第48話「不謹慎」

 境内で繰り広げられる緊迫の展開を扉の陰から固唾をのんで見守っていたけれど、珪成が無事だと分かり、事態が収拾していくにつれ―—この騒動を招いたのが自分だということを今さら、しみじみと思い出し、色が戻りつつあった楓花の顔面は、再び蒼白になっていった。

 嘘をついて春麗とノコノコこんなところに来た挙句、おとなしくするどころか、うっかり声を上げてしまって――しかも思いっきりハッタリ。それがバレていたら、いや、バレる以前に声を上げた直後に刀が飛んでくる展開があったかもしれない。どう考えても、危ないところに自ら飛び込んで行っているとしか……。


 これは、確実に怒られる。いや、怒られるなんてものじゃなく――。


 これまでの経験から予測される今後に身震いがして、遅ればせながらおとなしくしていた。だけど柳は縛り上げられているし、陳丁は兄弟の間でうなだれたまま動かないし、その他の雑魚たちも境内の遥か向こうでみんなぐったりしている。そして階下の三人は明らかにほっとした顔で談笑? している。

 

 ――もう、いいかな……。


 三回逡巡して、ようやく上げたか細い声が、だった。


 しかしそれは確実に届いていて、三人が一斉にこちらを振りあおいでくる。

 予想通り、まっすぐ飛んでくる鋭すぎる視線から思わず目を外すと、柔らかい目がこちらを見ていた。

「ああ、すみませんでしたね楓花。もう大丈夫ですよ」

 耳慣れた優しい声に、ほっとする。楓花はそのまま階段を駆け下りて、

「珪成、大丈夫?」

「えっ、僕!? 大丈夫です! つい陳丁に気を取られてしまったところに、柳が刀を振り上げてきて――思わず下がったら、後ろに転がってた男に躓いちゃって……。勢いよく倒れたおかげでかわせたようなものですが、男の顎に頭があたって、一瞬意識が飛んじゃいました。こんな失態、老師にバレたら怒られちゃいますから、言わないでくださいね」

 ちょっと恥ずかしそうに笑って、後頭部をさすり――「あ、瘤ができてる」

「じゃあ、まあ心配はないってことか?」

「念のため帰ったら診ましょう。それと、数日はおとなしくしていてくださいね」

「本当に大丈夫ですよ。だって、僕がすぐに気がついたの、お二人は分かってたじゃないですか。立ち上がろうとしたのを目で制されたし」

「そうなの?」

 珪成の言葉に、楓花が両脇に立つ琉樹と志均を交互に見ると、

「まあ、少しは休ませておこうかと」

「倒れていると思わせておいた方が、柳も油断するかと思いまして」

 そう、だったんだ……。まだ心配が完全に消えたわけではないけれど、珪成の変わらない様子に楓花は安心する。そして、

「でも、ごめんなさい。私が勝手なことをしたばっかりに――」


「よく分かってるじゃないか」


 まるで地の底から響いてくるような声――怖くて、声の主が見れない。

「おまえ――俺たちを騙すとはいい度胸してるじゃないか。覚悟はできてるんだろうな」

「はい」

 楓花は固く目を瞑って、深く頭を下げた。

「まあまあ師兄、落ち着いて。楓花さんだって悪気があったわけじゃないですし」

「そういうのが一番タチが悪いんだよ!」

「こうして無事に済んだんですから、いいじゃないですか」

「何かあってからじゃ遅いんだよ! だいたい、おまえがこいつを甘やかすから」

「やめて大兄、志均さまは何も――」

「ああそうだ、おまえが悪いんだ!」

「ごめんなさい……」

 再び楓花が肩を竦めると、隣の志均がふうと息を吐き、

「まあ、そろそろ退散しましょう。衛士を呼ぶ前に人が来るとやっかいです」

 そうしてふっと階上を見上げて、「あなたも」

 つい先ほどまで楓花が立っていた扉口に、張青が立っていた。ぐったりした春麗をその背に負っている。

「衛士が来る前に行きなさい。この騒ぎで、あなたが通い詰めていたも調べられるでしょうし――この場に残っていると、色々と厄介なのでは?」

「――はい」

 張青はおどおどと頷くと、階段を駆け下りると一礼して、四人の脇を抜ける。楓花はその姿をじっーと目で追い続けたけれど、一瞬たりとも張青の視線を捉えることはできなかった。

「ただし」

 志均の声に、張青が足を止める。

「数日中に必ず我が家へいらしてくださいね。あなたに益のない資料は押さえてありますから――たとえば、あの店の『顧客名簿』とか」

 振り返った顔は蒼白だった。「――必ず」消え入りそうな声でそう言うと、張青は足早に寺を出て行った。

「いつの間に顧客名簿なんて手に入れてたんだ?」琉樹の声。志均はそちらを流し見て、

「なに、あのお店に『衛士が来る』と教えて差し上げれば、自分たちに不利益なものは全て、勝手に処分してくれますよ」

 そう言ってうっすらと笑う。そうして懐に手を入れると滑らかに踵を返し、香炉の前に立った。

「さあ急いで。決して風下に立たないように。私が出た瞬間に寺門を閉める準備をしておいてください」

「僕は後からついていきます」

「小妹、ちゃんとついて来いよ」

 声とともに、ぎゅっと手を繋がれる。非常時なんだから――思うけれども、握った手の強さと、自分をまっすぐ見てくる目に、なんだか泣きそうになってしまう。

 「うん」どうにか声にして、頷くことで顔を伏せた。

「さあ行って!」

 志均の声を合図に、楓花は琉樹に引っ張られるようにして走り出した。


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