第1章:“日常”は終わった。だから僕たちは
#1:AIの嫁がスカ〇ネットのように殺しにくる
2048年6月初夏。
深桜町というところは、きっと日本の最果てどころか、この世の最果てだと思う。
雑誌の発売日はいつも2日遅れだし、アマゾネスで注文したゲームはやたら配送日が遅い上に、他のどこの地域と比べても送料が高い。
新作は送料かからないのが普通じゃないか? かかる上にやたら高いんだ。別に本州から切り離された離島ってわけでもないはずなのにだ。
とにかく、ここがどれだけ辺鄙な町かは説明するまでもないと思う。
僕、日乃宮アガナは、そんな未開の地に住む今年で16歳になる高校生一年生だ。
もっとも6月現在、ほぼ不登校でひきこもり、一応、入学式には出たんだど……。
「あっ、ちょ、今のズルいだろ!」
『いいえ。今のコンボはこのキャラクター、氷藤院静の基本コンボです』
ここはそんな町の片隅にある山奥。
あるスクラップ廃工場跡地で、その敷地内の事務所ビル最上階を一応、今の僕の部屋ということにしている。廃工場跡地というだけあって、当然もう工場そのものは稼動していない。そこを運営していた会社も大昔に倒産している。
事務所ビルだけは、埃だらけカビだらけをなんとかすれば、人が住めなくもない状態ではあった。三階建てのビルでそこまで広くもないけど、高校生が住むには贅沢すぎるような広さだ。廃ビルだけどね。
よく廃墟とかで見られるような暴走族のたまり場になってたような落書きもないし、壁や天井だって、一応ある。
僕がいうのもなんだけど、まあまあ悪くないよ? 一見して誰も住んでいるようには見えない殺風景なところだけど、ここは立派な僕の家だった。その証拠に、ビルの三階部分から何かテレビの音のようなものが聞こえてくるだろう。
「くっそ、ゼロ勝十五敗だと……。人類はもうAIには勝てないのか。おまえ、ちょっとは接待ゲームっていうのを覚えろよ。ご主人様なんだぞ、一応」
『違います。わたしはアガナの嫁で、アガナはお婿さんです』
「……どこで覚えたの。そんな言葉」
『ラボプラス他、ギャルゲーと呼ばれるゲームです』
「やっぱり、アマゾネスから大量に届いたあのギャルゲーの山はおまえの仕業だったのか!?」
『アガナの嫁として当然の嗜みですから』
「頼んでない! 頼んでないぞ! そんなマニアックな嗜み」
学校の教室くらいの広さがあるこの部屋は今、窓という窓にかけられたブラインドがすべて落とされていて、かなり薄暗い。
夏の強烈な日差しを可能な限り遮ろうとしていた。
そんな部屋のほぼ中央にある二人掛けローソファに一人座る僕は、奥の壁に掛けられた70インチテレビのモニターに向かっていた。
モニターには今、ネットの動画サイトで有名サンプリング音声ソフトウェア、通称ボーカルAIのイメージキャラクター、姫ノ宮ココナの姿が浮かび上がっている。
よく見ないと分からないけど、限りなく実写に近いリアルなCGだった。
20代前半ごろの銀髪の美しい女性ココナが、こちらに向かって冷めた表情を浮かべている。ネットでは薄く大人びた微笑を浮かべている姿をよく見かけるが、
『うち』のこいつは、ほぼ笑わない。
見た目はボーカルAIのイメージキャラクター、姫ノ宮ココナだけど、中身はぜんぜん違う。僕の祖父が創ったあるシステムの補佐をするための独立型支援AIユニット、要するにシステムのおまけAIだ。
名前は【ここな】。おまけとはいえ、実は現行のAIとはまったく異なる技術で組まれたブラックボックスの塊だったりする。
まあ、ポンコツだけど。とにかく、笑わないやつだ。一応、表情はこいつのコミュニケーションパターンとしてインストールされているはずなんだけど、なぜか、いつも朴念仁みたいな顔をしている。なまじ綺麗な顔をしているので、どこか不気味だ。
『しょうがないですね。次はFPSで勝負しましょうか? 先週、届いた「コール・オブ・ダーティ」の新作があるでしょう? 嫁として、最初の一発はアガナに撃たせてあげます』
やれやれとでも言いたげな口調で、今度は別のソフトを立ち上げようとする。
最近、こいつはこうやって僕を小バカにするようなところがあって、ちょっとムカつくんだけど、こうしてなんだかんだで僕と遊びたがるところは、出来の悪い妹みたいで素直に可愛いと思う。まあ、見た目の姫ノ宮ココナの設定上はこいつの方が年上なんだけど。
ただ、どこまでも残念な発想しか生まれない。
これって育ての親である僕のせい?
