第64話 夢を見せる能力
警察は機関から出向する捜査官が行い、特に逮捕などで危険が想定されれば待機状態のヒーローが持ち回りで担当するらしい。
月暈島の性質上、犯罪は極めて少なく、専ら戦闘中に生じた事故などの検証が主な仕事であるらしいが、捜査の結果として犯罪事実が疑われれば、被告の出身国の検察官が呼ばれ、裁判となるそうである。弁護人は自由に選べて、裁判官は第三国の人物が選出されるそうである。
とは言え、機関が確保しているいくつかの能力で現実的な意味での大方の被害の救済はできてしまうので、この制度が利用されるのは殺人などの取り返しのつかない犯罪に限られるそうだ。
具体例にはないが強姦は含まれるだろう。
「……」
クッキーにステイを言い渡されてから、オレはヒロポンで刑務所等について調べてみた訳だが、気持ちは落ち着かなかった。まだ逮捕もされてないが、刑を待つ気分ではある。
許される訳がない。
どう考えたってそうだ。
だからと言って自分の手でくのいちを捕まえても事態が好転する訳ではなく、むしろ悪化するに違いないのでほかにできることもない。妻たちが捕まえても同じことだろうとも思う。
女同士以前に、オレに肩入れしているのだ。
「ヒーローを目指して、レイプとか……」
自分自身に呆れるしかない。
潜在能力を解放したら潜在欲求までとか言い訳にもならない。大体、セックスしたいじゃなくて子供を産ませたいってなんなんだ。
「本当にただの犯罪者だもんねー? テロリストなら思想信条を語れるけど、女を襲うことを正当化する思想信条なんて野蛮なだけー」
「ええ、まったくその通りで……うぇっ!?」
ヒロポンの画面を横からのぞき込んできたのは当照さんだった。無意識に能力を閉じていたのか、一切の気配も感じてなかった。
「や。正生くん」
平然とした表情でオレを見ている。
「あ、あ、ああああああ……」
オレは布団から立ち上がり、開いていた襖を抜けて、廊下まで出て土下座した。もう同じ部屋で呼吸することすら許される気がしない。
「……あああああっ」
そして謝罪の言葉も適切なものがなかった。
「あれあれー? 童貞じゃなくなった正生くんは土下座なんかしないんじゃなかったー?」
「失言でした。撤回して謝罪します」
床を見つめながら、オレは言う。
「怒ってないよ。わたしは」
当照さんが正面に座ったのがわかった、廊下と部屋の敷居を挟んで、正座した膝が見えて、オレはさらに額を床に擦り付ける。
「怒ってない訳、ないです」
オレは言った。
「もし今、怒ってないとしても、それは混乱しているか、考えがまとまってないだけです。それくらいオレは酷いことをして」
「正直に言うとねー。チャンスだと思ったんだ」
当照さんはオレの頭に手を置く。
それは拳ではなく、広げた掌で、オレの髪の毛をくしゃくしゃと撫でながら、穏やかな口調で語りかけてくる。
「わたしにもヒーローっぽいことができるーって、目指してた気持ちが蘇ったと言うか、正生くんの弱点がわたしというのを聞かされたのは、今日この日のためだった! みたいなー? わかる?」
「すみません」
全然、わからない。
「だよねー? でも、わたし、運命を感じたの」
当照さんは両手でオレの髪をさらにぐしゃぐしゃにしながら声を上擦らせる。さすがによくわからないので顔を上げると、笑顔を押し殺すような顔で、オレのことを見ていた。
「好きだよ。正生くん」
「!」
なにを言われたのかわからなかった。
「おっかしーよね。なに言ってるんだろわたし。でもなんか、そーゆー感じなの。どー思う?」
「気が動転してませんか?」
オレはそう言うしかなかった。
「あの、怒るべきときは怒った方がいいです。その、オレが言うことでもないけど、受けたショックを自分の中で合理化してませんか? 犯されたけど好きな相手だから大丈夫とか、そんな」
むしろ自分の能力で自分を洗脳したとかそういうレベルの異常さだ。そうだった場合オレはどうすればいいんだろうか。洗脳を解く方法がある、という雰囲気は義父との会話の感触的にない。
もう他人の人生狂わせまくり。
「やだなーもー。正生くんちょっと理屈っぽいよ? 好きでもない相手に立候補してまで犯されないってば。そーでしょ?」
当照さんはクスクス笑って言う。
