第37話もう半分のファクター

街中のカフェで、とある兄と妹が数年越しの再会を果たす。しかしそれは、涙ながらの感動の再会というわけでもなさそうだ。

 どこか微妙な雰囲気なのは周りの客も薄々感じているようであるが、せいぜいカップルの痴話喧嘩か、女二人と男一人、あわよくば修羅場にでも発展すれば面白いものが見れると、野次馬的に遠巻きに見ているだけである。

 しかし、翔馬の反応を見ればそんなバカバカしいような話でないことはわかる。彼は凰児の妹を名乗る彼女からにじみ出る隠しきれない殺気を感じ、いつでも応戦できるよう構えている。

 そして程なくして、少女はそれを隠すことなくさらけ出し、邪悪な笑みを浮かべながら小さな声で呟く。


「今でも忘れないよ、あの身を焼くような熱と痛み……」


「俺に……、復讐しに来たのか……?」


 聞き返した凰児は何故だか先程より落ち着いて見える。目の前の少女が本当に妹なのか、実際はまだ定かではない。魔術めいた力、ファクターの存在から別の可能性はいくつか考えられる。しかし、凰児は彼女が偽物であるなどとは考えもしなかった。

 彼は妹が生きていることなど絶対にないと知っていたが、それでも彼女が妹自身であると、どこかで確信をしていたのだ。

 妹が自分を恨んでいても仕方がない、そう考えて聞いた彼の言葉に対し、妹は首を横に振った。そして放たれた言葉は、凰児と翔馬を凍りつかせた。


「お兄ちゃんには何もしないよ。 ……、周りのモノを壊すだけ。 全部、ぜーんぶ。 お兄ちゃんは私への償いとして、その身をすべて捧げるの。 私以外のものなんて何にもいらないの。 だから……」


 そこまで言って少女は、歪んだ笑みのまま翔馬の方を見た。そして……


「まずはあなたから消してあげる!!」


 叫びながら突如彼へと襲い掛かった。右腕に沿うような形で水流のカッターを作り出すと、くるくるとその身を翻し踊るように斬りかかる。武器を持ってきていない様子の翔馬は、それに対し手のひらに集めた風の魔力で弾きながら流していく。そして相手が右手を振り上げるようにして放った攻撃を受け止めた際にバックステップで距離をとり、魔力を溜めると腕を素早く二回振り払い巨大な風の刃を二つ放った。

 少女は咄嗟に水を先方に円形の盾になるように生み出し迎え撃つが、風は水の盾を軽く突破し彼女の真横をすり抜けてその肩を裂き、店のレンガ調の壁を大きな音を立てて砕いた。

 少女の力は決して弱くはないが、実力は翔馬の方が上手のようだ。本来正面からぶつかり合うタイプではない彼が正攻法で突破できることからもそれは明らかである。

 数秒間の間に繰り広げられた目にも止まらぬ攻防の後、店内や周囲にいた民間人たちが堰を切ったように悲鳴を上げてわらわらと散っていく。

 青い顔で声も出せずにいる凰児を横目に翔馬は少女と距離をとったまま正対した。


「悪いけどそれぐらいじゃ俺はやれないぜ。 よくわからんけどせっかく無事だったんだからもっと平和に生きなよ」


「無事だって……? アハハハ、そんな訳ないじゃないですかぁ!! 私が生きてるはずないって事はよくわかってるはずだよねぇ、お兄ちゃん!!」


 狂ったように笑いながら詰め寄る妹に、凰児は何も言い返せず後ずさりしてしまう。これ以上はとても見てはいられない。翔馬は凰児の様子に小さく舌を鳴らすと貫手のように構えた右手に風の刃をまとい、少女に向かって言う。


「これ以上ここで暴れてもらっても困る。 話はSEMMの施設で聞いてやるからおとなしくしな」


「話すことなんてありません、邪魔だから消えてください。 それだけなのっ!!」


「……、仕方ないな」


 両腕側面に水の刃を携え向かってくる少女にふう、とため息をついたあと、翔馬は殴りかかるように斬りかかってきた少女の三連撃を体を小さく逸らして回避し、気合とともに一気に風を纏う右手を振り抜いた。

 少女は咄嗟に両腕をクロスさせ水の刃で受け止めるも、風はそれを難なく突き抜け少女の腕と胸部に大きく傷を刻む。そしてすかさず翔馬は膝をつく少女の全身を半物質化した風で拘束して自由を奪った。


