第5話 疾走のストリート


 漆黒のレザージャケットを羽織る、亜麻色の髪を肩まで伸ばした長身の男。彼はぐったりしている飛鳥の肢体を、小脇に抱えていた。身長はおよそ190cm。外見は、二十代中盤といったところだ。

 肉食獣を彷彿させる、獰猛で鋭い目つきからは、危険なオーラが放たれている。


(この人はまさか……!)

(迂闊だった……! まさかここまで気配を消せるとは! しかも、俺のニュータント探知機を掻い潜るステルス能力まで……!)


 明らかに、対策室側の人間ではない。「吸血夜会」の実行犯が彼女を連れ戻しに来たのだと、架と了が判断したのは、この直後だった。


「貴様ッ……!」

「その子を離せッ!」


 2人は同時に床を蹴り、架は頭部を、了は腹部を狙って飛び蹴りを放つ。だが、男はその同時攻撃を右腕と右膝で容易く受け止めた。やはり、ニュータントの怪力によるものだ。


「くっ!」

「ぬっ……!」

「――ぉおらァ!」


 攻撃を止められ、着地した2人を薙ぎ払わんと、男は大振りな廻し蹴りを放つ。後方に宙返りして、それを回避した2人は拳を構え直すが……その隙を突いて、男は窓から飛び降りてしまった。


「しまっ……!」

「ちっ――ココアを呼び出しても間に合わん!」


 2人が男を追い、窓から下を覗き込んだ時には――すでに、男は気絶した飛鳥を乗せて黒塗りのオープンカーで走り出していた。禍々しい装飾がなされた漆黒の車が、道交法を無視して路上を爆走している。

 あの速さでは、ココアを呼び出して「神装刑事ジャスティス」に変身している間に逃げられてしまう。僅か数瞬の間を置いて、了は意を決したように携帯を取り出した。


「――予定変更だ、間阿瀬浩司! 駒門飛鳥が『吸血夜会』に攫われた、そのトレーラーで奴を追え! 頭のおかしいデザインの黒いオープンカーだ!」

『なんだと!? えぇい、貴様がいながらなんたる体たらく! やはり神の代行者たる私が出向くべきだったのだ!』

「つべこべ抜かすな! さっさと追え!」

『しかし、こんなトレーラーではスピードなど出んぞ! ただでさえ、キュアセイダーとかいう重荷を積んでるというのに!』

「出来る限りでいい! 奴の行き先さえ概ね掴めれば、後から突入できる!」

『チッ……まぁいい。ならば見せてやろう! 神の代行者たるキャプテン・コージ様の超絶的ドライビングテクニックをな!』

「いやここからは見えないんだが」


 携帯から響いてくる、尊大な叫び。聞き覚えのある声色に、間阿瀬浩司という名前。

 それら諸々の判断材料から、キュアセイダー2号のスーツを運んでいるという了の「部下」が誰なのかを察した架は、なんとも言えない表情を浮かべている。


「……間阿瀬さん、何してんの……?」

「『EAGLEイーグル CAFEカフェ』でのツケを一向に払わないので、慰謝料の徴収も兼ねて対策室ウチでバイトさせてるんです」

「……」


 「それが何か?」と言わんばかりにキリッとしている了を見つめ、架は暫し微妙な表情を浮かべるのだった。


 ◇


「チッ、今度はキャプテン・コージかよ! つくづくツイてねぇな!」

「どけどけ下賤なる民衆ゥゥウゥッ! キャプテン・コージのお通りだァアァアッ!」


 対向車を次々と跳ね飛ばし、市街を混沌に陥れる中で。黒塗りの車を駆るレザージャケットの男は、トレーラーで追跡してくる新手に舌打ちしていた。

 隣で眠る飛鳥は、この喧騒と衝撃音の中でも、未だに目覚める気配がない。


「見つけたぞォ! 貴様だな、頭のおかしい奴というのはァッ!」

「てめぇだけには言われたくねぇよ!」


 一方、作業服姿でトレーラーを運転している間阿瀬浩司も、思うようにスピードが出ず徐々に距離を離されていることに焦りを覚えていた。

 ――2人のカーチェイスによる周囲の被害は拡大する一方であり、昼下がりの神嶋市の街道は阿鼻叫喚に包まれていた。彼らに巻き込まれ、弾き飛ばされた車があちこちに転がって行く。


