第107話 呪いみたいな性格

 センター正面から見える月暈島を形成した火山、四隣山しりんさんの麓に地熱発電所と併設される形で研究所は存在するらしい。


 ただ、研究所というのは便宜的な呼び名だ。


 正式にはオリンポス邸。


 かつてこの島に暮らした宇宙人科学者の個人宅を、その死後、そこで用いられた技術ごと機関が接収して使っている。秘密というほど秘密でもないが、オープンな施設というものでもない。


 もちろん関係者以外立ち入り禁止だ。


 センターからの直線距離は大したことないのだが、外に結界を張っている関係上、侵入には手引きがいるとのことである。


 事件解決を受けて、平穏を取り戻した島の朝、普通に生活をする人々に見咎められないよう注意しながら移動する。気配をきちんと読めばほぼ間違いないはずだ。


「久しぶり」


 研究所の手前、麓の森の中、地図上にマークされた地点にたどりつくと、なんだかもう懐かしい感じさえする矢野白羽が立っていた。


 白いセーラー服と白い肌、癖っ毛。


 あさまがオレを倒すために放った矢。パンツを洗った辺りからオレの人生が狂いはじめたような気がするのは八つ当たりだろうか。


「久しぶりってほどでも」


 あさまの代理が来るとは聞いていたが。


「女の姿でははじめまして?」


 矢野は頷いた。


「あのさ、鬼の姿になってくれない? なんかこう落ち着かないって言うか、嫌なんだよね」


 その魔性の女の外見は見たくない。


「島を動くには便利だから」


 くす、と笑って、矢野はオレの手を引く。


「こっち」


「……」


 結界を通るには協力が必要だった。


 今のオレならもしかすると殴って壊すという岩倉先輩との戦いの再現ができるかもしれないが、それをやると目立ちすぎるので仕方がない。


「あさまの身体はどうだった?」


 森の中を歩きながら矢野は言う。


「なに?」


「見てたから」


「よ、良かったですよ? 女同士でも」


 なにを告げ口されるかわからないので、正直に答えるしかない。むしろ男の身体でなかったことで気持ちよさの意味ではもどかしかったところもある。マタが上手すぎるのだが。


「大事に、してね」


「そりゃ言われるまでも……」


「本当に」


 先を歩いていた矢野が、立ち止まって振り返る。その目は少し涙ぐんでいた。嬉しいのか悲しいのか判断に困る。オレが相手の立場なら、むしろ別れろと迫る場面のような気がするのだ。


「オレ……でいいのか?」


 正直、そう聞きたくはなる。


「あさまは、オレから見ても不安定に見える。気の迷いってことはないと思いたいけど、一夫多妻の変な環境で正常な判断ができてないんじゃないかと、心配になる」


 オレが言う立場でもないが、言わない訳にはいかなかった。前々から、どこかであさまは他の妻とは少し違うと感じていたのだ。


 すみや伊佐美やルビアはなんだかんだ言って、オレを振り回す年上の余裕を感じるし、クッキーとマタは年齢とは関係なく精神的に成熟している。比べるとあさまは最も幼い。


 迷いながら結婚を選んでいる感じがする。


 オレに近いのだ。たぶん。


「あきら様が亡くなってから、あさまがあんなに幸せな気持ちになったのははじめてだから」


「あきら」


 兄のことか。


「もちろん努力するけど、幸せな気持ちは」


「永遠にはつづかない」


 矢野は頷いてまた歩き出した。


「たぶん、他の奥さんたちに対して愛情を注ぐ姿を見ただけでも、簡単に壊れてしまう。それでもあさまの時間は動きはじめた。それを動かしたのは正生だから」


「……」


 矢野の言葉は重たかった。


 背負えると単純には言えないことが色々とあるのだろうとはわかる。たった一人で、ヒーローになろうと呪いをかけつづけた。すり減っている。あさまを支えるはずのなにかが、不安定に見えるほどにやせ細っているのだろう。


「だから、これからは毎日、抱いてあげて」


「だっ!?」


 しんみりしかけたのに一言でぶち壊された。


「なんでそうなる?」


「気持ちの余裕」


 木漏れ日の中を進みながら矢野は言う。


「あさまに必要なのは実感だから。言葉とか優しさじゃ満たされないの。時間も場所も選ばなくていい。むしろ無理矢理な方がいい。無理を要求されて、それに応えられることで必要とされていることを実感できる女なの」


