白百合物語

落花

白百合は太陽に呑まれて笑う。


 そこは、随分と寂れた酒場だった。だが、いつの夜も大勢の人で賑わっていた。あちこちからグラスのぶつかる音や笑いあう声が起きる。いつもと同じ喧騒が、そこにあった。

 やがてその中から、柔らかなリュートの音色が翼を広げる。鋭すぎず、それでいて、物語に華を添えるために調律された音。おお、吟遊詩人だ。誰かが呟いた。

「――それは、昔々のこと」

 今に飛び立とうとする鳥のような、広く響き渡る声。それまで気に留めなかった者達も、少しずつ引き込まれるように、声の主へと視線を投げていった。

「剣と魔法の共存するこの世界。平和の続く美しき我らが世界」

「その中で、今もなお輝かしき栄光とともにある『アーテイル王国騎士団』の名は、この場に居る皆さんがご存知でしょう」

 紡がれる言葉、その美声の持ち主は、まるで白磁のような喉と、翡翠色に輝く髪、同じ色の瞳を持った少女であった。揺らめくシャンデリアが胸元を照らす。それに応えるように、キラリ、胸元のペンダントが煌いた。

「今宵、お話しするのは、その始まりの物語」

「訪れる闇に打ち勝たんと歩を進める人々にもたらされた光の祝福を、みなさんにも」

 ことん、グラスを置く音が重なる。静まり返った酒場の中で、少女はまた、オオルリのように語りだした。

「時は遡り、建国暦九〇六年、アーテイル王国――」


 ――


 白き太陽が蒼穹と共にあり、鳥は鳴き、波はさんざめく。季節は夏。

 鋭い金属音が鳴り響く。剣を交えていた二人の男はそれを合図のように同時に後退する。そこはアーテイル王国の広場であり、以前は練兵場として扱われていた場所だった。

 だが、今は二人の姿しか見えない。壁は欠け、草花は生え、風がそれを揺らしている。

 奇妙な静けさと緊張感の中、先に口を開いたのは、浅黒く日焼けした男だった。

「随分と上達したじゃないか、フレイ」

 長剣の切っ先を下げ、ウィル・マキナは言った。その言葉には、まるで昔を懐かしむような、どこか寂しげな様子があった。

 荒い息を深呼吸で整える。剃りあげた頭から、玉のような汗が滲み、やがて頬を、顎を伝ったそれは、『アーテイル近衛兵』の紋章が刻み込まれた防具に一つ染みをつけた。

「だがまぁ、まだまだ。お前、今日、何回殺された?」

「っ、クソ、アンタが強すぎるだけだろ……」

 かたや疲労困憊の様相を呈し、肩で息をする若者がいた。ウィルの問いかけに答えず、越えられない強さに不満をこぼしていた。フレイ・マキナはウィルの愛弟子であり、十八という若さで近衛兵となった新人だ。

「俺についてこれるだけマシだ。まだ本気じゃないがな」

「このっ……。馬鹿に、するなっ!」

 俯いていたフレイが、その言葉に顔をあげる。鋭い眼光は真っ直ぐにウィルを捉えて、片手剣を携えた右腕は、しなやかな鞭のように跳ねる。踏み込んだ右足が強く大地を蹴り、そして、一閃――!


「おっと」

 が、あっさりとかわされ、足を掛けられそのまま倒れ伏す。冷たく硬い地面の石材は寝転がるには不向きであったが、頬を撫でる風は、彼にとってとても心地良いものだった。太陽の光が、瞼の上から注いでいる。うっかりすれば、そのまま眠ってしまいそうだった。

「平和だなぁ」

 ふと、言葉が出た。小さな一言だったが、ウィルがそれを聞き逃すことはなかった。

「はは、そうだな。――お前の父さんと母さんも、この平和を護る為に……」

 フレイとウィルは、姓を同じとしているが、血は繋がっていない。フレイの両親は、十年前のクーデター鎮圧に際して、死亡している。しかしフレイは、その話題が出るたびに顔を歪めていた。口をへの字にして、パッと起き上がる。

