第35話 すばらしいきょういくりねん

「作戦は失敗だってさ!」


 オレは言い放ちながら腕の力で跳ね上がり、女教師の顔面に蹴りを叩き込もうとする。心得はないがかなり不規則な動きのつもりだ。


 だが、球磨は読んでいたかのようにすりぬけ、


「そうか! それは残念だったな!」


 振り切った脚を掴んで高速で振り回し、オレを放り投げる。四回か五回、混ざり合う景色。なんとか立て直して着地する。


「んぎ……」


 片手と、両足、むき出しになった土の地面にズルズルと踏ん張った三本のラインが引かれる。気配で感じていた通りのパワー。どうにも面倒なことになった。


「スラアアアアッシュ!!」


 球磨は容赦がない。


 投げ出した場所で腕を振り下ろしている。


「!」


 さっきの張り手と同じだ。


 オレの身体は即座に反応して回避しようとしていたが、球磨から放射線状に地面の裂け目が広がって、横っ飛びしたオレの身体も深く抉られる。真横に腹を切られた。


「ぐ、が!」


 間合いもリーチも関係なかった。


「先生の攻撃は避けられないぞ! 戦え!」


「……」


 言われなくても。


 オレは腹を押さえながら女教師に向かう。


「そうだ! 来い!」


 球磨が開いた掌をぐっと引く。


「フラッシュ」


 オレはその手の動きに集中する。


 掌を突き出したら張り手、振り下ろしたときに地面の裂け目は五本、おそらく爪だ。感じるのは大きな空気の動き、風とは明らかに違った意思的なそれがオレを突き飛ばし引き裂いたのだ。


 そして放射線状に広がる攻撃。


 山の木々も、球磨が張り手を放った場所から扇状に薙ぎ倒されている。遠ざかれば遠ざかるほど攻撃範囲は広がり、避けられなくなる。威力の変化はわからないが、遠ざかれば受けられるという感じもない。逃げれば相手の思う壺ということだ。


 つまり、活路は。


「タァアアアアアアッチ!」


「ン殺しィイイ!」


 接近戦。


 突き出される張り手めがけて拳を叩き込んだオレは背後でさらに禿げ上がっていく山の轟音を聞きながら女教師を押し返そうと足を踏み込む。


「お前、バカでもないな!」


 だが、球磨も足を踏み出し押し合う構え。


「二発食らっただけで空気熊のカラクリに気付いたのか! 偉いぞ! 褒めてやる! 先生の教えを受けるに相応しい!」


「隠す気ないでしょうが!」


 オレは怒鳴る。


 エアベア?


 とりあえず予想通り張り手の風圧ではなかった。空気を動かして攻撃を生み出している。まず腕を振り回してそこまでの衝撃があれば、球磨自身にも反動があるのが道理だ。そういう反動は見えなかった。


 そもそも破壊が無駄にデカすぎる。


「確かに、まったくない! ふふ、ふふふ、これは狙った相手を決して逃がさない能力だからな! 逃がしさえしなければこうして!」


「!」


 球磨が拳を受け止める手を握った。


「ぐああああっ」


 メキメキと骨が軋む。


「純粋な力比べができる! さあ、もっと力を出せ! 岩倉相手に魅せたあの力で先生を攻撃してみろ! ふふ、ふふふふふふふふふふ……」


 笑いながら拳を握り潰そうとする球磨。


「ひ、必要ねぇよ!」


 オレは脚を振り上げる。


「おっと」


 だが、その動きに先んじるように球磨は握ったオレの拳を地面に叩きつけ、こちらのバランスを崩して自分は距離を取った。勢い余って肘まで地面にめり込んでしまう。なんつー桁外れのパワー。


「そうか、自発的には使えないんだな?」


「……ち」


 そこまで読むのか。


 潜在能力とやらをどう引き出したものか見当もついていない。見当がついたとしても使えば入院してしまうような反動だ。ここで使おうとも思わない。オレの優先事項はひとつだ。


 クッキーを守る。


 五十鈴の襲撃を受けてると電話を受けた時点で、当照さんとの約束が脳裏を過ぎった。通話できるからにはまだ余裕はありそうだが、それでも急がなければならない。女教師なんぞに時間をかけていられないのだ。


「だとしたら?」


 オレは腕を引き抜き、立ち上がる。


 相手は戦うのが目的、待ってはくれる。しかし逃がしはしないときた。


 どうする?


