武装要塞ゲームサークル(仮)
佐倉ホロ
序章:intermission 01
戦場ジャーナリスト緒方直人の取材記録 No.01
最初の通告。
僕らの知っていた世界は、終わりを告げた。
最初の質問。
世界が崩壊し、すべてがデフォルトになったら、キミはヒーローになれるか?
望んだ人生を送ることができるか?
試してみてくれないか?
キミの生き方を。
ニューヨーク、ブロンクス、ラリー・ポール. 2045,summer
■合衆国国防総省
デジタル記録#USGX-9041273342
第37次現象遭遇記録
暗号名:クァンタムセオリー
ブラックレコーダー回収地点:日本海北東、ポイント742
通信担当:こちら、駆逐艦ラリー・クラレンス・ポール、現在時刻、二三〇〇。
現在、日本海北東ポイント742。作戦行動中、指示を乞う。
XQYR10:ラリー・クラレンス・ポール、こちらHQ。貴艦の位置を確認。
【パッケージ】は十五分後に到着の見込み。
通信担当:HQ、目標上空の無人機の試薬に反応が出た模様。現象発現を確認。
XQYR10:ラリー・クラレンス・ポール、遭遇後、現象の観測データ収集、
及び【パッケージ】を回収し、速やかに離脱せよ。
通信担当:……ギギガガガァァァァァ空がィィィィィィィギ
……開いギギギギギギギギギギギ……
XQYR10:ラリー・クラレンス・ポール、通信障害発生。
現象との遭遇はすでに第2種へ移行している模様。
速やかに退避せよ。
通信担当:……の……飛来……ギギギギギギギギギギガッ!!
通信途絶時刻、二三〇七。
合衆国所有物につき、当記録のあらゆる複製行為を禁ず。
2047年1月8日。アフリカ西部の小国であるK国、その国の首都ヤンバラグァに緒方直人はいた。後の資料の中に、彼についての経歴の幾つかが示されるが、そのほとんどが情報部によって改ざん、及び隠匿されているため、確かな情報は限られている。
少なくとも、この日、彼がそこにいたことだけは分かっていた。
目的は三年前から続いているK国の内戦取材だった。35歳、戦場ジャーナリストである緒方直人は、2000年代初頭、いや、あるいはそれ以前から続く内紛、テロによる犠牲者や兵士たちの姿を写真に収めてきた。時には、目を背けたくなるような残酷な情景さえも、臆することなくカメラを向ける。
彼と共に仕事をしてきた仲間たちは大勢いたが、皆、一人、また一人とこの仕事を辞めていった。
刀剣類や弓矢を使った古代の戦闘と違い、現代兵器を使った戦闘では、たいてい、人間は人間らしい形を保ったまま殺されることは稀だった。より合理的に破壊される。
特に西アフリカの戦場は悲惨だった。筆舌に尽くしがたいまでに残酷で無機質な感覚で分解された人間を前に、正常な神経でカメラを構え続けていられる人間は、そうはいなかったのである。
ある意味、緒方直人だけは異常だったのだ。
そんな中、K国東部にある首都ヤンバラグァは、三日後には反政府勢力によって陥落されるだろうとの噂があった。逃げ出そうとする役人たちや政治家が、各々屋敷から家財一式をトラックに運び入れて忙しそうにしている。
それを貧民街の薄汚れた半裸の少女たちが、不思議そうに眺めていた。通りには迫撃砲や爆弾で家を失くした骨と皮だけの死人のような人々で溢れ、中には放置された死体が、厳しい陽射しに晒されて腐敗しているのが見える。ほぼ白骨化した死体まであったが、誰もそれらを埋葬しようなんて考える人間はいない。
時々、重武装した装甲車がその死体を何事もない様子で踏み潰していく。
まさに地獄だ。そんな世界をカメラに収めていた緒方直人の表情は乾ききっていた。
「ここもそろそろ潮時だな」
壮年を迎えて久しい髭ヅラのフランス人ジャーナリスト、シャルルが、そう言ってタバコを床に投げ捨てた。壁が砲撃であちこち破壊されていて、天井から太陽が見える。いつ全壊してもおかしくないようなその場所で、それでもその店は営業を続けていた。あっちこっち砂埃にまみれていて、椅子やテーブルの上は、じゃりじゃりとした感触がある。