「コール・オブ・ダーティーか……」
僕はあまり気が乗らなかった。『コール・オブ・ダーティ』は海外で開発されたリアルな戦場シミュレーターだ。プレイヤーは一兵士になって、物語の進行に沿って、様々な戦場で銃撃戦を展開する。
とにかく、銃や戦場のグラフィックから効果音に至るまで、ありとあらゆる要素がリアルでその手のミリオタからの評価が高い。発売当初、ネットで数百万人との同時接続での戦闘は、サーバーが常にパンクするほどだったという。
『ふふふ、完全無欠、正確無比な攻撃で一掃できるわたしに敵はいません。アガナが相手でも容赦はしません』
「スカ〇ネットか、おまえは。ていうかダンナを銃殺するのか、おまえという嫁は」
『アガナ、愛しています。死んでください』
「……」
などなど……。どこまでも笑えないAIジョークをかましながら、僕と【ここな】は南米のジャングルの中にある輸送基地のような場所で、どこかのララァ・クリフト役ハリウッド女優とその夫よろしく、新婚夫婦のようにお互いに銃口を向け合いながら戦っていた。まるで、ターミ〇ーターのような冷徹ぶりで、画面上の【ここな】は、こちらに向けて射撃してくる。
一方の僕も、手にしたライフルで相手に向けて撃つものの、ほとんど当たる様子がない。しまいには、やけくそになって投げた手榴弾が、壁に跳ね返って近くの燃料缶の前に転がり落ち、大爆発を起こして、一気に自滅してしまうという惨憺たる結果でゲームオーバーとなってしまった。
「……」
『アガナは格闘ゲームも、FPSも向いていないと思います』
「はっきりいうね」
ゲームとはいえ、まったく【ここな】に対して太刀打ちできない自分に、さすがに少し情けなくなってしまった。
うな垂れた僕に、いつもの冷たい響きのある彼女の声がトドメを刺す。【ここな】の声は、僕の好きな少し年上イメージの女性ボーカルAIの声をあてているが、動画サイトで聞く無機質な彼女の声よりも温かみを感じる。
この時代、AIが人間に近い思考、つまりは『自我のようなもの』を持って、十年は経つわけだけど、彼女のAIは現行の擬似人格OSを組み込んだものよりも遥かに進化していた。
それは、現行のどのAIとも違う、まったく未知の技術で生まれたものだからだ。
正直、僕も彼女がいったい何なのか、よく分からない。はっきりしているのは、どのAIよりも人間に近い思考、感情を持ち、どのAIよりも優秀な存在だということ。僕が彼女に与えたものといえば、基本的な人格形成プロセスの一部だけだ。言語能力、僕との対話を通じた経験や周囲の情報を与えただけで、一気に彼女は彼女となった。
そして、
『あなたのことを誰よりも深く愛していますから』
今ココ。
彼女は一見、冷たいようで、いつも僕を気遣ってくれる。
ただし、ゲームでは容赦してくれない。
『アガナ、ゲームを再開しますか?』
「いや、今日はもういいや……」
どうあっても彼女には勝てない。そのことを再確認した僕は、これ以上彼女と再戦する気力を失い、コントローラーを手放した。
そして、座りっぱなしで凝り固まった身体をほぐすように伸びをしたあと、気持ちを切り替えようと、窓のブラインドを上げていくことにした。
「よっこらしょっと」
『オッサンですか?』
もっさりとした年寄りのような起き方を違和感なくしてしまった僕に、【ここな】が相変わらず容赦ない一撃を加える。
「うるさいよ。最近、ちょっと運動不足なだけ」
『確かにアガナは、ここ一週間このビルから出ていませんね。人間の身体にはよくないことです』
「二階のエアロバイク、週三回三十分こいでる……」
『運動不足で太ったあげく、自分の重さに耐えかねて足をくじいたオッサンの言い訳ですか?』