「……クッキーを助けたかったからでしょう? それは。大体、いつオレのことを好きになるタイミングがあったんですか? 土下座しておにぎり食べたぐらいで、あとは胸を揉んだとか、そんな感じでむしろ嫌ってたんじゃ」
「一目惚れ、だった? みたい」
「はい?」
赤面しながら言われて、オレも恥ずかしくなってしまう。ウソを言っている感じでもなくて、浮かれてしまいそうだが、オレはレイプ犯である。そんなことが許される訳がない。
「昔から鈍感で、一目惚れしてたことにも気付かなくて、道理でなんかクマちゃんの胸を揉んだ話とか聞いたときにイライラしたなーって」
今度は自分の髪の毛をくしゃくしゃにしながら、当照さんは照れ隠しのように舌を出す。そんなことをされるとこちらも冷静ではいられない。こっちはマジで好みなのだ。
「お、落ち着きましょう? 今日は頭を冷やして、お、オレが刑務所に行ってる間もその気持ちが持続していたら話を聞きますから」
「わたしのこと嫌いなの?」
当照さんは少し悲しそうな顔をする。
「好きとか嫌いとかではなくて」
「好きなんでしょ? 好みなんでしょ? だってもー可愛い声出して鳴いてたし、わたしの上で色んなこと囁いたじゃない。あれはウソ? 正生くんのこと好きなわたしを騙してたの?」
「……」
オレは頭を抱えた。
なぜこんな修羅場めいた感じに。
「ねー? ちゃんと答えて」
しかし当照さんは攻撃の手を緩めない。
「好きですよ! そりゃ、はじめて見たときは女神だと思いましたもん! でも、そんなね! 両想いとか、今のオレにそんな幸せが巡ってきたって遅いですよ! そんなもの、受け止められないし、受け取っちゃいけないんですよ!」
どうしようもなくなって、気持ちをぶちまける。口にすると後悔が心臓を締め付けた。運命は非情だ。オレの手は幸せを掴むにはドロッドロに汚れている。
掴んだ幸福を不幸に染め上げるほどに。
「よかった」
当照さんがオレを抱きしめた。
「正生くんがケダモノじゃなくて人間で」
「オレは、ケダモノですよ」
体温と暖かな匂いに、オレは泣きそうになる。
「ううん、違うよ。あの能力は違う。わたしにはわかる。信じられる。強い能力だもの、最初から使いこなせないのは当然。諦めちゃダメ」
「……」
しばらくオレは当照さんに身を預けた。
腹の底の辺りで蠢く不安の気配も、そうしている間は大人しく身を潜めてくれているようだった。ずっとこうしていたい。思わずそう口にしそうになった。
「よし、もー大丈夫」
当照さんが不意にオレの背中を叩いて立ち上がる。
「よし、よーし.わたしもだいじょーぶ」
「あの、当照さん」
「すみ。そう呼んで」
オレを見て、笑顔で言う。
「……すみ」
甘い響きが口に残った。
「なーに?」
呼びかけにうれしそうに返事をする。
「好きになってくれたのに、オレ、なんか……」
オレはうまく飲み込めない。
「これは犯された当事者としての意見だけど、たぶんくのいちさんは怒ってないと思うよ?」
「そんなこと」
希望的観測だ。
「怒ってたら、逃げる前に正生くんに一撃ぐらい食らわせていくと思う。とゆーか、あの能力は凄いから。本当にもう凄かったから」
すみは自分で言いながら何度も頷く。
「凄いって」
「セックスのことじゃなくてね! それはそれでわたしにとっては素晴らしい体験でしたか! 相性バッチリ? それともわたしが名器なのかな? 念願の子供も産めるし! じゃなくて、えーと能力! あの夢を見せる能力凄い!」
「夢を見せる?」
「うん。あれ? 自覚のないタイプ?」
イソラも似たようなことを言ってはいた。
単純にあの白い毛が気持ちよく眠らせるのかと思っていたのだがどうやらそれだけではないらしかった。というか、子供産んでくれるらしくて、なんかもう嬉しさが抑えきれない。
潜在欲求、もう潜在できてないぞ。
「夢魔なんだよ」
「え?」
ニヤケそうになっている間に、すみがオレの手を引っ張って立ち上がらせ、廊下を歩き出す。建物内の様子がわかってないのでどこに向かうのかわからない。
「これは直球なのに割とだれも信じてないけど、エネルギー生命体は夢を食べて能力を与えてくれてるんだって。要するに夢魔のごはんだね」
「……」
なんの話だ?
