第148話 マリナ・トゥット

 巫女田カクリの付き人。


 一年の大半は世界を巡り、ヒーロー予備軍として年間100人以上をスカウトするカクリが、その中から希に自らが指導して育てようとピックアップした人間である。


 普段は身の回りの世話などをさせながら、世界を飛び回り、実戦において時には戦いを見せ、時には戦わせ、経験を積ませて平均でニ、三年の時期がくればヒーローへと推薦される。


 例外はまずない。


 月暈島でランキング一位を取ることと比べれば圧倒的に、選ばれただけでヒーローへの道が拓けたとすら言えるポジションだった。それだけに、男は性欲処理、女はストレス処理などと揶揄する者も少なくはないが、当人たちは誇りを持ってカクリを師と仰いでいる。


「お呼びでしょうか、カクリ様」


 マリナ・トゥットもその一人だった。


 十八歳、付き人になって二年、推薦が貰えるのではないかと少しそわそわしながら、しかしそれを態度には出さず、スーツ姿で畏まる。


「はぁ……」


 だが、カクリは珍しく気落ちした様子だった。


「どうかなさいましたか?」


「困っているのよ。マリナ、わかるでしょう?」


「どういったことでしょうか?」


 マリナは緊張する。


 地球上に、ほとんどの意味でカクリを悩ませるほどの出来事はない。その気になれば、自らと自らの持つ人脈でほとんどの問題は解決できる。それが月暈機関の巫女田カクリという人間だ。


 だが、本人はそれを良しとはしていない。


 若返りながら長い月日を生きる間に、人間らしさを維持する目的で些細な悩みで騒いで、普通を演じたがるところがある。完璧な女なんて男が近寄らない、というのは口癖のひとつだ。


 しかし、付き人にとっては楽ではない。


 男なんて見れば落とせるというのに、あえて少女のように恋愛をしたがり、ラブレターの文言などで相談されてもアドバイスのしようがない。気に入らない対応でもしようものなら、拗ねたり、甘えたり、仕事の責任から離れたところでは、少女のように振る舞いたがる。


 何歳なのか、とタブーを口にしそうになる。


「日本が月暈機関との協力関係を解消するって」


「は、それは、それ? カクリ様?」


 だが、今日の話題はまったくの別次元だった。


 本気の悩みである。


「首相誘拐が決定打のようね。前々から考えてはいたのでしょうけど。アメリカやヨーロッパ、中華だけだったのが、この二年でインド、ロシア、アフリカ、南米まで独自にヒーロー育成をはじめて、実質的に軍事力としてカウントしはじめてる。機関と近かった日本は出遅れた形になってるから、月暈島に出してる日本出身者を引き上げて、独自組織に再編したい。困ったことだわ。そうでしょう?」


「だ、大問題です」


 マリナは大きく頷いた。


「まず月暈機関は日本の……」


「で、当然ながらこちらとしては解消しますそうですか、とはいかないから、理事会の裏で交渉を重ねてるんだけど、日本政府が目をつけたのが全先正生、彼を日本に戻すなら解消については一時保留にしてもいいと」


 言葉を遮って、カクリは自分の話をつづける。


「古くから島にいる能力者たちはともかく、送り出したばかりの彼はすぐに戻せるだろうというのが理由ね。奪われた父親の身柄奪還を本人にやらせてやるのが人の道だろうとか、綺麗事を並べてたけど」


「妻たちもついて行くことになるでしょうね」


 マリナは言う。


「そういうことよ。はぁ……」


 カクリはわざとらしく溜め息を吐く。


「アメリカではほぼ危険物扱いだったけど、クッキー・コーンフィールドは奥田の指導でまともなものを作るようになって価値急騰、球磨伊佐美は力を取り戻してすぐさまヒーローに戻したいぐらい。五十鈴あさま、桜母院ルビア、あの辺は家柄的にも将来性がある。当照すみは人体実験まで視野に入れれば相当のもの、まとめて持って行かれればことだわ」