 ◇


「――あぁ、もう! どっちも無茶苦茶やってるなぁ!」


 そんな中。ある1人のヒーローが縦横無尽に街道を跳び回り、被害を抑えるべく奔走していた。


 山羊の角を生やした兜に、蝙蝠の翼を模したバイザー。そして、悪魔のような禍々しい鎧。そのようなヒーローらしからぬスーツを纏う彼の名は――「デーモンブリード」。

 「吸血夜会」と敵対するヒーロー達の中において、特に優れた戦績を残している筆頭格トップエースだ。


 彼は歩行者にぶつかりそうな車を受け止めたり、飛んできたガードレールから子供を庇ったりする等、とにかく人命救助を優先していた。


 ――あの黒い車が「吸血夜会」に纏わる代物だということは、直感で分かっている。本来なら、自分が捕まえてやりたい――それが彼の本音であった。


 だが、彼はただ「吸血夜会」を倒すためだけにヒーローをやっているわけではない。

 彼はニュータントと人間の溝を埋め、お互いが手を取り合える理想の世界を目指すために、デーモンブリードとして戦っている。これまでも、そしてこれからも。


 ならば、「吸血夜会」と一戦交える前に――あのバカどもの尻拭いを完遂し、近隣住民の被害を最小限に抑えねばならない。


「……とりあえずコージさんには今度、ヘルグリム帝国うちのチームにご飯奢ってもらわなきゃな」


 その一心で使命に殉じつつ――彼はぽつりと、周りを顧みず破天荒なドライブを断行するキャプテン・コージに、ため息をつくのだった。


 すると――次の瞬間。


「……ッ!?」


 黒いオープンカーが激しい衝撃音と共に、再び一般車を吹き飛ばしてしまった。しかも……今度は2台同時。

 波を掻き分けるように、左右に弾き飛ばされた車体が、弧を描き墜落していく。その両方の下に――逃げ惑う人々がいた。


「――クソッ!」


 脳が状況を理解する瞬間。デーモンブリードは弾かれたように走り出し、吹き飛ばされた車体のひとつに飛び付いていく。

 そして一瞬でドアを引き剥がし、中の運転手を引っ張り出すと――凄まじい威力の蹴りで、空中を舞っていた車体を吹き飛ばした。

 その車体が無人の路地に突き刺さると同時に、運転手を抱えたデーモンブリードは素早く着地する。この間、僅か1.5秒。


 音速に迫るほどの速さで、デーモンブリードは誰1人死なせることなく、落下する車を処理して見せた。


 だが、反対側の歩道に墜落しようとしているもう1台の処理は、この速さを以てしても間に合いそうにない。

 逃げ遅れ、死を待つばかりの幼い少女の眼前はすでに――車体の陰に覆い尽くされている。


「ぉおぉおおッ!」


 だが、それでもヒーローは諦めない。デーモンブリードはせめて少女の命だけは守ろうと、地を蹴り矢の如く疾走し、車道を横切っていく。

 そして、悪魔を模る彼の手が伸ばされた――その時。


「……!?」


 車体が、少女に触れる寸前。その重量感に溢れる鉄塊が、不自然に静止した。空中に浮いている――かに見えるその車体の下部には、「何者か」の脚が覗いている。


 デーモンブリードがそれに気づいた瞬間――少女から引き離されるかのように、車体は「何者か」の手によって持ち上げられてしまうのだった。

 それも、片手で。


「……あなたは!」


 細身でありながら、無駄な部分など一切ない筋肉質な肉体。全身を覆う純白のスーツとマント。目元を覆う覆面に、端正な口元。そして、胸に刻まれた「ML」のロゴ。

 その姿を目の当たりにしたデーモンブリードが声を上げた瞬間――周囲の市民から、爆音の如き歓声が上がった。


「来たぞ! 我等のマイティ・ロウ!」


 その賞賛を一身に浴びる彼は、優雅に車を地上に降ろし、少女と運転手を交互に見遣る。2人とも、憧れのヒーローに救われたことに感激しているようだった。

 まさに正義。まさにヒーロー。その言葉そのものが、彼という存在――マイティ・ロウという男を象徴しているかのようだ。

 悪魔の如き風貌を持ったデーモンブリードとは、その意匠においては対極とも言えるだろう。


 何一つ語ることなく、黙々と人々を救うその背は――デーモンブリードが眼を見張るほどの闘気に満ちている。


(マイティ・ロウ……【絶対神判マイティジャッジ】を操り、法にのみ基づいて善悪を判断する「法の守護神」、か……)