「わたしは十八の時に夢がなくなって、能力も使えなくなったの。クマちゃんが現役を退いたのも夢が減って限界が見えたから」
「あ、あの、夢って寝てるときに見る夢じゃなくて、目標みたいな意味での夢の話ですか?」
いくつかの疑問が頭を巡っていたが、とりあえず夢という言葉の定義を確認しなければならない。だいぶ意味が違う。
「区別は難しいみたい」
オレの質問にさらりと答えたすみが入ったのは台所だった。油で黒ずんだコンロと、ボコボコのシンク、時代がかったガス給湯器、変な緑色の冷蔵庫、いかにも古めかしい作り。
けれどそれは実家を思い出させた。
「でも、わたしは寝てるときに見る夢もなくなったかなー? 覚えてないだけかもしれないけど、六年経ってるからねー。一度もって」
「その、夢がなくなるって」
「正生くん料理できる?」
すみはテーブルにかかっていたエプロンを身につけ、腕まくりをすると手を洗いながら言う。ほっそりとした指先を丁寧に泡立てる仕草で、オレは意識を失う前の色んなことを思い出した。
「え、と、実家ではやってましたけど」
思わず目線を外す。
浮かれすぎるな、オレの罪は許されてない。
「んじゃー、カレーの野菜切ってくれる? そっちの段ボールに入ってるから。合宿と言えばカレーよねー。辛いのは大丈夫?」
タオルで手を拭うと、大きな炊飯器の釜を取り出して、コンロの前に置いてあった米袋に突っ込み、ざらざらと計量する。
十合ぐらい一回で炊きそうな感じだが。
「オレは大丈夫ですけど、その」
言われるままに段ボールからジャガイモとニンジンとタマネギを取り出そうとするが、米の量に対してどのくらいか判断できなかった。
「野菜の量は多めでいーよ。ジャンジャン切っちゃって、鍋もおっきーの用意してる。正生くんだけじゃなくて、あさまちゃんもすっごい食べるんでしょー?」
「ええ、そうなんですけど、あの」
「夢はなくなるよ」
早速、米を研ぎながらすみは言った。
「なくなるってどういう」
「わたしの場合は、もともと夢が小さかったの。ヒーローになって活躍して、お嫁さんになって、五人ぐらい子供を欲しいとか」
「あるじゃないですか、夢」
オレは米を研ぐシンクの脇に野菜を積みながら言う。なくなっていない。能力を持った割には微笑ましい内容ではあるが、さっきも念願の子供とか言っていた。
「違うんだなー、これが」
研ぎ汁を手慣れた様子で流しながらすみは照れ隠しでもするみたいに奥歯を噛む。
「ヒーローには最初からなれなくてー。わたしの能力は戦闘向きじゃなかったから、ランキング自体に参加できなくてー、島に来て学園の特別科ってところに入れられたの」
「特別科」
「それはそれで悪いところじゃなかったのよ? クマちゃんとも知り合ったし、わたしの能力は気持ちを整理してヒーローの精神的ケアができるとかで、自分でゆーのも恥ずかしいけど期待もされてたと思う。あ、包丁はそこ」
水を計って、炊飯器に釜を入れると、すみはオレが積み上げた野菜を洗いはじめる。ジャガイモは掘り立てみたいにしっかり泥がついていた。
「はい」
オレはシンク下の収納から取り出した包丁を手に取り、洗って手渡されたジャガイモの芽を取り除いて皮をむく。
「でも、やっぱり、それって現実なんだよ」
「現実、ですか」
「ヒーローになれないから、サポートで頑張ろうって思うのは現実的な考え方。お嫁さんになるのも、子供が欲しいのも、十八になる頃には現実的な問題でしかなくなっちゃう」
すみはオレの顔を見て、包丁使いを見る。
「慣れてるねー」
「オヤジとオレで暮らしてましたから」
「それも現実。慣れちゃう問題」
オレの言葉に頷いて、すみは顔を近づけると、急に背伸びしてキスしてきた。あまりに唐突な行動で反応すらできず、野菜をむきつづける。
「こーゆーのも、いずれ慣れちゃうと思うよー」
顔を真っ赤にしながら、すみは舌を出す。
「な、れますかね?」
すっげぇドキドキしてますけど。
「慣れる。なーれーちゃう」
