第7話 リスタート/仕切り直し
ここで時は少し遡る。
アカルディア大森林奥地。
カインたちが巨躯の猪を狩っているまさにその時、人も魔獣も近寄らない未踏の地とされるこの場所に足を踏み入れようとする影があった。
侵入者は見るからに高価な白いローブを纏い、フードを深く被っている青年だ。――そう宮廷魔導師のライクネスである。
ライクネスは大森林全体を覆う結界の修繕を終えた後、帰ることなくそのまま森の中へと侵入した。本来なら森に入るような恰好ではないが、ライクネスの身に着けているローブは特別性で機能性という面での心配事はない。あるとすれば汚れぐらいだが、実際に洗濯するのはライクネスではないので気にしてなかった。
ライクネスはカインたちが利用しない獣道を歩く。その足取りに迷いはなくどこかを目指しているようだった。
手には竜の眼から造ったという球体の
そしてライクネスもその光に誘導されるかの如く、黙々と歩き続ける。深く被ったフードから時折覗く中性的な顔には笑顔ではなく、皺が刻まれている。
カインと話していた時からは想像も付かないどこか憂いを帯びた人間らしい表情を浮かべていた。
しばらくして鬱蒼と生い茂る木々と草花の群れから抜け出したライクネスはとある場所に着いた。手元にある球体の魔具から放たれる光はここを指示しておりそれ以上伸びていない。そこは結界で覆われた場所だった。
結界の中にある結界。これはライクネスが目指した場所は結界を二重にしてでも封じておきたいそんな場所であるという事を示していた。
ライクネスは結界の前で佇み中をゆっくりと見渡した。
そこは楽園と呼ぶに相応しい光景だった。地下水が湧き出てできた泉の畔には一面赤、青、黄といった色とりどりの可憐な花が高らかに咲き誇っている。
木の枝には小鳥がとまり、優しく
澄み渡る空を見れば太陽の光が照り付けている。
そして幻想的な空間に木でできた小屋の軒先には薄紅色の髪を肩口まで伸ばした少女が本を読んでいた。耳は人間のそれではなく、尖った形をしている。それはエルフと呼ばれる種族だった。横には薄い青色の髪を一つに束ねた女性が恭しく佇んでいる。白の装束に身を包んだ背丈が百九十くらいの人型の女性だ。
親子とは思えなかったが、それでも薄紅色の少女は佇む女性に楽しそうに話しかけている。
ライクネスは暫く二人を眺めていたが、小さく息を吐き意を決したように結界内へと足を踏み入れた。
ライクネスが結界内に入ると侍女のような女性が気付き恭しく礼をする。右手を挙げてそれに応じ、薄紅色の少女の元へ足を運ぶ。
少女はライクネスを視認すると人懐っこい笑顔を浮かべ手を振る。
「ライクネスー!久しぶり!今日はどんな本を持ってきてくれたの?」
「やぁ。セシリア。久しぶりだね。ごめんよ。今日は本は持ってきていないんだ。代わりと言ったら罰があたるかもだけど、今日は君に言っておかなくちゃいけない事があるんだ」
気軽さのないどこか後ろめたさのある昏い声音でライクネスは告げる。
「夢はじき覚める。動乱の世が、再び始まるんだ」
× × ×
ラインは右足に噛みついた本体の黒狼を確認するや否やすぐさまその脳天を突き刺す。
しかし、黒狼はいち早くそれを察知し地面に潜りそれを避ける。俊敏な動きの黒狼は土の中を自在に動けるらしく地表にその姿はない。まさか地中に潜んでいたとは思いもしなかったので、ラインの反応が遅れてしまった。
ともあれカインはその隙にラインの元へ駆け寄り、周囲を警戒する。
「ラインさん!大丈夫ですか!?」
「あ、あぁ。一応な。つーか、地中を動けるなんて知らねえぞ」
悪態をつくラインの声はどこか弱弱しい。痛みからか顔は苦痛に歪み、尋常じゃない汗が垂れ流れている。噛まれた足からは血が止めどなく流れ、青々と茂り地面を覆う草を赤く濡らす。
「とにかくここから逃げないと。走れますか?」
「……悪いが走れそうにないな。右足が痺れ始めていてな」
自嘲気味に言うとラインは長剣を杖代わりし倒れないように踏ん張る。息も荒々しくなり始め黒狼の麻痺毒が強力だという事がありありと覗える。
