第12話 ウィニング・ラーメン
英語の後、歴史の授業。
なにも頭に入ってこない。
オヤジは意図的にオレをヒーローの情報から遠ざけていたのだろうか。そしてそれはテロリストであることを間接的に示しているのかどうか。そのことばかり考えている。休み時間に言われたことに心当たりがあった。
オレはヒーローに興味のない子供だった。
保育園に通っていた頃、ヒーローごっこの輪に入れなかった記憶がある。人気のあるヒーローの名前をひとつも言えなかったからだ。
皆がお気に入りのなにかになりきっているときに、知らないと言うヤツがいれば興醒めなので誘われなくなったのだ。別にバカで物覚えが極端に悪かった訳ではない。
みんなが見ている番組を見ていなかった。
現実に起こる事件とそれを解決するヒーローの活躍をフィクション混じり伝える子供向け半ドキュメンタリーがあることは聞いていたが、幼いオレの頭にはピンと来ていなかった。
毎週日曜の朝にやっていたその番組の時間、オヤジはだいたいオレと遊んでいた。キャッチボール、サッカー、自転車、ドライブ、キャンプ、海、内容は週替わりで色々。平日は仕事で忙しくても休日は遊んでくれる。そんなオヤジが好きだったし、ごっこ遊びの輪に入れないからと言ってその番組を見ようという気になった記憶がない。
それが意図的であったかどうかはわからない。
しかし保育園の頃のそういう体験から少なからず人付き合いに対して積極的ではない性格が形成されていったような気はする。流行りものにはとりあえず乗らないという変なやせ我慢にも似た行動の傾向、そのときそのときの事件で有名になったヒーローたちの名前も右から左へと通り抜け、記憶にはほとんど残らない。
確実なことはひとつ。
ニュースでヒーローの活躍を伝える報道になるとチャンネルを変えていた。これは逮捕される寸前までそういう風にしていたのをはっきりと覚えている。幼い頃からそうだったとすれば、オヤジのことが好きだったオレが家でその話題を口にすることがなかったのは必然だ。
でもそれがテロリストである証拠だろうか?
「マッサキ、ヒルメシどうするよ?」
「え? ああ……学食があるんだろ」
いつの間にか授業が終わっていた。
朝から空腹だ。考え事はそれからにしよう。
「一緒にどうよ?」
「なにが?」
「なにがじゃねーよ。メシだよ。一緒に食うんだよ。クラスメイトとして親睦を深めるんだよ。マッサキ、誘ってんだよ。誘われろよ」
クラスメイトの男が話しかけてきていた。
クラス内でも数少ない制服姿。
「場所知らねぇから案内してくれる?」
オレはそう答えて、立ち上がる。
「モチロンよ。おれたちの仲だ、遠慮せずなんでも言ってくれよ。まずはそうだな、おれのカノジョである静香ちゃんを紹介しよう。B組なんだがこれがもう可愛い。惚れるなよ」
「惚れねぇよ」
よく喋るヤツだとオレは愛想笑いする。
こいつの名前なんだっけ。
休み時間に一斉に自己紹介された一人なのはわかる。気配に印象がなかったのであまり記憶にとどめていない。さっき狙撃手の女子を取り押さえてくれた感じだったが、それが仲なのだろうか。
正直やや面倒くさい。
「カノジョと一緒じゃなくていいのか?」
オレは牽制してみる。
一人で考える時間が欲しい。
「モチロン一緒だよ」
「オレと?」
「むしろ静香ちゃんの要望だよ」
「……」
オレはその横顔を見つめる。
身長はほとんど変わらない。髪の毛はオレより少し長いがそれも特徴的とは言えない。この島にいるからには普通じゃないのだろうが、見た目はかなり普通だ。人の良さそうな雰囲気はある。
なにか裏でもあるのか。
この男が平凡に見えれば見えるほど、カレシを使って男を呼びつけるカノジョの行動が怪しく感じられた。最下位のオレを狙う理由などないだろうとも思うが、昨夜のクッキーの例もある。
警戒すべきか。
外から見たときは収容所のように見えた学園だったが内側から見るとむしろ素朴な学校の体裁だった。特に高等科は木造校舎である。応接室から担任に連れてこられたときは目を疑った。
「学食は大学部の方だからよ」
「ああ……」
月暈学園は初等科から大学部まであるらしい。
渡り廊下を通ると木造校舎からがらりと近代的な建物に変わる。広い窓を取った劇場のエントランスのような廊下にはランドセルを背負った子供からくたびれた白衣のオッサンまでが交差する喧噪が広がっていた。
