第45話 桜母院ルビア
賃貸物件としての甘根館は全八室中六室が埋まっている。クッキーが暮らしている三階に三室、小猿が暮らしているという二階に五室。家賃三十万という三階に対して、二階は十五万らしい。格差が割とある。
「他の住人に挨拶しなくていいのかな」
オレは言った。
「今日はみんな帰ってへんよ」
クッキーが答える。
「二十日やからな。みんな参加者で学生やないから、襲撃に成功するにしろ失敗するにしろ、終わったら宴会して朝帰りまでがお決まりのパターンや。ここで一位狙いはウチらぐらいやし」
「へー」
あの小猿はそう言えば今日は戦っていないのだろうか。安くない家賃を払えるほどランキングの上位に位置してるとは思えないのだが。
「アルディの両親は現役のヒーローや」
クッキーはオレの心を読んだかのように言う。
「両親とも?」
「両親を含む七人チームが三年前にヒーローになって、そんときに娘を安全な場所に預けたんや。引退したら戻ってくる言うてな」
そう言うクッキーの横顔が寂しそうに見えたのは気のせいではないのかもしれない。天才故の親不孝エピソードがあったが、九歳が両親と暮らせなくて平気な訳もないのだ。
ケンカしているのもあるいは。
「ここや」
クッキーが案内したオレが暮らす地下室は館内の様々な管理施設の狭間にスペースが余ったから用意された物置のような場所だった。
「せ、まくないか?」
入って思わず言う。
「七畳ぐらいはある言うてたけど?」
クッキーは背負ったテヤン手を伸ばして壁をコツコツ叩いている。なにを確認しているのかわからないけど、調べたことは教えてくれなくていい。知りたくない話だろうから。
「たぶん天井が低いというか」
オレは言った。
「オレの扱いが低いというか」
よくわからない配管が空間を圧迫する天井を見上げながら、ここに送り込まれるのは当照さんに相当嫌われているのではないかと気分が重くなるのを感じる。
好かれる要素もなかったけれども。
窓がないのは地下だから理解するが、入り口から縦に細長いコンクリート打ちっ放しの空間は独房という感じだ。飾り気のない蛍光灯の照明、水道やトイレは一階まで行きましょう設計。
およそ生活用の空間ではない。
「殺風景ではあるな、確かに」
クッキーは頷いた。
「でもま、そんなんはウチが解決したる。兄さんはとりあえず荷物を運んできたらええわ。インテリアは任せとき。すぐ準備するよって」
そう言いながら、床にベラ棒を打ち込む。
工場と四次元通路を繋ぐようだ。
「え? ああ。よろしく」
インテリアにも才能があるのか?
と、一瞬思ったのだが、荷物を運んでくる間にクッキーが持ち込んだもので部屋は一変していて、任せてしまったことを後悔した。天才と言えど、なんでもかんでも才能がある訳がないのだ。
「なにこれ」
そう感想を述べるのがやっと。
「生きた壁紙や」
クッキーは胸を張って言った。
「生き? 生きてんの?」
コンクリートだった壁が、一階のエントランスまで往復する短時間の間にジャングルの景色になっている。鬱蒼と生い茂る木々と湿度を感じさせる植物が密集した見ようによっては美麗な写真が貼り付けられたような状態になっている。
落ち着かない。
「宇宙植物の一種や」
クッキーは説明する。
「接着剤不要で、酸素があれば空間全体に広がって、空気を清浄化もする言う便利な代物や。周囲の環境に擬態する性質を利用して、予め写真の上なんかで育てると壁紙としてのデザインにもなる。宇宙船内での使用が想定されとるな」
「凄いけど」
実用性重視らしい。
ジャングル部屋はちょっと、という見栄えの問題を飲み込まざるを得ない雰囲気。確かにこの地下室で空気を綺麗にしてくれるとか助かる機能性をも備えてくれてる。
「注意事項としては、壁に家具を触れさせるとそこも飲み込まれることやな。適度な水と肥料を定期的に与える必要があるんやけど、その辺の世話はウチがしたる。兄さんは不具合がないか暮らして感じたことを教えてくれればええよ」
クッキーがさらりと言う。
「不具合?」
聞き流せない単語だ。
「知り合いの植物学者に試してくれ言われてたんやけど、なんやちょっと気持ち悪いやん? 虫とか食べよるからゴキブリに悩まされへん、とか言うとったけど、そんなん見かけたらよっぽど気持ち悪いんちゃうかと躊躇っててん」
クッキーは悪びれない。
「……」
ここはあなたの実験室でしたっけ?
