第115話 聖人君子

 肉じゃがは焦げついた。


「……あのさ、伊佐美ってなんでこんな小さいアパートで慎ましい生活してんの? もっといい部屋に住めるでしょ、普通に」


 オレは少ししょっぱい白滝でごはんをかき込みながら尋ねる。最低限の料理しかできないと言っていたが、基本はちゃんとおいしい。


「一人暮らしには不自由ないが?」


 ちゃぶ台を挟んで向かい合う伊佐美は意外と上品に酢の物を口に運んでいる。案外、育ちがいいのかもしれない。元ヒーローなのだから相当に稼いだはずである。それでも生活は派手にしないといちゃんとした金持ちなのか。


「あー、貯金する派?」


 オレは沢庵をボリボリと噛む。


「将来不安があるの?」


 夫婦生活を営むに当たって、家計の話は避けて通れない。妻たちそれぞれの金遣いはどこかで把握しておかないとな、と思いながら尋ねる。


「貯金は、あんまりないな」


 伊佐美は味噌汁を口元に運ぶ。


「あんまりない? え?」


 ヒーローの収入って一千億からじゃないの?


「いや、全然ない訳じゃないぞ? 五千万ぐらいは残ってるはずだ。教師を定年退職した場合の退職金と合わせれば老後ぐらいはと思っていたんだ。力が戻ってカクリ様から仕事を頼まれてるので事情は多少変わるかも知れないが」


「五千万? だけ?」


 日本の社会人二十代の貯金額としては相当なものだが、現役三年で稼いだだろう額から言うととんでもなく少ない。なんか騙されてるんじゃないかと心配になる。


「い、いや、そんなことはないぞ? 確か頼まれて金とか銀とかプラチナとかで一億ぐらい、あと、紛争地帯に近い地域に九州ぐらいの広さの土地を買ったはずだ。今は二束三文だが、平和になれば価値があがるとかなんとか」


「騙されてない?」


 どうも胡散臭い話になってきた。


「ヒーローとして稼いだお金はなにに使ったの? それたぶん全部合わせても数億とか数十億でしょ? まさかそんな調子で投資?」


「ああ、それはほとんど寄付したんだ」


 伊佐美は大きく頷いた。


 やっと意味がわかったという雰囲気だ。


「寄付?」


「ヒーローとして赴任した国が貧しくてな、やっぱり上下水道と電気は生活するのに欲しいからインフラ整備をしてもらったんだ。便利な生活に慣れすぎてダメだな。川で身体を洗えと言われて、ヒルが出るし、トイレも穴を掘ってとか耐えられなくてな」


「ちょ、ちょちょ、寄付って国規模?」


 デカい。


「自分だけ風呂に入るのは嫌味だろ? 発電所と水道施設を建てるにあたって、日本から技術者を呼んで、技術教育なんかもしてもらってな。あと学校なんかも建てたな。まず教える教師を育てるのに金がかかるらしいんだ。教師になろうと思ったのはその辺りでなんだが……」


「……」


 聖人君子か!?


 どこの国か知らないが、ガチの英雄である。ヒーローってそうじゃないとダメなのか。そんなの何千億稼いでも終わらない話である。


 自分のために使っちゃダメでしょうか?


「……あー」


 不意に伊佐美が喋るのを止めた。


「え? どうしたの?」


 驚きすぎてリアクションが冷たかったか?


「正生を不快にさせるかもしれないんだが、黙っているのも落ち着かないから言っていいか? その、これは隠さない方がいいと思って」


 箸をおいて、伊佐美は正座する。


「い、いいけど?」


 頷くしかない。


 向かい合う妻が善人すぎてオレは既にちょっと不快だったりする。個人的動機でヒーロー目指してるオレって相当に悪人なのではないか?


 罪悪感があるんだけど。


「その国には数多くの部族が暮らしていて、五年に一度、各部族が最も強い男を出して、戦いで国のリーダーを決めるという政治システムだったんだが、赴任中にそのリーダーが交代する時期でな? 実は……」


 伊佐美は言いにくそうに喋る。


「うん」


 なんの話だ?


「新しいリーダーの妻になるように言われたんだ。それが能力が落ちた時期と重なっていて、かなり精神的にも底で、引退するなら国の母になってくれとかすごく説得されて。断りきれなかったんだ」


「え? じゃ、結婚したの? 離婚歴あり?」


 確かにそれは衝撃の事実だ。


 そう言われると、おっぱいを揉んだだけで結婚することになった理由と繋がってくるような気がする。焦っていたと言うことだろうか。


 オレ、騙されたことになるのか?