「ああ、もうっ、うるさい、うるさい」
意味もなくストレッチするかのように肩をぐるぐると回しながら、僕は部屋の窓のブラインドを一つずつ上げていく。そんな僕の姿をいつの間にかテレビ画面いっぱいまで、顔をズームアップさせた【ここな】の瞳がリアルに追いかけてくる。
まるで、本当に画面の中の彼女が僕を見ているかのようだけど、実際にはテレビの上部に備え付けられた小型のウェブカメラを通して僕を見ているのだ。
モニター上の彼女の瞳が僕を追っているように見えるのは、彼女なりの演出なんだろう。
「眩しいなぁ。今、何時だっけ?」
『午後3時12分です』
ブラインドを上げた瞬間に溢れ出して来る橙色の光の洪水が、僕の眼にきつく、思わず片手で遮った。
ここは山の中腹に位置していて、向きとしては西側だ。まだ西陽が入り込む時間としては早すぎるんだけど、小高い位置にあって周囲に遮るものがないせいか、この時間からすでに眩しかった。
薄暗かった部屋が急に明るくなり、それまでよく見えなかった壁や天井が露骨に見えるようになった。壁という壁に張られたゲームやアニメのポスターに、そこかしこに飾られたフィギュア、ラノベやコミックなんかが本棚いっぱいに収められている。絵にかいたようなオタク部屋だった。
この部屋を見てもドン引きせずに、僕と会話をする女の子は、まあ、そうはいないだろう。【ここな】は例外だ。そもそも人間ではないわけだし。
「そろそろ始めようか。午前中、作成した分の障害診断結果はもう出てるだろ?」
『はい。特に物理障害などはありませんし、システム上の負荷も許容範囲です』
「そかそか……」
などと満足げに呟き、僕は西側の壁に沿って備え付けられたシンプルなデスクに座る。
デスクには、飾り気のない黒いノートPCが一台と、その隣にタワー型ゲーミングマシンとして業者に発注したハイエンドモデルが一台載っている。
僕が座ったのはノートPCの前だった。ごく普通のノートPCだけど、異様なのはその本体から伸びる大小様々なコードの群れだった。
今時、コードがこんなにも束になって繋がってるノートPCは他にないだろう。
それらは、デスクの両端に並んで立っている巨大なのっぺりとした、黒いモノリス状の物体と繋がれていた。
「【ここな】は優秀だなー」
『もちろんです。ところで、ダンナさま、飲み物はいかがですか? それともお風呂にします? それとも……』
「やめいっ」
70インチテレビの比較的大きな姿で映っていた【ここな】は、そこで一気に制止をかける僕に、なにか、がっかりした面持ちをわずかに浮かべて溜息をつく。
そして、おもむろに画面の外、僕のいる側に向かって歩き出した。
テレビのモニターから消えた彼女の姿は、続いていくつかのキーを叩いて起動していたノートPCの画面上に、小さなウィンドウを開けて浮かび上がる。
AIならではの離れワザだ。
『アガナはカタいですね』
「どこでそういう言葉を覚えてくるんだよ、まったく……」
無表情だった彼女の顔が、わずかにスネたように唇を尖らせる。その間にも彼女の姿を浮かび上がらせているウィンドウ、その後ろの黒い画面上には、起動プロセスの進行に従って、様々なログが猛烈な速さで流れていく。
やがて数秒の後、モニター上に三次元で構成されたCG映像が浮かび上がった。
それは、まるで子供の頃によく遊んだプラスティックのブロックおもちゃを組み合わせたような世界だ。土や石、木など自然の造形物を模した四角いブロックがいくつも組み合わさって、山や森、川などを表現している。数年前に流行った『マイクラフト』というゲームによく似た世界だ。
『最初にこの深桜山をスキャンして、オブジェクトを自動配置するだけでも、かなり時間がかかりましたね』