けれど、直人もシャルルも、それに他の客たちも、そんなことは一切気にしてはいなかった。それでもこのあたりでは、上等な店だと知っているからだ。
「武装勢力が三日後にここを陥落させるって噂も、あながちデマじゃないのかもしれない。役人たちの慌てぶりを見ただろう?」
イタリアから来た比較的若い男がそう言う。
「首都が陥落して現政権が倒されたら、アメリカも黙ってない。そうなりゃもうここら一帯、木っ端微塵だろう」
「CIAの情報通の話だ。連中、二日前にアジトを引き払ってる」
「オレは明日発つよ。こっちのガイド役だったヤツが逃げ出しやがった。そろそろ出ないとゲリラ共の餌食かもしれないしな」
「直人、おまえはどうするんだ?」
もう一人のフランス人ジャーナリストで、比較的、直人と歳の近かった男が、グラスの中の琥珀色の液体を飲み干して問いかける。
「オレは西にいくよ」
テーブルの上で、一人、一眼レフを手入れしていた直人が、手にした布巾をテーブルに放り投げ、手近にあったグラスを手に取る。
「西だって?」
一人が意外そうな顔をする。
K国の西部といえば、ひたすら農園地帯が続いている。あとは砂糖工場くらいだろう。前線とは正反対で、特に目立った軍事施設などもない。戦場ジャーナリストが農園取材などしても意味がない。せいぜい、小規模なゲリラ組織が麻薬工場か何かを運営している程度ではないか。
「なんだ? 西に何かあるのか?」
「まだ分からない」
「ふん、何かうまい情報があるなら言えよ」
イタリア人の男がそう言ったが、直人はそれ以上多くは語らず、再びカメラを磨き始めた。周囲の男たちは、そんな直人が語りだすのをしばらく待っていたが、やがて、興ざめしたのか、再び、どうでもいい会話に戻る。
気がついたとき、男たちの視界からいつの間にか直人の姿は消えていた。それが記録上、残っている緒方直人の姿が確認された最後の証言となっている。
2047年1月25日。午前10時23分。コングォ山南を流れるビジ川流域に広がるK国最大の大農園、ヌヴァンツォ砂糖工場の敷地内にて、緒方直人はカメラを携えて立っていた。
錆びた鉄柵で囲まれた敷地の中、強い日差しを浴びて、汗ばんでいる彼の横顔を一筋の雫が流れていく。
この国特有の蒸し暑さのせいではない。カメラを一心に覗き込む彼の肌をよく見ると、寒々とした鳥肌が立っているのが分かる。
これまでどれほど残虐な光景を見ようと、決して動揺することのなかった彼が、今、初めてこれまで感じたことのなかった背筋の凍るような感覚を味わっていた。
彼の目の前には、何百何十という人間の死体が横たわっていた。強い日差しの熱で腐食したのか、黒々と変色した肉や皮膚が、凄まじい悪臭を放って爛れ落ちている。その腐肉を貪ろうと、死体の山に群がるハエたちの羽音が、周囲の空気を不気味に震わせていた。腐って溶解した黒色溶液と共に内臓が、ぼこりと流れ落ちているのが見える。おぞましい死体の山だ。
いや、中には生きている者もいたのかもしれない。とても信じられないことだが。なぜなら、その死体の山は、炎天下の青空のもと、時折、不気味に蠢いていた。生存者がいるのかと最初は疑った。しかし、そうではなかった。死体が死体を貪り食おうと這いずり回っていたのだ。
「……な、なんなんだ。これは……」
ぐちゃぐちゃという耳に絡み付いてくるような不快な音を響かせながら、半分どろどろの赤黒い粘液と化している肉体を引き摺って、別の死体の腐肉を屠っている。
中には、お互いに死肉を貪りあっている死体もあった。
「そんなバカな。生きてるのか? この状態で」
ありえない。ここまで身体が腐って爛れ落ちた状態で生命を維持できるわけがない。では死体のコレらは、どうして動くことができる?
