第二章 呪われた加護

2-1

 住宅街から少し離れた都心部、商業施設が固まるエリアのその端に、少年はいた。

「ふわ……。ねむ」

 土曜日の朝。まだエンジンのかからぬ様子で、キョウジは口から大きなあくびを出した。

「だらしないぞ」

「そりゃねーだろゼル。昨日は二回もかり出されたんだぜ。帰った後ケーキも仕上げたし」

 眠気で開かぬ細いまなこで、申し訳程度に言い返すキョウジ。他にやることも無く、気だるそうに通行人を観察していた。

 道には休日の始まりに心を弾ませる家族連れがぽつぽつとあらわれ始め、近くのショッピングモールへと歩を進めていた。その中にはパートナーロボットを連れている者達もおり、自然とキョウジの視線はゼルを向く。

「私の顔に何かついているか?」

「いや。ウチのは喋りばっかが達者だなと思って」

 一般家庭に普及しているロボットは、主に所有者をサポートするために機能している。愛玩用のペットロボットや、話し相手となる人型ロボットなど、種類はあるが、基本的に主人の命令を順守し、決められたルーチン内でしか行動できないようにプログラムされている。

 しかし、ゼルの存在はそれらと一線を画していた。ある特殊な技術で動く彼は、単一の人格を持ち、まるで生命体のように振る舞うことができる。時にあるじに歯向かい、時に行動規範から外れ、主であるキョウジを隣で支え続けてきた。

 そんなゼルだからこそ、上辺だけのキョウジの評価に不満の色をみせる。

「昨日のことをまだ根に持っているのか?」

「別にそういうわけじゃねーけどさ。やっぱ制限があるとやりづらい……だろ? ゼルお前も、俺も、な」

「……」

 キョウジがおもむろに空中へと指をわせた。すると、なぞった軌跡には燐光りんこうともり、ひかえめな電子音をともなってデジタルウインドウを出現させた。様々な情報が羅列られつされる中、その上部には『コードネーム:ゼル』と表示が出ている。

 キョウジは無作為な選択を行い、ウインドウ内のある項目を指先でタップした。途端、物静かだった緑の画面はエラー音を吐き、冷ややかな赤さで彼を拒絶する。

「せめてここらへんが使えればな。まぁ、実際何ができるのかなんて知らされてねーけど」

 キョウジは唯一作動している『使用者との会話機能:ON』に視線を向けた。その口元は苦笑を隠すことができていなかった。

「仕方ない。私達は公人であると同時に最重要監視対象者だからな。こうして出歩けるだけ有情うじょうに思わなければ」

「にしたってよ。ゼルの機能が封印されてるせいで犯罪者に殺されでもしたら悔やみきれねぇだろ」

「むしろ、そうして私達を闇にほうむるのが上の目的なのかもしれんな」

「さすが。面白い冗談だ」

 そう言うキョウジの目はまったく笑っていなかった。

「そういや、珍しく使用を許可されたのがあったよな。確か昨日の……光学迷彩?」

「うむ。鷹矢の進言でな。ようやく国連もまともに取り合ってくれる人間が出てきたようだ。もちろんこれを使って司令室から姿を隠すことはできないが……」

 心底残念そうにゼルがつぶやく。

 普段は淡泊たんぱくなゼルも、やはり胸中では縛る者へ反発していることを感じ取り、キョウジは少しだけ嬉しくなった。

「ま、お前が強くなるだけで、俺の得にはならねーけどな」

「そうでもないぞ。昨日調整を行ったのだ。見てくれ」

 そう言ってゼルが新しいウインドウをキョウジの眼前に出現させる。

『――それじゃ、キョウにいちゃん。明日の十時に、駅前集合でいいかな?――』

 それは、昨日見た幼馴染おさななじみからのメッセージ動画だった。

「『明里あかり』のメールじゃねーか。これがどうかしたのか?」

 話の流れがつかめず、不思議に思ったキョウジが目をらす。と、突然平面の窓から明里の顔が飛び出した。

「うおっ」

 少女と顔を向き合わせたキョウジは狼狽ろうばいし、わずかに後ずさる。彼女は変わらず少年の様子をうかがい、大人しい……だが明るい笑顔を向けていた。

「目が覚めたか?」

 そう得意気に話すゼルを、キョウジはジト目で非難した。

「光学迷彩というより、投影技術の応用だな。昨日テストしたように私の姿を消したり、こうやって立体映像を出すこともできる」

「おどかすんじゃねぇよ……。で、これのどこが俺の得になるんだ?」

 あきれながら頭をかくキョウジがぼやいた。

「? 嬉しいだろう?」

 今度はゼルの方が、心底不思議そうな顔でたずねてくる。

「長年君をしたう少女のリアルな映像だぞ。中々彼女に会えないキョウジのために私が用意したのだ。これでいつでも明里に会うことができる。どうだ。私に感謝し、さらなる敬意を示してくれて構わんのだぞ?」