 どうやって切り抜ければいい?


「問題ない。簡単なことだ。決闘の時と同じくらいまでは追い込んで状況を再現しよう。ふふ、それも悪くない。よし、格闘術をまずは教えてやろう。身体に技を叩き込んでやる」


 球磨は楽しそうだ。


「熱心なんだな」


 教育する気満々か。


 相手を決して逃がさない能力。


 言うだけのことはある。実際のところ、張り手による破壊は軽く一キロ範囲には及んでいるだろう。二発でもう山の形が変わりつつある。パワーでも互角以上の相手だ。スピードで一キロ以上をぶっちぎれる感触はない。


「手塩にかけた教え子が地球人類を守る。教育者としてこれ以上の光栄はない。だからこそ先生は惜しみなく指導する」


 球磨はじりじりと接近してくる。


「それで教え子を潰してんじゃないの?」


 打開策が思い浮かばないので口で抵抗する。


 そう。ひとつだ。戦わないで切り抜ける手があるとすれば。


「教師が!」


 オレは思い付きを大声で張り上げる。


「折角、機関がスカウトしてきた前途有望な若い人材を潰しちゃっていいのかな!? 今時スパルタ教育もないよね! オレら世代は逆にやる気を失っちゃうよ!? 時代錯誤!?」


「ふふ、潰れるなら潰れるで構わない」


 球磨には通じなかった。


「え?」


 正直、信じたくない。


「先生相手に立ち向かえないような者が地球の危機に立ち向かえるものか。そうだろう? 敵はヒーローの命を狙ってくる。それを思えば、死なない程度に潰してやるのも優しさだ」


「優しさの定義!」


 オレは恐怖する。


 筋が通っているようで、島に来て一週間程度で若者の未来を潰すことを厭わない宣言である。この女教師は完全にイっちゃってる。こんなヤツに教職を与えてる機関もどうかしてる。


「優しさとは現実を教えてやることだ」


 球磨は真顔で言う。


「なんてすばらしいきょういくりねんだ」


 オレも棒読みにならざるを得ない。


 真理みたいに言い切るかねそれ。ケースバイケースだよねそれ。同意してない教え子に押しつけていいもんなのそれ。教えられた現実が間違ってたらどう責任とるのそれ。責任とれないでうやむやにするやつだよねそれ。


「先生の気持ちがわかったか? 行くぞ!」


 球磨の気配が威圧的に立ちふさがる。


「っくそ! この狂育者!」


 やるしかないのか。


 ドン引きしたところで三種の心器のテンションが下がるだけだ。気合いを入れろ。斬られた腹の傷は塞がっている。真っ向勝負で、クッキーを助けに、時間をかけず、どうやって、どうすれば、考えがまとまらない。


 球磨が迫ってくる。


 なにか弱点はないのか、なにか。


「あ」


 それに目を奪われた瞬間。


 テンションが一気に上昇してオレは拡大加速の中にいた。張り手を突き出そうとする女教師の動きが止まったように見える中、高まったテンションの赴くまま、躊躇の二文字も浮かばす手を伸ばす。


 わっし。


 振り抜かれる張り手をかいくぐり、オレは球磨のおっぱいを揉んでいた。そこは鍛えて大きくなったというものでもないだろう。つまり弱点である可能性はある。現実として。そういう言い訳は頭に浮かんだ。


 ふわっと、もにゅっと、こんな感触。


「優しい!」


 これが現実。


「! な、なんのつもりだ」


 拡大加速が終わった時、球磨はオレを見つめて硬直していた。顔が真っ赤になっているのは朝日を浴びているからなのかもしれない。


「優しさって素晴らしいですね。先生」


 オレは心底感動しながら言った。


 もみもみ。


「なんで止めない」


 ゆっくりと球磨が口を開いた。


 もみもみ。


「そうですね、確かに」


 しばらく優しさに浸りながらオレは頷く。


 わかっている。揉んでる場合じゃない。


 もみもみ。


 だが、指がまろやかで柔らかな弾力から離れようとしないのだ。性的におっぱいを意識してから初めての経験である。想像してきたそれらよりも明らかに大きな現実を簡単に手放せない。