チームメイトからの扱いも低い。残念ながらそう認めざるを得なかった。貼り付けるのは簡単だが、剥がすのは乾燥させて空気を完全に抜く必要があるとかで現実的に無理と言われて、宇宙食虫植物ジャングル部屋が確定した。
たぶん部屋に女子は呼べない。
「なんや、空気良くなってきたんとちゃう?」
「空気は、うん」
確かにかび臭かった室内が爽やかだ。
だが、オレはこの生きた壁紙最大の不具合にもう気付いていた。少ない荷物とは言え、壁にモノを触れさせられないということは、狭い空間がより狭くなるということである。
布団とちゃぶ台と生活用品を部屋の中心に集めた奇妙な光景は、映画かなにかのセットみたいである。ジャングル壁紙との組み合わせで合成映像みたいな塩梅にもなっている。
落ち着かない。
「ほな、兄さん、また明日な? おやすみ」
「え? オレ今晩ここで寝る流れ?」
クッキーが出て行こうとするのでオレは言う。
確かに時刻は午後十時を回ったが。
「夕方まで寝たし、そら眠くないやろうけど、一位になったら襲撃受けるん確実やから、休めるときに休んどいた方がええよ、ふぁ」
言って、クッキーは欠伸をした。
子供なので普通に就寝時刻なのか。
「だ……だな。おやすみ」
「おやすみ」
九歳相手に生きた壁紙に囲まれて過ごすの心細い、みたいなことは言えなかった。言ったとしてどうなるものでもない。宇宙植物との同居なんてまだ野宿の方が気楽とか言えば、部屋を準備してくれた善意を踏みにじる。
そう、これはクッキーの善意なのだ。
「善意だよな、たぶん」
浴衣に着替え、布団に入り、電気を消すと壁紙全体がうっすらと発光しはじめる。説明されてない機能だ。それを見ながら、オレは落ち着かない甘根館最初の夜を過ごした。
ほとんど眠れた気がしない。
「朝風呂、もらおう」
二十一日、午前五時。
夜中に館内を動いて痴漢扱いを受けるわけにもいかないが、もう部屋の中にいるのが限界だったので、オレはぼんやりとした頭で一階へと上がる。受付を改装した管理人室や厨房、宴会場など旅館時代から残る施設、大浴場へ向かった。
男湯。
何年かぶりに吊されたという暖簾をくぐって、昨日と同じ風呂へと向かう。いつでも入っていいと当照さんに案内されていた。ジャングル部屋は疲れるが、その分は温泉で取り戻そう。
「く、あ」
欠伸をしながら、タオル片手に入る。
カラカラカラカラ。
アルミサッシが開くと、湯気が脱衣場に流れ込んでくる。かなり熱い源泉掛け流し。湯量も豊富、これだけでも確かに贅沢な環境だ。
「おはようございます。昨日はどうでしたか?」
「なんとか勝って、え?」
女性の声に受け答えして、目が覚めた。
「あの、どちら様でしょうか?」
湯気の向こう、腰掛けてシャワーを浴びる背中が振り返る。そこにいたのはかなり派手なピンク色の髪をした女性で、オレの頭から足の先までを見て、首を傾げた。妙に冷静な反応だ。
なにも隠していなかったのだが。
「お、男湯ですよね?」
タオルで下半身を覆いながら、オレはまず痴漢ではないことを宣言した。こちらにはなんの罪もない状況である。間違っても痴漢ではない。むしろ相手が痴女になる。
「男湯?」
女性は首を傾げた。
「ああ。昨日から来たという全先正生さん」
「!」
濡れた長いピンク髪をしとやかに掴んで片方の肩に流すと、女性は立ち上がって俺の前にスタスタと歩いてきた。こちらの手を取って握手してくる。迷いが一切なかった。
「はじめまして」
「こちらこそ、はじめまして?」
あの、なんもかんも丸見えですけど。
目のやり場に困る。
オレは思わず視線を上に向けてしまう。
あまりにも無防備にされると好奇心よりも罪悪感が先にくるのだ。一瞬で目に焼き付いたミルクティのような肌の色も、整った形をした大きな乳房も、じっくりとは見られない。
ピンク髪は地毛? あっちもピンクだけど?