カインはそんなラインを見てどうすると頭を回す。状況から鑑みてあと数分もすればラインは立つことも厳しくなるだろう。それに地面に潜ったまま依然として姿を現さない黒狼のこともある。動けないラインをこのまま放置しておくのは下策だ。
かといってラインを移動させる手段はない。
思考の迷宮に陥り始めた時、それを嘲笑うかのように数えきれないほどの軍勢を従えソレは現れた。
「まじか……」
予想だにしていない増援にカインは愕然とした。
気付けば絶望を孕んだ声がカインから零れ、気を抜けば膝から崩れ落ちそうだった。現れたのは先ほどまで闘っていた黒狼とは違う個体に従う黒狼の群れだった。群れの一歩前に立つ黒狼の全身には紅い筋が脈打つようにどくどくと波打っている。
波打つ赤い筋が芋虫のように見えて気持ち悪い。
控える黒狼はゆうに百は超えており、それが複製されたものなのか、それとも複製していない原型の個体なのかは分からない。
もし後者ならば間違いなくカインたちは黒狼の餌となるだろう。
一人で捌くには多すぎる絶望的な物量差。ラインが万全の状態ならばもしかしたら切り抜けられるだろうが、それも期待できない。
ずかずかと絶望が無遠慮に押し寄せてくる。無理だと、心のどこかで叫んでいる。一人で逃げろと訴えてくる。それは甘美な誘惑で、身を委ねたいと思わないことはなかった。
けれど、自分を信頼し期待してくれるような人を見捨てるようなことはカインには出来なかった。思い出されるほんのりと広がる温もり。
――やるしかねぇな。
カインにとってラインは家族だ。二年間という僅かな時間ではあるが、家族同然に扱ってくれた人を見捨てる事はできない。無謀ではあるがやるしかないと腹をくくる。
腹をくくったのはいいが具体的な対策が見つからずとりあえず周囲を見渡した時、茂みから飛び出してくる銀色の体毛に覆われた巨躯の狼―――スノウの姿が目に移った。
スノウの姿を捉えた時、カインに一つの解決方法が浮かんだ。それはひどく賭けに近いものだったが他に手段はない。逡巡することなく、カインは即決し浮かんだ考えを叫ぶ。
「スノウ!!!ラインさんを連れて村まで走れ!」
「な!?おい。カイン、お前何言ってやがる。お前はどうするつもりだ!?」
ラインが弱弱しいながらも戸惑った口調で訊く。大型の狼、もといスノウはそんなラインを一瞬見やり納得したように唸った。
「……俺が引き付けます。上手くいけば何とかなるはずです」
もちろんカインに具体的な策はないが、それ以外に手段はないのも事実だった。完全に出たとこ勝負である。
とは言えカインにも少なからず考えがある。現実的だと、とても言えたものではないが。
動けないラインを一瞥してから呼吸を整える。
反発するラインを無視しカインはスノウに向かって命令する。
「スノウ!行くんだ、頼んだぞ!」
スノウは短く唸り、全身を蝕む麻痺毒の影響でフラフラのラインを背に区の字状に乗せる。ラインは最後まで『やめろ』と言っていたが、抗うことも出来ないほど身体は痺れており、発せられる声は掠れていた。その微かな声には悔しさが滲んでいた。
ラインを背に乗せたスノウは黒狼のいる茂みとは反対方向に向かって駆ける。四肢が力強く地面踏みつける。
それを逃がすまいと追いすがる黒狼に対し、石を細長く加工したクナイと呼ばれる投擲武器を投げつける。先端が尖っているため、肉に触れた瞬間小さな穴を穿つ。持ち運びが簡単なのが利点だが、いかんせん殺傷能力が低いため黒狼はピンピンしている。
仕留める事は出来なかったが、注意をこちらに向けられたのは僥倖だ。そう前向きに思いカインは覚悟を決める。
見据えるは死んだ虫に群がる蟻のように蠢く黒狼。
「さぁて。ワンころ。お兄さんが遊んでやろう」
こうして百を超える黒狼との命がけの遊戯が始まった。
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