第46話 一夫多妻

「……ええんちゃう?」


 寝起きの目でクッキーが言った。


 マーブルの髪の毛は慌てて起きてきたのかぐしゃぐしゃに爆発していて、表情は大変に不機嫌そうであり、声にも憤りが感じられる。


 横にはピンク髪が笑顔でいた。


「なにが?」


 大体わかるが、一応訊いた。


「なにがって、とぼけたらアカンよ。結婚のことや、男として一度責任を取ると決めたんやったら、最後までちゃんと筋を通さな」


 ぶっきらぼうに一般論。


「あの、言ったの?」


 オレはピンク髪を見る。


「チームメイトにはまっさきにお伝えすべきかと、全先さんだけに。面白いですか?」


 うれしそうに答えられる。


「そのネタは使用禁止の方向で」


 名前弄り、オレは面白くないので。


 少し落ち着いて考えさせてくれ、と風呂に入ってる間に状況がさらに悪化していた。なんで朝の五時に寝た子を起こしてまで話をややこしくするのか正気を疑うばかりだ。嫌がらせなのだろうか。


 温泉でリフレッシュした気分も台無し。


 あるいは既成事実化すことにより己の身を守ろうという積極的行動なのかもしれないが、本気で命の危機を感じているならそこは黙っていてくれた方がまだ可愛げというものがある。


 なにより。


「秘密にしてくれって、オレ言わなかった?」


 少し整理した頭がまた混乱してくる。


「秘密は秘密にしました」


 ピンク髪は大きく頷いた。


「え?」


「なにがあったか知らんけど、結婚する言われただけや。優雅に朝風呂して、その態度で大体わかるけどな。兄さん。正直、見損なったわ。なんなん? 欲求不満を衝動的に解消して、そんで責任は取るからって一丁前の男気取りもご……」


「まままま、待て、天才。天才早とちり」


 オレはクッキーの口を塞いだ。


「事情を説明するから、場所を変えよう」


 周囲を見回す。


 男湯を出た先、甘根館一階の廊下は静まりかえっている。近付いてくる気配もない。聞かれたということはないだろうが、誤解にせよ事実にせよ決して人聞きの良い話ではない。


 用心しなければ。


「では、私の部屋へ行きましょう」


 ピンク髪が言う。


「防音は完璧、盗聴についても定期的に調べていますので秘密保持に最適、お父様もよく密会に使っております」


「……」


 マジで頭痛しかしない。


「こちらになります」


 三階、クッキーの部屋の隣がピンク髪の部屋で、内装もピンクだった。元旅館の趣を残していたそれとは違い、簡単に言えばホテルらしい佇まいに改装されている。元旅館の雰囲気とか特に気にしていない。


 目立つのは部屋の中央に鎮座する円形の巨大なベッド。


「私、自分の恋人をお招きするなんてはじめてです」


 天蓋があり、レースのカーテンが垂れ下がっていて、シーツが少し乱れたそれに、ピンク髪はぴょんと乗って、ぽんぽんとこちらに来るように促しているように見える。恋人じゃない、そう言いたかったが、結婚すると言ってそれを否定すると話がややこしくなる。


「ここ?」


 この上で話をするの?


「兄さん、ウチの早とちりやったわ。こんなん、男は狼としか思ってないフェミニスト裁判官でも合意があったと認めざるを得ん状況や」


 クッキーがわけのわからない納得をする。


「そうじゃないから」


 言いつつ、部屋に漂ういい香りがオレの理性を歯医者のドリルのように削っているのは事実だった。風呂場で出会ったときよりも、浴衣姿で無邪気にベッドで跳ねてるっているピンク髪の方が格段にそそる。


