残酷で、けれど美しい、くそったれの世界で希う

粟崎ヒロ

プロローグ

 燃え盛る炎がバチバチとあらゆる生命を焼き尽くす。真っ赤な猛炎によって手塩に掛けられて育てられた家畜もそれを育てた人間も皆平等に焦げ肉と成り果て不快な臭いをまき散らしている。

 唸りをあげて燃える炎は総人口が百人にも満たない小さな村全域に瞬く間に広がった。農業と放牧を糧として日々を生きる農奴の村は一瞬で全てを失った。

 そして村に火を放った張本人である野蛮人たちは臭いなど嗅ぎ慣れているといった様子で村人を笑いながらゴミ同然に蹂躙じゅうりんしている。至る所から聞こえてくる悲鳴と笑い声の連続は明らかに常軌を逸している。

 そこは地獄と呼ぶに相応しい秩序のない場所で救いも奇跡も存在しない。

 そんな地獄で生きながら焦げていく隣人の老夫婦を尻目に生まれ育った村から逃げる少年とその母親の姿がある。そしてその後ろには二人を追いかける屈強な男の姿があった。

 追いかける男たちは下卑げびた防具で全身武装していて手には剣やら弓が握られているのに対し、逃げる少年たちは手ぶらで、ましてや着ている服装に防御力を期待することは出来そうにない身なりをしていた。


 「おいおいジェイド。下っ手くそだな。われ代われ」


 地獄に相応しい野卑な嗤いが村が焼ける音に混じって響く。

 屈強な男たちは馬に跨り、狩りを楽しむかのような下卑たわらいを響かせながら弓矢を射っている。放たれた矢は先ほどまで親子がいた場所に綺麗に突き刺さった。それを見てジェイドと呼ばれた男は忌々し気に舌打ちをし、次の矢を番える。それは純粋な暴力による蹂躙で力のない者にはどうすることもできないものだ。

 そもそも逃げる親子はそれを避ける術も技術もない。むしろ生まれてから貧しくはあったが平和そのものの日常を過ごしてきた親子にそんな能力がある方がおかしい。故に親子は戦うことはせずただひたすら矢が当たらぬことを祈りながら前に進むしかない。しかし未だ六歳足らずの少年にとって長時間走れるほどの体力はまだついていない。次第にふらつき始め些細なくぼみに足を取られとうとう地面に倒れてしまった。戦場においてその時間ロスは致命的でもはや絶望的であった。しかし母親はこんな状況でも息子を庇うように男たちに背を向けるようにし、最愛の息子に矢が当たらないようにしているその姿は地獄に咲く花のように美しいものであると言えるだろう。

 その甲斐あってか、少年に矢は当たらずこけた時にできた切り傷だけで済んだが矢が当たらないことを嘲笑われたジェイドと呼ばれた男が射った矢が母親の太ももに突き刺さり、短い悲鳴をあげてくずおれた。母親が倒れた地面には紅い染みが波紋を浮かべるように広がっていく。そして男たちからは歓声があがり、少年からは悲嘆の声が響く。矢が当たったことで止むことのなかった矢の嵐は収まった。とどめは直々にということらしい。

 そしてこの傷ではもはや逃げきれまいと母親は悟り男がこちらに着くまでの僅かな時間を使って別れの言葉を告げる。



 「カイン一度しか言わないから良く聞きなさい。あなたは強い子よ。なんでたってあなたはお父さんの息子なんだから。だから一人でも生きていける。お母さん信じてるから。幸せになるのよ」


 まくし立てるようにいう母親に息子は訳が分からないといった様子で茫然としている。しかし彼らにゆっくりとしている時間などなどない。刻一刻と死神は近づいてきている。

 強者と弱者。捕食者と被食者。弱肉強食の関係が容赦なくこの親子に襲い掛かる。死神の鎌は既に喉元に突きつけられていて、要するにこの親子は詰んでいるということである。

 呆気に取られていたカインが男たちに気付きようやく我に返る。


 「何を言ってるの?お母さん。立って逃げないと!!!早く立たないとあいつらが来ちゃうよ!!」


 「私のことはいいから。あなただけでも逃げなさい!早く!!!」


 「嫌だ!そんな事出来ないよ」


 倒れた母親に寄り添い泣き喚く息子に暴虐の男たちはニヤニヤと卑しい笑みを湛えながら近づいてくる。その笑みは子供であろうが容赦なく殺すという意思表示で。男たちが待ちわびた歓喜の瞬間でもあった。


 「ハハ。ジェイド、頭に当てられなきゃ当たってないのと同じだ」


 「うるせぇ!!!当たったんだからいいだろうが」


 矢の力量を語るのは二人。その後ろに三人付いて来ている。そして親子のいる所まで来るとジェイドは馬から降り少年には目もくれず血が流れ出る傷口に剣を突きたてた。悲鳴がこだまする。

 愉悦に歪む顔と苦痛に歪む顔がこの地獄の全てで、ありのままを映し出している。 


 「ゴミが。何逃げてんだよ」


 醜く歪んだ歓喜の表情を浮かべ罵声を浴びせながら突き立てた剣で肉を穿ほじくる。それは猫が鼠をなぶるようにこの男の行いも自身の欲求を満たす為のものと同じだ。

 そんな凄惨な光景を少年は茫然と眺めている。生まれて初めて見る悪意に怯んでしまったとしてもそれは無理からぬことである。


 どうしていいか分からず母親の顔を見ると、苦悶の表情を浮かべながら口が動いた。

 はっきりと聴き取ることのできないそよ風のような声。

 けれど強く意思の籠った声音で


 「生きて、カイン」


 そう言った。

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