答えの出ない問いかけが頭の中をぐるぐると回る。何か分かりやすい答えが出てきそうなものだ。なにせ、現に目の前で起こっていることなのだ。必ず、何か理由があるはずだ。
なのに、まったく分からない。何かの病気か? それとも麻薬か何かの薬品でこうなってるのか? しかし、直人にはそんな話は聞いたこともなかった。
ただ、ひたすらカメラを回して、目の前の恐ろしい情景を直視し続けることしかできなかった。
その時である。
ふいに誰かの手が直人の肩に触れた。神経が高ぶっていた直人は、思わず、飛びのいて振り返る。そこにいたのは、一人の黒人の男だった。薄汚れたグレイのTシャツに、ベージュのハーフパンツのラフな格好の男だった。いや、そのはずだが、今の彼のTシャツには誰のものか分からない血がべっとりと染み込み、ハーフパンツから伸びる黒い肌の脚には、彼自身のものと思われる血が流れていた。
一見してガイドだと気付かなかった。
「ふ、ふぐ、ぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐうぐぐうが!」
男は、青ざめた顔をして寒さに震えるかのように小刻みに痙攣し、ケガを負ったのか右肩を必死に抑えていた。
顔中からは脂汗がひっきりなしに流れ、痙攣している。
彼は直人に情報を売った男で、ガイドでもあった。確か名前は、
「ナ、ナリンジか?」
よく見れば彼が、現地のガイドのナリンジなのは間違いないはずだった。しかし、激しい苦悶と恐怖に醜く歪んだその顔は、直人が当初知っていた彼の顔とはかけ離れていた。
「ぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐガガガォィギ……」
口からも鼻からも血の混じった黄土色の粘液を垂れ流し、まるで助けを求めるかのように、ゆっくりと手をかざして近づいてくる。
その手はみるみるうちに、血管を浮かび上がらせ、紫色に変色していくのが分かった。異常だ。何かの病気のようだが、こんな病状は見たこともない。その姿に恐ろしくなり、ナリンジの震える手に触れられる直前になって直人は駆け出した。
とにかく、目の前の光景から逃げ出したかった。あのグロテスクな死体同士の貪り合いも、明らかに何か、未知の病状を発していたナリンジからも、遠いどこかへ逃げ出したかった。
初めてだった。今までどれほどの悲惨な戦場の光景を見ても、動揺することのなかった自分が、今、初めて感じているこの感覚、これは紛れもない恐怖そのものだった。
「なんなんだ!? ここは! なんでこんな……」
必死にカメラを担いだまま走る彼の遥か後ろで、不気味な何かが這いずっているのを感じる。何かが追ってきているのか。しかし、全力で走る自分に、這いずっているあの化け物どもが追いつけるようには思えない。しかし、何かが背後にいるような気がして、背筋が震える感覚が彼を襲う。
彼はとにかく全力で走った。
いくら疲れが来ようと、絶対に立ち止まる気にはなれなかった。
やがて、大農園の中心にあった工場を、遥か遠くに背にするようになり、目の前にマングローブの森林地帯が見え始めたところで、ついに彼は立ち止まってしまった。膝を突き、肩で息をする。
途端に、強い吐き気が込み上げてきて、一気に胃から込み上げてくる汚物を吐き出した。
呼吸が出来ずに、一瞬、気が遠くなりかけたが、先ほどから心臓が破れそうなほどに、どくどくと脈打っていてそれどころではなかった。強い日差しに身体が火照りそうなのに、皮膚の上だけは、冷たく凍り付きそうな感覚がいつまでも消えない。
そのうち吐き出せる限りを吐き出し、呼吸が少しだけ落ち着き始めた。
「はぁ、はぁ、はぁ……かはっ、くそっ。どういうことなんだ。テロ組織の大物が潜伏しているって話じゃなかったのか? あれは……あれは……」
まだ全身の震えが止まらない状態だったが、ふいに、背後から、がさりという草を踏みつける音に、びくりとする。
やがて、振り返った彼の目の前には、
「……」
一見、案山子か何かに見えた。案山子が、のどかな地平の彼方からこちらに向かって、まばらに、ゆっくりと歩いているような光景だった。時々、バランスを崩して倒れるものもいたが、倒れてもまた起き上がるか、あるいは這っている。人間だとしたら、痩せすぎだし、ところどころ骨組みのようなものが見え隠れしている。
人間のはずはなかった。人間のはずは……。
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