最終話 第3の男

「はい、オッケー! いいねー! 復帰して以来、サイコーの笑顔だったよ飛鳥ちゃん!」

「ふふっ、ありがとうございまーす!」


 神嶋市郊外にある植物園の、名スポットであるアネモネの花畑。そのすぐ近くにある川辺で、1人の美女が見目麗しい肢体を披露していた。

 白いビキニで最低限の部分だけを隠した、透き通るような柔肌と――辺り一面の純白の花びらが、互いを引き立て合っている。艶やかな黒髪のボブカットが、花びらと共に風に揺れ、優雅な波を描いていた。


 名物である「希望の橋」を背景に、この川辺で撮影を続けている彼女――駒門飛鳥が、グラビアアイドルとして無事に復帰してから、約3週間。


 他の同業者を圧倒する美貌とバストを併せ持つ彼女は、瞬く間に人気を取り戻し、あらゆる雑誌の表紙を飾る売れっ子となっていた。

 稼ぎ頭の完全復活に、撮影スタッフも監督も事務所の社長も、ほくほくの表情である。


 ――あの戦いの後。駒門飛鳥と「血濡れの十字架」の3人は人間に戻り、ニュートラルから解放された。

 彼らはもう「不死身」の力に思い悩むことも、生きるために他者の血を吸う必要も、なくなったのである。


 3人は神威了によって対策室に連行され、投獄。飛鳥は約1週間の入院を経て、無事に退院した。

 ――無論、ただの人間でしかなくなった彼女に、対策室が接触することは最後までなかった。


 世間的には、「吸血夜会」に攫われた駒門飛鳥を、「神装刑事ジャスティス」と「キャプテン・コージ」の2人が救出した――ということになっている。当事者である飛鳥本人の記憶が曖昧であったため、キュアセイダー2号の活躍はそのまま抹消されることとなった。

 機が熟するまでキュアセイダーの存在は秘匿せねばならない、というのが対策室の見解なのである。それに併せて架の怪我も、神嶋記念病院で「吸血夜会」に襲撃された時によるもの、ということにされた。


 その後、事件のショックを乗り越え、笑顔を取り戻した飛鳥は――こうして、グラビアアイドルとして華々しく返り咲いたのである。彼女の足元に咲き乱れる、アネモネのように。


「よーし、ここらで一旦休憩! ほらほら、セット気を付けて! 花、傷付けないようにね!」


 やがて撮影は一時中断され、休憩時間を迎えた彼女は水着の上にパーカーを羽織ると、スタッフが用意した椅子に腰掛ける。そして……携帯を開き、幸せな笑みを浮かべた。

 ある経験をした女性しか見せない、その貌を目撃して――ベテランの監督が、目の色を変える。


「飛鳥ちゃん、今すっごくイイ顔してたね」

「えっ……!? そ、そうですか?」

「なーんか、事件の前よりずっとイキイキしてるし、笑顔も華やかだったし……飛鳥ちゃん。今すっごく幸せな恋してるでしょ?」

「え……えぇっ!? ちち、違います違います! か、架とは……別にそんなんじゃ……!」

「ほう、カケルっていうのかい。なかなか男前な名前じゃないか」


 その追及に、飛鳥はボッと顔を赤らめると、必死に手を振り否定しようとする。だが、そんな反応を見せられ信じる人間が、どれほどいるだろうか。


「えー!? 飛鳥ちゃん彼氏できたの!? ちょっと困るよそれならちゃんと教えてくんないとー!」

「もーっ! マネージャー、違うって言ってるでしょー!」

「ほほー……白衣着てるってことは医者かい、飛鳥ちゃん。なるほど、確かにイケメンだなこりゃ」

「ちょっ、監督! 勝手にケータイ見ないでくださいっ!」

「待ち受けにしてる飛鳥ちゃんが悪い。見せつけてるようなもんでしょ、これ」

「見せつけてなーいっ!」


 懸命に監督から、携帯を取り返す飛鳥。その白い手に握られた画面には――自分のせいで傷付いても、決して退かず。約束通りに「病」を治してくれた、最愛の医師が映されていた。


