第一章 自覚しない悪魔は嗤い、大森林に住まう災厄は哭く

第1話 少年はまだ何も知らず、今日を生きる

 十を救う為に一を切り捨てる。

 その行為は適切ではないと弾劾することは出来ても、悪だとそしることはできない。救われた命がある以上そこには正義が存在するからだ。では何が正しい正義なのか。そもそも正義とは何なのか。

 明確な答えなどいつの世も存在しない。誰もが納得する完全無欠の正義があるというのなら戦争なんて馬鹿げた喧嘩は起こるはずもない。だから戦争がなくならないのはこの世に完璧な正義なんてものは存在しないという証明であり覆すことのできない現実だ。

 つまるところ人は己が信じる正義の為ならば平気で他人の命をらう悪魔となる生き物である。

          ――ボルガンゾフ・レイレリーク〈古びた手帳より抜粋〉  


  × × ×       


 夢を見ている。

 鋼と鋼がぶつかり合う耳障りな音が、燃え盛る小さな村の中でこだまする。

 立っている影は二つで、肉と木の焦げる不快な臭いと油の臭いが混ざり合っているが気にする素振りは微塵もなく、ほぼ互角の剣劇が繰り広げられている。いつ死んでもおかしくない像絶な剣の応酬。

 彼らが踏みしめる赤い大地にはかつて人だった肉塊が咲き誇る彼岸華のように至る所に転がっている。さながら怨嗟えんさいろどられた死者の大地のようだ。

 そこに騎士たちがうたう戦場の華やかさは微塵もなく、死臭が充満する地獄しかない。戦場に散っていった騎士たちはいったいどこに輝きを見出したのか。それは当事者しか知る由はない。

 そんな虚構だらけの戦場で一人は笑い、一人は叫ぶ。

 笑っているのは銀髪の少年で楽しんでいるようにも、狂っているようにも見える。対して叫んでいるのは黒髪の少年で憤りが滲み出ている。


 「ハハハハ。いいぞ。もっと俺を楽しませろよ。レイレリークの悪魔」


 「お前は、どこまで、人の命をもてあそべば気が済むんだ……。あの少女の両親も殺されるように見えなかった」


 笑う銀髪の男に苛立ち黒髪の少年はぎりっと奥歯を噛みしめる。


 「何を怒る必要がある?クソ虫の命なぞいくら摘み取ろうが関係ないだろう。第一お前はクソ虫を俺たちと対等に扱っているようだが、それ事態が間違っている」


 「命に優劣はない、だろう。ましてお前の意味のない殺戮さつりくは許されるものではない」


 「ハハッ。許されない?神にでもなったつもりか。そこまで言うのなら力づくで止めてみろ」


 二人の間には決定的な亀裂があり、対話による和解は不可能だ。黒髪の少年はゆっくりと瞑目めいもくし、握っていた拾ったグラディウスを手放す。そして腰に携帯されていた彼のとって本命である短刀、ククリナイフに獲物を変える。柄の部分に月の文様が刻まれており、刃の途中から歪曲している。

 黒髪の少年は態勢を真半身に変え重心をわずかに下げ銀髪の少年の嵐のような剣劇に即座に対応できるようにする。その姿を見て銀髪の少年はいやらしく口端を釣り上げる。強敵の目覚めに喜ぶかのように。


 「いいじゃねーか。それじゃあ、始めようか。どちらかの命が尽きるまで終わることのない殺し合いを」


 卑しく嗤う少年に対して黒髪の少年は静かに呟く。覚悟の決まった男の重たい声で。


 「俺はお前を殺して、世界を救うよ。ゼライオス」


 真っ赤に染まった地獄でレイレリークの悪魔と呼ばれた少年と殺戮者の少年、ゼライオスは命がけで乱舞する。二人の狂演は地獄に相応しい演目のようで。

地獄から立ちのぼった黒煙は雲一つない青空を塗り潰し、やがて空は大粒の涙を零す。

それは無残にも殺された村人たちの嘆きの涙にも、残酷で、けれど美しい、くそったれな世界が憂いたようだった。

 