 すっげぇ気持ちいいから。


 本能に刻み込まれた快感の一種が揉躙じゅうりんなのかも。


「む、胸は心臓みたいなもんだから、戦闘中にここを触られるような事態は、つまり、先生にとっての敗北ではないかと思うんです。たとえば、オレだって男としての急所を握られたら降参せざるを得ない訳でして、どうでしょう?」


 そしてオレの口は加速度的に回りだす。


 もみもみ。


「それが最期の言葉でいいんだな」


 球磨の顔が真っ赤なのはもう怒りの色だろう。


 大きく開いた掌を振り上げる。


「……」


 オレは覚悟する。


 逃げられない。懐に入り込みすぎている。かといってまさかこの偉大な乳房を攻撃する訳にもいかない。いくら揉んでも、揉みにじっても、おっぱいは愛着を持つべき対象だった。それを失うのは人類の大いなる損失である。


 なんとか防御して耐えるしか。


「お前に地球を守る資格など、ッ!?」


 プシュッ。


 掌に穴が開いたのはその瞬間だった。


 飛び散った血。狙撃か。


「だぁれだッ!」


 球磨が怒りのままに背後を振り返る。


 ここだ。


「先生! お叱りは後日!」


 オレはその一瞬の隙に、胸を手放し女教師を思いっきり突き飛ばした。おっぱいを揉んだ挙げ句にこの所行、良心の呵責は否めないが、逃げるには今しかない。


 クッキーを守りにいかねば。


「おぐぁ」


 球磨が地面を転がっていく。


 オレはその逆方向へ全力疾走、一瞬で二百メートルは距離が取れる。だが問題はあの能力、少なくとも一発は確実に食らうだろう。


「逃がすか!」


 振り返れば球磨は立ち上がって張り手の構え。


「あれなら」


 避けられないが耐えるつもりで受ければ。


「マッサキ、下がれ!」


「氷山の一角!」


 背後から飛んできた声に反応すると、氷の塊が地面を割るように突き出した。それは見上げるほど高く聳え立ち、巨大な空気の動きの壁となってくれる。防御のための技なのか、それとも尖った氷山で突き刺す技なのか。


「野比!」


 オレはその名前を呼んだ。


「悪い。踏み込むタイミングがなかなかなくて」


「なんで、なんで助けに?」


「友達だろうがよ!」


 制服姿に二丁の拳銃を上に向けた友人は小走りにこちらに駆け寄ってきてオレの背中をポンと叩いた。なんて力強い言葉だ。心の友よ。


「久里太くん、喋ってる時間ない」


 むき出しになった地面に霜柱を立てながら、滑るように現れた真っ白な着物姿の高柳さんが氷の塊を真剣に見つめている。ビシビシと氷が割れて弾けるような音が響いていた。そうか彼女の能力か。


「あと、全先くんサイテー」


 背筋が凍るような雪女の流し目。


「すいません」


 そりゃそうです。


「し、静香ちゃん。あれで動きが止まらなかったら芙子だって狙撃できなかったよ? それにあんなものを目の前で揺らされたら」


「は?」


 野比の言葉を高柳さんが威圧した。


「ごめんなさい」


「なんか申し訳ない。フォローまで」


 オレは野比に小声で言う。


「こ、これな? 芙子からよ」


 インカムを手渡してくる。


「そっか、狙撃したから次の行動が読める」


 ありがたく使わせて貰おう。


「三人とも! 来るよ!」


 深大寺の声が響くと同時に、氷の山があっさりと引き裂かれ、真っ赤な顔をした球磨が砕けた塊をガシャガシャと踏みつぶしながらやってくる。寒かったら冬眠するのが熊ではないのか。


「野比に高柳、狙撃は深大寺か」


 白い息を吐き、教え子の名前を確認する。


「受けたいと言うのなら、先生の教育は生徒を選ばない。ただし、耐えられるかどうかは別だ。今すぐ帰るというのなら体育の補習で」


「クマ先生!」


 高柳さんがまっすぐに手を挙げた。


「なんだ?」


「おっぱい揉まれて恥ずかしくないんですか?」


 なに言ってんのこの雪女?