 ◇


 ――そんな中。

 見目麗しい花園の中に立ち。はしゃぎ回る彼らを、遠くから見つめる者がいた。

 その人物――執事服を優雅に纏う銀髪の青年は、目を細めて駒門飛鳥の様子を見つめている。


「……ニュートラルを感染者から分離する砲弾。そんなものが存在していたとは、夢にも思わなかったな」


 独りごちる彼の声色は、ひどく落胆した様子だった。その眼は、嘆きの色に染められている。


「ヴィラン対策室と『血濡れの十字架』の双方に、イモータル・ニュータントの情報を流すことで――ヒーロー達に彼らを始末してもらい、最後に私が疲弊したヒーロー達を片付け……彼女を頂く予定だったのだが。まさかあの捨て駒共だけでなく、イモータル・ニュータントまで人間に戻されてしまうとは。おかげで千載一遇の『不死身』の力が、この世から消え去ってしまった……」


 ――「血濡れの十字架」の3人は、かつて幹部候補に名を連ねるほどの手練れだった。飢えを凌ぐために仲間を喰らう、という大罪を犯していなければ、今頃は組織の重鎮になっていただろう。

 そんな連中は組織の幹部達にとって、自身の地位を脅かす邪魔者である。が、下手に刺客を放てば手痛い返り討ちを食らう可能性もあった。ゆえに幹部達も、彼らの処分に手を焼いていたのである。


 そこで、イモータル・ニュータントという稀少な人材を敢えて餌に使い、彼らとヒーロー達を戦わせ、漁夫の利を狙う――という作戦に出たのだが。キュアセイダーの白血砲のために、全てが水泡に帰してしまったのである。

 「血濡れの十字架」を一掃し、「不死身」に釣られたヒーロー共を撃滅し。最後に残ったイモータル・ニュータントを、「吸血夜会」の選ばれた民トップエリートである自分達が独占する。その計画が全て、頓挫してしまったのだ。

