第147話 いわゆる勇者

 とても近づけない。


 正生といきなり現れた女の戦い。渦を巻いて広がるような波が、晴れた空の下、砕け落ちた断崖絶壁の残りに打ちつけ、風は彼方此方に荒れ狂う。ニ体の獣がぶつかり合っていた。


(ありえない)


 あさまは体勢を低くして波風に耐えながら、白色と褐色の衝突を見つめていたが、さらに腹が立ってきていた。なにもかもが自分の思い通りにならない。力がないからだ。


 目の前の戦闘を止めることもできない。


「なんなの」


「……」


 隣の人も頷いている。


「……」


「……」


 あさまは隣にいる尖った帽子を被った女を無言で見つめた。いつの間にいたのか、紺一色のあからさまな魔法使いの風体をどう思えばいいのか、なにかを言うにはわからないことが多すぎた。


「……」


 魔法使いは懐から指揮棒のようなもの、魔法のタクトだろうとわかるような雰囲気のある曲がり方をしたものを取り出した。


「?」


 あさまは広い帽子の下の顔をのぞき込む。


「い」


 血の気を感じない、陰鬱な女の顔がそこにはあった。三白眼にぎょろりと見つめ返され、頷くしかなかった。使うなら魔法を使えばいい。


「……」


 ぶつぶつと聞こえない声でつぶやいた。


 タクトの先から真っ黒でどろっとした液体のようなものが飛び出して、ぬるぬると人の形に立ち上がる。それは次第に人間らしい色に変わって、すらりとした男の姿になった。


「どもっす」


 男は軽く喋り出した。


「えっと、ちょい前にスカウト? された。いわゆる勇者なんですけど。ヒーローになるには島で? なんか一年間戦って? 実力を認められないと? いけないとか? 月暈機関って何様? って感じなんで、やっぱそっち行くのやめますわ」


「チャラい」


 あさまは思わずつぶやいた。


(生理的に無理)


 日焼けした感じの肌で、歯が必要以上に白くキラキラしていて、スーツを着崩して、胸元を大きく開いて引き締まった身体を見せつけるかのように背中の大剣に手をかけポーズをしている。


 勇者?


「……」


 魔法使いは頭を下げる。


「ぶっちゃけ? 日本政府の人が、おれらで機関に代わる? 新しい? ニュージェネレーションな、組織やらね? って言ってきたんで、んじゃま、月を食っちゃうんで、月蝕機関で、みたいな? 感じ? そんな訳で、日本は機関との関係を考え直してく、みたいっす。っす」


(本気? まったく信じられないけど)


 喋り方が酷すぎて頭に入りづらいが、ずいぶんと聞き捨てならないことを言っている。日本が機関との関係を考え直す、本当なら大問題だ。


 日本出身者が多いこの島では特に。


「つっても、納得はされないと思うんで? おれのパーティの中でも強い方の女を、そっちの島のトップにぶつけるんで? その結果を見て、ま、頭下げてきたらいいんじゃないっすか? おれ、勇者っすから、広い心で地球守っちゃうんで? 多少の無礼は許す? パネェっしょ?」


(だれに見せるつもりでも無礼はそっちだ)


 機関に礼儀正しさはあまりない、それは事実ではあるが、それでもこの男よりはいくらかマシだろう。どれだけ増長してるか意味不明だ。


「戦士のジェーン・ゴールドスター、魔法使いの夜顔、モンクのトゥンヌ・アスィミ。この三人に勝てるなら、こっちが顔だすっすよ? んじゃ、そゆことでよろしく?」


 映像は切れ、男の姿は黒い染みとなって地面に残った。とりあえず機関への宣戦布告であり、正生を狙っているのはわかった。


「あの、あなたはこの男を勇者だと?」


 あさまは同情的にならざるを得なかった。


 なにか理不尽なことが起こっている。


「……」


 夜顔と呼ばれた魔法使いは頷く。


「そこの鎧が戦士で」


(正生を襲撃して、白い獣にした相手)


 装備を脱がされて、どうしているのだろう。


 フォーヴ・マスク装備以前なら、正生がレイプしてしまった可能性はあったが、マスクは白い獣が発する夢魔のエネルギーをそのまま強度にしているので、自ら破ることは極めて難しい。