 そそられてる場合ではないが。


「桜母院さんってお堅い人やと思ってたわ」


 クッキーはいそいそとベッドに上る。


「コーンフィールドさんとはお隣なのにあまり接点ありませんでしたね。この度は一位奪取おめでとうございます」


 ピンク髪とはあまり付き合いがなかったようだ。ベッドの上で、浴衣姿とパジャマ姿の二人を見るとなんだか若い母娘のようだ。


「そちらさんこそ、珍しい能力でご活躍を」


「いえいえ、私はそれほどでもありませんよ」


「ご謙遜を。やり手やと評判や」


「それはチームの参謀が賢いだけで」


「あの、そのくらいで、いいかな」


 オレはベッドに腰掛けて言う。


 よくわからない社交辞令の応酬はいい。


「本題に入っても?」


「あんまり聞きたくないんやけど」


 クッキーは遠い目をする。


「想像してるような内容じゃないから」


 オレは言う。


「秘密をコーンフィールドさんにもお伝えするんですか? チームを組んで間もないことを考えると慎重に考えた方がよろしいのでは」


 そしてピンク髪はもう嫁気取りなのか。


 思い込みは激しいタイプのようである。良くも悪くも。


「とりあえず、ちょっと黙ってて」


 慎重に考える時間を奪ったのはだれだ。


「……」


 ピンク髪は両手で口を塞いだ。


 そこまでしろとは言ってないけどまあいい。


 正直なところ、クッキーに伝えるべきかどうかの答えは風呂場では出ていなかった。下手をすればチーム解散もあり得る情報である。オヤジのテロリスト容疑を冤罪だと思っているのと、ほぼ有罪だと思っているのとでは、オレの行動の意味合いは逆にもなるからだ。


 しかし、もはや隠しても不信が生じるだけ。


「クッキー……オレ、宇宙人らしい」


 意を決して口にする。


 心臓がぎゅっと縮こまる感じがした。


「せやな」


 あっさりとクッキーは言った。


「え!? 知ってたの!?」


 驚くしかない。天才だから?


「地球人類も宇宙人の一種やで?」


 クッキーは真顔だ。


「カテゴリの話ではなく」


 そのボケはもういい。


「地球人類じゃないかもしれないんだ、オレ」


 言い直した。


「それが秘密か」


 片目を閉じて、クッキーは言う。


「兄さんは初めて知った?」


「想像もしなかった」


「それを桜母院さんが暴いた? そういう能力なん? ランキングを競う関係で言えへんのやったら言わんでも構わんけど」


「大丈夫です。私のコピー能力の限界が地球人類なので、男湯で待ちかまえてコピーしても全先さんが決闘で見せた夢魔を使えなかったという話です。それで、秘密を知りました」


「で、兄さんが口止めしようとして」


「結婚しようと私が提案しました」


 ピンク髪が答える。


 そこの発想が狂ってると思う。


「うん。しゃーない」


 だが、クッキーは納得したようだった。


 数少ない質問で的確に状況を理解している風なのが怖い。


「仕方ないで済むか?」


 オレは言う。


「このとんでもない状況と飛躍した人間関係に対して、その頭脳にもっと妙案はないのか? 情けない話だけど、オレにはどうしたらいいのか……」


「そやな」


 クッキーは頷く。


「記憶を消す薬物っちゅう選択肢はあるけど、副作用がえげつないからな。オススメはせえへん。それにウチはそれを飲む気はない。せやから、ウチも兄さんと結婚せなアカンっちゅう話やな。参ったわ。まだ九歳やのに」


 照れたように鼻先を指で掻く。


「え?」


 なにを言い出すんだ。


「なるほど」


 ピンク髪が口を開いた。


「一夫多妻ならさらに疑われにくくなります」


「!」


 なにを言ってるんだマジで。


「そやろ? 桜母院さんはわかってくれると思ったわ。ほな、そういう方向で行こう。結婚生活かー。あんまり想像したことなかったわー。どっちが第一夫人になる?」


 クッキーは楽しそうに言う。


「どちらでもいいですが、世間体を考えると、コーンフィールドさんが一番目だとロリコンでそれをカモフラージュするための私に見えるのではないでしょうか?」


 ピンク髪はマジメに応じる。


「ウチが入った時点でロリコンの誹りは免れんと思うけどな。あ、マタも加えよう。ロボットまで入れば兄さんがなんでもアリなだけやとみんな思うで? 結婚式はみんなでする?」


 そして天才が訳のわからない提案。


「そうですね。楽しそうでいいと思います」


「ウチ、ケーキ入刀に憧れあるわ」


「私は、純白のドレスに憧れますね」


「趣味あうやん。ルビア」


「そうみたいですね。クッキー」


「ほな、奥さん、子供は何人欲しい?」


「奥さんこそ、お若いからお盛んでしょう?」


「ウチはなー、お兄ちゃんやっぱ欲しかったし、長男長女次男三男次女の五人かな。甘根館やと手狭になるな、家も建てんと」


「私もきょうだいは沢山欲しいですね。そうなると家は大きく、ヒーローと言えば秘密基地も兼ねる形になりますね。家族で戦隊でしょうか」


「夢が広がるわ」


「夢がありますね」


「……」


 オレは完全に置いてけぼりだった。


 結婚ってなんだっけ?