 おまけに功を焦るあまり作戦を無視して、イモータル・ニュータントを奪おうとした一部の正規部隊が、デーモンブリード達5人に始末されてしまった。


 やがて、幹部の使いである彼は――興味を失ったように飛鳥から目を背けると、踵を返し花園から立ち去っていく。

 その眼は――ヒトのものではない鋭さを放っていた。


「……キュアセイダー、か。厄介なヒーローがいたものだな……」


 彼の名は、吸血執事トーマス。「吸血夜会」の幹部の娘・エリザベスに仕える怪人である。

 その実力の底は未だ、計り知れない……。


 ◇


 ――その頃、城北大学付属病院では。架の帰りを待ちわびる藍若楓が、愛する医師への想いを馳せていた。

 彼がいない間も患者達を守るべく、仕事に没頭しようとはしているのだが――どうしても、頭から離れないのだ。


 数週間前、神嶋市で発生したという「吸血夜会」のテロ。架の出向先である神嶋記念病院も、その被害を受けていたと報じられたのだから。


「……橋野先生、ご無事かな……」

「楓。307号室の飯島いいじまさん、そろそろ点滴が切れちゃうから補充してってさ」

「あ、うん。行ってくるね」


 同僚の藤野凪沙から仕事を振られ、彼女は我に帰ったように席を立つ。その背中を、昔馴染みの親友は心配げに見送っていた。


「……へーきだよ、橋野先生なら。院長がヴィランに攫われた時だって、ちゃんと帰ってきてくれたじゃん」

「うん……そうだよね。ありがとう、凪沙」

「いいからさっさと行ってきな、カルテの整理はあたしがやっとくから」


 暖かな親友の言葉を受け、楓は微かに頬を緩ませる。そして、点滴の袋に手を伸ばした――その時。


「藍若さん、今の飯島さんの点滴はこっちの生理食塩水だよ。それは野村のむらさんの抗生物質だ」


「……!?」


 聞き慣れた声。忘れるはずのない、最愛の声。


 それを耳にした楓が、ハッと顔を上げた先には――白衣に袖を通した、橋野架が立っていた。


「せ……先生……!? い、いつ戻られて……! 復帰は早くても来週からじゃ……!」

「今さっき帰ってきたところ。1週間の有給で身を休めてから、って院長先生には言われてたけど……やっぱり皆が気になってね」

「ちょ……! いきなり過ぎますよそれ! ていうか、院長先生にまた『働き過ぎだー』って怒られますよ!?」

「あはは、ごめんな藤野さん。神嶋市のお土産買ってきたから許して?」

「……ま、まぁあたしは別に構わないんですけど」


 彼は点滴用の袋を手に、いつも通りの穏やかな笑みを浮かべている。

 この病院に欠かせない名医の突然の帰還に、楓達はあっけにとられていた。慌てふためきながら抗議の声を上げる凪沙は、差し出されたお土産袋に黙らされてしまう。


「先生……!」

「心配掛けて悪かったな、藍若さん。……これから、またよろしく頼むよ」

「……はいっ!」


 ようやく帰ってきた、最愛の人。ようやく取り戻せた、愛しい日常。その喜びを噛みしめるように、楓は感極まった表情で目尻に涙を浮かべていた。


『橋野架先生、橋野架先生。院長先生がお呼びです。至急、院長室までお越し下さい』

「……あっ」

「あはは……その前に、こってり絞られなきゃな。飯島さんの点滴、よろしくね」

「……は、はいっ!」


 院内に轟くアナウンスに苦笑を浮かべ、踵を返す架。そんな彼の背を見送る楓は、これ以上心配させまいと華やかな笑顔を浮かべる。


「あ、あのっ……橋野先生っ!」

「ん?」


 ――言葉にするには恥ずかしい、想いの丈を形にするかのように。


「……お帰りなさい!」

「あぁ。……ただいま」


 ◇


 そして、有給を使いながら職場復帰しようとしていたことを、藍若勇介に咎められた架は。罰として、楓をグァム旅行に連れて行くよう強いられたのだった。


 今をときめく人気グラビアアイドルに負けぬよう、娘の恋路を後押しする。――という目的を秘めた、パワハラである。


 ◇


「いやっ……やめて、助けて!」

「大人しくしろよ。ニュータントの力で殴られてみろ、その顔二度と元に戻らねぇぞ」

「そうそう。ここならヒーローも警察も来ねえ。連中が動き出す頃には、あんたはヤラれてるか殴られてるか……そのどっちかしかねぇんだぜ?」

「かしこーい進学校の生徒さんなら……どっちがマシか、考えるまでもねぇだろ?」


 ――暗夜に包まれた、神嶋市の路地裏。塾の帰り道だった少女は突然、3人組の男に背後から襲われ、この薄暗い空間に放り込まれてしまった。


 セミロングの黒髪や眼鏡をかけた姿からは、地味で大人しい印象を与えている彼女だが――ブレザーの下に隠されたプロポーションは、16歳という若さには見合わないほどの発育であった。

 そのスカートから覗く、すらりとした扇情的な脚に、ニュータントである男達は揃って喉を鳴らす。下衆な獣欲という彼らの本質を顕わすかのように、その全身は歪な獣人へと「変身」していた。


 ――数多のヒーローが犇めく時代であろうと、こういう手合いの悪漢が絶えることはない。ある意味では、人間のDNAに深く刻み込まれた自然の摂理に等しいのだから。


「しっかし、たまんねぇカラダしてるぜ」

「俺なんてもう、見てるだけで暴発しそう。さすが、あの駒門飛鳥の妹だよな」

「いやっ……お姉ちゃん、助けてぇっ!」

「はっはは、心配すんなよ美鳥みどりちゃん! 今日の君の写真をネタに――お姉ちゃんも仲間入りさせてやっからよォ!」

「ヒャッホォーウ、ニュータント最っ高! 一度あのムネ、めちゃくちゃにしてヤリたかったんだよなぁ!」

「姉妹まとめて、たっぷり可愛がってやるぜぇ!」

「あ、あぁ……!」


 ニュータントとなった人間はこの時代において、ヒーローになるか、ヴィランになるかの二択を迫られる。感染者が増え、その母数が高まるということは――こういった低俗なヴィランも増えるということを意味する。


