白十字仮面キュアセイダー

オリーブドラブ

第1話 希望の橋

 ――薄暗い手術室の中。

 生と死を分ける聖域の中で、1人の少年がその境界を彷徨っていた。メスを手に、彼の運命を変えるべく戦っている壮年の男は、絶えず汗を滴らせている。


「脈拍低下、先生これ以上は……!」

「ここで諦めては、この子の命は救えない。輸血を続けろ!」

「は、はい」


 助手達の呼びかけにも応じず、彼はただ真っ直ぐに、傷付いた少年の身体だけを見つめていた。

 ――生きていれば・・・・・・。息子と同い年であろう、彼を。


「……もう・・、死なせん。決して、死なせんぞ」


 喪われた命への懸想。執念にも似たその想いが、彼を手術オペに駆り立てていく。


「私は、決して諦めん。希望の橋を――ここに架ける!」


 ◇


 日本を代表する高名な外科医。その高みに、己の名を連ねる藍若勇介あいわゆうすけの手術により――交通事故で両親を失った、10歳の少年・橋野架はしのかけるは、一命を取り留めた。

 だが、身寄りを失った彼は施設に預けられることとなり――両親の死というかつてない哀しみを抱えながら、孤独に生きることになる。


 それを憂いた藍若勇介が、彼を連れ立って病院を出たのは――退院から、2週間後のことだった。

 架が入院していた城北大学付属病院から、遠く離れた神嶋市かみしまし。その郊外に位置する、市内有数の植物園には――目玉スポットである、「アネモネの花畑」が広がっている。


 「希望」の言葉を纏う純白の花々が、一面に広がる楽園の景色。その眺めに彩られた遊歩道の中で、白衣に身を包む壮年の男が、少年の手を引いていた。


「どうだ、綺麗だろう。これはアネモネと言ってね、『希望』……という意味を持った花なんだ」

「……希望?」


 穏やかに微笑みかける勇介に対して、訝しむように見上げる架の眼は、深く暗く淀んでいる。

 事故から暫くの月日を経て、父と母が居なくなったということを実感した幼子は、「希望」などという綺麗事を受け入れられずにいた。


「……先生の周りなら、あるかもだけど。僕には、ないよ。『希望』なんて」

「……私も子供の頃、両親に捨てられてな。今の君のように独りで、君が言うように『希望』などなかった」

「先生が……?」


 勇介が孤児だったとは知らず、架は目を丸くして彼を見上げる。幼い自分を見ているような錯覚に陥り、勇介は苦笑いを浮かべた。


「嘘でも、気休めでも構わない。この生き難い世界で、生き残ってしまった自分に、生きる意味があるのなら……私は、それを指し示す『希望』が欲しかった」

「……!」


 そんな彼が導く先――その向こうが、視界に移った時。幼い少年は、その絶景に瞠目していた。


 アーチのように、蒼い川を跨ぐ石造の橋。その全てが、咲き乱れる白い花々に彩られていた。さながら、王宮に続く道のように。


「縁起を担ぎたかったのだろうな。孤児院を抜け出しては、私は毎日のように――この橋に来ていた」

「……綺麗、だね」

「『希望の橋』。誰が名付けたわけでもないが……ここは、その名で知られている」


 ――どんな辛い未来も、超えた先には『希望』がある――そう子供達に伝えるため、当時の職員達が力を合わせて創り上げた1つの橋。

 それを見上げる架の眼から……淀んだ闇が、雫となり流れ出る。憑き物を、落とすように。


「……あるかな、希望。僕にも……あるのかな」

「それは、私にもわからん。だが……あると信じて欲しくて、私は君をここへ連れて来た」

「先生にも、わからないの?」

「誰にもわからんさ。……わからんからこそ、人は信じたいものを信じ、進みたい道に向かう。それが、その人にとっての『希望』になる時もあれば、そうは行かない時もある」

「……」

「それがどんな未来に繋がる道であっても、私は君に『希望』を持っていてほしい。そしていつの日か、それを分け与えることの出来る人になって貰いたい」

「……難しくて、よくわかんないや」

「はは、そうだろうな。私も子供達にこの話をしたが、同じことを言っていたよ」


 架に、自分の息子を重ねて。勇介は儚げに微笑み、遠い眼差しで「希望の橋」を見つめている。


「……そう、今は分からなくてもいい。だがいつかは・・・・……分かってほしい。そのためにも、生き続けていて欲しいんだ」

「先生……」

「そのために私は……『希望の橋』を、君の未来に架けたのだから」


 そんな彼の、消え入りそうな笑顔を。幼い少年はただ、神妙に見上げていた。

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