第45話「無力」
「――!」
息を呑んだ楓花は、志均の袖をぎゅっと掴んでいた。
眼下では、熊男が琉樹と珪成に対峙している。数では有利なはずなのに、明らかに兄弟が押されている。二人は結構な雑魚を片付けた後で疲れてるから――ではない、これは。
何度か様子見程度の打ち合いをしていたけれど、どうみても柳は子供を構ってやっているかのような余裕の表情で、いかにも軽々と振り下ろした刀なのに、二人は受け流すだけでやっとという様子。その度に重く響く音が、いかに凄い衝撃なのかが伝わってくる。珪成にいたっては何度か膝が揺らいでいた。柳の重量は、珪成の倍以上はありそうだから、よく堪えていると言えるのだろうけれど。
ならばと二人が違う方向から向かっても、あの巨体に似合わず素早く身体を返している。さすがは武挙人、二人は明らかに不利だった。
このままじゃ――。
叫んだところで人は来ないし(来ても柳の一味だろう)、役所に走るにしても、そもそもこの似非寺を出ることができるかどうか……。ちらっと熊男に目を向けると、まるで心を読まれたかのようにこちらを見て、ニヤッと笑ってきた。
いかにもな悪人面に背筋がぞわっとして、楓花は思いっきり目を逸らした。
「楓花」
気のせいかと思うほど小さな呼びかけは、境内から目を離さない志均からだ。
「手を離して」静かな声。
「志均さま!?」
まさか――顔を向けたとたんに目が合った。
いつもなら思わず顔を背けてしまう至近距離である。なのに今は目を逸らすことなく、袖を握る手にぐっと力を入れた。そんな楓花に、志均はいつものとおり柔らかく笑いかけてきて、
「大丈夫です、あなたは下がっていなさい」
柔らかくそう言うと、自らの左袖を握る楓花の手に右手を重ね、ゆっくりとその手を解いた。
そうして素早く身を返し、一気に外に出る。楓花の足は思わず前に出たけれど、言いつけを思い出して踏みとどまった。言われたように扉の影に下がり――お願い無事で――必死に思って扉にしがみつく。
だが志均の姿を最初に見咎めたのは、誰あろう琉樹である。
「来るな優男、おまえが来てもどうにもならねえよ!」
当然そんな言葉に耳を貸す志均ではない。だが――階段を降り切ったところで動けなくなってしまった。
「逃がさん、逃がさんぞお」
その足元にしがみつくのは、情けない声を上げながら三人の打ち合いから逃げ回っていたはずの陳丁である。
いつからそこにいたのか基壇の影から突如飛び出し、志均が地面に足をついたその瞬間に飛びかかってきたのだ。
「逃がさんぞぉ」と呪文のように繰り返し、志均の右足に絡みつく。だけでなく、志均の右手が懐に伸びるのを目ざとく見つけ、ぶらさがるようにその手も封じた。
ただでさえ重量があるうえ文字通り必死である。志均が左手で押そうと叩こうと陳丁は僅かに唸るだけで、びくともしない。
楓花はたまらず扉から身を乗り出し、「志均さま!」
「いいから、そこから動くな!」
志均の鋭い声に被さるように、
「うわあっ」
「珪成!」
緊迫した声に目を投げると、珪成が地面に転がっている。
「――!」
まさか斬られたの!? 息をつめて目を凝らす。だけど香炉と、そこここでうずくまったり倒れたりしている僧形たちが邪魔をして、地に投げ出された足の先以外はよく見えない。琉樹が錫杖を構えたまま柳に対峙し――だがチラチラとその背後で倒れている珪成に目を投げている。陳丁が気になるのか、柳もさっさとカタをつけようと決めたらしく、構え直した姿が明らかに違った。これまでにない凄みが立ち上っている。熊男が本気になったら大兄は――!
私のせいだ。
大兄の言葉を無視して、みんなに隠れて勝手なことをしたから。だからなんの準備も策もないまま、こんなところに飛び込ませてしまった。私のせいでみんなが――扉に縋る手が震える。目から溢れそうになるものを堪えて、鼻の奥が痛い。
ぽろっと涙が零れて――泣いてる場合じゃない! 思いっきり自分を叱責する。
何かできること。だけど私は戦えないし、武器になるもの一つだって持ってない。必死に辺りに目を巡らした。何か、何かないの? 少しでも使える、何か――だけど本当に、動ける範囲にそれらしいものは何一つない。
だからだろう。柳は全然こっちを見ないのは。
私には何もできないと分かっているから。何もないと、分かっているから。
だったら。
お願い気づいて――念じながら楓花は階下の志均に目を向けた。石と化した陳丁と格闘していた志均だったが、何かを感じたのか、ちらっと楓花に目を投げてきた。その目を捉え、楓花は小さく頷く。そして右手をぎゅっと握ると、
「志均さま、これをお使いください!」
そう叫んで、右手を振り上げた。
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