「
「は、はあ」
名前がまったく頭に入らなかった。
「では失礼して」
握った手を離したかと思うと、気配が攻撃的に変わって、同じぐらいの身長とは思えない長い脚がしなるように振り上げられた。
「!?」
回避できたのは股間を凝視したからだ。
ヤバい。
「
「……」
鼻血がポタポタと床に落ちる。
避けたつもりだったが、当たったのか。
「新たな一位の能力、使わせていただきます」
ピンク髪は全裸で構えた。
「えー、と?」
なにから考えるべきなのか。
目のやり場に相変わらず困りながら、オレはタオルを腰に巻く。風呂場で全裸で戦闘、銭湯だけに、とか言ったら「銭湯ちゃうわ! 温泉旅館や! 元やけど」とクッキーがツッコミを入れてくれるはず。
能力のコピー?
「はっ!」
ピンク髪が呼吸を整えた。
つまり罠だったのか。
「ちょ……っと」
そう思ったときには、踏み込んだパンチが繰り出されていた。細い腕に似合わぬ鋭い拳の連続だが、当たるほどでもない。弱くはないと思うが怖さは感じないと言う意味で冷静になる。
あれ?
「フラッシュ殺し!」
ピンク髪がオレの技名を叫んだ。
「はい」
オレはその拳を片手で受け止めた。
パワーは大したことない。
あと他人の口から聞くと恥ずかしい。かなり。
「あれ? こう言うと強くなるのでは?」
不思議そうにピンク髪が言う。
「改造人間ってコピーできますか?」
オレは確認する。
おそらく夢魔による能力はコピーできるんだと思うのだが、改造されて強化された肉体を手に入れることは難しいのではないか。いきなり心臓を増やせるというものでもない。
「なるほど」
ピンク髪は真面目な顔で頷いた。
「ですよね」
少しホッとする。
握手ひとつで能力コピーとか恐ろしいが、とりあえずコピーできなければ全裸で戦うことにはならないだろう。そろそろ状況に慣れてきて、目の前のハダカをじっくり見たくなってきてる。
早く去ってくれ。
「全先さんは地球人類ではないのですね」
だがピンク髪は妙なことを言った。
「え?」
聞き間違いかと思う。
「先日の決闘で披露されたあの力は間違いなく夢魔を用いたものです。それをコピーできないのは、私と全先さんの肉体の規格が根本的に違うからに他なりません。よくわかりました」
全裸とは思えない冷静な口調で答えられる。
「ま、待って、なにを言って……」
内容はわかったが、脳が理解を拒んでいる。
「そうですね。握因悪果では地球外生命体の能力はコピーできないのです。これはいくつかの事例で検証されています。どうやら地球人類に連なるDNAを持っているかどうかが境界線のようで……」
こちらの動揺を気にしないかのようにすらすらと喋っていく。自分の能力のことなのに秘密って訳でもないのか、説明しすぎな気もするが、それは親切心なのだろうか。鈍感すぎるだけなのか。
「オレが、宇宙人ってこと?」
話の途中だったが、結論は出ていた。
「基本的に宇宙人という言葉は地球人類も含むと私は解釈していますが、一般的に言えばそういうことではないかと思います」
ピンク髪は言った。
「……」
なにも言葉が出なかった。
目の前の女のショッキングな髪色の方がよほど地球人離れしているだろう。重力に逆らって球体を保つおっぱいの方が地球人離れしているだろう。全裸で男と向かい合って落ち着いてる態度の方が地球人離れしているだろう。
オレにあったか地球人離れのポイント?