 だが、その強さと名声、能力に一目置く一方で……魔界のプリンスは、彼という存在に全幅の信頼を寄せられずにいた。


 ――マイティ・ロウの活躍は、同業者である他のヒーロー達の間でも広く知れ渡っている。


 汚職政治家への鉄拳制裁。悪徳企業の社長を成敗。そして……家族を養うために密輸業を営んでいた男を、容赦なく断罪。

 良くも悪くも、法だけ・・を遵守するという彼の徹底されたスタンスは、デーモンブリードも深く聞き及んでいた。


 そして直に対面した今、感じているのだ。法にのみ従うようプログラムされたロボットのような――悍ましい何かを。

 今回も恐らく、ヒーローは人々を救わねばならないという「法」に従った結果なのだろう。感情という概念が見えない、大きくも冷たい背中は――微かに、デーモンブリードを戦慄させる。


「『ヘルグリム帝国』のデーモンブリードだな。あちらの火災を鎮めねば街の被害は止まらん、貴様も手を貸せ」

「……あなたに言われるまでもない」


 やがて彼は純白のマントを翻し――連続事故が原因で火災に発展している現場に眼を向け、人々を救うべく走り出していった。

 市民がそんな彼にエールを送る中、デーモンブリードは彼の後に続きながらも……訝しげに眼を細めるのだった。


(彼が従う「法」に……本当の「正義」は、あるのだろうか)


 だが……その問いに答えられる者は、ここにはいない。


 ◇


 そうして、デーモンブリードとマイティ・ロウが陰ながらフォローに徹する中。キャプテン・コージは焦りの色を表情に滲ませながら、アクセルを全力で踏み込んでいた。

 ――だが、オープンカーとトレーラーでは、加速が違いすぎる。このままでは、完全に見失うのも時間の問題だ。


「チィッ! このままでは見失うぞ! かくなる上は私の神極光で……!」

『馬鹿やめろ! 貴様の荷電粒子砲は威力が高過ぎる! 奴どころか、隣にいる駒門飛鳥まで吹き飛ぶぞ!』

「だがあの女は不死身イモータルなのだろう!? ちょっとくらいよいではないか!」

『彼女は橋野先生の患者だぞ! いつかの「借り」を仇で返すつもりか!』

「……む、な、なら仕方ない。慈悲深い私の御心に感謝するがよいぞ!」


 だが、キャプテン・コージの神極光では殺傷力が高過ぎる。追いつくことも背後から撃つ事も出来ず、こちら側は打つ手を失いつつあった。

 ――だが、焦っているのはこちら側だけではない。


「……やべぇな。これ以上付けられたら、こっちの住処がバレちまう。完全に振り切るには、まだ掛かるし……よし」


 レザージャケットの男は肩越しにトレーラーを一瞥し、道路の端に寄る。そして、道端に停まっていた無人のバイクに手を伸ばした――その時。

 彼の髪はみるみるうちに真紅へと変色し、瞳の色も青へと変わってしまった。これが、彼の変身態なのだ。


 そしてその変化は、彼が真の力を発揮したことを意味している。


「オラァッ!」


 変身態になった彼の怪力は、これまでとは比にならない。

 すれ違いざまに片手でバイクを掴み上げた彼は、その鉄の塊を後方に放り投げてしまった。まるで、ゴミをポイ捨てするかのように。


「なッ――ぼぶらっぱァッ!?」


 そして、その車体は宙を舞い――後方を走っていたトレーラーの運転席に激突。ガラスを突き破られ、顔面にバイクをぶつけられた浩司は、ハンドル操作を誤り……豪快にトレーラーを横転させてしまうのだった。


 巨大な車体がアスファルトを削り、周囲の一般車をなぎ倒しながら停まっていく。その様子を、轟音と共に見送ったレザージャケットの男は――口元を不敵に緩め、そのまま走り去ってしまった。


『見失ったか……。だが、奴の行き先はこれである程度絞り込める。俺は対策室に報せて情報を纏めるから、貴様は病院に来て橋野先生と合流しろ。あと、街の修繕費用は貴様の預金残高から引き落としておくからな』

「ぬぁあぁあ! オッノーレ! あの男、許さん、許さんぞ! 絶対に! 絶対にだァアァアッ!」

『……おい、話を聞けデクノボウ』


 やがて、衆目に晒される中。ボロボロの格好になりながら這い出てきた浩司は、激情の赴くままに絶叫するのだった。

 ――自分の預金残高が、大赤字になっていることも知らずに。

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