「まるで元からお前を尊敬してるみたいな言い方だな。ていうか、あいつはそんなんじゃねーよ。……こんなの用意して、お前何やってんだよ」

 キョウジは腰に手をあてて大きなため息をついた。

「恥ずかしがらなくともよいのだぞ。それとも遠慮しているのか? どれ」

 立体映像の明里の姿がブレ、服装が学生服からメイド服へと変わる。

『キョウ兄ちゃん、いつもお仕事ご苦労様。今夜は私がたくさん癒してあげるね。ご飯にする? お風呂にする? それとも……わ・た――』

「おい馬鹿やめろ」

 キョウジが血相を変えて映像を中断させようとする。口角をひくつかせ、ゼルにつめよった。

「往来でなんてもん流すんだ。だから明里はそんなんじゃないって言ってるだろ。あいつは妹みたいなもんだっての」

「ふむ、妹か。もちろんあるぞ」

 得心がいったようにゼルが顔を上げる。明里の映像にノイズが入り、再度彼女は姿を変えた。

『私がお兄ちゃんを癒してあげるにゃん』

 突然猫耳を生やした明里がポーズをつけて猫なで声を出す。

「変態か俺は! 消せ消せ!」

 周囲の視線に耐え切れず、キョウジはついに叫びを上げた。

「これでも作るのには苦労したのだぞ」

 力作をキョウジに拒否され、ゼルはすねるように不満をもらした。

「まだサンプルが少ない現状、一目で立体映像と分かってしまう代物だが、ゆくゆくは実物と見分けがつかないほどの質に高めてみせよう」

「……おい、ちょっと待て。こんなことするためだけに上の許可取ったんじゃないだろうな? お前が姿を消して隠密行動をするため、とかそんな真面目な理由なんだよな?」

「……ああ!」

 そんな使い方もあるな、とでも言いたげなゼルの相槌あいづちに、キョウジはひざからくずれ落ちた。

「お前なぁ。ただでさえれ物扱いの俺達なんだぞ? あんま変なことしてにらまれるのはごめんだぜ」

「大丈夫だ。私はいつだって君のためになることでしか動かない」

「そりゃどーも」

 どこまでが冗談でどこまでが本当なのか、今日も推し量ることができないキョウジは早々に思考を放棄し、会話を中断させる。

「キョー兄~ちゃん」

 背後から少女の声が聞こえ、キョウジはしぶしぶ振り向いた。

「ゼール。だからそれはもういいって……」

 少年の目の前一杯には少女の顔が映っていた。無邪気さがあふれるその笑顔は、まぎれもなく本物であると瞬時に判断させる。

「うおっ! と、すまん」

「ひゃっ」

 驚きで互いにのけぞる少年と少女。しかし少女の方は体勢をくずし、後ろに倒れそうになってしまう。

「危ねっ!」

 とっさに腕を回し、少女の背を支えるキョウジ。二人の動きが止まり、かろうじて転倒を防げたと少年は安堵あんどした。

「ふーっ、悪い。大丈夫か? 明里」

 キョウジに『明里あかり』と呼ばれた少女は、今現在呼びかけ主の腕に抱かれ、急激にその顔を紅潮こうちょうさせていた。

「えっ。あの、えと。キョ、キョウ……!」

 ようやく明里の様子に気づいたキョウジは、彼女を立たせつつ、すぐさまその手を離す。

「あっ。いや、その、ごめんな」

 明里はキョウジにとって幼馴染であった。天涯孤独てんがいこどくの身であったキョウジを不憫ふびんに思った彼女の両親の心づかいで、昔から家族同然のつき合いがあった。

 少年にとって明里は数少ない心を許せる人間だった。が、それでも今の行動はやりすぎと悟り、キョウジは謝罪の姿勢を貫こうとする。

「ホントすまん。あ、と。怪我……無かったか?」

「う、うん。大丈夫、だよ」

 気まずい空気が流れ、とうとう二人の口から言葉が出なくなる。

「朝から大胆だいたんだなキョウジ」

 見かねたゼルが軽口をたたき、明里の顔はさらに赤く、キョウジの形相は鬼のそれになった。

「元はと言えば、おーまーえーのーせーいーだーろーうーがー」

責任転嫁せきにんてんかはよくないぞキョウジ」

 少年の両手にがっちりつかまれるが、どこ吹く風のゼル。

「……ふふっ」

 ふいに少女が微笑ほほえんだ。

「二人とも、本当にいつも仲良しさんだね。私は全然大丈夫だから、ゼルのこと離してあげて」

 それは、少女がいつも見せるほがらかな笑顔であり、その場の――主にキョウジの毒気を急速に抜かせていった。

