第127話 本気か?

 部屋番号はわかっているのでベランダに先回りした。盗み聞きなんてあまり趣味の良いことではないが、聞かないという選択肢はない。ぶら下がっている洗濯物の中に男物が混じっているのは防犯というよりガチだろう。


 悪いのはレイジですよ、時任さん。


 目を瞑り、聴覚に集中。


「どうぞ」


「おじゃましまーす。うわー、広くていー部屋だねー。綺麗にしてるー。時任さんこんなとこ住んでたんだー、お金持ちだったの?」


 鍵の開く音の後、部屋に入ったらしいすみの声が聞こえる。軽やかな足取りで、気配は一気にベランダまで近づいてきて、オレは慌てた。


 室外機の影じゃ見つかるか。


「違うの。実はそのことも含めてなんだけど」


 時任さんはおっとりと喋っていた。


 写真の雰囲気通りの人のようである。


「相談だっけ? わたしでいーの?」


「うん。当照さんじゃなきゃ相談できない」


 どうやらそこまで親しい関係じゃないらしい。


 バスの運転とか幼稚園の仕事を手伝っているらしいすみと保育士の時任さんは同僚に近い関係だと思われるが、部屋で落ち着く前に本題に入る辺りに緊張が伺える。


「時任さんがいーなら、乗るよ、相談」


「ありがとう。コーヒーでいい?」


「ミルクと砂糖があれば」


「そっちのソファで待ってて」


 とりあえずベランダには出てこなさそうだ。


 オレは緊張をほぐすように小さく息を吐く。七階建ての七階、この島では比較的高い部類だろうと思われるマンションの一室で、二十七歳の保育士が一人暮らし、というのは確かに豪華かもしれない。


 海を臨むベランダの景色はかなりいい。


 マンションがあるのは、穂流戸市のベッドタウンになっているらしい菜原町。高台にきちんとした家が並んでいる。高級住宅街という雰囲気の場所だ。明らかにいい暮らしである。


「この部屋ね。貰っちゃったの」


 少し大きめの声で、時任さんが言った。


「貰った?」


「その、妊娠した、って言ったらね」


「! おめでとうっ! おめでとーっ!」


 すみがバタバタと立ち上がって、時任さんに駆け寄ったらしい。カップがカチャカチャと揺れる音がした辺り、驚かせる勢いのようだ。


「え、そんなに?」


「そんなにってことないよーっ。出産予定日はいつ? 男の子? 女の子? 名前は決めた?」


「ま、待って待って、落ち着いて」


 食いつきすぎなのは確かだ。


「うまくしたら、わたしの子と同級生かも」


「と、当照さん妊娠してるの?」


「たぶん、そーゆー感じだったから」


「……」


 くしゃみ出そう。


「そういう感じになるものなの?」


「ふつーじゃなかったんだよねー。あ、わたしの話はどーでもいーよ。時任さん、これから妊婦同士仲良くしようねっ!」


「う、うん」


 なんだこの会話。


「それで、話を戻すんだけど」


 時任さん、妻が大変なご苦労をかけます。


「その、今は妊娠三ヶ月なんだけど、病院に行ったのは半月前で、それを伝えたら、ここで暮らすといいって、くれて」


「ほえー。気前のいー人? あれ? 一緒に暮らしてる訳じゃないの? 結婚するまで?」


「その、実は、不倫で」


「のあーっ!」


 なにその感嘆。


 いや、驚くところか。


 オレは先にレイジとあって、要するに不倫相手だと知って時任さんの家まで来たからそうでもないが、保育士で真面目そうな外見から不倫で妊娠はショックではある。


 少なくとも大人としてはダメだもんなぁ。


「うん。当照さんは、そういうの嫌う人だと思うんだ。その、さっき言ったことは気にしなくていいから、仲良くしてくれなくても」


「ごめん。意外すぎてビックリして」


 すみの声のトーンが少し落ち着いた。


 二人は移動して、コーヒーを飲んだようだった。しばらく無言がつづく。重苦しい空気は現場を見なくても伝わってくる。


「どーしてそーなっちゃったの?」


 切り出したのはすみの方だった。


「彼は、二十一歳年上の人で、その、私はあまり恋愛経験とかなくて、リードしてくれる男の人ってはじめてだったから浮かれちゃって」


「頼れる人だったんだ」


 親身な相槌。


「そう。それで、最初のときに言われたの。ゴムとか着けなくてもオレには精子ないからって、それで、実際、一年近くなんともなかったら。彼も歳と言えば歳だから、そういうものなのかなって。油断して」


「他の相手、ってこと、ない?」


 少し躊躇った様子だが、すみは核心を突いた。


「ないないないないない」


 慌てたようすで時任さんが答える。


「信じてくれないかも知れないけど、そんなに器用じゃないから。他の相手なんて。それに、妊娠したって言ったら、彼は凄く喜んでて」


「不倫なのに?」


「うん。なんか、やっと奥さんと別れられる、って。これってどういう意味かな? 私は、確かに別れて結婚して欲しいってお願いはしたんだけど、すんなりどころか、マンションまで貰っちゃって、なんか逆に不安になってきて」