「恥ずかしくなど、ない」


 女教師はストレートすぎる質問に明らかに動揺していた。思わず両手でジャージの大きな膨らみを隠してしまっている。思ったより精神的ダメージが大きかった模様だ。意外な弱点と言うべきか。


「本当ですか? 恋人相手でも恥ずかしいのは変ですか? なんで男の子って無心におっぱい揉むんですか? すっごい間抜け面で幻滅します」


 高柳さんはさらに質問責め。


「それは、専門家に聞くべきで……」


 球磨の怒りの表情が困惑に変わる。


「クマ先生、保健体育担当でしょう?」


 高柳さんは一切の容赦がない。


「……う! こ、子供を作るのには必要なんだ、ろう。お、男が冷静になると責任を避けて避妊を選ぶから、おそらく無心になるように遺伝子レベルで刻み込まれた本能が、だな」


 いつの間にか授業形式にされて逃げ場を失っているようだ。職業病というヤツなのだろうか。しかも言ってる内容がメチャクチャだ。


「聞いてくれよ」


 野比が言う。


「え?」


 いや、とんでもない暴露されてるぞ?


 間抜け面に幻滅とか言われてんぞ?


「おれたちがクマ先生を足止めするから、マッサキは逃げろよ。五十鈴と戦うんだろ?」


「ありがたいけど、なんで?」


「決闘、凄かったよ」


 野比は拳銃を握りしめて言う。


「勝ち目のない相手と戦うってヒーローだよ。だからさ、マッサキに一位を取って欲しいって三人で話をした。それで、五十鈴の目を覚ましてくれよ。アイツ、悪いヤツじゃないけど、あのままヒーローにはなってほしくねぇよ」


「目を覚ます?」


 オレには意味がよくわからない。


「よくわかりません。それは先生の経験談ですか? 経験則として参考になるかどうかわからないので、どのくらいの相手に揉まれたか教えてください。それだけ目立つとそれ狙いでくる男は大勢いたと思うんですけど、百人ですか? 千人ですか? 乳首は真っ黒になってますか?」


 高柳さんの口撃は緩まない。


「う、うるさい! うるさいぞ!」


「さっきのが三年ぶりだって」


 深大寺の無線が飛ぶ。


 そこで心を読んじゃうのか。


「え? 三年ぶり?」


 高柳さんが球磨の顔を見て笑った。


「な、深大寺」


 心を読まれたことを理解した女教師が動揺した。


「ちょっと、それってクマ先生の現役時代またいでない? ヒーローってすっごいモテるのが常識なんじゃないの? 法律に縛られないから重婚して子供を大勢作って優秀な遺伝子を残すことまで半ば義務というか、あ。だから? だから島に戻ってきて教師なの? 自分がモテなくて子供を作れなかったから教師として母性本能を満たしてるの? 可哀想!」


 ものすごい勢いでまくし立る。


 なんか恨みでもあるのか。


 ずっとそう思ってた勢いだぞ今の発言。


「かわいそう?」


 女教師もかなりショックを受けている。


「あとすっごいピンク。サーモンピンク」


 深大寺も遠くから火に油を注ぐ。


「ピンク! サーモンピンク! まあ! 先生、ごめんなさい。この質問は先生に聞くべき内容じゃなかったみたいです。教師としてのプライドを傷つけてしまったみたい。頑張ってください。応援してますから。きっと先生にもいい人現れますって! 間抜け面に幻滅できますって!」


 高柳さん容赦ねぇ。


「かわいそうじゃない。かわいそうじゃない」


 球磨の心が折れた。


 完全に雪女がクマ女を手玉に取った。


「すっごいピンクか」


「女子の会話って凄いな」


 オレと野比は互いに顔を見合わせて照れまくる。なんてエグい戦い。とてもヒーローらしい戦いとは言えないが、精神攻撃は非常に有効な手段であることも理解できた。強敵相手には積極的に狙っていくべきだろう。


「じゃ、行くから、野比も頑張れ」


 この間に必要な話は聞けた。


「おう。たぶん出番ないけどよ」


「カノジョ、最高だな」


「自慢のカノジョだ、惚れるなよ」


 喋っている間に、高柳さんが周囲にすっかり氷で壁を築いていてくれた。出口として残してくれている部分を通り抜けると、氷のドームにクマを閉じ込めてくれる。悪口さえ準備、そういう戦略だった。


 雪女ヤバい。


 能力の空気熊は球磨の周囲の空間の広さに応じた大きさになるので、空間を区切られると威力は格段に下がるのだそうだ。そこまでしなくてももう戦意はおそらく残っていないだろうが。

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