「あ、勃起していますね」
ピンク髪は視線を下げて普通に言った。
確かに。
腰に巻いたタオルが完全に意味を失っている。
こんな状況でよくよく正直だ。
「しゃぶってください」
オレは言ってみた。
淡い期待と、これが夢である可能性に賭けて。
「お断りします。私、そういうことは恋人としかしないと決めていますので」
きっぱりと拒否。
当然。
「なんでそこだけ地球人なんだよ」
だけどオレは絶望的につぶやいた。
夢じゃない。
男湯に女性がいて、惜しげもなく全裸を見せてくれたなら、オレの夢でもいいじゃないか。眠れない夜だと思ったらあのジャングル部屋で爆睡してて遅刻しそうになるとか、そういうオチでいいじゃないか。なんの問題がある。
「では、失礼します」
ピンク髪は拳を引き抜くと、オレの横を通って男湯から立ち去ろうとする。完全に能力をコピーするためにここに居たわけだ。全裸の女が握手を求めてきたら男は間違いなく応じる。
避けられないよ。
「あの!」
オレは天井を見上げて言う。
どうする。
「なんでしょうか?」
親切にも止まってくれた。
「オレが、宇宙人だってこと、秘密にしておいてくれませんか? その、ここであったこと全部、なかったことにしてください」
直感していた。
この女の口を封じなければマズいことになる。
「どうしてですか?」
ピンク髪は言う。
「と……とぼけないでください」
オレがテロリストの息子だと知ってるだろ。
地球外患誘致。
オヤジが死刑にされる罪、宇宙人と共謀して地球への攻撃を企図、と巫女田カクリは言ったとき、そんなことをする動機がないとオレは思った。オヤジは戦前からつづく町工場の六代目、明治の頃の先祖の写真によく似た生粋の日本人であるが故に、当然、地球人でもあるからだ。
なぜ地球人が地球を攻撃する。
人間兵器に改造された自分の身体という動かぬ証拠があって、あの場では認めざるを得なかったが、それでもオヤジを信じられたのはテロをする動機に見当もつかなかったからだ。宇宙人と繋がる要素すらない、そう思っていた。
だが、オレが宇宙人ということになれば?
「疑ってたんでしょう?」
オレは振り返りながら言う。
「仮にもヒーローを目指す参加者なんだ。オレの能力を試せば、オレの正体もわかるかもしれないと予想してた。だから、コピーできなくてすぐに納得した。オレが地球人ではないことに」
「なるほど」
背中を向けたまま、首だけでこちらを見ていたピンク髪は真面目な顔で頷いた。なんだかバカにされている気分になってくる。
「私を殺す気ですか」
しかし、全然マジメだった。
「……」
オレは答えられない。
そこまで考えていた訳ではなかった。なんらかの条件で口外しないと約束してくれればいいとか思っている。だが、口封じと言えば、究極的にはそうかもしれなかった。ヤクザの隠語ならもう殺す=口封じだ。
人の口に戸は立てられない。
そうでなくても、この初対面の相手のなにを信頼できるかという問題がある。議長の秘書とか言っていた。役場で須賀ヤタラが厄介そうな人物として紹介してくれている。とても安心できない。
「困りました」
ピンク髪はあっさりと言う。
「私の力では全先さんから逃げられません。かと言って、こうして能力をコピーするつもりで待ちかまえていて敵対するつもりがないと言っても説得力がありません。喋らないと言っても信じて貰える訳がありません。殺されてしまいます」
「……」
仕方なくオレは頷く。
今晩の献立で困っている、ぐらいの雰囲気で、自分の状況はしっかりと把握しているのが不思議ではあったが、そういうことだ。
口封じは簡単ではない。
「私にも人生の目的があります」
ピンク髪は考えるように上を見上げた。
「殺される訳にはいきません」
どうでもいいのだが、背中を向けて歩く途中のその体勢は妙におしりを強調しているように見えるのでもうちょっと隠すなりなんなりしてほしい。シリアスな状況なのだから。
こっちも勃起してるけどさ。
「殺したくはないですよ、できれば」
オレは言った。
「でも、オレも混乱してます。あなたが最終手段を口にしたことで他の確実な方法が思いつけなくなってる。同レベルの秘密を交換する、とかだと、そちらに秘密があるかどうかですし」
「なるほど」
ピンク髪はポンと手を打った。
「その手がありました」
「……」
オレは固唾を飲んだ。
同レベルの秘密があって、この流れであっさりと口にするというのは相当の度胸だ。大したことない秘密ならば、口にしただけで挑発行為、相手がオレでなければ殺されるようなものである。
なにを隠してるんだ?
「私と全先さんが結婚すればいいのです」
ピンク髪はそう言って満面の笑み。
「……はぁ?」
なに言ってんの。
「夫婦なら運命共同体。秘密は二人の秘密になります。テロリストの息子の嫁ですから毀誉褒貶すべて同じ条件。全先さん、結婚してください」
しかし完全にマジメだった。
理由はしっかり考えられている。
「どの手があったのっ!?」
でも、そう言うしかなかった。
男湯で互いに全裸で逆プロポーズ。
どこまでもオレの理解の範疇を超えている。
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