「しかし全先正生がそれを望まないのでは?」


 言葉を選びつつ意見を述べる。


「女への執着は強いようですし、父親の身柄を奪われた日本政府を信じたりもしないでしょう。身柄がなければ死刑も脅しにはなりません」


 マリナは現在ランキング一位の男について、やり方はともかく淫魔の能力で同性愛に走って付き人女子を困らせていたイソラを更正させてくれたと思っている。恩人とさえ言えた。


「現時点では」


 カクリも同意する。


「けれど、若いのよ。色んな意味で。誘惑にも弱い。少なくとも自分が政治的交渉材料になるとは露ほども思っていない。その意味で、彼の身辺のガードを強化したいと思っているわ」


(これはもしかして)


 マリナにもピンと来ていた。


 月暈島内部のことは、機関の裁量でどうとでもできるが、相手が島の外となると問題は別になってくる。全先正生をそれを狙う勢力から守る、その独自の裁量を自分に与えようとしている。


(ヒーローへの推薦が)


「マリナ、やってくれないかしら?」


「私でいいのでしょうか?」


 内心の歓喜を抑えながら、マリナは言う。


「それはわたくしの眼を疑っていると受け取ってもいいのかしら? 自信がないなんて謙虚な子を拾ったつもりはないのだけれど」


「そ、そうではなく。私より先に」


 付き人としての先輩はいる。


 先にヒーローとしての推薦を受けるのなら、明確な理由が欲しかった。自分のなにがカクリの目に留まったのか、尊敬する相手の言葉として。


「マリナ、恋人いなかったでしょう?」


 だが意外な言葉が返ってきた。


「え、ええ?」


「だからよ。一夫多妻の空間に下手な男を配置してなにか問題が起こっても困る。性欲旺盛な男のそばに恋人のいる女を配置していざこざになっても困る。任務の妨げにならない適任者」


 カクリは理由を述べた。


 主に配慮。


「……」


 ショックだった。


(まるで、全先正生にあてがうみたいな)


 真面目にヒーローになるために訓練を重ねてきた。生来の能力が良かったのは事実だが、それ以上の力を得たと言う自負もある。任務の重要性は理解できるが、理由には納得できなかった。


「あら? 不満かしら?」


 気持ちを見透かすようにカクリが言う。


「いえ、理由がなんであれ、ヒーローになれるというのなら、引き受けないことはありません」


(試されてる)


 マリナは言いながら、気を引き締める。


 ヒーローに推薦されて、短期間で引退をした先輩が多くいたことを思い出していた。激務に耐えられなかったのだろうかと勝手に思っていたが、考えてみればこういうことなのだ。


(ゴールじゃない)


 ヒーローになることは手段だ。


 自らの判断で正義を実行すること、その超法規的権限を与える側のカクリは推薦した結果を見ているのだ。それに相応しい行動をとれるか、つまらない理由であれ、自分を見失わないか。


「そう言ってくれると思っていたわ」


 満足げに頷いて、カクリは優しく微笑む。


「では、早速なのだけど、これから全先正生とセックスしてきて貰えるかしら。わたくしからの使いであることはもちろん秘密にして、彼と個人的に関係を結んでもらうわ。いいわね?」


「……はい」


(はやまったかもしれない)


 マリナは一瞬にして後悔していた。


 女という武器。


 巫女田カクリが付き人に教えることは戦闘技術よりも、それについての方が多い。男ならば女に負けない方法として、女ならば男に勝つ方法として、決して無駄ではなく、能力という個人差とは無関係に役に立つとは理解しているが。


(自分では使いたくない)


 マリナは男が苦手だった。


 なにがではなく、なにもかもがダメだった。


 好き嫌いですらない。


 恋などしたこともない。


(フェアリ様が取り付けたマスクの発信器は)


 だが、仕方がなかった。


 任務だ。処女も練習で捨てている。


(妻が大勢いるんだから、一回や二回のこと)


「ギャッホ!」


「ぎゃっほ?」


 そうして、マリナは白い獣と出会った。

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