#7:クァンタム・セオリー
2036年の未来から来たタイムトラベラー。自らをそう称した男が、アメリカのネット社会に登場したのは、2000年11月2日のことだった。当初、よくいるホラ吹きかイタズラの類として、ほとんど話題にもならなかった一人の男の発言は、やがて国家すら動かすこととなる。
ジョン・タイラーと名乗ったその男は、その後、ネット上でコンスタンスに姿を現しては、タイムトラベルに関する技術的、科学的考証を実に専門的に解説してみせた。彼の量子力学、宇宙物理学に関する広範な知識と理解は、専門家ですら唸らせる説得力があり、その存在は徐々にアメリカネット社会のみならず、全世界的に知れ渡っていくこととなる。彼がネット上で語ったタイムトラベル理論、未来に起こる出来事の予言などは、特に様々な物議を醸していった。彼がいうには、彼自身が最初にタイムトラベルを行ってから現在の時間軸に移動してくるまで、通算37回もの旅を繰り返してきたという。衝撃的だったのは、彼が時間を旅する目的だった。
それは、近い将来に迫る、人類の存亡を揺るがす未曾有の危機を阻止すること。
彼のこの発言は、世界中のネットユーザーを震撼させると同時に、多くの人間を呆れさせもした。しかし、彼はそれが事実であると唱え続ける。
それを伝えるために、彼は後に【タイラー資料】と呼ばれる様々な物品と幾つかのある試作機械を、ある組織に遺したという。
しかし、2001年のある時点で、彼はネットから一切姿を消した。後に、彼の予言は大半が外れたことが世間に知れ渡ると、もはや誰もジョン・タイラーについて語る者はいなくなった。彼は所詮、よく出来たホラ吹きの大嘘つきとして、一種の都市伝説のような存在として人々の記憶から消え去っていった。
ところが一部のカルトの間で、ネット上でジョン・タイラーが公開した予言は、すべてがダミーであり、本当の予言はすべて的中しているとの噂が流れた。彼らの主張では、ジョン・タイラーの本当の予言は、合衆国政府によって巧妙に隠蔽されているという噂が流れたのだ。
「噂?」
「その噂は実際には真実だったんだ。公表されていないだけで、2000年から2036年まで彼の予言は実はすべて当たっている。世界中で起こるテロ事件、初の黒人大統領の出現、そして、大手金融企業の倒産……。その事実に驚いたアメリカは、彼の存在そのものを否定するために、カバーストーリーを作って真実を隠蔽する一方で、実際に大統領すら知らない秘密機関を創ってしまったんだ。それが彼が接触した組織」
テレビの大画面にアメリカ国防総省の名と共に、ある書類が表示された。そこには『Project Blue Book』という名でタイトルが記載されていた。
「実際には1952年から続く組織で、62年には解体したとされていたけど、実は存在し続けていたの。その目的は不明だけど、確かなのはジョン・タイラーの出現以降、彼らの目的は『可能な限り現実的な現状分析からの積極的な可能性模索とその対処』になった」
「どういう意味?」
西園さんが問いかけた。
「アメリカは本気で、ジョン・タイラーの語る人類滅亡のシナリオを信じたってことだよ」
僕の言葉に、雪音先輩が続く。
「けれど、2036年に実際にその年を迎えても、結局、世界は滅亡しなかったことで、徐々に、アメリカ内部でジョン・タイラーの話を信じようとする動きが消えていったわ。様々な物証はあったのにね。より現実的な危機の方が優先されるようになったの。当時はヨーロッパや中東で宗教テロが頻発していて、その危機はアメリカ国内にも及ぼうとしていたから」
「で、最後は国防総省内の組織も解体され、それなりに常に危機を孕んでいたとはいえ、現実的に到来する様子のない世界の危機をよりも、大統領支持率の低下の方を気にするようになったんだ。10年近く埋もれていた【タイラー資料】と他の試作機械が、ペンタゴンの地下室から掘り起こされたのは、ほんの少し前のことだよ」
そこまで僕たちが語ったところで、もう我慢できないとばかりに西園さんは言った。
「ちょ、ちょっと待ってよ? 仮にそれが事実だとしても、どうしてそんなスゴい話をあなたたちが知っているの?」
雪音先輩が僕の方に視線を向ける。話は一番の核心に迫りつつあった。
「僕の祖父、日乃宮源次郎は元物理学者で、当時、試作機械の分析をした人間の一人だからだよ」
「……」
