第144話 色姫

 下駄で地面を蹴る感触は心地いい。


 五十鈴家から軽く走って山を登る。木々の上を飛び跳ねながら振り返ると、土下座したトシテの背中が見える。やはり大きい。


 もう後片づけの人々が周辺に集まっている。


 今のところ巨人としての形は安定しているが、風雨でどうなるかはわからない。必要ならば手伝いぐらいはしないといけないだろう。原因だとは思いたくないが、関係者なのは間違いない。


 しかし、今日は休ませてくれ。


 テスト、あさま。


 予定はもう増やせない。


 本当のことを言えばあさまと過ごすより、ただもう眠りたいぐらいではある。性欲の鬼も鬼の性欲にそうとう削られてる。ただ、オレを誘ったときのあさまの期待に満ちた表情と、表出した性欲を見たら断れなかった。


 男としてあさまは抱いてない。


 母にまで手を出しておいて、ほったらかしにしておけるものでもなかった。色々とあったが、六月になる前に、そろそろ夫婦生活にも落ち着きが必要だ。話し合いを円滑に進めるためにも不公平感を残すのは禁物である。だれかが感情的になればまとまるものもまとまらない。


「はぁ……」


 溜め息が出る。


 性欲が見えて嬉しかったのは、完全にケダモノ思考だった。学園が見えてきたところで、オレは目に映る光景に愕然とする。何度も目を擦り、自然現象としての霧でないか周囲を確認した。


 なかなか白い。


 登校する生徒たちの中に、真っ白なもやというよりもはや綿飴が動いてるようなのがちらほらと見える。他人事のように言うことでもないが、性欲漲ってるヤツとか知りたくない限りだ。


「色狂いにもなるな、これは」


 現実がおかしく見える。


「そうじゃろう?」


「!」


 いつの間にか姫が横に立ってる。


 消えたんじゃなかったのか?


「たわけ、妾はとっくに死んでおる。そして今はそちの一部じゃ。常に共におると思え」


「勘弁してくれ」


「そちのまぐわい、見させてもらった」


 オレのつぶやきを無視して、勝手に喋る。


「つまらぬ腰振りじゃった。力任せで技巧もなにもない。あれでは早晩、女たちも飽きてしまう。見せられる妾も退屈じゃ」


「……」


 別に見せてるつもりないですから。


 負け惜しみ気味な思考。


「そこで、これからは妾が指導してやろうと思う。喜べ、そちの左手の呪いを乗っ取った。千の男と万の女を泣かせたこの色手しょくしゅ、性生活の充実に役立てよ」


「よ、余計な世話を!」


 オレの左手が勝手に卑猥に動き出した。


 この手の動きだけでセクハラになりかねない。


「遠慮するな。そちの本心は妾もよーくわかっておる。妾は色姫、色欲とは妾の名から取られたとかなんとか。そちがこの欲を満たすまで共に歩もうぞ。ほほほ」


 扇子で口元を押さえると、また消えた。


「色欲の話はウソだろ。おい」


 そして勝手に出てくるだけで答えやしない。


 この欲を満たすって、死んでも満たされてないし、千の男と万の女とか、オレが嫌だよ。死ぬよ。色手ってなんだよ。面白いと思ってんのか。


「ヤバい。ヤバすぎる」


 左手を封印しないといけないレベル。


 危険すぎるのでオレは遅刻ギリギリまで学園の外で待機し、テストだけ受けて、休み時間もトイレにこもって人との接触を避ける。


 呪いを解かねば。


「羽黒!」


 テスト終了と同時にオレは呪いの張本人の名前を大声で呼び、顔を貸すように促した。クラスメイトの注目を集めるが、近付くのも怖い。


 体育館裏に移動する。


「呪いを解いてくれ」


 一人でやってきたリリを前に単刀直入に言う。


「わかってる」


 予想はついてたようで、すぐに頷いた。


「あんたたちにはもうちょっかい出さないよ。だから、今回の件は許してくれない? あんたの能力も黙っとくから、いーでしょ?」


「……」


 オレは頷く。


 互いにもう関わりたくない、そういう空気だった。白い獣を見たらそう思うのがまともな女の反応だろう。それ以前にぶっかけとか、こっちとしても、緊急的なこととは言え、子供を犯したのを見られていて非常にバツが悪い。


 黙ってくれるのならそれで十分である。


「んじゃ、左手」


「ああ」


 オレは手首を押さえて、リリに差し出す。


「術者には発動しないから」


「そ、そうなのか」


 オレは手首を解放した。


「そーそー、そーに決まってるでしょ? 自分の呪いを自分で食らうとか間抜けすぎ」


「今じゃっ」


 色姫が頭の奥で叫んだ。


「!」


 押さえようとした時にはもう遅く、色手はするりとオレの右手を逃れ、近付いていたリリの胸をピンと弾いた。鋭い動きは制服とブラを切り裂いて的確に中の乳首を露出させる。


「なにやって、へひっ」


 抗議しようとしたリリの怒りは、摘まれた乳首を引っ張れたことによって腰砕けになる。指の中で硬さを増していくその感触。そして目の前に広がっていく白いもや。


「あン」


「今じゃ」


 なにが今だ、色ボケ姫!