「メチャクチャ。それただの依存だろ?」


 魔性の女が全開である。


「あさまに自立心とかないから!」


 矢野は力強く言った。


「断言すんな!」


 別な意味で重いだろそれ。


「あ、今、面倒な女だと思った? それ正解だから! あさまはすっごい面倒だから! ぶっちゃけ普通の男じゃ耐えられないから! あきら様もよく愚痴ってたから! 妹がしつこいって」


 矢野はキャラ崩壊な勢いで喋りだした。


「……」


 絶句するしかない。


 それは言っちゃいけないヤツだろ。


 あさまは兄の仇討ちで頑張ってたのに、その兄がしつこいと思ってたとか、一時的な気の迷い、そりゃ兄妹関係ではあるだろうことでも、もう今更になって言うべきじゃないだろ。


「あさまはあきら様の術者としての才能にあこがれてたみたいだけど、呪いみたいな性格という意味ではあさまの才能の方が怖いから! 兄を寝取られたと思ってるんだからね! 寝取るもなにも実の兄妹だから!」


 鬼は積年の思いをぶちまけだした。


「いや、そのくらいにしとこう?」


 妻の性格が呪いみたいとか聞きたくない。


「聞いて!」


 だが矢野は止まらなかった。


 振り返ってオレに詰め寄ってくる。


「今は呪いで近づけないから我慢してる! でも解呪を学んだら、もう止まらないから! ストーカーだと思って! 妻だけどストーカーになるから! 正生がいつどこでなにをしようとも見張っるよ! 鬼が見張りをするんだけどね! そうやって島でも呪いを広げてきたから! わかる? だから抱いて! どんどん抱いて! 肉体的には普通だから、疲れれば疲れるから!」


「わ、わかった! わかったから!」


 オレは頷いた。


「抱く、抱く抱く、唯々諾々と抱くから」


「うん。お願い」


 矢野はふっと力を抜いた。


「実家に戻ってからのあさまが鬼気迫るんで、女鬼全体がこれからの仕事に怯えて。これだけは伝えてくれって、言われたから」


「鬼の総意なんだ」


 どんだけ呪いみたいな性格なんだ。


 鬼たちがこれからオレを追う仕事をさせられることをかなり嫌がっているのはわかったし、オレも正直言ってそんな風に見張られたくはない。


「ここ」


 疲れる会話の間に研究所にたどり着いた。


 戦う前に困憊してしまう。


 邸宅、と言うには高い壁が内部を覆い隠している。矢野はオレの手を握って、その外側に張られた結界に触れる。決闘の時にはぶつかってもびくともしなかった見えない壁にするっと入る。


「終わったら迎えに行くって言っといて」


 オレは言った。


「終わったら迎えに行って抱く」


「それでいいよ、もう」


 結界を越えたところで、矢野は去った。


 戦うのは間々崎咲子だけ。


 バレても夕方には消えてなくなる女だからこそ、この強行突破的な作戦が実行できる。機関が保護する乙姫を奪って甲賀古士を誘き出す。


 壁を乗り越え、庭に降りる。


「……」


 そこには窓一つない四角い建物だけがあった。外からはなにも見えない。事前に渡された図面通りではあるが、実物には冷たさがある。


 入り口は。


「やはり、現れたね。間々崎咲子」


 建物の上からぬっと姿を現した男が言った。


「迅七郎、さん」


 義兄である。


 だが、その気配に救助された船上での落ち着きのようなものはない。完全なる敵意。オレと戦うつもりで現れたことは明らかだった。


「調べなくてもわかってはいた」


 義兄が庭に降り立つ。


「島に、間々崎咲子なんて名前の人間がいないことはね。だが、あの状況なら偽名を使ったことは考えられる。だから、役場のデータベースに一致する顔写真がないかまで確かめた」


「いなかったでしょう?」


 オレは身構えた。


 ルビアに聞いている。


 チーム異母兄弟姉妹の長兄にして司令塔、関迅七郎の能力は倒さない限りこの作戦を失敗に追い込むことになる強力なものだ。


「なるほど、問答無用か」


「そのつもりで来てますから」


 言って、踏み込んだ。

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