「うーん」


 すみは悩んでいる。


「……」


 確かに即答できるような相談ではない。


 実際、レイジの考えてることなどわかりっこないのである。オレは呪われてその奥さんを犯させられるという状態だから夫婦関係がとっくに破綻してたんだろうとは考えられるが。


「とりあえず、貰えるものは貰っとこー」


 そして、すみの出した結論はシンプルだった。


「本気で喜んでるか、なにかの裏返しかはわからないけど、時任さんはどーんと構えてればいーんだよ。おなかの子が間違いなくその彼の子なら、養育費の前払いとでも思っとけば、不安に感じる必要なんてなしっ! 男の責任だもん」


「それはそうかもしれないけど」


 時任さんは明らかに戸惑った声を出した。


「その、彼の家、島では有名な呪術の家で、五十鈴家、って言えば当照さんもわかると思うんだけど。彼もだけど、奥さんも呪術を使うから」


「あー、それでわたしに」


 すみの声が大きくなった。


「あさまちゃんの家だね。なるほど、そっか。わかったよ。言っとく。奥さんが怒って赤ちゃんが大変なことにならないよーに、ってことね!」


「ごめんなさい。利用するような」


「気にしないで! 赤ちゃん大事が第一だよ!」


「……」


 気がいいというか子供好き過ぎるというか。


 ともかく、レイジを引っ張り出すために時任さんを利用する気はなくなる話だった。オレの罪悪感はもちろんだが、すみの怒りを買うこと間違いなしである。


「今は大変な時期なのに本当にごめんなさい」


「大変な時期?」


「当照さんの夫になる全先くん? 不起訴になって帰ってきたばかりでしょう?」


「帰ってきてないんだな、これが……」


 二人は少し緊張を解いて会話をつづけていた。


「帰ってきてない?」


「クッキーちゃんは言葉を濁してたけど、なんか面倒なことになってるみたい。しばらく帰ってこないかも知れないって」


「そう、なの」


「そりゃー八つも年下の、十六歳の男の子だからねー? 落ち着けって言っても落ち着く訳ないから、しょーがないよねー」


「心配じゃない? 私は、その、いつ彼が来てくれなくなっちゃうか、ずっと心配だったりするんだけど、一夫多妻なんてもっと」


「心配は心配だけど、心配してても仕方ないから色々考えてるんだー。時任さんもどう? これとか、これ、これも凄くない?」


「えー? 考えてるって、えー?」


 二人の声の雰囲気が変わった。


 なんだ? なにかを見てるのか?


「こんなの、いいの?」


「いーんじゃない? わたしだけだぞ、こんなことしてあげるのは! って感じで。年上の女の凄いところを見せちゃおーって」


「私は年下なんだけど」


「それは世代が違うから凄いぞ、ってことでー」


 なんか寒気がしてきた。


 オレはそそくさとベランダを後にする。あんまりすみを放置しておくととんでもないことになりそうである。早い内に会いに行きたい。それ以前に会えるかどうかわからない状況だが。


「や? 元気かい?」


 屋上に戻ると、レイジが立っていた。


 だが、気配はない。


「偽物に用はねぇから、出てこい」


 オレは言う。


「殺気立ってるねぇ? いや、殺気勃つ?」


「……」


 なにを言ってるかはわかるが、同レベルだと思われるのは腹立たしいのでスルーする。あさまの父親じゃなきゃ、本気で無視したいところだ。


「時任さんを呪わせないためか?」


 二人の会話を聞いての推論を口にする。


「察しがいい。人間ってのは案外、同時に複数の人間に対して憎しみを燃やせないもんだからねぇ? 離婚を切り出してアイツが真っ先に呪うのは東子だと思ったから、真っ先に呪われるのは全先君の役目だろうってことで」


「!」


 カチンとくる。


「まず名前いじりは止めろ。次言ったら、時任さんを犯す。本気で、本気を出す。たぶんオレの能力でヤったら、お前の子供を排除してオレの子供を産ませることになる」


「おぉ、言うねぇ」


 気配のないレイジは少し驚いた目をした。


「だが、根がヒーロー気質なのが隠せてない。オレが君の立場なら、そう宣言する前にヤるねぇ? 相手にショックを与えるなら前置きを抜きにすべきだ。怒っているなら尚更」


「……」


 口の減らないヤツ。


「しかし、だからこそ、君を選んで正解だった」


「は?」


「東子には、犯されたら相手を呪殺する呪いをかけてある。口説ければ成立しないという意味では、大したことない術なんだが」


「この野郎」


 抜け目ないな。


「君のヒーロー精神に敬意を表して教えてるんだぜ? 東子には手を出さないことだってなぁ? 他の呪いもあるかもしれない。攻撃はそこまででもないが、呪術の守備は硬いんだぜ? そしてオレも子供の顔を見るまで死ぬつもりはない」


「勝手なことを」


「おいおい。大事な一人娘を貰おうってんだから、ひとつぐらい頼みを聞いてくれよ」


「は? 頼み?」


 どんだけ厚かましい野郎なんだ。


「みひろ、も、貰ってくれ」


 偽物のレイジは、さらりと言った。


 屋上に海風が吹き抜ける。


「な!?」


 一分ぐらい考え込んでから、オレは反応した。


 コイツ、本気か?

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