「【タイラー資料】を今でも信じている当時の機密機関の人間が、同じく当時、タイラーの持ち込んだ試作機械を分析していた、アガナくんのお爺様、日乃宮源次郎氏に資料と機械を託したの」
そこまでを語り終えて、僕も雪音先輩も【クァンタムセオリー】に視線を向ける。
それを追うように、西園さんもそれを見据えた。
「君も見たよね。それがこの【クァンタムセオリー】と、その一機能である【コーデックス】なんだ。これの存在そのものが、滅亡を裏付ける証拠なんだよ」
「滅亡って、さっきの映像で見たもののこと?」
西園さんが問いかける。しかし、僕はゆっくりと首を振った。
「実のところ、人類の存亡を揺るがす危機が、いったいどういったことなのか、さっぱり分からないんだ」
「戦争か何かが起こっているような状況だったけど」
「最終戦争が起こるっていう筋書きは、もちろん、わたしたちも考えたの。でも……」
雪音先輩が僕の顔を見つめ返す。それを受け、僕はさらに西園さんに向き直った。
「君が見た映像は、僕らも何度も繰り返して見たんだ。男が走り、街が破壊される。そして、逃げ惑う人々。最後は……」
「大量破壊兵器が、街の人々がいる中、落とされた」
まだ感覚が生々しく残っているのか、西園さんの表情に暗い影が落ちる。そう。あの白い閃光と一瞬で何もかもが破壊される光景は、何度見ても恐ろしく、心臓が凍りつくような感覚があった。あれを西園さんに体験してもらうのは、いくらなんでも酷な気がしてならなかった。最後まで僕が彼女に真実を見せることを躊躇したのは、あの体験が、僕らにとっても相当なショックだったからだ。
「でも、あの大量破壊兵器が落とされる直前、人々が何かに襲われていたのを覚えてる?」
雪音先輩が言った。それを僕ももう一度思い出す。列をなして避難する人々、それを誘導する兵士達、そこへ何かの連絡が入り、訓練された兵士たちが一斉に恐怖し、混乱する。恐ろしさのあまり、後ろから逃げてくる人々もろとも何かに向けて銃を乱射していた。
いったい、何に向かって撃っていたのか。
「戦争なら、敵の兵士ってことじゃないの? 敵の兵士が迫ってた……」
西園さんはそう言った。けれど、それを雪音先輩が否定するように首をゆっくりと振る。
「もし、これが普通の戦争なら敵も味方も入り乱れた状況の中、大量破壊兵器なんて使うかしら。あの大量破壊兵器は、まるで恐怖と混乱のあまり、市民を巻き添えにして銃を発砲した兵士と同じようにわたしには思えたのよ」
『普通の戦争』という言葉に、雪音先輩は我ながら違和感を感じているかのように自分でも釈然としない面持ちで語っていた。僕らは『普通の戦争』以前に、戦争そのものを知らない。戦場と呼ばれる状況が、どれほど特殊な環境なのかも分からない。そんな中で僕らの理屈で語ることに、いったいどれほどの意味があるんだろうか。雪音先輩は、自分自身、自嘲するかのように薄く笑った。
「それって、爆弾を落とした方も恐怖で混乱してて、そこに大勢の人がいるのもかまわず落としたってことですか? 味方も一緒に」
「……」
雪音先輩は沈黙した。果たして、大量破壊兵器を落とすような判断を下す意思が、絶対に冷静なものであると誰に言い切れるだろう。たとえ、どんな理由があろうと、大勢の人々を一瞬で殺す爆弾を落とす判断を、仮に冷静に判断していたとしても、それを正常な精神だと呼べるのだろうか。
より合理的な判断として、味方がそこにいるのなら、爆弾投下は見送るのが通常の判断だろう。ただそれは、合理的にいっての話だ。合理的に人を殺す集団。それが軍隊じゃないのか。
どちらにしても、僕らには到底、理解できるものではなかった。しかし、これがどこか、ただの戦争ではないように見えるのは確かだった。
それは、あの【コーデックス】の中で見た人々、そして兵士たちの恐怖が物語っていた。理屈ではない。
本能的な何かが叫んでいたんだ。
――あそこには、何か【敵】がいた。
それが何なのか。映像を何度も隈なく見たものの、答えを得ることはできなかった。しばらく、重苦しく黙り込む中、ふいに西園さんが思い出したように口を開く。
「でも、あれは2036年の映像なんでしょ? 今は2048年。当たり前に世界は滅亡なんかしていないし、タイムマシンだって、まだどこにもない」
「うん……それなんだ。ジョン・タイラーが来た未来は2036年。今から12年前だ。とっくにタイムマシンが出来てるはずなんだけど、そんなニュースはどこにもない」