「悪いな……、ここまでだ。 事情は知らないけど、ここまで派手に暴れられた以上SACS隊員の俺は君を容疑者として連行しなきゃならない。 おとなしくしてくれ」


「……、ムカつく。 ああっ!! ホント腹たつなあっ!! 二人ともっ、お願い!!」


 イライラして声を荒げる少女の叫びの直後、突如として翔馬の後方からふたりの女性が彼を襲う。その手には刃渡り15cm程のナイフが握られ、咄嗟に体をひねって避けたものの、反応の遅れた翔馬は右肩に浅く傷を刻まれた。集中が解けたことにより、少女の拘束も外れてしまい、少女はステップするように距離を取った。

 現れた二人は動きこそまるっきし素人臭いが、全く生気が感じられず、気配と呼べるものがなかった。


「なんだこいつら……。 まるで死人みてーで気味わりい……」


「仕方ないから今日は帰ります。 でも、諦めないからね……、ふふ」


「待て……っ」


 薄笑いを浮かべて立ち去る少女を追おうとする翔馬に先ほどの二人が立ちはだかる。しかし翔馬もここで逃がすわけには行かないと、多少の無茶は致し方なしとして大きな風の刃の四連撃で二人を吹き飛ばす。

 軽くはない傷を受け地面に倒れた二人の女性。翔馬はすぐに逃げた少女の後を追おうとするのだが、突然予想外の事態が起こりその足を止めてしまう。

 倒れ込んだ二人の体が、突然溶け始めたのだ。辺りにはたちまち腐臭が立ち込め、翔馬も凰児も思わず顔を歪めて身を引いてしまう。溶け出していた二人の体はあっという間に骨だけとなってしまった。

 その後、民間人からの連絡を受けたSACSと警察により周囲は立ち入り禁止となり、凰児と翔馬は一通り事情を説明した。大丈夫だと言い張る凰児を引き止められず、翔馬はそのまま立ち去る彼の背中を何も言えずに見送った。逃亡した容疑者が凰児の妹であるかもしれないということは、警察には言わないでいた。


 翌日、乙部に集まるように言われいつものメンツでいつも通りの場所に集まる。昨日の出来事は簡単に聞いてはいるようだが、重要なことは伝えられていない。妹がどうこうというのを知っているのは翔馬のみだ。支部長執務室には既にだいたい全員が揃っているようだが、凰児と乙部がまだ姿を見せていないようだ。

 ソファでふんぞり返っている凛は呆れたように翔馬の方へと話しかける。


「よくわからねえがお前ら二人相手に喧嘩売るとか相手もいい度胸してんな。 特にSACS隊員のお前相手に無茶したら最悪殺されても文句言えねえのにな。 仕事上恨みも買いやすいだろうしそういう関連か?」


「……、二人が来たら説明する。 だからそれまで静かに待っててくれ」


「……? なんだよ感じ悪いな……」


 いつもお調子者の翔馬に少し冷たい表情と態度で返され、凛は少しバツの悪そうな顔でこぼした。どうも、凛の対角側に座る空良の様子もおかしいようだ。

 重い空気の中、出入り口のドアがギイィ、と音を立てる。全員の視線を集める中、乙部のみがその姿を現した。


「師匠一人? 龍崎先輩は一緒じゃないんすか?」


「彼はまだ冷静になりきれていないようですね。 事情は私から話します。 ……、本当は第三者の口から話していいような内容ではないのでしょうがね。 彼には了承を得ています」


「……、まさか……。 『あの事件』関係ってことっすか……?」


「そうなります。 ……、そのことについて知っているのは翔馬くんと空良さん、浪くんだけなので、とりあえず説明が必要ですか」


 乙部の言葉に、事情を知る三人は少し表情を曇らせ、残りの皆もどことなく漂う重い雰囲気に息を呑んだ。乙部はまず、昨日凰児と翔馬が巻き込まれた襲撃事件について説明をする。


「とりあえずは昨日の事件についてですか。 昨日楠木二丁目のカフェにて水系ホルダーが二人を襲撃した、ここまではみなさん既に知っているでしょう」


 とりあえず確認するような彼の言葉に全員小さく頷いた。そのまま乙部は続ける。


「その襲撃の犯人というのが、凰児くんの妹を名乗っていたそうなのです」


「ちょっ……、ちょっと待ってください!! それはありえないっすよ!? だって……」


 事情を知る浪は焦ったように、乙部の言葉につい割って入ってしまった。しかし途中まで言ったところで、ハッとしたように言葉を止めた。苦い顔で少し悲しそうに言葉に詰まっている彼の姿に、事情を知らないほかの面々も何となくそれを察する。

