第42話「再会」

 ――そして。


「ここですね『元法寺』」

 声は背後からだった。

 僅かに息を弾ませた志均が早足の名残があるもつれた足取りで、柳の影で寺の様子を窺っていた琉樹の側に寄ってきたのだ。

 北市を出た後、二坊南下したところで馬を降りた。二人乗りで走らせるという無理はここまでが限界だろうと判断したからだ。たまたま通りかかった志均の知り合いに手綱と銭を渡し、馬を荘家へと送り届けてくれるよう頼んだ。

 そして隣の坊から一キロ弱、二人は楽水沿いを走ってここまでやってきたのだ。

「どうですか?」

「人気なし。出入りもない」

 そうしてやはり、人通りもない。

 二人は足を忍ばせて門前に立つ。門扉に耳をあてても、中からは何の音も聞こえなかった。

 琉樹が隣の志均に目で問う。「どうする?」

「ここは正攻法でいきましょう」

 志均のささやきに、琉樹は頷いた。

「――了解」

 琉樹は門を三度、強く叩いた。待つことしばらく、足音が近づいてくる。それが門の向こうで止まったことを確認し、今度は小さく三度。昨日の女たちがそうしていたように。

「高さんですか?――ついさっきまでお待ちしてたんですが、もう始まってしまいました。すみませんがまた来月に……」

 潜めた声とともに、ゆっくりと扉が開く。

「あれ? 誰もいな――うわっ!」

 誰もいないことを不審に思い門外に一歩踏み出した男は、門の影からいきなり手を引っ張られ、たたらを踏む――と思われたが、腕を取られたまま屈強な腕で口元を押さえつけられ、もの凄い力で引き上げられた。手を後ろにとられたまま息苦しさに悶えていると、ふいに腕が解ける。性急に呼吸を求めて開いた口に何かが放り込まれ、大きく吸い込んだ息もろとも、それを飲み込んでしまった。

 何――と声を上げる間もなく、今度は大きな手で口を押さえられ、再び息苦しくなり、ほどなく意識がぼんやりしていった。「そのままどうぞ、お休みください」と妙に優し気な声が聞こえて――それっきりだ。


 琉樹はぐったりとした男を、比較的細身の柳の影に引きずっていくと、男の帯を解いて木に括りつけ、髪の巾で猿轡を噛ませる。

「さすがの手際ですね」

「おまえに言われたくない。一体どんなヤバい薬を持ち歩いているんだか」

「危なくはないですよ。現に何度も飲んだあなたは、こうして元気じゃないですか」 

 琉樹は眉間に皺を寄せたまま、はあっと息を吐き、

「急ぐぞ。なんだかよく分からないが、まだ始まったばかりらしいからな」

「どうやら参加予定者がまだいらしてないようですね、助かりました」

 開きっぱなしの門から出てくる者はない。琉樹が隙間から中を覗くと、白煙がもうもうと立ち上る青銅の香炉がポツンと置かれた白砂の境内に、人気はまったくなかった。

 揃って門を入ると、左右には廂廊が四面の壁をなぞるように続いている。二人は身を屈め、廂廊の透かし彫りの施された欄干に滑り込んだ。やはり誰にも咎められなかった。

 二人は欄干からそっと顔を出し、周囲を窺う。

「これまた随分と抹香くさいな。どんだけ焚き上げてるんだ」

「儀式に必要なんですかね……」

 境内は心なしか白く煙っていた。

 門の正面にあたる北には、石の基壇上に、大きくはないが朱青鮮やかな真新しい建物。大宝雄殿ほんどうだろうか? 門の左右から別れた廂廊は、そこで繋がる形になっている。その途中、東西には僧房と思しき長屋が連なっていた。どの建物もすべて、きっちり扉が閉まっている。

「ここまで人気がないのは妙だな」

「いくら厳粛な儀式であっても、もう少し人はいそうなものですよね」

「とりあえず、もう少し進むか。多分東西の建物は、遠方から来た客人の宿泊施設なんだろうか……」

「――それだけ霊験あらたかということですかね。そんなところに当てずっぽうで不法侵入――勘違いだったら相当マズいですね」

「いまさら気づいたか」

 二人は膝を折ったまま、小走りに廂廊を行く。柱は丹色鮮やかで、欄干や欄間に施された蔓を模した透かし彫りは緻密、門外からは分からない金の匂いが満ち満ちていた。

 廂廊の角を曲がって僧房にさしかかったとき、はっと息を呑んだ志均が声を上げた。

「この香り――麻沸散!」

「意識を飛ばすあれか」

「この建物の中から漏れてます。離れて!」

「それでこの煙かよ!」

 二人は袖で口元を覆いながら欄干をまたぎ、境内に飛び出した。すると、

「何奴!」

 潜められた声は、だが鋭い。振り返ると、向かいにある僧房と思しき建物の扉が一つ開き、そこからガタイのいい三人ほどがこちらを目指してきた。

 だが琉樹が向き直ったとたん、先頭に立った最も屈強そうな男が息を呑んで驚愕し、足を止めた。勢いよく後に続いていた二人は彼の背に思いっきりぶちあたり、派手に転がる。

「あ、おまえ――」

 琉樹が嬉しげな声を上げた。目の前で絶句している男は、いつぞや茶坊でのし上げた、あの男だったのだ。

 琉樹は背後の志均を振り返ると、

「やっぱり陳丁はここにいるんだな。よかったな、全くの当てずっぽうというわけではなかったようだ――ぜ!」

 すっかり腰が引けていた男とその手下二人は、琉樹によりあっけなく地に転がされた。

「急ぐぞ、あの建物だ」

 琉樹が大宝雄殿と思しき建物を振り仰いだ、そのとき。

「ぎゃああああっ!」

 人のものとは思われぬ叫びがまさにそこから上がる。二人は顔を見合わせ、直後に駆け出していた。


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