#3:だったら、ガッコ、もう辞めたら?

『……なお、世界保健機構WHOの発表によりますと、西アフリカを中心に感染地域の拡大が懸念されている原因不明の奇病について、2048年の5月24日までに3万7524名もの人々が疑いも含めて感染しており、すでに1万3567名が死亡したとの調査結果を報告しました。これを受け、厚生省はWHOアフリカ事務局の情報を元に、各国際便での入国者検査を実施し、外務省では西アフリカを含め、感染が懸念される地域への渡航を自粛するよう各メディアを通じて勧告しています。

また……』







 駅前のロータリー。こんな寂れた町の駅前でも、商店街はこの時間、ほんの少しだけ人通りが増える。夕暮れ時はいつも、仕事帰りのサラリーマンや主婦の買い物で賑わうからだろう。加えて町の電気屋が、看板代わりに巨大なスクリーンを店の屋上に設置したのも大きい。絶えずそのスクリーンから民放が流れていて、今も時刻がちょうど4時になるのに合わせて、ニュースが放送されている。

 だいたい、いつもそうだけど、いいニュースなんてニュースに流れない。

 いつもどこかの国の戦争だとか、内戦だとか、テロの映像ばかりだ。そうでなければ国内の凶悪事件がニュースとして流れる。


 今は、別の悪いニュースが流れているけど……。

 

 いつかこれだけ悪いニュースが続いていけば、世界の終わりを伝えるニュースが流れる日も来るんだろうか。なんとなく、ぼんやりとそんなことを考えながら、適当に友達と会話して笑いあって、この駅前で別れた。

 クラス内でもかなりの美少女だと言われ、男子からもてはやされることの多い彼女だったが、あまりそうしたことがロコツすぎると女子との関係もややこしくなる。

 そこそこ仲良くして、そこそこ笑い合える関係がちょうどいい。電車に乗って帰るのは二人、彼女は駅を通り越して少し進んだ住宅街の一角に住んでる。いつもは自転車通学でそのまま帰るが、今日はちょっと他に用事があった。

 彼女の名前は西園ソアラ。この深桜町という日本の果てだか、セカイの果てだかに住んでいる。


とはいっても――。


――あたしはそこまでこの町を悲観してはいない。住めば都っていうじゃない? 


 いつか大人になってこの町を出る時、それでも自分はこの町を懐かしく思うだろう。彼女はそんな気がしていた。

 駅の改札に消えていく二人に適当に手を振ってから、自転車に乗ろうとペダルに脚を掛けた。

 発展という言葉を、もしかしたら昭和のどっか途中で失ってしまったかのような町並みが続く。

 古い木造建築の校舎、テーブル筐体のゲーム機が並ぶ駄菓子屋、煙突高く突き出た銭湯に、昔ながらの商店街を自転車で軽快に通り過ぎていった。

 そのうち大通りを走り抜けて、住宅街さえも突っ切っていくと、ただっ広いだけの田園風景が見えてくる。いつの間にか、ろくに舗装されていない道のすぐ隣には、大きな高速道路が続いていた。やがて道路脇の道が、ぐいっとカーブし、少し坂道が見えた。

 ここからがいつもキツい。農道を走り抜け、神社の脇をかすめ、よく分からない何かの神様を祭っているらしいお堂を通り過ぎると、さらに傾斜が厳しくなってくる。

 気が付いたら周りには家は一軒もなく、周囲に街灯らしい街灯もなくなってくる。

 深い山林に覆われた山道になっていた。

 普通の通学用自転車で、この道はそうとうキツい。


「……はぁ、はぁ、はぁ、こんな山奥に……よく……住んでられる……わね」


 いつの間にか立ち漕ぎになり、ペダルを踏み込むごとに息が切れて毒づくのもままならない。まあ、ダイエットにはいいのかもしれない。彼女は今、そう思うことにしている。

 本当ならこの仕事は、もう一人のクラス委員、神城直樹の仕事だった。


(普通、女子にこんな重労働やらせる?)