 普段人心に鈍い雪菜でさえも例外ではなく、悲しみをはらんだ声でそれを口にする。


「妹さん……、もう亡くなってるんだね……」


 雪菜の言葉にしばし静寂が訪れた後、視線を集める乙部が小さく頷いて続ける。


「その通りです。 彼が中学一年生の頃にアニマの襲撃によって……。 現代ではそう珍しくない境遇と思われるかもしれませんが、彼らの場合その後がまずい」


 思わせぶりな一言の後、乙部はしばらく間を開ける。決して焦らしているわけではない。ただただ、凰児の気持ちを考えるとつらい、その一心からだろう。しかし息を小さく吐き、覚悟を決めてさらに続ける。

 ほかのものは皆、事情を既に知っている三人も真剣な表情で彼に視線を送っている。


「凰児くんはそこで覚醒させたファクターを暴走させてしまい、アニマだけでなく一緒にいた妹さんの命をも奪ってしまったんです。 彼の両親もそこにいたそうですが、二人は命からがら逃げ出してなんとか一命を取り留めたそうです」


 いつも優しく頼りになる凰児の、途方もなく重い過去に全員の表情が曇る。意外にも、最もショックを受けたように見えるのは感情豊かな雪菜ではなく凛の方だ。手で顔を覆うようにして大きくため息をついたあと、やるせないといった様子で呟く。


「あいつがそんな……。 ちっ、クソがっ……。 人のことばっかり気にかけて、自分の方がよっぽど……。 あたしなんかまだ幸せだったんだ、復讐すべき相手がいたんだから。 もしお父さんたちを殺したのがあたし自身だったなんてなってたらとてもじゃないが正気じゃいられなかっただろうな……」


「凰児くんの様子を見るに、偽物とも考えづらい。 生命禁術を扱うものがいるということかもしれませんね……。 死んだ他人を完全に蘇らせるとなれば、ガブリエル以上の使い手ということになりますが……」


 乙部は考え込みながらそんな事を言っているが、ガブリエルは異界でも最強クラスであったアニマの一角だ。正直考えにくいだろう。そんな時、浪が頭に手を当ててエルの言葉を聞いているような素振りを見せたあと、その内容を説明する。


「……、師匠、エルが異界を抜け出す時に裏切って向こうに残った同族がそれらしい魔術を使うから、そいつの仕業じゃないかって……」


「アニマの仕業、と? 確かにエルの一族であれば結界の影響が少なく、こちらに来ることも可能かもしれませんが……。 彼女と話をさせていただけますか?」


 頷いたあと、浪はいつもどおりの手順でテーブルの上にエルを顕現させた。早速乙部が彼女に尋ねる。


「エル、ガブリエル以外に生命魔術の使い手がいるというのは……」


「生命魔術なんてたいそうなものじゃないよ。 あの子の力は闇魔術による死体繰り、ネクロマンサーのたぐいだよ。 サキエルの右腕だった黒い翼の堕天使、名はリリエル。 翔馬くんの倒した連中の白骨化からして特徴もばっちり合うし多分そう。 正確にはあの子が力を貸すアマデウス、ってことになるかな」


「アマデウス……。 人間が侵略者の協力者となっていると……」


「そうなるね。 例の子、相良憂の関係者の線もあるかもね。 言うとおりに動く死人兵を大量に生産できるあの力は憂にとっても便利だしね」


「もしそうだとするなら、彼女はいわば動く死体、救いの道はない、ということですか。 凰児くんを付け狙ってくる以上、再接触するのも時間の問題ですか……。 できればこれ以上彼の心をえぐるような事態は避けたいのですが……。 そうもいかない事情があります」


 しばらく考え込んだあと、乙部は翔馬に向かって唐突に別の話題を振る。


「……、翔馬君は凰児くんのことをライバルと認識していますよね?」


「なんだよ突然、そりゃまあそうだけど」


「ですが正直、周りの評価はそうではありません。 凰児くんは攻撃能力が無い分勝てない相手というものが多い。 相性を考慮すれば、あなたの方が上手だというのが一般的な認識です」