 ベッドの上で楽しそうに語り合う二人の女。


 オレは見ているしかない。


 もはや口封じに他の手段はなくなった。


 ある意味ではオレの秘密を守るために結婚してくれるのだから感謝すべきだとも思う。だが、どうしてだろう。そういう気分にまったくならない。目の前で人生の深い深い墓穴を掘られてるような気分だ。勢いで結婚したくない。


 オヤジ、教えてくれ。


 オフクロが宇宙人と知っていて結婚したのか?


 とりあえず朝も早い。


 結婚式などセレモニーの話をする以前に、当事者のみでは済まない結婚に伴う様々な関係者の承諾を得られるまでは秘密にしておこうということで一日がはじまる。


「こちらが三階の桜母院ルビアさんで、昨日会ったと思うけど二階のアルディ・カルディさん」


 当照さんが住人を紹介してくれる。


「全先正生です。これからよろしく」


「こちらこそよろしくおねがいします」


 互いに初対面を装い、軽い会釈でやり過ごし、旅館らしいご飯とお味噌汁と焼き魚と納豆の朝食をお代わりもせず済ませてオレとクッキーは学園に向かう。


 頭の整理はもう諦めた。


 考えようとすると気分が落ち込む。


「兄さんって呼び方も考えなアカンやろか? マサ? マッサ? なんや新婚の甘さがないな。マーちゃんやろか?」


「クッキー、本気じゃないよな?」


 まずはマタを拾っていくために工場へ向けて走るオレの肩をテヤン手で掴んで、ふわふわと浮いて移動する横着な天才に確認する。


 なにか考えがあっての発言のはずだ。


 付き合いは短いが、ノリや憧れだけで結婚なんて言い出さないと信じたい。チームメイトではあるが、男女の関係はまったくないのだ。いくら九歳で現実の分別がないとしても受け入れ過ぎる。


「そらな」


 天才少女は溜息を吐いた。


「兄さんのことは嫌いやないけど、添い遂げるほど気持ちが高まってる言うことはない。その意味では本気やないけど、ルビアの出方次第では書類上の結婚は避けられんかもしれん」


「出方次第?」


 オレは軽く傷つく。


 わかってたけど、結婚を避けたいと言われるのも精神的にキツいものがある。別に告白した訳でもないし、クッキーに恋愛感情もないけど、なんかもう男として無価値と言われてる感。


「潜在能力狙いやってことは隠してない」


 クッキーは言う。


「ここがポイントで厄介なところや。ルビアの握因悪果はコピーした能力を記録できるらしいとわかってる。握手するだけでコピーできるとは知らんかったけど、その意味で、今回の男湯での襲撃未遂は絶好のタイミングやった」


「あれは油断せざるを得ない」


 オレも同意した。


「正直、予想できんかった。それこそ偶然、兄さんが地球人類でなかったから失敗したものの、一晩で一位を奪うこともできたかもしれん。使えるとなれば、ライバルも減らせて一石二鳥、作戦としては完璧やった」


「なんで予想できなかったんだ?」


 オレはそこが疑問だった。


 甘根館の住人について尋ねたとき、コピー能力持ちがいると一言忠告してくれれば、男湯で全裸の女に出くわしたとしても多少は警戒できたかもしれない。あの状況で握手は不自然だ。


 いや、あくまで多少だけれど。


「それは、ウチの方では兄さんの潜在能力が夢魔由来やと解析できてへんかったからや。決闘の時の映像データはその筋の権威に預けてたんやけど、それよりも早く判明してるとは予想できんかった」


 クッキーは悔しそうに言う。


「それが単純にルビアの能力によるものなんか、それともバックがあるんか。そこを見極めんと。あっちにとって秘密を守るための結婚言う提案が本気かどうかはわからんっちゅう話や」


「本気だったら?」


 オレは言う。


 バックになにかがあって、これから一位を狙われるという状況でピンク髪が敵に回るなら、それは逆に気が楽ではある。宇宙人である秘密は守られないだろうが、それはそれだ。殴ればケリはつく。