「よぉーし……てなわけで、まずは美鳥ちゃんのスペシャル撮影会とシャレ込むかぁ!」

「やっ……やぁああ! 助けてっ、誰か……誰かぁあ!」

「無駄無駄ぁ、こんなとこにヒーローなんて来るわけ――」


 ――それゆえに。

 政府も、より精強なヒーローを逐次投入していくことを急務としていた。そのための「実力最優先での人選」を、ヴィラン対策室の主導で実施したのが、つい先日のこと。


 その「人選」から誕生した新たなヒーローによって、今。


 美鳥という少女に覆い被さった獣人の男が、派手に吹き飛ばされてしまった。


「んなぁっ!?」


 男は一撃で気絶し、変身を解かれた状態でゴミ箱に上半身から突っ込んでいる。その様を目撃した2人の仲間に、動揺が走った。


「な……なんだ!? ヒ、ヒーローか!?」

「ど、どこだ! どこにいやがる、姿を見せっ――!」


 姿が見えない襲撃者に怯え、男達は喚き散らす。そうこうしている間に、もう1人の男も謎の一撃で吹き飛ばされてしまった。

 勢いよく壁にぶつけられ、人間の姿のまま泡を吹いて失神している。


「ひ、ひひぃい……! わ、わぁあぁあー!」


 残された最後の1人は、訳も分からないまま仲間達を屠られたことに畏怖し、失禁しながら逃亡を始めた。

 ――が、それも長くは続かなかった。彼も激しく吹き飛ばされ、空きカンを入れるべきゴミ箱に、ホールインワンされてしまう。


「え……だ、誰か……助けてくれたん、です、か……?」


 瞬く間に、見えない一撃によって全滅したヴィラン達。その一部始終を真近で見ていた少女は、目をぱちくりさせながら、震えた脚でゆっくり立ち上がる。

 どこかから隠れて、自分を助けてくれたのだろうか。そんな思いが脳裏を過ぎり、少女は思わず、見えないヒーローに頭を下げてしまうのだった。


「あ、あの、もしここにどなたかいらっしゃるのでしたら……そ、その、助けて頂いてありがとうございました! そ、それじゃあ!」


 だが、もしすでにヒーローがここにいないのだとしたら、1人で勝手に頭を下げて独り言を叫んでいる変人でしかない。

 その可能性を想像した彼女は、赤らんだ顔を両手で覆いながら、そそくさとこの場から走り去ってしまうのだった。


「――悪いなぁ、嬢ちゃん。俺、そこにはいねぇんだわ」


 その様子を、700mほど離れた高層ビルの屋上から、スコープ越しに眺めていた1人の男が。苦笑交じりに、そう呟いていた。

 ――夜景を彩るビルの上に立ち、暗闇に身を隠した狙撃手スナイパーヒーロー。それが、先ほどの男達を全滅させ少女を救った者の、正体であった。


 翡翠色の重鎧や、トサカ状の頭頂部。右肩に搭載された――細長い、1門のロングレンジ白血砲。

 青白く発光する吊り上がった両眼に――その鉄仮面に備えられた、「白十字」の意匠。

 それはまさしく、マクタコーポレーション神嶋市支社の展示会で発表されていた、あの新型パワードスーツであった。


『……あんな連中如きのために、随分と時間をかけてくれたな。「実力主義」で貴様を選んだ俺の顔に、そこまで泥を塗りたいか?』

「そんなキレんなよ、神威。これが初任務なんだから、しょうがねぇだろ。それに生身のカラダっていうのが、どうにもまだ慣れなくってよ。やっぱニュータントと比べて疲れやすいし怠いし、大変だわコレ」


 すると、翡翠色のパワードスーツを纏う彼のところへ、通信が入ってきた。それに応じた彼の耳に、刺々しい叱責の声が入り込んでくる。


『橋野先生は、その「キュアセイダー3号」より遥かに劣っている2号のスーツで貴様を制したんだ。人間の身では出来ない、などとは言わせんぞ』

「わかってるわかってる。あいつに、俺達の命を助けてくれた『借り』を返したい、って言い出したのはこっちだからな。心配しなくたって、死んでも投げ出さねぇよ」

『そうしてもらおう。橋野先生の嘆願がなければ、貴様らはとうに極刑に処せられている身だ。それに風里春馬と城礼武の減刑は、貴様の働きに懸かっているということも忘れるなよ』


 クギを刺すような言葉を並べられ、やがて通信は一方的に切られてしまった。初任務からいきなり説教されてしまった彼は――ため息と共に白十字の仮面を外して、素顔を晒す。


 亜麻色の長髪が、夜風に流され艶やかに靡いていた。


「やれやれ……大変なんだなァ、キュアセイダーやるのって」


 その男――狗殿兵汰は。


 「キュアセイダー3号」と名を改め、死ぬまで終わらない贖罪の旅へと漕ぎ出していた。


「まぁ……せいぜい死ぬ気でやっからよ。平和な病院から見守ってな――『先輩』」

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