「……おお」
おもしろい気配がいくつもある。
非戦闘系の能力者も多く通っていると担任が言っていた通り、とても戦い向きではなさそうな人も多い。だが、それだからだろう。なにか新しいものが生まれそうな感覚がある。警戒しようと思っていたことを忘れそうなぐらいそれは心地よかった。
教室の気配はこれと比べると淀んでいる。
ヒーローを目指して競争する空気だからか。
「色々気になるとは思うけど、あんまり好奇心で首を突っ込まない方がいい。実験台を探してるところが多いからよ」
「実験台?」
オレは思わず聞き返す。
「とりあえず急ごう。ちょっと出遅れた。学食はいつも混んでるけど、席は静香ちゃんたちが確保してくれてるはずだよ」
微妙にはぐらかされた。
広いカフェテラスのような学食にはさらに大勢の人間が集まっていた。大人が多いように見えるのは職員なども含まれているからだろう。
「マッサキ、島で買い物は?」
「まだしてない」
オレたちは並ぶ列の最後尾へ。
「そっか。ここはセルフサービスだから、好きなのを取って、会計はヒロポンをレジにかざすだけだよ。学食は金がなくてもツケで食わせてくれるから、覚えておくといい」
「そうなのか」
オレは空腹だったので見るものを片っ端からトレーに山盛りに乗せた。隣の男も周囲もどよめいたが、後方の別のどよめきに飲まれる。
「五十鈴が学食に来るの珍しいな」
「いすず?」
オレは別に大食いではないがと思いながら、見ると隣の席の一位女子はトレー二枚使いで山盛りだった。ひとつのトレーはとんでもなく高くご飯を盛ったカレーライスであり、もう一方は野菜炒めの上にフライ類が大量に乗ってやはり山を作っている。
「……」
こちらを見て少し得意気な顔をしている。
「……」
なんで張り合う感じなんだ。
最下位と一位だろ。
「久里太くん、これってどういう状況?」
「ちょっとおれにもよくわからないよ」
「静香、やっぱり今日は」
「待って、芙子ちゃん。あの転入生の全先さん。B組の高柳静香です。急に呼び出したりしたのは、そのさっきの休み時間に芙子ちゃんがちょっと言い過ぎたんじゃないかって気にしてて」
「親のこととかはあんまり」
「気にしないで深大寺さん。オレも言い過ぎた」
オレは狙撃手にそう言って席に着く。
トレー三つ分の山盛りランチを前にして意識するのは斜め前方の四人掛けテーブルに一人で座ったランキング一位の女である。
五十鈴あさま。
トレー二つの山盛りランチを先に持って行ったはずだが、まだ手をつけていない。待っていたのは明らかだった。最下位に対しても勝ち気、なるほど一位らしい心構えだ。徹底して圧倒しようということだろう。
ならばきっちりと受けて立つ。
宣戦布告代わりだ。
オレの方もその一位はいただくつもりなのだから。
「よ、よかった。これで仲直り、ね?」
「そうだよ。良かったよ」
「こっちに興味がないだけじゃない?」
「いただきます」
オレは大きめのジェスチャーで手を合わせる。
開戦の合図。
「いただきます」
五十鈴はちらりとこちらを見て言った。
勝負は受諾された。
オレはまず箸を取る。超大盛りカレーライスに野菜炒めとフライの盛り合わせという相手の2トレーに対し、オレはハンバーグをメインとしたナポリタン大盛り洋風トレーに追加として超大盛りチャーハンと餃子をメインとした中華おかずの山盛りで3トレー。同じタイミングで食い始めて先に食い終わればこちらの完全勝利となる。
ケチャップが滴るようなスパゲティを箸で大きく巻き取り口に運ぶ。美味い。トマトの酸味が立ち、ベーコンは肉厚のカリカリ仕上げ、タマネギの歯触りはしゃきしゃきとさわやかだ。
これはいい!
学食! リーズナブルな値段に対していい仕事をする! 素材のひとつひとつをおろそかにしていない! これならばまったく飽きないでいけるぞ! 箸が止まらない! テンションが上がってくる!
勝ち筋は見えた。
五十鈴がオレに勝つにはおかわり必須!
自分で料理を運ばなければならない大食いにおいては料理のセットアップこそ勝敗を左右する絶対要因。おそらく早食いに自信があるので2トレーを先に食い終えて勝ち逃げを狙っているのだろうが、そうはいかせない。
オレは大食いよりも早食い派だ!