 ◇


 力強く木製の床を蹴る騒々しい足音がだんだんと近づいてくる。


 「おい兄ちゃん、朝だぜ。昨日約束してた剣の振り方教えてくれ」


 ばたんという鋭い音と同時に木製の扉が勢いよく開かれ、百三十くらいの身長の少年が宙に舞い、一秒後腹の上に鈍い衝撃がのしかかる。


 「ごふっ」


 いくら子供とはいえ三十キロもあれば無防備な腹部に大ダメージを与えることは十分可能で、現に余りの痛さに眠気は光の速さで吹っ飛んでいく。薄目を開けて痛みの元凶をちらりと見ると八歳くらいの青髪の少年が腹の上でじたばたしている。


「何しやがる、ロッシュ」


 痛みのため語気が強くなっていたが、ロッシュと呼ばれた少年はそんなことを気にとめることはなく、起きたことに気付き満面の笑みを浮かべる。割と腹立たしかったが子供らしい邪気のない笑みの前にはその腹立たしさも消えてしまう。


「あ、おはよう兄ちゃん。早く起きて俺にも剣を教えてくれよ」


「・・・ラインおじさんの手伝いが終わってからな」


「えー。いいじゃんサボっちゃいなよ」


「お前の母ちゃんに怒られるから却下」


適当にあしらうとちぇーと舌打ちをし、ロッシュはベッドから降りる。


「分かったよ。じゃあ、早く終わらせて来てくれよ。待ってるからさ」


完全に納得した訳ではないのか、その言葉には棘があるがロッシュもミーシャの恐ろしさは充分理解しているらしい。まあ、実の母親だから当たり前のことではあるが。


「分かった。けどロッシュ。お前もミーシャさんの手伝いがあるんじゃないのか?」


 昨日ミーシャとした会話の内容を思い出しながら、そう言うとロッシュはハッと何かを悟った様子で慌てて部屋から出ていく。


 「あ、やっぱいいや。俺用事思い出した」


 わざとらしく呟くロッシュの後ろ姿をカインは茫然とただ見つめるだけで声を掛けることはしなかった。

ドタドタと階段を忙しく降りていく音が聞こえてくる。そこでようやく自分が失言をしたことに気付いたが後の祭り。やってしまったという後悔が全身を駆け巡ったが、どうすることもできないので忘れることにした。


 慌てたロッシュの姿を見送った後、先ほどみた夢について少年は考える。記憶にないけれど何度も見る夢。

 そこは家が燃え、人が燃え、命の痕跡が消え失せたはかない戦場という名の地獄。眼前に立っているのは戦場に映えるゼライオスという銀髪の少年だけ。

 地獄に横たわる死体は老若男女関係あるように見えない。子供であろうと容赦なく殺す残忍さ。

 不敵に嗤うゼライオスは虐殺を先導した残虐の指導者で、倒すべき敵だと自覚していて。

 許すことのできない、理解することのできないその存在を抹消したくてうずうずしている自分がいる。

 そんな衝動を刃でぶつけるけれどゼライオスは並々ならぬ実力の持ち主で容易に倒すことができない。

 そしてその闘いの結末はいつも見ることができない。終わることのない堂々巡り。


 そもそも黒髪の少年には十六歳までの記憶がない。覚えている最古の記憶は泣き喚く少女が肩を揺すっていたことと馬車の揺れる振動で体が痛かったこと。

 少女は何やら言っていたような気がするが朧げな意識でははっきりと聞き取ることはできず再び意識の闇に落ちて行った。

 次に気が付いた時にはやけに心地よくて見知らぬ天井が飛び込んできて。

 何が何だが分からずパニック状態に陥った自分に優しく語り掛けてくれてくれたミーシャさん。厳しく現実を受け入れさせてくれたラインおじさん。この二人には口には出せないけど感謝してもしきれない大切な存在だ。