「あぁ、あれは大変だったなー。あっちこっち、山中を自転車や徒歩で駆け回ってカメラで撮影して」
『仕方ありません。航空写真だけではデータ不足でした』
「グー〇ルのストリートフォトとか、グー〇ルマップ作ってる人って大変なんだろうなー」
僕が見ているこのノートPCのモニターには、現在、この山の地形、建物など、ほぼすべての物体の正確な配置が、ブロックCGで表現されていた。
四角い立方体のブロック一つ一つを組み合わせた、おもちゃの世界のような映像だ。そのうち、ファンシーな動物を模したキャラクターなんかが、顔を出しそうだった。
「さてと……。やっぱり今日、実験してしまおうか。だいたいのベースはできたし」
『アガナ、人間が自給自足で長期の暮らしを確立していくなら、やはり水源がまず必要なのでは?』
「山の沢から引いてくるのと、湧き水利用するんじゃなかったっけ?」
確かに水源は大事だ。生きるのに水は絶対不可欠だし、それについては雪音センパイともいろいろ話し合ってきた。ただ、作るにしても位置は重要になってくるだろう。できれば雪音センパイとも相談したいところではある。そう思っていたとき、不意にモニターの上部で点滅しているメッセージを見つける。
ツイッターのDM通知を知らせるメッセージだった。
「うわっ! DM受けてたの気づかなかった! なんで教えてくれないの!? 【ここな】」
『彼女からの連絡は、あまり重要ではないと判断しました』
友達のいないひきこもりの僕にとって、基本的にこういったコミュニケーションツールなど意味のないものだったが、なにせスマートフォンを持っていても電源を切ったままにしているし、当然、ビルに備え付けられた固定電話にも出ない。
結果、業を煮やした『彼女』が、いつも付けっ放しにしているPCからの呼び出しには応えるだろうと、SNSにDMやリプライを送ってくるようになったのは、ずいぶん前からだ。
連絡を受け続けていた事実に気付いた僕は、新着メッセージの数にぎょっとする。
メッセージは、五分おきに送信されていて、たった今7件目のメッセージを受信した。
『アガナくん、起きていますか?』
『アガナくん、起きているなら返信してください』
『いくらなんでも、もう起きているんでしょう?』
『いいかげんに返事をしないと怒ります』
『そうですか。わたしを怒らせたいんですね?』
『あと30秒で返事をしないとわたし、本当に怒ります』
『時間切れです……。』
「うわぁぁぁぁ、時間切れだぁぁぁ! もう駄目だ! すっごい怒ってる! この字面はすっごい怒ってる!」
マンガで言えば、すさまじい集中線が入りそうなほどに僕は絶叫し、頭を抱える。まるで起爆直前の爆弾を、もういっそ気付かないままその瞬間を迎えた方が幸せだったのではなかというタイミングで、爆弾を見つけてしまった可哀想な人の気分だった。
『落ち着いてください、アガナ。わたしがあの女からあなたを守ります。いっそ始末します』
「いや、【ここな】は無理だから! 絶対、あの人からは無理だから!
ていうかAIの発言としては不穏すぎるから!」
『いいえ、アガナ。わたしが全機能を立ち上げれば、あんな女くらい簡単に』
SNSのメッセージの横に映る【ここな】は、相変わらず無表情だったけど、気のせいかその影にはいつも以上の凄惨さが潜んでいるようだった。これも僕を想ってのことなんだろうけど、とにかく冗談としては怖すぎる。
とはいえ、現実はそう優しくはない。
コンコンコン。
現実がやってきた。
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