――ないわー。これ。


 せっかくセットして茶髪を少し巻いたりして、新作リップグロスなんかで化粧したり、コロンふったりしたのに台無しだ。彼女は今、いつも通り白いブラウスの裾を出し、暑いので少しだけ胸元のボタンを外している。

 実は茶髪なのは生まれつきなのだが、友達にいちいち地毛だと説明するのが面倒臭くなり、今では染めていることにしている。自分は髪を染めたりするタイプではない、と変にマジメぶったりするほど、そもそもマジメではない。授業をサボることもあるし、禁止されている化粧だって普通にしている。この間はネイルアートまでやったりした。ここまできて、茶髪は地毛なの、と意地になって言い続けるのもなんだか不自然な気がしたのだ。

 そんな彼女が意外と弓道部所属だといったりすると、たいていの人間は驚く。驚かれたあとの反応が、なんとなく気まずくて、このことはあえて言わないことの一つだった。 


「やっとバス停前だよ。こんちきしょー」


 大きな溜息と共に呟いた。といっても、ここはひきこもりである日乃宮アガナの住んでいる深桜山の登山口でしかない。

 ここのゲートを通り抜け、さらに少しばかり歩いて、ようやく彼の住む不気味なスクラップ廃工場に着く。

 正直、面倒臭い。面倒だけど、クラス委員になってしまった以上、こうしてクラスのひきこもり少年のために、せっせとプリントを届けるのも自分の役目だろう。

 面倒ではあるけれど、自分に課せられた責任くらいは最低限きっちりとやっておきたい。

 西園ソアラは、見た目とは裏腹にそういう変にマジメなところがあった。それに、誰も彼にプリントを届ける役目を引き受けようとしなかったのもある。誰もが面倒臭がって手をあげなかった。

 ずっと机の中には溜まりに溜まったプリントが、他のゴミと一緒に、まさにゴミ箱のように無造作に放り込まれていた。

 なんとなくその様子がいたたまれなかったのだ。存在と一緒にゴミ箱に投げ捨てられるかのような感覚。そんなのは少し悲しい。悲しいことは嫌いだ。

 そう思ってこんなことを続けている自分は、ただの暇人なような気がした。

 ようやく辿りついたスクラップ廃工場跡地の正面ゲートを通り抜け、奥の廃ビルの入り口に立った。手近にあるインターフォンを鳴らす。実は登山口ゲートにも、もちろん、このスクラップ廃工場の正面入り口にもインターフォンはあったが、彼女はそれを鳴らさずに入っていた。

 特にいちいち鳴らさずに入っていいことになっている。


『はい。日乃宮です』


 どこかで聞き覚えのある若い女性の声がインターフォンから聞こえた。気のせいだろうか。どことなく合成音声のような響きがある。


「あ、西園です。アガナくんにプリントを届けにきました」


 てっきりアガナだけかと思っていたが、予想外の女性の声が聞こえて、つい緊張した。少し大きな声が出てしまった。すると、インターフォンの向こうで、


『……アガナ、ギャルが来ました』




――誰がギャルだ! 誰が!



 

 確かに髪は茶髪だし、ネイルもしているし、髪は少し盛ってはいるが、決してギャルではない。彼女自身としては、わりとマジメな高校生のつもりだった。

 若干、イラっとしつつも、ここで悪態をつけばなおらさら、マジメから程遠くなってしまうだろう。

 ソアラは深呼吸して気持ちを静めた。

 ふいに、そんな彼女の横顔を橙色の光が照らした。周囲よりも標高が少し高いことで、町中にいるよりも夕暮れ時の西陽が眩しい。

 思わず顔を手で遮った。その時、ようやく一つ気付いたことがある。

 前回、ここに来たときにはなかった異質な存在感が、自分の背をじっと見下ろしているように感じたのだ。

 振り返ってみると、そこには、巨大な金属の塊が聳え立っていた。

 ごてごてとした、無骨な作りをした黒い鉄の塊という以外に表現のしようのない建造物。一応、人が入れるようになっているのか、正面にドアというか、映画で見る戦艦や潜水艦などの気密扉のようなものが見えた。

 

「こんなのあったっけ?」


 三十メートルはあろうかというそれを見上げ、彼女は呟いた。その矢先、彼女の後ろでビルの入り口ドアが開く


「西園さん」


 そこにいたのは、まごう事なき我らがクラスの引きこもり、日乃宮アガナだった。黒いハーフパンツに、少しヨレた感じのする白いシャツには、『努力、根性、友情』などというどこかの少年マンガのスローガンみたいな言葉が、やたら達筆なデザインで書き殴られている。およそ、この少年の貧相な見てくれには合っていない。