 褒められているのかは微妙だが、それよりも翔馬は凰児とのライバル関係に否定的な意見を言われたことで、反発するように食いかかった。


「周りがどう思っていようとどーでもいいよ、俺があいつを認めているんだから」


「彼がまだ自身のファクターの力をその半分しか引き出せていないとしても、ですか?」


「どういう、意味だよ……?」


「彼のファクターがどう暴走したら人死にが出るというんです? 事件当時の彼は運動も特別得意ではない普通の中学生の少年でした。 両親が押さえつけようとすれば止められたでしょうし、何より彼はその時アニマを倒しているはずなんです」


 乙部は直接的なことは言わなかったが、いいたい事はほぼ全員がなんとなく理解した。


「あいつが攻撃能力を持ってるってことか……?」


「おそらく事件のトラウマから、何かを傷つける力を無意識に封じてしまっているのでしょう。 そして今回のことを彼自身が乗り越えられなければ、これから先もそれは変わらない。 厳しいようですが、彼の手で決着をつけなければいけないんでしょう」


「俺たちは、どうすればいい? わざわざ俺たちにそれを話したんなら、何かを期待してるんだろ?」


「……、彼と話をしてあげてください。 彼自身、どうすべきかはもうわかっているはずなのですが、それを受け入れられずにいる。 あなたたちの方が、彼の重荷を軽くしてあげることができると私は思います。 情けない話ですが、私では彼にかける言葉が思い浮かばない……」


 自虐的に弱々しい笑顔を浮かべて語る乙部に、浪と翔馬は真剣な表情で強く頷いた。


「このままじゃ張り合いがないしな。 あいつがしょぼくれてるとこっちまで滅入るぜ」


「先輩にはいつも世話なってるんだから、俺だって少しくらいあの人の力になりたい。 断る理由なんてないっすね」


 快く引き受けてくれた二人の言葉に少し胸が軽くなったのか、乙部の表情も少しばかりか暗さが消えたようだ。早速、浪は凰児を立ち直らせるために計画を立てる。


「あんまり大人数で詰めかけるのも良くないだろうし、明日翔馬と俺と昂月の三人だけで行ってくる感じにしようか」


「ま、そんなとこだろうな。 みんなも心配だろうけど、ここは俺等に任せてもらっていいか?」


 二人の提案にほぼ全員が同意し頷くが、ただひとり、彼に一番近しい人物として自然と数に入れられた空良だけがうつむきがちになったまま反応を返さなかった。

 周りが怪訝そうに彼女の顔色を伺うと、うつむいたままで弱々しく話す。


「ごめんなさい、私はちょっと遠慮しときますー……。 ほんとにごめんなさい、私には無理なんです……!!」


 そう言って、空良は急に駆け出すと部屋を飛び出していってしまった。咄嗟にそれを追おうとする雪菜を、凛は右手で遮って静止した。


「とりあえずちょっと時間おいてやれ。 ……、今まで兄妹として接してきたのに、突然本物が現れたんだ。 人の相談乗ってやれるほどの余裕なんざなくて当然だろう。 ……、明日は代わりにあたしが行ってくる」


 最後の予想外な一言に、雪菜を始め皆が目を丸くして驚いている。しかし凛も意外と義理堅い。エキドナ戦以前に散々心配をかけてきたことからも、なにか思う事があるのだろう。

 少し顔の赤い彼女に、浪は微笑みを浮かべて返す。


「じゃあよろしく頼むよ。 雪菜はちょっと時間開けたら昂月のフォローを頼めるか? お前だったら素直に話をさせてくれるかも知れないし……」


「それはいいけど……、どうかした?」


 歯切れの悪い浪の言葉に雪菜は難しい顔で尋ねた。


「先輩と兄妹同然のあいつが狙われることもあるかも知れない。 お前だったらもし襲われても安心して任せられる」


「うん、わかった。 こっちは心配しないで。 先輩のこと、よろしくね」


 お互いを信頼して任せ、その信頼を受ける証とするように、二人で右手を出すと綺麗にハイタッチの音が響き渡った。



 その頃……。凰児はひとり家に残り物思いにふけっていた。

 壁に埋め込まれた大きな水槽に泳ぐペットの大きな魚は、飼い主の心情など知ることもなく優雅にゆらゆらと漂っている。

 しばらくボーッとしていた凰児は、突然思い立ったように立ち上がると両頬を叩いて顔を引き締め、覚悟を決めるようにつぶやいた。


「会いに行かなきゃいけないな……。 あの子が何を考えていようと、向き合うのが俺の義務だ……!!」


 そう言って、何も持たずにそのまま家を後にした。その後、仕事が忙しく乙部も帰らず、空良もすぐには帰ってこなかったため、彼の行動にはしばらくの間誰も気付けずにいた。

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