「というか、私の方こそ遅れてごめんね。待った?」

 明里は軽く屈み、両手を合わせて高くかかげた。申し訳なさそうに顔をのぞかせるが、そこにはわずかな悪戯っぽさが垣間かいま見える。

 つやめきを持った明里の長い髪がゆれ、おくれ毛が彼女のほほをなでた。その拍子ひょうしに、彼女がまとうやわらかな香りが漂い、キョウジの鼻腔びこうをくすぐる。

 少女の大人びた雰囲気に不意打ちをくらい、思わず赤面しそうになるキョウジ。

(って、これじゃホントに変態みたいじゃねーか)

 口元を手で隠しながらそっぽを向くキョウジは、精一杯のすまし顔で返答してみせた。

「いや、今来たとこだ」

「まるでデートをひかえたカップルだな」

「デ……!」

 再度赤面し、とうとうフリーズしそうになる明里。それに待ったをかけるように、キョウジが口をはさんだ。

「ゼール。いい加減にしろ。明里も。こいつの冗談をいちいち真に受けなくていいからな。今日はこれから俺の気晴らしにつき合ってくれるんだろ? はやく行こうぜ」

「え、あ、うん。そうだね、……あはは。それじゃ、行こっか」

 身をひるがえして歩き始める明里。彼女の様子はどこか早足で、その胸の高鳴りを隠さんとするようであった。

 やっと人心地つき、ほっとため息をつくキョウジ。

「明里! あんま急ぐと転ぶぞ」

 注意の呼びかけに少女は振り向き、何故か嬉しそうに少年を見つめた。

「もう、そんな子供じゃないってば。それよりはやく行こうよ、キョウ兄ちゃん」

 明里のワンピースがふわりと舞い、彼女のまぶしい笑顔をあでやかにいろどった。清潔感の中にある確かな妖艶ようえんさに気づき、キョウジは明里を直視することができなかった。

「どうやら今日の明里はかなり気合が入っているようだな。見ろキョウジ、この――」

 キョウジにのみ見えるよう、ゼルが学生服の明里を映し出す。その違いをいかに少年に説明しようかというところで、彼の頭部は少年の手の中におさまった。

「はははやめてくれフレームがゆがむ」


                   *


「わー。やっぱりすごい人だね~」

 商業施設入口からでも分かる混雑に、キョウジはおもわず閉口した。

 スピーカーからは流行りの歌や明るいBGMが流れ、まだ昼前だというのにどの店も絶え間なく人が出入りしている。

 『未知との遭遇から十年』『東京復興九周年セール』

 ショッピングモール内には色とりどりの横断幕や垂れ幕がひしめき、様々な文言が踊っていた。

「キョウ兄ちゃん、今帰りたいって思ってるでしょ」

「いやいやまさかそんな。こうやって誰かに遊びに誘ってもらえる俺は幸せ者だぜ」

 図星をつかれたキョウジはたどたどしく答えた。

(あぶねぇ、ここに来る前ゼルに釘刺されといてよかったぜ)

 キョウジが思い出していたのは、「女心を学べ」などと称して少年を茶化すゼルの姿だった。

「……ふ~ん。ま、いいや。人嫌いのキョウ兄ちゃんがせっかく外に出てくれたんだもん。今日はたくさんサービスしてあげるね!」

 純真なその姿が先程見せられた映像と重なり、キョウジは輪をかけて不自然な対応をとってしまう。

「お、おう! そりゃ楽しみだな!」

「なんだか今日は特に素直だね? それじゃ……」

 明里がちらりとゼルに視線を送った。

(うむ。心得た)

 ゼルは明里の意をくんだようにうなずく。

「キョウジ。私は少し席を外す」

「ん? なんだよ急に。何か用事でもあったか?」

「私もデートの約束があるのでな」

 そう言うとゼルは得意げに飛び去っていった。

「なんだあいつ」

 キョウジがあっけにとられていると、明里がためらいがちに提案を始める。

「あ、あのね、キョウ兄ちゃん。本当はキョウ兄ちゃんの誕生日を祝うためにここに来たんだけどね。その、こうやって一緒に遊びに来るのも久しぶりでしょ? だから……」

 歯切れの悪い様子で視線を泳がす明里。そんな彼女の考えに思い当たり、キョウジはあきれから笑みをこぼした。

「ウインドウショッピングか? ま、それくらいならつき合うぞ」

 それを聞いた明里の表情はパッと明るくなり、さっそく少年に行動をうながした。

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