「よせよ、もう。父さんと母さんの話なんて、耳にタコが出来るほど聞いたさ。二人のことは尊敬してる。けど――俺の父さんは、ウィルだよ」

 ひとつ嘆息して、フレイはそう言いきる。噴きだした汗か、体温なのか、頬が少し赤い。

 ウィルはそれを見てみぬフリをして、沈黙を打ち砕くように声を出した。

「ふむ……。さぁ立て、飯でも食いに行こう。奢ってやるよ」

「お、ホント? それじゃ、西の港に美味しい所があるんだ」

 パッと起き上がる。着替えてくる、とだけ伝えて、フレイは練兵場を後にした。

「なぁ……お前たちの息子は良くやってるよ。平和は、良いもんだな」

 フレイの両親に自慢するように呟く。やがて一人きりになったウィルは、しばらくしてから、先に行った後輩の後を追い始めた。


 アーテイル王国は西をピエトロ湾に、残りの三方をレアオア山脈の山肌に囲まれた天然の要塞を持つ城だ。フレイとウィルはアーテイル城から山肌を下り、潮風の歌う港へ向かっている。道すがら、教会から出てきた人々が二人に気付き、手を振っていた。

「今日も賑やかだ。みんなシャクティの加護を心から信じている」

「そうだね。石堀りは重労働だって聞くけど、皆笑顔だ」

 二人は手を振りかえしながら言った。手を振る人々はどんどんと増え、教会から顔だけを覗かせる者もいる。土地を護る鉱石の神シャクティは、アーテイルの民に愛されていた。

「近衛兵も、同じだ」

「……どういう意味?」

「シャクティが加護をもたらす為に愛されるように、近衛兵も民を守るがゆえに愛される。その愛に応えるために、俺達はもっと強くならねばならないのさ」

 確かに、そうだ。フレイは自らの腰に携えた剣に手を掛けて、強く頷いた。


――


「ご馳走様!」

「おい、もう少しゆっくり食え」

 アーテイル王国の西、港のレストラン「アネモネ」。新鮮な海鮮を扱うこの店は、昼時となって一層の賑わいを見せていた。木造の室内は快適な温度で保たれて、外を見れば美しい海が広がっている。どうやら、ちらほらと女性の利用客もいるようだった。

「夜は酒場になるんだってさ」

「へぇ……これだけ賑わうのも納得だな」

 しかして、騒いでいるのはやはり冒険者であった。世界を旅する荒くれ者。剣と魔法とを自在に使いこなす卓越した技術の持ち主たち。そんな彼らの安寧、休息の場は、まさにこういった安らげる食事の場なのだろう。

「羨ましい。俺もああして、旅に出てみたいよ」

「はは、お前にゃ無理だ。近衛兵の任務からは外さねェぞ」

 ウィルはそう言い切って、大きく笑った。フレイは一人、がくりと肩を落とす。そもそも近衛兵といえど、そんなに仕事があるわけでは無いにも関わらずだ。だがその仕事は誰にでもできるという訳ではなく、由緒正しき家柄の人物たちが集まり、卓越した剣の腕と魔法を以て王族を護る……というもの。よって、近衛兵に登録されているものは基本的に国を離れることを許されていないのだ。フレイも、それは良くわかっていた。   

 しかし。

「それでも、一度くらい旅をしてみたいよ」

「夢を持つのはいいことだ。もっとも、叶うのは五十年後くらいだろうけどな」

 さて、そろそろでるか。ウィルの言葉に、フレイがそっと腰を上げた時だった。突然、店の奥の方から、店主と思わしき男の怒鳴り声が響いた。

「誰か! 捕まえてくれ! 強盗だ!」

 白昼堂々の犯行に途端に悲鳴があがる。フレイからもその姿がはっきりと認識できた。長身で体格のいい男。手には爛々と輝く短剣を握りしめている。浅黒い肌の色は、異国の人間であることを伺わせた。

「どけっ!」

 犯行は成功だったように思える。想像もできないような軽々とした身のこなしから、男が確かな技術を持つシーフだと推測できる。が、一つ不幸なことがあるとするならば……。

「さぁ、フレイ。基礎の復習だ。魔法詠唱とその発現に必要なものは?」

 アーテイル近衛兵のトップが、――ウィル・マキナが居たことだろう。

「人や魔石の持つ万物の素『マナ』、詠唱者の強力な『創造力イメージ』……」

 フレイは淡々と答える。すべて過去の座学でやった内容だった。しかし、簡単なように見えてこれは非常に難しい。人は食事を介してマナを補給するが、大魔法の詠唱・発現となると、人体に蓄積されたマナでは量が足りない。それをカバーして供給源となる魔石自体、純度の高いものは数少なく、非常に高価だ。そのなかでもウィルは高純度の魔石持ちとして有名な騎士だったが、異国の男がそれを知る由もないだろう。