「そち、なにを躊躇っておる。ええい。まどろっこしい。勃っておらぬではないか。そんなことでは色狂いにはなれんぞ」


 なりたくないんですけど!


 色手は返す手でオレの着物の裾を広げようとする。こんなところを見られたら完全に誤解されてしまうというか誤解でもないんだが左手がオレの能力持ってるからスゲェ機敏。


「全先くん! なにをしてるの!」


 そしてまた来やがった。


 確実にマークされてるんだろう。


「……」


 見られた!


「先生、違うよ」


 もう逃げるしかない。そう思ったとき、リリが振り返って教師に言う。破られた胸元を隠しながら、性欲をさらに出している。


「ちょっとジャレてただけ」


 庇ってくれるのか?


「そんな、でも、無理矢理されてるように」


「野暮だなー。体育館裏にわざわざ男女二人で会ってるところにさー? 吉備津先生って処女?」


「ま、紛らわしいことをしないの」


 図星だったらしく、教師の方がたじろぐ。


 いじめとか言ってたボケ教師である。子供の言葉にまともに動揺しすぎだ。しかしそれどころでもない。なぜいきなり乳首を摘まれた女がオレのフォローに回るんだ。


「侮るでない、たわけ」


 たわけはお前だから、たわけ過ぎだから。


「妾が、そちに好意を持たぬ女を選んで色手を動かすと思うか? 見込みのない相手に費やしている無駄な時間など万人斬りにはないぞ?」


 万人斬りってなんだ、だれの目標だ色ボケ。


「合意の上でも学園内ではやめなさい。わかりましたね。全先くん、あなたが自制心を持つの」


 ボケ教師も性欲出てきてた。


 まともなこと言って誤魔化してるだけ?


「……」


 頷きながら、オレは人間不信に陥りそうだった。見たくないものが見えすぎる。とんでもない能力だ。自分が狂ってるような気分になる。


「狂えー、狂えー」


 いやだからお前マジなんなんだよ。


「全先」


 教師が立ち去るのを見送って、リリが言う。


「あたし、そんな軽い女じゃねーから」


「ご、ごめん」


 勝手に動く左手の原因はお前だけど。


「ちゃんと、しろよ」


 そうつぶやいて、胸を押さえたまま立ち去っていく。ちゃんとしろってなに、と聞きたがったが、その背中は本気だった。


「まったく、ちょろい女じゃな」


 黙れ、この色ボケ。


 左手を自由にはしておけない。こうなれば一刻も早く五十鈴家に戻ってみひろに性欲の鬼を取り除いてもらうしかないだろう。


「なんじゃと、妾を捨てると申すか?」


 色姫はオレの思考に反応。


「拾った覚えもありませんし?」


 性欲を見る目も必要ない。


 色姫がセットではメリットが全部デメリットになってしまう。そりゃ帝だって悩むし、呪術で封印だってしてもらうだろう。ケダモノが可愛く見えるレベルでケダモノなんだから。


 色狂いは伊達じゃない。


「何百年も封印されてやっと得た自由じゃ、容易く捨てられると思うでないぞ。そちが拒もうとも色手は止められぬ。妾が居る限り、そちに安寧など与えぬぞ。心しておれ」


「……」


 あんまりな言い草に怒りで身体が震えてくる。


 自由じゃないから、オレの左手だから。


 学園を出ようとすると、かなり大勢の気配がオレを追ってきていた。テストも終わったから襲撃でもしようかと思ってるのかもしれないが、男も女も危険である。オレは下駄を脱いで、左手でつかんで駆け出す。


 色ボケ姫は姫だからむしろ男相手がメイン。


「そうでもないがの」


 お答え。


「そうでもないの?」


 そういや女の方が数が多かった?


「おなごの性欲を引き出し、欲放るで帝にぶつけるのが妾のやり方じゃからな。男の性欲に近付くと妾の力では抵抗できなかったのもあるが」


「それって」


「そちの身体は素晴らしいの」


 パワーアップしてんのコイツじゃん!?

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