第119話 おかずの解放

「間々崎咲子についてだ」


 イッサは意外な名前を口にした。


「知ら……」


「知らないとは言わせない。チームメイトが取材を受けている。逮捕されている間に大暴れした女のことを聞いているはずだ」


 オレの言葉を遮って断言する。


「知ら、ないですよ、ほとんど」


 無関係を装いたかったが、マスコミを利用した時点で繋がりの証拠はオープンであった。当人だとは思われなくとも、関係者の疑いは残ってしまっているのだ。


「逃げたんでしょ? だったら文句は機関に」


 オレは少しずつ距離をとって吐き気を抑えながら言う。時間経過と共に呪いが強くなるのか、全身が重たくて怠い。披露のせいもあるか。


「その女の身柄には興味がない」


「はい?」


 どういうことだ。


 責任というのは、知人であったにも関わらず、乙姫を誘拐するような人物であることを見抜けなかった天才クッキーのチームメイトとしてという意味ではないのだろうか。


「正確に言えば身柄は欲しいが、機関が捕まえられないものを頼むほど我々は無理な要求をするつもりはないということだ」


「……」


 オレは背筋に寒気を覚えた。


 身柄は欲しいのかよ。


「竜宮城を巡る事件の裏で、この島の男たちにとって深刻な事件がもうひとつ起こっていた」


「もうひとつの事件?」


 オレは素直に聞くことに徹する。


 ともかくさっさと終わらせてくれ。


「とあるチームによる、島外への脱走が摘発された。この事件が発覚したのは、竜宮城へ間々崎咲子が現れ、議長の息子、関迅七郎にその手段を教えたことがきっかけだと判明している」


「それが?」


 オレは少し嬉しい気持ちになった。


 早漏共が摘発されたと言うのである。なんとも気分がスッとする話題ではないか。喉元まで出掛かるゲロも胃に帰ってくれるというものだ。


 今夜は祝杯だ。


「確かに、脱走は島の秩序だけでなく、世界の秩序も乱す許されざる行為だ。能力を持つものと持たないものが普通に共生することができる時代ではまだない。ヒーローとそれに守られる人々、という奉仕と被奉仕の関係があって能力は持たない人にもその存在を許されるのは厳然たる事実だ」


「……」


 演説好きが多いな、この島は。


「だが、それでも、彼らは我々にとってのヒーローだった。どうしてだかわかるか?」


 イッサはオレに問いかけたが、反応する前に勝手につづける。完全に自分に酔ったスタイルである。この男が代表な時点でダメっぽい。


「脱走した彼らは、島に豊富で新鮮なおかずを持ってきたからだ! あらゆる性的嗜好、あらゆる要望に偏見を持たず、ツボを押さえたそれらを彼らは島へ向かう船へ詰め込み、確実に届けた! 彼らの行く道こそ、男たちの夢と希望のおかずロード! 彼らの脱走はいわば巡礼!」


「は?」


 なに言ってんだ。


「あ、バカにしたな、今」


 イッサの口調が荒くなった。


「バカにしたというか、バカだろ」


 オレは言った。


「そうだとも、バカだとも!」


 胸を張って、中年男が叫ぶ。


「だが、それを言って許されるのは持たざるものだけだ! 持っているものが我々をバカにするとき、それは差別という名の鋭利な刃となるのだからな! この差別主義者め!」


「意味がよくわからないんだけど?」


 言い回しなんとかしてくれ。


 小林一茶なら簡潔に。


「妻帯者だってことだ!」


 イッサはオレを指さした。


「島に来て一ヶ月もしない間にどれだけの男を傷つけたか想像したことがあるのか!? 呪われても良いから付き合いたいとラブレターが殺到していた五十鈴あさま、潰されても良いから個人授業して欲しいとマゾ羨望の球磨伊佐美、保育園の男児初恋率ナンバーワン当照すみ、あんな美人秘書がいたら道を踏み外す桜母院ルビア、注目は集めながらも高嶺の花で手が出せなかった女性たちを次々と妻にして、何様なんだ!」


