第49話「距離」
「昼間っからいいご身分だとかなんとか言ってなかったか? おまえ」
夜光杯を傾けながら、琉樹は傍らに座る志均に目を投げた。志均は、
「ああ琉樹、杯が空いてますよ。葡萄酒お替わりしますか? 白酒もありますよ、竹葉青も。あとは――」
「あの医生、ほどほどに……」
そう困ったように笑うのは珪成。三人は
ここは志均邸の客房である。
温楽坊を四人で並び出てからしばらく、思いついたように足を止めた志均は、「今晩は我が家にお泊りなさい」と珪成に声をかけ、通りかかった車を停めた。そうして傍らの楓花を振り返り、
「色々あって疲れたでしょうから、先に帰って少し休みなさい」
もちろん否応はない。いやむしろ、二人を間に挟んでも尚のしかかってくる恐ろしいほどの怒気から逃れられるのは大歓迎!
「はい」楓花は素直に頷いて車に乗り込んだ。
すると、それに手を貸す形で志均がそっと身を寄せてきて、
「いいですか、先に帰って酒席を用意しておきなさい。私たちは荘家にご挨拶をしてから帰りますから。色々なお酒を用意しておくんですよ。料理は後からあなたが」
「じゃあ僕、元弘寺に一回帰って、外泊の許可いただいて、老師のお支度をしてきますね! 師兄も行きますか?」
「行かねえよ」
「あはは、やっぱり。――じゃあみなさん、またのちほど!」
ついさっきまで大立ち回りをしていたことが嘘のように、珪成は元気よく駆け出して行った。だけでなく、車の脇を抜けるとき、僅かに足を緩めて楓花に片目を瞑ってみせた。
そう、つまりは私が大兄にどやされるのをなんどか緩和しようと二人は画策してくれているのだ。もう本当に――申し訳なさすぎる。
もう絶対! 二度と! 勝手な真似はしません! 本当にごめんなさい!!
楓花は車上で合掌しながら(それを見た往来の人々から奇異な目を向けられながら)その場を後にしたのだ。
そして今――楓花は大皿の載った盆を手に、客房の入り口陰に身を潜めて中の様子を窺っている。
「それにしても料理が遅いですね。お酒ばかりでは回りが早くなってしまうというのに」
そういう志均は、杯を舐めてしかいない。
「まったくだな、あいつは一体何をやっているんだか」
琉樹は派手にため息をつくと、苦い顔で白磁の杯を置いた。
「少し見て来ましょう」
そう言いながら志均がこちらに目を投げてきたので、「今だ」とばかり楓花は入り口に姿を現し、
「お待たせしました。涼菜拌盤(前菜盛り合わせ)になります」
「おっせえよ!」
「ごめんなさい大兄、すぐ取り分けます。他の料理もすぐ」
うわ、もう酔ってる……。まさに志均さまの思惑通り――楓花はなんだか申し訳なくて、しおらしく給仕に専念することにする。
「さあどうぞ、大兄。豆腐多めです」
「おお、よく分かってるじゃないか」
「それはもう」
よかった笑ってる……琉樹の様子にほっとして、楓花は彼の前から身を引いて、他の皿も取り分けはじめた。
その後も鈴々の手で続々と料理が運び込まれ、楓花はせっせと取り分け続ける。
「おいおい、随分大盤振る舞いじゃないか。まだ日も高いのに」
その様子と、傍らにずらっと並ぶ多種多様の酒瓶を眺めた琉樹が声を上げる。念のため、と頭う布を巻かれた傍らの珪成が同意するように何度も頷いて、「だから頭を振るな」と琉樹にたしなめられた。
それに対し志均は夜光杯を僅かに上げてみせ、
「今から午後の往診にはとても行けませんし、埋め合わせで明日は早く出なければなりませんし、もう早くから飲むしかないでしょう。せっかくの祝杯ですし」
「祝杯?」きょとんと問いかける珪成に、志均はにっこりと笑いかけ、
「無事に依頼が済んだお祝いですよ。戦利品もあんなに」
そう掌を向けた先には、大小の銭袋が積み上げられている。
「――あれは詐欺だろ」
「どこがですか? 楽にして差し上げた治療代ですよ。どうせ訴え出ることもできない出所不明なものでしょうし、我々が有効活用した方が。依頼料もたいして入ってこないでしょうから」
「えっ! 依頼料、とるんですか?」
志均の前に
しまった、しおらしくしてるはずだったのに!
慌てて両手で口元を覆うと、こちらに目を流してきた志均がふっと笑った。そして一言。
「当然でしょう」
「――」声が出ない。
いつもと変わらない優しい笑顔と声なのに、時々、言いようのない距離を感じてしまうのはどうしてなんだろう。
「すみません」どうにかそれだけを言って、楓花はその場を下がった。
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