「今戦ってる彼女がモンク、でいい?」


 強さは見ればわかる。


 勇者の言っていることが必ずしもハッタリではないことは目の前の現実が物語ってはいる。空気を弾けさせる衝突はずっとつづいている。


「……」


 あさまの質問に首肯する魔法使いだが、言葉を発しようとはしない。チャラい自称勇者が送り込んだ三人目、強いのか弱いのかわからない。


「で、どうすればいいの?」


「……」


 夜顔は小声でなにか言う。


「聞こえないから、ね?」


「……」


 あさまが言うと、タクトで地面に文字を書きはじめた。呪文に声量が必要ということはなく、声を聞かせないのは、呪術的には決して無意味でもないが、それにしても面倒である。


 きかんの、えらいひとに、あいたい。


(意外と丸文字)


 あさまは少し親近感を覚えた。


 外見も雰囲気も可愛さの欠片もない夜顔だが、文字から受ける印象に悪いところはない。きちんと形を取りつつ、丁寧な優しさを感じる。


「紹介はできると思う」


 あさまは巫女田カクリを念頭に言う。


「あの勝負が決着したらでいい?」


「……」


 夜顔は大きく頷いてあさまの手を握る。


(手冷たいわ、ね)


 それから二人で戦闘の行方を見守ることにした。流れは決しつつある。最初の勢いから、徐々に二人の衝突が与える海への影響は小さくなっていた。瞬発的な実力は拮抗しても、明らかなスタミナの差がある。


「……」


 モンクの子がふらついていた。


 波の上に立つ足がおぼつかず、沈みそうになっている。呼吸も明らかに乱れて、表情から余裕がなくなっていた。


「ギーギーギー!」


 対して正生は元気なサルそのもの。


 平時を考えても、底が見えない。


「……」


 夜顔は浮かない顔をしている。


「タイミングがよかったわ、ね。あなたたち、下手したら正生に犯されてるところだったから」


「!」


 あさまの言葉に隣が驚いたのと、モンクが気力を振り絞った一撃を放ったのは同時だった。着ていると言うには面積が小さすぎる服が破け、白い獣が戦利品とばかりにその筋肉質な身体を掴んで背中の毛の中に放り込んでいる。


「ギャッホ」


 こちらを見て、吠える正生。


(マスクがなかったら、深刻な事態だった)


 あさまは静かに安堵した。


 よく見ると、背中が大きく膨らんでいた。おそらく鎧を脱がされた戦士も入れられている。ともかく白い獣を抑えられる人間がいる場所でマスクを解除しなければ危険だった。


「行きましょうか?」


 どちらにしても強い協力者が必要だ。


 あさまは球磨に連絡する。


「ゲッゲッゲ」


 絶壁を登ってきた正生があさまにアピールする。見なくてもマスクを外せと言いたいのはわかっている。もちろん、応じない。いくらか白い獣を人間的に制御できてるのは、あくまで子供を作れない状況とわかっているからだ。


「……」


 夜顔がタクトを構えていた。


 手は震えていたが、その目は真剣だ。


「ギャ?」


「心配しなくても、女を殺したりは」


「……」


 呪文を唱えた。


「ギー」


 と思った直後にはその魔法使いの服装も白い獣に脱がされ、着やせしていた身体を毛皮に放り込まれてしまう。一瞬の出来事だった。


 勇者が送り込んだ三人、壊滅。


「どうした? なにか問題でもあったか?」


 球磨との通話が繋がる。


「正生が問題」


 あさまは端的に答えるしかなかった。


 マスクでその場で犯すことはなくなったが、結果的には女をキープするようになっただけだ。そしてそれだけ後始末が面倒になる。


(お母さんに任せれば良かった)


「どういう意味だ?」


 流石に伝わらなかったようだ。


「島の外の人間が、なんらかの手段で入ってきて、正生を狙いましたが逆に白い獣の餌食になりそうです。なんとかしたいので、先生、身体貸してください。大人の女の出番ですよ」


 あさまは棒読みで答える。


「自分でやれ、と言ってはいけないのかな?」


 ヒロポンの向こうで怒っている。


「処女なので無理です」


 こうなると便利な方便だった。


「鬼がいるだろ、鬼が!?」


「準備が整ってません」


 普通に昼食しか食べていない。


「……わかった。行く。どこへだ?」


 球磨は諦めたようだった。


「センターに、正生と行きますので」


 そう言った、あさまの身体を、白い獣が掴んだ。毛の中には放り込まれなかったが、そのまま走り出すその目は、欲望に燃えていた。


 ヤる気である。


「ギャッホギャッホ!」


(最悪、あの三人を盾にしよう)


 あさまは遠くを見つめる。


 こうなればもう妥協せずいい初体験を迎えなければならない。最低限でも人間相手でなければ後悔することになるのは間違いない。白い獣と正生は区別して考えることだ。浮気でもなんでもなく、見境がないだけなのだから。

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