「オレは結婚しないとダメってこと?」


「厄介なポイント言うんはそこやねん」


 クッキーも頷く。


「能力狙いとして考えれば、兄さんと結婚する言うんは手段としてはあるからや。結婚して子供を作れば、夢魔に限れば高確率で能力は遺伝する。むしろ、兄さんが地球人類でないことまで予想してたんやったら、そっちが本命っちゅう線もある。地球人類というコピー能力の制限も解除されて、さらに潜在能力も兼ね備えた子供を」


「ごめん。ちょっと待って」


 オレは話を遮った。


「それ、子作りの話? そこまで行くの?」


「結婚の目的なんてそれしかないやん」


 クッキーはオレの正面に回り込んで言った。


「書類が通って、夫婦になって、夜の生活を求められたら、そら兄さんが女に恥をかかせるかっちゅう話なんやないの? その段階で本気か嘘か判断もつかんのやったら、ヒーロー失格やわ」


 クッキーは突き放したように言う。


「敵か味方か、そんなん完全に判別できることなんて現実にほとんどないやろ。ヒーローは結局どっかで決断せなアカン。見切りや。そのために一夫多妻ですら認められる超法規的権限が与えられてんねん。ウチはできるだけの情報は集める。チームメイトとして当然。でも、最終的に決めるのは兄さんや。ウチはそれを尊重する。子供を作るなら味方と信じて作り。ええな?」


 九歳のレベルではない説教。


「そう……する」


 オレは頷くしかなかった。


 オヤジのことを言われているような気がしたからだ。宇宙人だと知って結婚してその子供を育てた。それがすべてオヤジの決断だったとしたら。改造された意味もそこにある。


 あとはそれを肯定するか否定するか。


「しゃーない」


 工場にたどり着いたところで、ふわりと着地して、クッキーはオレを励ますように笑う。


「ウチも同じ立場や」


「それはどういう意味で?」


「兄さんと協力してこのままヒーローを目指していいか判断を迫られとる。地球の敵かもわからんわけやからな。それこそ兄さんの存在そのものがテロリストの計画でヒーローとして送り出される侵略者の尖兵、かもしれん。気持ちは高まってへんけど、その意味で結婚する言うんは監視するためでもある訳や」


「そ、そんなことは、ない。はず」


 オレは言いながら不安になる。


 立場を変えれば確かにその通りなのだ。むしろオレが侵略者の手先ではないかと疑ってピンク髪が近付いてきたのかもしれない。その方が筋が通る。結婚も懐に入り込むための手段。リアルな意味でのスパイ。


「でも、だとしたら」


 クッキーはオレに遠慮して言わなかった?


「わかっとる。今の兄さんの人格までは疑ってへんよ。むしろ改造された身体がどうなってるか、そこを早めに確かめる必要があるっちゅう話。とりあえず正体が現時点で発覚するんは色々とマズい。ヒーローを目指す前に、ヒーローに敵と見なされかねんからな」


「……」


 オレは情けない気分になる。


 自分が地球の敵そのものかもしれない。


 おそらく、その可能性を感覚的には理解していたのだ。認めたくなかった。知らずに過ごしたかった。そういうヒーローにあるまじき気持ちが、頭の整理を諦めさせていたのである。


「ルビアの狙いはわからんけど、地球人類でない可能性を教えてくれたんは良かった。警戒も対策もできる。あるいはそれでウチと兄さんを仲違いさせるつもりやったかもしれんけど、そうはならんっちゅうことを見せたろ、な!」


 クッキーはテヤン手で拳をガッシと握る。


 頼もしい天才だ。


「ああ」


 オレは強く同意した。


 しっかりしなければならない。九歳の子供がその頭脳で運命に向かい合っている。ならば、共に戦う存在として頼りがいのある男にならなければ、場合によっては結婚相手にも相応しくないだろう。書類上の相手で終わっても、悪くない男だったと言わせたいじゃないか。


「あ、でも、ウチは子作り十年待ってな?」


 クッキーは付け足した。


「本気で言ってる?」


 真面目な話してたと思うのだが。


「兄さんが、おっぱい大好き地球人を装ったロリコン宇宙人である可能性は大いにあるからな。それでなくとも、宇宙一可憐なウチの魅力の前では変節もしゃーないんやけど」


「あー。結婚したくねー……」


 心の底からの言葉が出た。


 これ一生ロリコン扱い確定だな。

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