 髪は少し長めで、どこか寝癖のようなものが残っている。ほとんど外の陽射しに当たらないのか、肌は不健康なほどに白く、痩せている。顔はそんなに良くもなければ悪くもない……とソアラは思っている。

 要するに地味な少年だった。


「はい、プリント」


 事務的な動作と口調で、すぐ出せるように書類ケースに入れていたプリントをカバンから取り出し、少年に渡した。いくらかのプリントがくしゃくしゃになっている。


「ありがとう。あがってく?」

「ん、いい。もう帰るし」

「そ、そっか。ごめんね。いつもこんなところまで来させて」


 少年は気のせいか、少しオドオドとしている。クラスメイトの女の子に、こんな山奥まで来させたことに対して彼なりに負い目を感じているのかもしれない。


「いいよ。仕事だから」


 本当につまらないことのように、ソアラは、ごくごくさりげなく言う。するのが当たり前だから、当然のようにやっているだけだというような、ごく事務的な口調だった。実際、面倒ではあったが、嫌ではなかった。


「それよりごめんね。プリント、いくらか机の中でクシャクシャになってた」


 別にソアラがプリントをぞんざいに彼の机に放り込んでいたわけではない。前の席の少年が、毎回、面倒臭がって適当に放り込んだ結果、こうなってしまったのだ。そのことを彼も分かっているのか、彼女に謝罪されるとなんだか申し訳なさそうだった。


「いいんだよ。そ、そんなの。僕の机なんて……まだあったんだ」


 苦笑まぎれにそう言って、アガナは受け取ったプリントを見つめながら俯く。そんな彼の言葉に、若干、ソアラはイラついた。


「そりゃあるよ。当たり前でしょ?」

「う、うん。でも、ほら、もうずいぶんガッコいってないし……」

「ガッコ、まだ行く気しないの?」


 下を向いて俯くアガナを、ソアラが無表情な面持ちで見つめる。そもそも、ソアラは、こうしてプリントを届けるようになるまで、入学式以降、ほとんど彼の顔を見たこともなかったし、会話もしたことがない。

 髪の色のせいや見た目が綺麗で目立つこともあって、彼女はクラスでも人気があり、男子はこぞって彼女に話しかけてきたが、彼とはほぼ会話したことがない。

 ほとんど彼のことなど何も知らないのだ。とりたてて、彼に学校に来て欲しいと思ってもいなければ、彼がこのままでいいと思っているわけでもない。もちろん、来てくれればこうしてプリントを届ける必要もなくなるが、無理に引っ張り出す気にもなれなかった。そうまでして学校に行く価値があるとも思えなかった。だいたい、自分だって授業をサボって、適当に体育館の使われていない二階倉庫で時間を潰すことがある。

 しかし、そんなとき、時々、ひきこもりの日乃宮アガナのことを思い出すことがあった。

 彼は今、何をしているだろう、と。


「うん……」


 消え入りそうな声で彼は頷いた。責められていると感じているのか、じっと下を見ている。


「そっか」


 そう言って、これ以上話すこともないと思ったソアラは、カバンを持ち替えて、アガナに背を向ける。帰ろうとする彼女の背に、アガナが意を決したように口を開いた。


「あ、あのさ!」

「なに?」


 振り返ったソアラに、アガナは緊張した面持ちで口を開く。


「あ、あの……もういいから。僕のプリントなんて持ってこなくて」

「なんで?」

「だって、面倒くさいでしょ」

「うん、面倒」


 あっさりとソアラは応える。そんな彼女を夕暮れ時のオレンジの陽が包み込む。


「だ、だから……もういいから」


 ほんのわずかな時、アガナとソアラはまっすぐに見つめあった。言ってしまうのが怖い言葉だったけど、それでもなんとか搾り出すようにして言ったアガナの言葉を、ソアラは静かに受け止める。

 やがて、再び彼に背を向けた。


「だったら、ガッコ、もう辞めたら?」


 それだけを呟くようにして言うと、今度こそソアラは振り返ることなく去って行く。

 残されたアガナは、そんな彼女の背をじっと苦悶の表情で見つめていることしかできなかった。






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