「い、いや、結局、新しいリーダーとセックスをしたらその人を潰してしまって、は、初体験だったのになんかバケモノみたいな扱いで女としてこう、絶望的な気分に。でも正生は大丈夫だったから、そうじゃないんだと」


「いや、伊佐美のセックスはヤバい」


 オレは正直に言った。


「!」


 目の前の妻の顔が泣きそうになる。


「経験豊富だからああいうやり方をするのかと思ったけど、逆だと言われればある意味、納得?」


 少し安心して、オレは食事を再開する。


「ま、満足できなかったか?」


「そうじゃなくて、満足させられ過ぎる?」


「ど、どういう意味だ?」


 伊佐美はちゃぶ台に身を乗り出してきた。


「生気を根こそぎ持って行かれる感じかな。途中で肉じゃがが焦げて火を止めてから、びーふーみー、ま、非常識なんじゃないかな、回数」


 オレも七日分溜まってたから対応できたというだけで、メシを食ったらすぐ寝たいぐらいには疲れ切っている。下半身が重たいし、目の前の妻が下着姿でも興味ないレベル。


 しかし、対する伊佐美の方は汗だくになりながらも「すこし休憩にしよう」ぐらいのテンションだった。ヒーローって夜も凄いんだなと思ったぐらいで、今は別に嫌じゃないが、これが永続的につづくのは辛くなるかもしれない。


 認識の差は早めに埋めないと。


「回数。そうなのか」


 伊佐美が指を折って数えている。


 オレのカウントより明らかに多い。ちょっとどういうことなのかわからなくて怖い感じがする。予定に対しての残り回数とかじゃなよな。


 両手を広げて閉じて、広げたぞ?


「うん。伊佐美の体力が常人離れしてるってことだから、別に女として絶望とかじゃないよ。加減だね、加減。それは話し合って決めよう」


 夫として妻を満足させたい気持ちはある。


 それこそ昔の話はともかく、これから浮気されたらオレは立ち直れない。浮気をしたくせにされたくないというワガママを通すための努力は惜しまないつもりだ。


「正生、でも、こっちが気持ち良くなった回数の半分も気持ちよくなってないんじゃないか? それでは物足りなくないか?」


「……」


 性人君子だ、この人。


 こればかりは男女平等ではないのだということを理解して貰うのに朝までかかった。そしてリンゴとバナナで朝食を済ませて学園へ向かう。


「今日からテストなのに熱中してしまって」


 ツヤツヤの肌で横を歩く伊佐美が言う。


「うん。いいから」


 オレはそう答えるしかなかった。


 歩く脚がもつれる。


「大丈夫か? 先に行くぞ?」


「仕事なんだから、それ優先でいいよ」


 まったく良くないがもうどうしようもない。


 それこそ伊佐美のアパートが学園町にあるので、テストが終わったらもうすぐ眠らせて貰おう。テスト勉強はバッチリなのだ。


 集中力を欠いても、赤点までは落ちまい。


「マッサキ! ヒサビサッ!」


「!」


 しばらく一人で歩いて、学園の壁が見えてきた辺りで、背後から近づいてきた気配に距離をとる。思いっきり。


 まるで攻撃でも回避するみたいに。


「え、っと、どうした?」


 たぶん背中でも叩こうとしていた手を空振りさせられて、クラスメイトは少し悲しそうな顔をしている。なんか申し訳ない限りだが。


「野比、久々? 元気してたか?」


 呪いがあるので、男に近寄れないのだ。


 しかし、それを表向きに口にすると、ランキングを狙う連中が押し寄せてくるので、なんとか誤魔化すしかない。男に囲まれた挙げ句に調子が悪くなるとか考えたくもない。


「そこそこ、悪くはねーよ?」


 野比は一歩近寄ってくる。


「オレも。知ってるとは思うけど」


 気持ち悪いので一歩後退。


「あ、あー、驚いたよ。色々とそりゃよ」


「でも、本人が一番驚いてるんだぜ? 色々」


「へー? 詳しい話を聞かせてくれよ」


「お、落ち着いたらな。しばらくは無理だ」


 あさまは修行中で本日登校しない。


「じゃ、またな!」


 オレは逃げ出した。


 呪いが解けたら謝ろう。

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