「わたしたちが知らないだけで、もしかしたら世界のどこかには、もうすでにあるのかもしれない」
「でも、あんな風に大量破壊兵器が使われるような事件なんて起こってないですよね?」
「それは、ジョン・タイラーが何度も過去改変を行った結果なんだよ。彼は37回、時間の旅を繰り返して、なんとか2036年の人類滅亡を阻止したんだ。僕らがいるこの世界は、その結果の延長線上にある」
「待ってよ……。だんだん、話についていけなくなってきたんだケド……」
西園さんは、頭痛でもするかのように両手で頭を抱える。僕は静かに頷き、【クァンタムセオリー】に向き直った。
「ここな」
『はい、アガナ』
呼び出されるのを予め、予想していたかのように、【ここな】は、僕の呼びかけに応じて、奥のテレビに新たな映像を浮かび上がらせた。そこには時系列に沿ったジョン・タイラーの証言がまとめられている。
ジョン・タイラーが最初にいた時間軸では、人類の文明は、なんらかの理由で2025年に一度崩壊しているという。その後、わずかに残った人類によって、かろうじて文明をいくらか再建し始めたが、2025年に発生した文明崩壊が原因で、2036年に致命的な出来事が起こり、もはや人類は絶滅を余儀なくされた状況だという。
彼はその頃、ようやく実用化されつつあったタイムマシン、重力制御装置によって2000年に飛んだ。目的は、事象に変異を起こすための組織作りだった。
2000年のある時点から、あらゆる事象が滅亡へと向かう特異点となっており、事象の流れを改変するために、国家規模の事業を立ち上げなければならなかったという。そのために彼は、アメリカ合衆国の例の組織と接触し、未来から持ち込んだ資料(後に【タイラー資料】と呼ばれる)と、ある試作機械を持ち込んだとされる。
「でも、どうして37回も時間を旅しないといけなかったの?」
その問いかけに、雪音先輩が答える。
「【タイラー資料】によると、2000年のある時点で、人類滅亡へとあらゆる出来事が動き始めるんだけど、そのどの出来事を改変しても、必ず、人類は滅亡してしまったらしいの。多少、時期を遅らせただけで、原因は世界規模の戦争だったり、大陸規模の自然災害、新型インフルエンザなんかの病原性ウイルスの場合もあったらしいわ」
「つまり、原因が何であれ、とにかく、人類が滅亡することは避けられない。その結果に向けてあらゆる事象が動いていて、ジョン・タイラーは、実に37回の改変を繰り返したけど、結果は変えられなかった」
「変えられなかったって……。で、でも、あたしたちは、まだ滅亡していないでしょ?」
「まだ……ね」
雪音先輩の怜悧な瞳が、西園さんを射抜く。西園さんは、それを受けて、再び沈黙する以外になった。
「でも、分からないんだけど、2048年の今にしたって、タイムマシンが出来たってニュースは聞かない。実はすでにあって、誰かがそれを隠しているにしてもよ……。【クァンタムセオリー】? それに、あの【コーデックス】。あんなものだって、今のこの時代には聞いたこともないわよ?」
そう。疑問やひっかかりは尽きない。【タイラー資料】に書かれたジョン・タイラーの未来に関する予言は、彼がやってきた2036年までのものだ。確かにそこに書かれていることは、すべて現実のものになった。とはいえ、それだけの文書を今みたところで、信じる根拠にはならないだろう。
たとえ、厳重にペンタゴンで保管されていた重要資料だとしてもだ。だが、そんな資料よりも何よりも、【クァンタムセオリー】の存在だけは現実だ。
これだけは今、確かに僕たちの目の前にある真実だった。
「要するに、僕らにある確かな物証はこれしかない。これがいったい何者によって創られたものにせよ、現代科学の産物じゃないことは確かだろう?」
「……」
西園さんが再び黙り込み、何かを考え込んでいた。恐らく、これまで僕と先輩が繰り返してきた、答えのない問答を同じように彼女も繰り返しているんだろう。
どれくらいそうしていただろうか。陽が沈みかけ、西日が僕らを照らし始めるまで、彼女はじっと考え込んでいた。
やがて、おもむろに僕に向き直った西園さんは、静かに、けれどはっきりと告げた。
「分かった。秘密にする。でも、ひとつ条件があるの」
「?」
「あたしも仲間に入れて」
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