 ラインおじさんによると焦土と化した村の近くで瀕死の重傷で倒れていた所を偶々たまたま近くを通りかかった行商人によって助けられたらしい。この村に運び込まれた時は、もう一人傷んだ栗毛が特徴的な女の子がいたらしいけれど行商人のキャラバンが王都へ向けて出発するのと一緒に村を出て行ったので会えなかったのだが。何でも王都には戦争孤児預り所がありそこに預けられるらしい。自分が助かったのも少女が魔獣の群生地である夜の森を助けを求めて駆け回ってくれたのが大きいらしい。

 自分がこの村にやって来た二年前はまだ戦争が終結したばかりで治安が悪く部外者に関わろうとする人は滅多にいない。誰も彼もが自分と家族を守ることだけに躍起になっていたから。

 けれどミーシャは記憶がないのならここに居なさいと言って彼女が営む宿屋の一室を宛がってくれた。得体の知れないばかりか記憶がない自分にとってこれ以上嬉しいことはなくて、安心して、温かさが心に沁みたけれど記憶のないことに対する空虚さが全身を駆けたのも事実だった。


 思考の渦に埋没していると不意にコンコンとドアをノックする音がし、思考の渦から引き戻る。はいっ、と声をあげると同時に綺麗な赤髪の女性が入ってくる。力強い碧眼へきがんがきつめの雰囲気をまとってはいるが、整った顔立ちと引き締まったボディラインは男のハートをつかんで離さない魅力をはらんでいる。中身を知っていればそうとも限らないが。


 「カイン君?ロッシュ見てないかしら。明日は収穫祭だから色々と手伝いをして欲しいのだけど」


 困ったような表情を浮かべ手入れの行き届いた長い赤髪をかき分けながら入って来たミーシャはロッシュの所在を問うてきた。もう少し早ければ探し人であるロッシュはいたのだが既に逃げた後だ。ミーシャには悪い事をしたと思ったが、平静を装うことにした。


 「ロッシュならさっき急いで階段を降りて行きましたけど」


 「そう、また逃げたわねあの子……」


 ミーシャは大きく嘆息し、困ったわとぶつぶつ言いながらちらちらとカインの顔を覗いている。なんて露骨な連れて来いアピール。

 これが宿屋を営む彼女の性格で、この村の男はミーシャには顔があがらない。根っからの姉御肌である。これでもまだ、ましになったらしくロッシュが生まれる前はもっとすさまじかったと村人全員が口を揃えて言っていた。どのくらいすさまじかったかは口を閉ざしていたけれど。こんな恐ろしい母親を持ったロッシュの将来が不安でしょうがない。とりあえず鶏を素手でくびり殺したりしなければいいと思う。

そんな破天荒なミーシャがやれと言えばやらなければならないのだが、幸運なことに今日のカインには村一番の実力者であるラインのご指名で明日の収穫祭で捧げる猪を狩りに行く予定がある。ロッシュを連れてきたいのは山々だが、約束を反故にするのは本当によろしくない……ので心苦しいが断ることにした。


 「あー、今日はラインおじさんと明日の収穫祭で振る舞われる猪を狩りに行く予定なんですよ。あーだから今日は空いてないかなー」


 アハハと笑いながら出来ない理由を述べる。ミーシャは笑ったままカインを見つめている。カインは気にしないように横を通り過ぎようとするが、トロールを想像させる馬鹿力で肩を掴まれた。気のせいだと思いたいが掴まれた左肩からミシミシと骨の軋む音が聞こえてくる。全身から良く分からない変な汁があふれ出てくる。ナンダコノチカラ。 


 「え、よく聞こえなかったのだけど。もちろん連れて来てくれるのよね、カイン君?」


 連れて来いと迫るミーシャには鬼気迫るものがあり、とても怖い。泣く子も黙るとはよく言ったものだ。そもそもロッシュが逃げるのも無理はないと思う。


 「いや、だからラインおじさんと猪を・・・」


 「え?死にたいの?」


 言葉が通じない人間とどうやって意思疎通をしろというのか。もう逃げるしかないではないか。でもミーシャが営む宿屋に住んでいるいる以上、逃げおおせるのは不可能に近いのはロッシュが身をもって証明してくれている。


 「滅相もございません」

 

 宿屋を営む女帝に慈悲はない


 


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