「マッサキ、それ本当に全部食えるのかよ?」
「問題な……んぐ!?」
オレはちらりと五十鈴を見る。
なん……だと。
「おいし」
肉がゴロゴロと入ったビーフカレーをゆったりと口に運ぶスプーン。握られたその柄は長く、そして皿の部分は大きい。大きめのプリンをそのまま乗せられるぐらいのサイズ。
まさか、勝負があるともわからない平日から常に用意していると言うのか、くそ、オレだって名箸・断骨さえあれば。引っ越しの荷物には入れてきたのだ。四十年に一度だけ神の山から切り出される霊木より生み出されし、生きた肉を生きたまま食えるというあの箸さえあれば。
「ふ」
オレの驚愕する視線に気付いたのか、五十鈴は余裕の笑みを浮かべると、カレーの山をひとすくいで大きく削り取り、しっかりと自分の口のサイズにジャストフィットする様を見せつける。
「やはりか、五十鈴あさま、美少女と言うにはどこか違和感のあるあの大きな口、常人を遙かにしのぐ咀嚼力の源はそれか」
「いや、しかし新入りの箸の動きも決して素人のそれではないぞ。あれは我天飛箸流じゃないか、こんな島にその使い手がいたとは」
「うむ。確かに咀嚼力を補って余りある的確な箸捌き、スピードにおいては
「このまま行けば勝つのは新入りだね」
「ああ、やはり作法を知るものこそが正統」
「……久里太くん。だれ、この人たち」
「なに言ってるのか全然わかんない」
「ギャラリー? ギャラリーが集まってるよ!」
勝つのはオレだ。
周囲の喧噪はもう聞こえなかった。箸を動かし、味わい、そして五臓六腑へ染み渡らせる。食ったエネルギーを食うエネルギーへと循環させるこの力は負けない。負けてはならないのだ。
オレが残り半トレーに到達したところで、五十鈴も残り半トレー。このままスピードを落とさなければ勝てる。自分匙には驚いたが、どこまでもマイペースに食っている五十鈴あさま、それこそポテンシャル頼みだというのだ。
「ちわー、お待たせしました。9楽らぁめんでーす。ちゃぁしゅうめん大盛り、やきぎょうざ五人前、てんしんはん、お届けに参りましたー」
「ピタゴラスピザ、カクゲリータ三枚注文の……」
「ざるそば十人前お待ちどう!」
「いつもありがとうございます、極盛り天丼……」
「はい。全部、私です」
「んんっぐ!?」
まさか。
スプーンを口につっこんだまま、五十鈴が手を挙げる。四人掛けのテーブルは見る間に追加された料理で埋め尽くされる。その量は明らかに3トレー以上の追加だった。
おかわり
「なんという掟破り!」
「だが、学食だから学食のメニューのみというルールはない。ここは弁当さえ持ち込みが許される学園内だ。まさに盲点」
「新入りの伝統の技が、まさか硬直した思考として破られてしまうのか。なんという因果」
「いや、まだだっ……」
オレはヒロポンを引っ張り出す。
「野比、なんでもいい。3トレー追加だ。高柳さんと深大寺さんも一緒に頼む」
「え?」
「どういうこと?」
相手がデリバるというのならこちらもデリバるまで。店のアドレスは知らないが、相手は一人、こっちにはクラスメイトがいる。学食のメニューを足すならむしろこちらが早い。
「待てよ。マッサキ」
野比は箸を持つオレの右手を掴んだ。
「頼む! 時間がない!」
そうこうしている内に五十鈴はセットアップを完食しつつある。まだこちらにアドバンテージはあるがおかわり勝負になると胃袋の勝負、そこは早食い派に分の悪い領域だ。
決着を急がねば。
「いや、なんの勝負してるのかわからないけどよ。マッサキ、最下位なんだから金の使い方考えないと生活できないよ」
野比は諭すように言う。
「金! 金かっ……!」
頭を抱えてオレは呻いた。
「そうか……金か」
「新入りにはつらいところだ!」
「食芸者、すなわち貧乏!」
ギャラリーがオレの言葉にどよめいている。
してやられた。
「わたしの勝ち、みたいね」
五十鈴は言うと、ずるずるとラーメンをすする。ウィニング・ラーメン。まさに勝利の味だとでも言うのか。しかし己の懐具合を失念していたオレに返す言葉はない。
トレーの残りを噛みしめる。
「ごちそうさまでした」
ギャラリーに見守られながら、オレは学食を後にする。まばらな拍手もあったが、それは同情の響きだった。心臓の鼓動が乱れる。
五十鈴あさま。
この借りは必ず返す。
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