そう言ってまな板を出すと、皮をむいたジャガイモを受け取って乱切りにしていく。力強く、どこか怒りを込めたようなリズムで。
「んー、ヒーローになれないってことはっ、島から出られないってことでー、十八になって勉強ができなければ大学にも行けないかーらー、あとは仕事を選ぶだけー」
バン、バン、バンと包丁が叩きつけられる。
「……」
皮をむいて、次々にジャガイモを手渡す。
「人口三十万の島ですれ違うだれかのお嫁さんになることに夢なんか持てなーい。恋もよくわかんないで、能力の開発に明け暮れてたから、カレシとかいなくて、子供が欲しかったら、好きでもない相手でも選んで急がなきゃーっ」
「夢、ないっすね」
オレも言うしかなかった。
「うん」
すみは泣きそうな目をしていた。
「普通の夢ってなくなっちゃうんだよ。叶えようと思ったら現実と向き合うことになるから」
「それは、でも、能力者は全員、遅かれ早かれってことですよね。肉体的限界もあるし、いつまでも強くはいられない、普通のことだ」
「正生くんは違うかも」
ニンジンへ移りながらすみが言う。
「夢を見せる能力、ですか? でも、オレ自身あんまり夢とかないんですけどね。オヤジの死刑を回避したいとか、メチャクチャ現実」
「いやー、いやいや。あの時の正生くん、地球を支配する気だったもの。全地球の女にオレの子供を産ませてやるぜ! って感じだもの」
オレの言葉にすみが強く首を振った。
「そこまでは言ってないです」
それに近いことは思ってたけど。
全地球のオレ好みの女って。
夢って言うか妄想、暴走って言うか暴想。
「わたしは夢をなくしてたから、ハッキリと見えたんだと思う。すぐ消えちゃったけど、分けてもらったのかな? 白くてー、熱くてー、まだ現実なんか見えてなくておっきく見えた夢が。力の塊みたいになって押し寄せてくる」
いや、待て?
「……」
頭の中でひとつの線が出来上がっていた。
白い獣と化したオレが夢を分けたとするなら、それを夢魔が食って、すみが洗脳能力を使ったってことになるのか? つまり、オレは能力の燃料を他人に与えることができる? 燃料が増えれば火力も増すと考えれば強化する?
セックスで。
これはとんでもなくヤバくないか?
巫女田イソラのことはいい。あっちはあっちで妊娠したら強くなるというバカげた能力だ。問題はくのいちである。百パー敵になる相手が強くなるとするなら、逃げたのは逆襲のためだろう。
当然と言えば当然だけど。
「正生くん? 手が止まってる」
「あの、すみの能力ってどういう条件で使えたのか教えてもらえないかな? オレの勘違いってこともあるかもしれないし」
手が震えて、ニンジンが折れた。
「? えーと、言霊だよ? 気持ちを整理したい人に向かって心地よくなる言葉みたいなのを選ぶんだけど、当たり外れが割とあってー」
「ああ、そうなんだ」
うんうんと話を聞きながら、包丁で手首を切り落としたくなる衝動を堪えるのに必死だった。カレー作って幸せを噛みしめてる場合ではない。
当確! オレの推理が当選確実!
ならばどうする。
「! すみ!」
オレの脳裏に神の閃きが降りてきた。
凄い。オレ天才になったかも。
「え、なに?」
「オレ、もっかい獣になるから、もっかいセックスしてくんない? それからくのいちを探しに行って、たぶん獣の状態なら完全に追えると思うから、そこで間を立って、和解の話し合い、をっ!? ぐ、が」
ぐぎり。
首の骨が不自然な音を立ててねじれた。
「ちょっと目を離すとこれか」
球磨がオレの頭を掴んで引っ張っている。
「アカン、ケダモノ過ぎるわ」
クッキーが吐き捨てる。
「なるほど、救いようがありません」
ルビアが断定した。
「奴隷契約書のサインを先にしないと、ね」
五十鈴が例の紙になにかを書き足している。
最悪のタイミングだった。
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