「一理あるね」


 頷いた。


 オレって何様だろう。


 ナチュラルにクッキーをスルーしたのは紳士だからなのかどうなのか、追求はしない。目の前の白髪交じりの四十代男が本物のロリコンだったら洒落にもならないからだ。


「その余裕の態度が差別主義者だというのだ!」


「反省しても怒るでしょ?」


 キレるイッサにオレは言う。


「当たり前だ! 恵まれた境遇でなにを」


「どっちが差別主義者だよ」


 要するに妻帯者が気に入らないだけだ。


「わかった。ごめんごめん」


 オレは言う。


「でもま、責任は取らないよ。そんなもん、ネットでなんとかすればいいじゃん。新鮮かどうかはともかく、豊富にあんじゃん」


「なにも知らないんだな」


 イッサはヒロポンを取り出した。


「では、おかずワードを検索してみろ!」


「おかずワード?」


「そうだ! 男がそれを欲したときに、一番に頭に浮かぶ外せない要素! おかずワードだ!」


「……」


 常識みたいに言われても知らないよ。


「プレイメイト」


「渋いな」


「検索結果、0件」


 ヒロポンのインターネットブラウザアプリの検索ではなにも出てこなかった。フィルタリングでもされてるってことなんだろうか。


「なにをどこでどうやっても出てこないぞ」


 イッサは言う。


「どういうこと?」


「ヒロポンをはじめ、機関が島内で流通させているインターネットに接続できる機器には、使用者に性的興奮を与える情報をシャットアウトする能力がかけられている」


「なんで?」


 訳がわからん。


「子供を作らせるためだ」


 だが、イッサの一言でオレも納得できた。


 一億人のヒーローを生み出すためか。


「犯罪が増えるんじゃないの?」


「なにを言っているんだ。ここはヒーローを養成する島だぞ? そんな人間がいると思うか?」


「……」


 オレは目線を逸らした。


 ごめんなさい。


 ここにケダモノがいます。


「自分で行動を起こしてなんとかするしかない、その結論は月倫のみんなもわかっている。だが、現実問題、島の男女比がほぼ五対五である以上、一夫多妻が認められる制度の中では、あぶれる男が確実に出る。私のように」


「そうですね」


 話の筋は飲み込めてきた。


 イッサがあぶれた理由は別にあると思うが、一夫多妻に突入する男に責任はあるだろう。一妻多夫が原理的に難しい点から言っても。


「で、オレにそれをどうしろと?」


「機関にかけあって、おかずの解放をしてもらえないだろうか? 巫女田とも縁があるようだし、一位の立場もある。我々のためにそうしてくれるのならば、同志として認めてやらんこともない」


「……」


 どう答えたものか。


 別に同志になりたくない。とは言え、間々崎咲子としての行動がこの男たちを追い込み、このような恥知らずな要求を突きつけさせたのだとすれば、あまり気分のいいものではない。


 理不尽な怒りが妻たちに向いても困る。


「話はするよ。解放してもらえるかは、なんとも言えないけど、そんな自由もないのはどうかとも思うし、話し合えば折り合えるんじゃない?」


 オレは言った。


「恩に着る!」


 びゅん、と距離を積めて、イッサがオレの手を握った。落ち着き駆けていた吐き気がぐっとこみ上げてきて、引き受けたことを後悔した。


「いずれはやらなければいけなかったことなのだ。我々は摘発された同志の名誉回復のために行動する。連絡を取り合おう」


「! ! !」


 オレは頷くしかなかった。


 そしてイッサが去ると同時に、取り囲んでいた気配も去っていく。オレはぐったりと四つん這いになりながら、辛うじて吐かずに堪えた。


 面倒ばかり増える。


「兄さん、無事やったか?」


 とん、と目の前に小さな足が現れる。


「あ、ああ」


 クッキーが来てくれた。


 オレの助けを求める電話に、かけつけてくれたのだ。出来た妻すぎる。ふわりと手を引く、柔らかな感触に感動すら覚えていた。


「なんの話やったん?」


 白衣をなびかせ、宙に浮かぶクッキー。


「さ、差別について」


 立ち上がったオレは風を感じる。


 ああ、女の子の匂いは甘美だ。


 意識したくもない呪いの中での男の臭いとは比べものにもならない。甘ったるいシロップを垂らされて脳髄がとろけてしまうかのようだ。


「なんや難しい話してたんやな?」


「観念的な話が好きなんだよ。男ってのは」


 むずっ。


「兄さん?」


「ん?」


 しかし呪いは早く解いてもらわないと。


「こないな場所で、ウチ困るわ」


「あ」


 オレの左手がクッキーの尻を掴んでいた。


 白衣の上から背負っているなにかの装置で宙に浮かぶ少女の腰は程良く目の前にあって、ショートパンツに収まる小さなおしりを片手で包み込むにはジャストの距離だった。


「ええんよ。もちろん。ウチは兄さんのものやから。せやけど、真っ昼間の体育館屋上はアカンわ、今は我慢できひん?」


「ご、ごめん」


 オレは自分の左腕を掴んで引っ込める。


「ええんやって。むしろ嬉しいわ」


 クッキーは赤面しながらオレの耳元に囁く。


「ホンマ、伊佐美と一晩過ごしたらもうウチに興味なくなるかと心配やってん。今晩、兄さんの部屋に行ってええ? 一緒に寝よ?」


「う、うん」


 なんか喜ばれてしまった。


 ラッキー?


「もーっ! 兄さんのスケベさは底なしやな!」


 嬉しそうにバンバンとオレの肩を叩いて、クッキーはくるりと屋上に着地する。そして微妙に視線をずらして変な笑いを浮かべた。


「?」


 その見ている先へ振り返ると。


「……」


 伊佐美がじっとこちらを睨んでいた。


「え? あ、その」


「いじめられたと聞いていたが?」


 深く息を吐いて、伊佐美が言う。


「いじめ?」


「なにもないならいい。仕事に戻る」


 ふい、と屋上から飛び降りる。


「あ、ちょ……」


 リリたちのことか。


「そら面白くはないやろうけど、浮気とはちゃうんやから気にせんでええんよ。兄さん。それをわかって一夫多妻なんやから。ウチらかて、やっと出てきた兄さんと昨日会えへんかったんやから」


「うん」


 それはその通りなのだ、が。

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