば、あとは機関が預かってくれるけぇのー。メルハちゃんは強くなるだけじゃ。なんの問題もない」


「ヒーローが殺しを」


 完全にアイムの言葉に飲まれていた。


「女を犯すもんがヒーローになるよりマシじゃ。悪を生かしても善を為すんは圧倒的に強いヒーローにしかできんことじゃろ? 悪を滅ぼす罪ぐらい背負う覚悟もなしに弱いメルハちゃんがヒーローになれるんかのー?」


「……それで君はなにを得るんだ?」


 メルハは問う。


「もし彼を決闘の中で殺せば、どんな理由であれその妻でもあるクッキー・コーンフィールドとの関係は決定的に終わる。そんなことを望んでいるわけではないはずだ」


「無害な男として生き返せばえぇんじゃ」


 当然のようにアイムは返答した。


「全先正生の脅威は改造された肉体と組み合わさった能力にある。反射で死んでも身体が消滅する訳じゃないけぇのー。あとは危険因子を取り除いてただの男として復活させれば、クッキーちゃんもアイムちゃんに感謝するじゃろ?」


「……」


 絶句するしかなかった。


 そんなことができるのか、と問う意味があるのかすらわからない。自作自演での殺害と復活で相手の感謝を得られると思っている思考回路に不可能という壁は存在しそうになかった。


「わかった。組もう」


 メルハは決断する。


 全先正生はヒーローに相応しくない。


 その一点だけで殺す意義は揺らがなかった。

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