 喧嘩の仲裁から殺人まで、ありとあらゆる事件に接していたウィル。故に、ウィルの発した魔法は、彼の十八番であった。

 すらり、腰元の剣を抜く。柄に輝くルビーが一瞬、炎のように揺らめき輝いた。

「それから、詠唱に使用する『神語』だ。しっかり覚えてるようだな。――見ておけ」

 ウィルは目を閉じる。息を吐く。単純な動作の中で、意識は魔法の行使へ移行していく。

「邪魔だ! どけぇっ!」

「――『紅き魔石よ、我が身に代わり、令に応えろ……仇敵捉える縄となれバインド・ファニキュラ!』」

 刹那、男のナイフがウィルの額に迫る。しかし、その凶刃が肉を裂くことは無かった。逆手に持った短剣まで、ゆるゆると、しかし力強く、赤い鞭が縛り上げていく。男の脚元に広がる神語文字の描かれた円陣と、そこから発現した魔法は、なにかもの言いたげなその口を塞ぎながら全身をのたくる。

 男が海老反りで固まるまでに、そう時間はかからなかった。

「残念だったな。俺がいる限り、この国の治安を乱す輩は許さないぜ」

 どこからか、拍手が起きた。さざ波はやがて大きくなって、みながウィルを称賛する。

「流石だな、親父は」

 フレイはそんな父親の背中に、尊敬をこめて小さく拍手を送っていた。


 結局、騒動が治まったのはそれから半時ほどしてからだった。憲兵に引き渡してから、異国の男は特に抵抗することもなく捕まっていった。旅人や冒険者の出入りが比較的緩いこの国では、こういった事件が多くあった。騎士団の主な仕事はそういった暴漢の鎮圧であり、たとい地味な仕事と言えど、民から信頼されていたというわけだ。

「城の地下牢へ連れて行け。……身柄はこちらで預かります。ご苦労様です、マキナ様」

「『様』はいい、俺たちはただの近衛兵だ。後を頼む」

 憲兵はその言葉に一度敬礼し、踵を返した。「アネモネ」の周りに出来ていた野次馬も、今はその姿が見えない。ウィルはそれを確認して、どっかりと地面に腰を下ろした。

「いやぁ驚いた。真っ昼間からあんなことが起こるなんて」

「あはは、良い復習だったよ。流石」

 フレイは改めてそう労う。あれほど冷静に対処できるのは長年の経験が為せる技だろう。十年前の反乱によって数少なくなってしまった近衛兵にとって、ウィルほどの使い手はいまや手放すことの出来ない人材だ。フレイは、それが羨ましくもあった。

「俺にウィルの才能が少しでもあればなぁ」

「はは、馬鹿言え。お前ほどの才能の持ち主はいないさ」

 フレイの言葉に、ウィルは豪快に大口を開けて笑う。きょとんとした表情のフレイへと、ウィルは続けざまに口を開いた。


「剣の腕。知識。それから人当たり。すべてが軒並み高い。近衛兵登用の年齢に達していなかったお前を推薦したのは、俺がお前のセンスを見抜いたからさ」

「今もなお、成長し続けている。もっとも、お前は魔法に適性がないから、当分は剣に頼ることになるだろう。こればかりは成長に掛けるしかないが――」

 そこまで言って、ウィルは言葉を切る。と同時に、町の方から一人分の足音が駆ける。視線を投げるウィルは、小さく「呼び出しが来たか」と呟く。その様子にフレイはほんの少しの不穏を感じながら、だがしかし同じように目を動かす。

 そこにいたのは、先ほどと同じ憲兵だった。

「フレイ・マキナ、ウィル・マキナ。両名に国王からの通達が来ています。今すぐ来るように、とのことです。……その、よろしいでしょうか?」

 憲兵はちらとこちらを見る。視線に負けてフレイが一歩後ずさろうとして、ウィルがそれを押しとどめた。馬鹿野郎、胸張れ、近衛兵だろうが。そう小さく声が聞こえる。

「悪いな、憲兵。案内してくれ」

「は。……こちらです」

 そして、歩き始めていく。目指す先は、白亜のアーテイル王国城――……。


 一つ鐘が打ち鳴らされて、時を告げる。蒼穹が太陽と渡り鳥を飲み込んでいくその様を、フレイは歩きながら、ああなりたいと願いながら、思わず、見とれていたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る